【前編:動画&レポート】YADOKARI共同代表取締役さわだいっせい・ウエスギセイタが7年目に語る、創業ヒストリー
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2020年7月でYADOKARIは創業から丸7年を迎えます。未来の住まい方を提案するウェブメディアから始まった私たちは、多くの方々とのご縁に恵まれ、タイニーハウスなどのプロダクトの開発・販売や、「BETTARA STAND 日本橋」「Tinys Yokohama Hinodecho」などの遊休不動産を活用したリアルな場の運営とコミュニティづくりの経験を経て、現在はさまざまな自治体や企業さまと一緒にまちづくりプロジェクトに取り組んだり、独自の事業を展開したりしています。
時代がより不確実性を増す中で、2019年末には増資も受け、未来に向けて第2創業期を迎えているYADOKARI。ここ1〜2年で新しいメンバーも加わり、さらなるチャレンジへと向かう今、改めて創業者である共同代表取締役のさわだいっせいとウエスギセイタがYADOKARIの原点を語りました。前後編でお届けする創業ヒストリー、前編では2人の出会いから創業までの経緯をご紹介します!
2人の出会い
ウエスギ:YADOKARIは法人化して今7年目なんですけど、活動自体は3.11からなんですよね。
さわだ:そうです。3.11をきっかけにいろんなことを考えてね。家が流されたり、たくさんの人が亡くなるような状況があって。
ウエスギ:僕とさわだは、実は前職はウェブデザインやコンサルをやっている制作会社にいたんです。さわだはその後独立したので前々職にあたりますが。そこでさわだはデザイナーを、僕は営業兼プランナーをやっていて、さわだは良い兄貴分の先輩だったんです。僕が困るとよく相談に乗ってもらってた。鎌倉に一緒にドライブに行ったりとか(笑)
さわだ:そうそう。それでウエスギは運転がすごく下手だから、基本は僕が運転してるんだけど「さわださん、疲れただろうから代わります!」って運転を代わって10mくらい走ったらいきなりホイール擦ったとか(笑)
ウエスギ:そんな感じで、出会いは僕が新卒前だから21才とか22才。
さわだ:僕が中途で24才くらいで入った時に、ウエスギが大学の空いた時間でインターンで入ってたんだよね、まだ正社員じゃなくて。
ウエスギ:大学4年生でした。それで仲良くなって。入社してからは本当に昼夜問わずに働いて…あの頃覚えてます?
さわだ:うん、良い経験でしたね。仕事が終わらずにそのままオフィスでちょっと寝て。
ウエスギ:よく銭湯に行きましたよね。
さわだ:赤坂のラーメン屋とか。で、また帰ってきて夜中に仕事して。2005年とか2006年とかかな? ITバブルは弾けてたんだよね?
ウエスギ:弾けてます。それでリーマンショックが2008年に来て、けっこうIT業界は厳しくて、全員解雇、みたいなことがあったんですよね。個人事業主か辞めるかどちらか選択することになって。
自己啓発に明け暮れた20代。IT会社をクビになる
さわだ:辛かったねぇ。僕は、まぁとにかく一生懸命にバカなりに頑張ってたんだけどなかなか成果が出せず。自分は基本的にはクリエイティブの人間だと思ってるんだけど、営業側に異動になって、1日200件くらいノルマで電話営業することになって、途中から僕もうできなくなっちゃってねぇ…すごくしんどくなって。そういうのもあって、成果が出ないからダメだってクビになったんだよね。
ウエスギ:でも、そのタイミングでリーマンショックも重なっていたので、一旦全員解雇みたいな感じでしたよね。僕はその頃22才で、さわだは25才で、仲良しだったメンバーで赤坂見附の焼肉屋で小さな送別会をやって。あの時さわだはもうインドへ行くって決めてたんでしたっけ?
さわだ:インドは中学ぐらいから行きたかったんだよね。何かしらそこに自分の求めているものがあるんじゃないかと思っていて。仕事も無くなったし、ちょっと自分の修行のために行ってみるかっていう。
ウエスギ:送別会の時、俺いきなりさわだの前で涙をブワーッて流してしゃくり上げながら「もう俺どうしたらいいか分かんないっす、悔しいっす!」みたいなことをずーっと言ってた(笑)。みんなすごく仲が良くて同志だと思っていたので、バラバラになってしまうのを自分にはどうにもできないっていうことに、とりあえずさわだの前で大泣きするっていう。そんな20代前半でしたね。その後さわだはインドに行って。
さわだ:3ヶ月くらい旅して、帰ってきてフラフラしてたら、あるウェブディレクターさんが声掛けてくれて。化粧品会社のウェブ事業を立ち上げるんだけど一緒にやらない?って。何もねぇや、別にどうなってもいいや、インドの人はもっと自由に適当に生きてるし、俺もそれでいいやって思って帰ってきたら声が掛かったから、そのままフリーランスでその仕事を手伝った。当時の不況の中ではすごく仕事が回ってきていたので暮らせるようになって、「あ、全然大丈夫だな」って。こうやって自由に生きるという選択肢もあるんだなぁって思ったんだよね。
ウエスギ:さわだが電話営業をしていた当時に住んでた浜田山のマンションに遊びに行ったことがあったんですよ。その時に部屋の壁に「年収3億円!!」とかって書かれたポストイットがいっぱい貼られてて、マジやべぇと思って(笑)。
さわだ:僕なんて兵庫県の姫路市って所で生まれて、一念発起して片道切符で東京に出てきて、とにかくビッグになりたいっていう思いでやってたから。今のYADOKARIとは親和性のないような話だけど、とにかく毎日が大変だったから、自己啓発をそれだけガンガンやって頑張って生きないとやっていけなかったもんねぇ。
ウエスギ:あとパソコンの上に「俺はやれる!」って貼ってあった(笑)。でも俺、あれを見て「あぁ、俺と一緒だ」って。俺も同じようなことしてたから。仕事が楽しいとかじゃなくて社会情勢もあって、そのぐらいまで追い込まれてましたよね。とにかく売り上げを上げないと自分の居場所がない、みたいな。面白かったですよね、あれもね、今考えると。
さわだ:いい思い出です。
震災を機にライフシフト
ウエスギ:その後どうでした? さわだは29才で結婚もして、震災が来て、恵比寿から三軒茶屋に移って。
さわだ:そうそう。結婚して、子どもも生まれて、三軒茶屋に戻ったんだよね。もともと僕は18才でミュージシャン目指して東京に出てきたタイプなんですよ(笑)。当時、親戚のおばちゃんが三茶に住んでいて、近くの方が何かとサポートしてもらえるのかなと思いつつ風呂なしアパートに住んでました。そこが東京の原点なんです。震災が起きて、子どもが生まれて、その時に一度暮らし方をリセットしたいなぁと思った。それまではフリーランスでお金もある程度稼げるようになって、もっともっと上に行きたいっていう気持ちばかりあったんだけど、でもそこでライフシフトして原点に帰るということで三軒茶屋に戻ったんです。
ウエスギ:なるほどね。そのタイミングで仲良しだったからまた会うようになって。そうだ、俺が相談に行ったんだ!
さわだ:ウエスギがもう今の会社辞めたいと(笑)。別の会社に就職したい、みたいな話をしていて。ウエスギはインテリアがすごく好きだったんで、「ITもいいけど、もっと自分のライフスタイルに近いことや、自分の好きなことを仕事にする方向を少しずつでもやり始めた方がいいんじゃない?」と言いました。
ウエスギ:中目黒のうまい鍋屋で。その後、また鎌倉に連れてってくれたんですよ(笑)
ものづくり学校後のファミレスでYADOKARI誕生
さわだ:そういう話をしてたら、僕もフリーランスでウェブ制作ばかりやっていて人との温度感が感じられないし、毎日パソコンの前でやり続ける仕事にだんだんしんどくなってきちゃって。もっと直接的に人の笑顔に触れたいなぁとか、自分のしていることがどういうふうに社会に影響を与えているのか感じたいと思った時に、やはり自分のライフスタイルに関係することを仕事にしたいと思い始めて。ウエスギが家具好きだから、それを作ってみたりするのがいいんじゃない?みたいな話になって、僕も興味あったから家具を作る学校に一緒に行こうかって。
ウエスギ:土曜日だけ開催するものづくり学校が世田谷にあるんですよね。そこでまずは自分たちの好きなオリジナル家具を作ってみようと。7〜8回通いましたよね。
さわだ:うん。それなりに通って、ちょっとずつ作り始めようとした時に「なんかこれ違うなぁ」って思ったんですよね(笑)。企画して提案するのはいいんだけど、自分で作り始めた時に、ちょっと自分にはあんまり楽しくないなって。
ウエスギ:そのDIYは挫折感があったけど、学校が終わった後に近くのファミレスに行って何時間もしゃべるのが楽しかった。
さわだ:そうねぇ、バンドの黎明期みたいな感じで、ナプキンにいろいろ描いたり、夢を語ったり、その時間が楽しかったんだよねぇ。ものづくりよりも、休みの日に会ってファミレスで何時間もコミュニケーションするのが楽しかったねぇ。
ウエスギ:そこでYADOKARIが生まれたと言っても過言ではないですね。
コンテナハウスから始まった小さな暮らしの提案
ウエスギ:当時さわだが、アメリカで「コンテナが余る」みたいな社会問題があると言っていて。
さわだ:そうそう。コンテナに物が積まれてアメリカへ輸入されて来た後に、そこに何か物を載せて返すことができずに空のコンテナが残っちゃうという問題があって。それから、宮城県の女川町で坂茂さんが作られていた仮設住宅があったんですけど、内部も無印良品の家具が使われていて素敵なんですよね。これは団地だったけど、例えば1個ずつ外して、中古コンテナはオークションとかで5万円くらいで買えるので、俺らなんて建築の超素人だから「この5万円の家でいいやん!」て。
ウエスギ:その話をファミレスでしてくれて、それから俺らはウェブでリサーチし始めたんですよね。
さわだ:そしたら北欧の「夏の家」とかねぇ、そういうすごく素敵な家がいっぱい出てきたんだよね。
ウエスギ:うん。それを最初、取材執筆みたいな感じでお互い記事にしていこう、みたいなそんなところからでしたよね。
さわだ:それがすごい楽しくてねぇ。夜中の12時くらいまで普通にフリーランスの仕事してクタクタになってるのに、そこから記事をそれぞれで作るっていう。
ウエスギ:朝3時くらいまでやりましたね。それを1〜2年続けたんです。
さわだ:そうそう。Facebookグループは作ったんだけど公開せずに記事のストックをずーっとやり続けて、その後少しずつ公開し始めたら、みるみるうちに10いいね、30いいね、100いいね、ってなってきて。
ウエスギ:すごかったですよね。
さわだ:こんなに反響があるんだ!とすごく驚いて。300超えた時に「これはもう革命が起きたな」っていう気がしましたね。
ウエスギ:フォロワー1万人くらいまで全部把握してましたもんね。
さわだ:面白い人や有名な人がいっぱい「いいね」してくれて、こんなに影響力があるんだ、YADOKARIやってて良かったなと思いました。
ウエスギ:それから約2年、記事をお互い700くらい書いてFacebookページからメディアに変わっていくって感じでしたよね。それをやっていたら「この家、買えるんですか?」とか「働きたいです」とか「どこでマネタイズするんですか?」とか、そういう問い合わせが来始めて。
さわだ:「いえ、何のマネタイズもしてません、ただ好きでやっているだけです。だから楽しく見てください」って。
本物の小さい家「INSPIRATION」を販売
ウエスギ:さわだがその後に、「やっぱり自分たちで住みたいスモールハウスを作ろうよ」という話になったんじゃない?
さわだ:うん。ずっとウェブの仕事をしてきたから、やはり手応えがないっていう所が出発点だったので、やはり何かしら自分たちで「こういう物がいいよね」というのを作りたい気持ちがあった。それでクラウドファンディングをやった。
ウエスギ:そう。その時に建てたのが、「INSPIRATION」という250万円の移動式の小さい家ですよね。
さわだ:とにかく価格を先に決めたんだよね。ちょっと良い車1台分くらいで、ローンを組まずにキャッシュで買える感じ。水回りもキッチン・トイレ・シャワーが付いてこの価格っていう。大体13㎡くらいの、20フィートコンテナサイズでトラックに載せて移動もできる、というのを作ったんですよね。
ウエスギ:これでクラウドファンディングをやって300人くらいの人が出資してくれて320万円くらい集まって。これはさわだ的にどうでしたか?
さわだ:実際にたくさんの人に300万円以上も支援していただいて、その責任はあるなぁと思いつつ、やはりこういう物を求めている人たちは世の中にたくさんいるんだと気づいたかな。
ウエスギ:問い合わせがすごかったですよね、1年で4000〜5000件。ああいう軽量鉄骨のプレハブハウスって昔からあったんですよね。でも僕らは打ち出し方として、35年ローンに縛られず、高い賃貸に住まずに、可処分所得を住宅じゃない所に使うことで豊かな暮らしをしようよってことを販売サイトに提案をした。「INSPIRATION」という名前を付けて、自分たちの暮らしを見つめ直す創造性のある場所として作らないかと。あれもいろんな建築家やコンテナメーカーに断られましたけどね。
さわだ:そうですね、「儲からないよ」って。でも、おかげさまで10棟限定で販売して完売して、それ以上にメディアとお客さんからの反響がすごかった。これである程度「YADOKARI」の名前がリアルの方でも少しずつ広がっていったきっかけになったと思います。企業さんからコラボレーションの依頼が来るようになって、そこでいろんなキャンペーンをやらせていただいたりとか。
ウエスギ:小屋フェスとか、小屋展示場とか。
さわだ:あの頃もまだ2足のワラジでやってたのかも。デザインもやりながら、YADOKARIもやりながら。YADOKARIからは一切給料もらってなかったかもしれない。
初めての著書を出版
ウエスギ:そうですね、そんな感じで楽しくやっていたんですよね。2014年に始めての著書も出ましたよね。「アイムミニマリスト」っていう。
さわだ:日本中の小さな暮らしをやっている人たちを取材して、それを1冊にまとめた本を、三栄書房さんから出していただいんですよね。
ウエスギ:その後、海外も含めて8冊ほど出版させてもらって、メディアも加速しながら、少しずつ拡大していったって感じですよね。その後に日本橋ですかね。
>>後編へ続く(後日公開予定)