時短で豊かさを作ろう

時短で豊かさを作ろう
Sunrise Reflections / Marc Forrest

YADOKARIのサイトに掲載されている情報に触れて、「こういう家に住めたら良いな」「週末とかバカンスはこうやって過ごしたいな」とここの読者なら誰もがそう夢見るのではないでしょうか?

でも、実現にはほど遠いなとの思いが頭のどこかにこびりついているから、やっぱり夢は夢と諦めてしまいがち。最大の難敵は、ずばり忙しさでしょう。まず、物理的に仕事で拘束されている時間が長く、しかも、かつてと比べて仕事での緊張が段違いですから、疲れてしまってプライベートを充実させるのは難しくなっています。

 

ここ四半世紀で労働時間が長くなっている

先月、「『就活』という広告ビジネス」(リベルタ出版)という本を出したのですが、近年の忙しさの例証を探して、古い映画や雑誌などをひっくり返して見つけたのが『Papa told me』(榛野なな恵著 集英社)の第一話(1987年初出)。19時半に帰宅できてないお父さんがなじられるシーンが出てきます。まあ、このマンガの中では父子家庭(当時の行政用語だと欠損家庭(!)と言いました。さすがに今は使いませんが)であるからという事情はあるのですが、バブルの頃であっても、午後7時ごろには家族そろって晩ご飯というのが世間の常識だったわけです。
現在だと、「キラキラ20時退社」(解説:就職活動中の女子学生が願う就労時間のこと。ちなみに、働いている人の男女を問わず、「仕事をなめんな」と評判が悪い模様。要はもっと働くのが当然だと…)なんて言葉があるくらいですから、ここ四半世紀でいかに労働時間が長くなっているかが分かろうというものです。

 

今、消費者が求めているのは新しい商品じゃなくて、自分の自由になる時間

バブルの頃って、「ワープロ・FAX・コピー機」の三種の神器が導入されてOA(オフィス・オートメーション)との名の下に、仕事の仕方が革新されたはずなんですが、OA機器がIT革命の前に絶滅する(ワープロ専用機は既になく、FAXは電子メールに取って代わられ死滅同然。コピー機はかろうじて健在なれどタブレットの普及で風前の灯火)くらいに仕事を補助する機器は進歩してるはずなのに、仕事が忙しくなる一方ってどういうことなんでしょう?
それで経済的に豊かになっているならまだしも、デフレで世の中に元気はなく、不毛な安売り競争でみながすり減ってるだけじゃないですか。
今、消費者が心底求めているのは新しい商品じゃなくて、自分の自由になる時間ですよね。YADOKARIのサイトに載っている家屋が欲しいんじゃなくて、「あの程度の住環境は欲しい」でも「あれ以上の華美は求めないから、そこですごせる時間が欲しい」ですよね。

 

「一日6時間労働、週休3日、有給1ヶ月、月給30万円、ボーナス年100万円」

そこで、「健康で文化的な最低限度の生活」を現代風に再定義すると、住まいは小さくシンプルで良い。モノもたくさんは要らない。むしろ少なくて済むならそれに越したことはないって感じ。
それを維持するために「働き/稼ぐ」ワークライフバランスを、ザックリと提案すると、「一日6時間労働、週休3日、有給1ヶ月」で働いて、「月給30万円、業績や功労に応じてボーナスは年100万円くらい出る」ってあたりが落としどころじゃないでしょうか。
これなら、仕事にも集中できますし、ダラダラした会議を早々に切り上げる動機付けにもなります。また、プライベートも充実させて趣味に時間を割いたり、友人と過ごしたり、また、恋愛や子育ても可能(この単語を使わなきゃならないくらい、今は不可能な時代ですから)ですよね。
経済成長が模索されてますけど、モノがあふれかえっている現在において新商品の開発に血道を上げるより、時短の方が実は近道じゃないでしょうか?
そのためには「創造的ワークシェア」とでも言うような社会的革新がいるのですが、その詳細をここで述べるには長くなる上に本筋を外れますので前出の拙著をお読み下さいとさりげなく宣伝(笑)。

 

ミニマルライフとは「足るを知る」豊かさの模索

YADOKARI的な話題に戻すと、このくらいの時間とお金があれば、家具を作ったり、気分に応じてペイントし直したり、あるいは腕に自信のある人はセルフビルドで家を作ったりできますよね。実際、このサイトでも自分で建てるのを前提とした物件が紹介されています。世界中で小さな家の様々な形が模索されているのは、「足るを知る」豊かさの模索じゃんじゃないでしょうか。
私見ですけど、YADOKARIのサイトでやりとりされていることって、ドロップアウトや隠居住まいのような道楽ごとではなく、忙しさから世界を救う最先端なんだと思ってます。