本は個人で出せる時代になった。82年生まれの3人が考える“マイクロパブリッシング”の可能性
皆さんはマイクロ・パブリッシングという言葉をご存知ですか? マイクロパブリッシングとは「少部数で本を出版すること」。マイクロパブリッシングで出版された本は、ほとんどが出版取次を通さず、直接書店に送られて販売されています。
YADOKARIが出版した『月極本』もこの方法で作られた本のひとつ。コピー機などを利用して作られる小冊子を指す「ZINE(ジン)」や、盛り上がりを見せるローカルペーパーなども広い意味で言えばマイクロパブリッシングに含まれるでしょう。
今まで、出版は個人ではできないものと思われてきましたが、近年では、出版や流通のインフラが変化したことで、個人でも本を出版・流通させることができます。
今回は、フリーの編集者で書籍『ローカルメディアのつくりかた』の著者でもある影山裕樹さんと、書籍『未来住まい方会議』の版元になった三輪舎の代表・中岡祐介さんを招き、マイクロパブリッシングの持つ力や可能性について話していただきました。
対談者プロフィール
影山裕樹(かげやま ゆうき)
編集者/プロジェクト・エディター
1982年東京生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、雑誌『STUDIO VOICE』編集部を、フィルムアート社を経て独立。2010年に「OFFICE YUKI KAGEYAMA」を立ち上げ、書籍の企画・編集、ウェブサイトや広報誌の編集、展覧会やイベントの企画・ディレクションなど幅広く活動している。著書に『大人が作る秘密基地』(DU BOOKS)、『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)。山下陽光、下道基行とともに路上観察ユニット「新しい骨董」の活動も行う。
中岡祐介(なかおか ゆうすけ)
株式会社三輪舎 代表取締役/編集者
1982年茨城県生まれ。東京学芸大学大学院修了後、カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社入社。TSUTAYA TOKYO ROPPONGIの書店部門に勤務後、フランチャイズ企業向けのCDバイヤー、スーパーヴァイザーとして8年間の勤務を経て、長男の誕生を機に、家事・育児・仕事の充実を目指して退社。2014年、「暮らしのオルタナティブ」を発信する出版社として、株式会社三輪舎を設立。
さわだいっせい
YADOKARI株式会社 共同代表取締役
1981年兵庫県生まれ。2012年、ウエスギセイタと共にYADOKARI始動。世界中の小さな家やミニマルライフ事例を紹介する「未来住まい方会議」を運営。250万円の移動式スモールハウス「INSPIRATION」や小屋型スモールハウス「THE SKELETON HUT」を発表。全国の遊休不動産・空き家のリユース情報を扱う「休日不動産」を運営。名建築の保全・再生の一環で黒川紀章設計「中銀カプセルタワー」をシェアオフィスとして運営。タイニーハウスやDIY屋台を使ったイベント・キッチンスペース「BETTARA STAND 日本橋」を2016年12月にオープン予定。著書に『アイム・ミニマリスト』(三栄書房)、『未来住まい方会議』(三輪舎)、『月極本』(YADOKARI)などがある。
「出版」への道はひとつじゃない。本も個人で作る時代へ
中岡祐介さん(以下、中岡) 僕らはそれぞれ本を出していますけれど、影山さんは編集者を始めた時には、今のように、自分で本が作れると思っていました?
影山裕樹さん(以下、影山) 最初はカルチャー誌の編集部にいたのですが、睡眠時間も少なく過酷な現場で(笑)。さらに雑誌って大勢の人が関わっていますから、自分で本を作るという感覚はなかったですね。右も左もわからず先輩の手伝いに奔走する毎日でした。
僕ら三人は同じ年代ですけど、2000年代初頭はまだDIY的になんでも自分でやってしまえという空気はなかったと思うんです。やりたいことをしたいなら、いかに業界でのし上がるかがキモというか。
中岡 雑誌なら特にそうですよね。本を出すなら、デザイナーとかライターとかたくさんの人が関わるから、全部一人でやるのは無理だっていう話で。
影山 雑誌の編集部って、純粋に編集しかしない場合が多い。だから本を販売・流通させるうえで重要な広告営業、書店営業、印刷のことなど分からないで仕事している人が多いと思います。
その後、僕は小さな出版社に転職するんですけど、そこでは編集部も3人しかないし、営業も実質1人だったので、プレスリリースを書いてメディアに送ったり、書店イベントを仕掛けたりなど、本ができた後のことも全部自分ひとりでやらないといけなかった。もちろん、小さな出版社ですから持ち込みはほとんどなくて、著者に会いに行ったり、一から書籍の企画を練っていった実感があります。それは今の仕事にも役立っていますね。
– 中岡さんは出版社を立ち上げる前も編集者をされていたんですか?
中岡 僕は2006年からTSUTAYAのカルチュアコンビニエンスクラブ(CCC)で働き始めて、店舗の運営指導やCDのバイヤー、書店員もしていました。本をつくることにも興味があって、仕事をしながら「いつかやれればいいな」とずっと考えていましたね。
僕はCCCを2013年に辞めて、2014年の1月に三輪舎を立ち上げました。きっかけは、30歳のときに子どもが生まれたことです。共働きの妻と自分のどちらかが融通のきく仕事をした方が子育てもうまくいくんじゃないかと考えていたので、じゃあ僕がやるよと始めたのが三輪舎です。なので、僕は編集の経験はゼロ。編集の技術は出版社を始めてから勉強して、まだ修行中のようなものです。
-さわださんは、本を出版するまでの経緯はどのようなものだったのでしょう?
さわだいっせいさん(以下、さわだ) 僕らが『月極本』を出しているのは、YADOKARIの活動の延長で、という意識が強い。出版の枠組みがインターネットで破壊されて、ボトムアップで個人でも本が作れる時代になり始めていたから、YADOKARIがやってきたスモールハウスと枠組みが同じなんです。スモールハウスは住宅業界への挑戦だし、月極本は出版業界への挑戦。横展開している感覚に近いですね。
住宅も3.11の時に、住まいの選択肢がもっと日本にあるべきじゃないかと感じて、凝り固まった考え方に、別の答えを用意したいと思って始めました。それをWEBメディアで発信して、数年間でfacebookページのファン数は9万人近くになっています。でも、僕らのしてることが読者の人生を変えるようなものになってるかというとぜんぜんで。もっと深く読者さんと関わるにはどうしたらいいか考えて、作り手の温度感や価値観が手にとって感じられる「本」にした方がいいんじゃないかと思って作ったのが『月極本』です。
マイクロパブリッシングで、多様性の受け皿をつくりたい
中岡 影山さんの『ローカルメディアのつくりかた』を読んでいて「おっ!」と思ったのが、「WEBと違って本には公共性がある」という言葉で、なるほど!と思ったんですね。
WEBは誰でも見られるんですけど、情報が流れていくから、特定の人にしか届かない気がするんです。一方で本は書店に留まっているから、さまざまな人の目に触れることができる。それが本の公共性ではないでしょうか。だからWEBで9万人のファンがいるYADOKARIが本を出す意味があるし、今ローカルメディアを出したい人が増えている背景にもなっていると思うんです。
影山 どれだけ不特定多数の人が見るかが「公共性」ですよね。今は、小さな書店が頑張っているおかげで面白い本に出会える環境がまだあると思うんですけど、書店に行く人が減っているので、「全国に均一に配本される」という従来の本が持っていた公共性も変化しつつあります。
さわだ 僕らは月極本を作った後に、“この本を置いて欲しい”と思う書店やカフェ、インテリアショップなどをリストアップし、直接アプローチしました。全国にある、小さくてもこだわりを持ったインディペンデントな存在の店舗が多かったと思いますが、やはりそれはYADOKARIと同じような雰囲気を持っているところが多くて。なので、完全に開かれているかというとちょっと違う。今は約150店で扱ってもらっていますが、ある程度YADOKARIの雰囲気を理解してくれるコミュニティのようなものです。
影山 雰囲気を理解してくれるコミュニティですか、その感覚は分かるかも。僕も社会という開かれた公共空間を相手にしているというよりも、出版業界というコミュニティの中で仕事をしている感覚が強い。今、出版業界やカルチャー業界が危機的な状況なので、出版社も、作家も編集者も変わらないといけない時代に生きているように思います。
『ローカルメディアのつくりかた』を出した理由のひとつもそこにあります。東京に出版社が集まりすぎている状況はおかしいし、給料も安くて、残業も多くて、なんのために出版や編集にこだわって働いているのか悩んでいる人も多い。そういう人に向けて、業界の外にも働く場があるよ、面白いシーンがあるよ、という選択肢を与えられるんじゃないかと。
だから、自分が憧れていた出版業界、カルチャー業界をなんとかしたいと思って、外野に出て援護射撃している感覚に近いですね。その点で言うと、僕は純粋にやりたいことをやっているというより、世直し的な感覚が強いです。
中岡 僕は「ガチで世直し」というわけではなくて。出版業界も含めて、この世代って窮屈じゃないですか。窮屈だからこそ、その枠から外れていく人たちが現れています。三輪舎はそういう人たちが本を読んで新しいことを始めたり、ちょっと脇道をそれても生きて行けると発信することをコンセプトにしたいんです。
さわだ 多様性を発揮しようとする人の受け皿をつくっているような感じですよね。
中岡 そうです。出版社にいる人って、端から見るとすごくかっこよくて、楽しそうに見える。でも、業界にいる人に聞くと、「いや、ブラックな環境だから辞めたいよ」と聞くことが多い。せっかくやりたい仕事に就けたのに、やりたくないと感じて全然違う仕事についていたりします。僕は門外漢だけれど出版の仕事をしているから、モデルケースじゃないけれど、出版に関わる人たちが違う働き方をしていくヒントになればと思うんです。
出版社がリスクを取れない時代に、本が生き残る方法
中岡 僕がTSUTAYAにいて書店員だった頃、本は悪い意味でスクラップビルドされていると思ったんです。僕は書店員をしていて、新刊の中に置きたい本があったかというと、ほとんど無かった。一度本屋さんに聞いてみたいんですが、日々入荷する新刊のなかで本当に置きたい本はどれだけあるのでしょうか。僕も置きたい本はちょこちょこ見つけてはいたんですが、特に大手の出版社から出てくるものはあまり置きたい本じゃなかった。
影山 それはマーケティング重視になってるからですよね。大きな出版社になればなるほどリスクを取れない。「あの本が売れてるから、同じコンセプトと座組みで短期間で作ってしまおう」という本が増えている。
中岡 思うんですけど、普通は大手の方がリスクを取れると思いません?
影山 とは言っても、取れなくなっているんじゃないかな。「ちょっと炎上しても面白い記事を書けば売れる」という世界ではなくなっています。下手したら会社が潰れてしまいますから。炎上マーケティング重視の週刊誌は別ですけれど(笑)。だから、あまり売れなくても無難なものを出し続ける出版社が多くなっている気がします。
中岡 それで言うと、影山さんの『ローカルメディアのつくりかた』を読んで、「本をつくると同時に、周囲のコミュニティの中でプレイヤーになっていく」という言葉があって、出版を続けていくひとつの道だなと思ったんですね。数万人の読者を想定して本を作ると、生きるか死ぬかになっちゃうけれど、数千人くらいの、顔がギリギリ見えるぐらいの人たちに向けて本を作れば、尖ってる本を作りながら出版を続けていける。
影山 本業としての出版は続けにくくなっていますよ。僕は最近、「兼業出版が一番いい」と思っています。たとえば、医療機関やNPOなどの業界団体が、本業にフィードバックする専門書を出したり。それなら、多少赤字が出ても宣伝ツールとして役立ちますから、経営にそれほど響かない。多くの人がイメージしているより、実は本を作るのってそんなにお金がかからないので、そういう出版社が増えていったら面白いんじゃないでしょうか。
だから本音を言うと、「ひとり出版社」ブームとか、「ローカルメディア」ブームにはなってほしくない。なんとなくかっこいいと思ってやり始めると、悲惨なことになるのが見えていますから。
さわだ YADOKARIも同じモデルで、僕らも限定2000部で本を作って、2〜3カ月で完売するモデルを理想としているんです。発行数はYADOKARIのコミュニティに向けて、本を買ってくれるファンの方はこれぐらいの数だろうという目方で決めていて。
出版だけで食えるわけではないですけど、僕らはメディアをやっていて、建築系の企画・プロデュースや場所の運営もあったりするので、出版が活動を広めるプロモーションにもなり、それぞれの事業が相乗効果で上手く回る。そうすれば、雇う社員のことを考えて「3万部売れなきゃいけない」と考えることもないし、本当に好きなことをしながら生きていける。「出版と〇〇」という形も変わってきているんじゃないかな。