第2回:無駄のない暮らし|アフリカの暮らし
自給自足の生活ができたらどんなに素敵だろう。
自分で作った野菜や、自分で育てた家畜をいただく。
水は雨水を使い(もしくは井戸水でも)、電気も自家発電ができたら、私たち人間は本当に自由になれると思うのだ。
私の住む南アフリカ、トランスカイの村の人々の暮らし。
彼らの暮らしは自然と直結、そして循環している。
雨に感謝をする暮らし
この村には水道がきていない。
生活用水は雨水。屋根を伝ってきた水をタンクに貯めるのだ。
空気はとても透き通っていて、水はほんのり甘い。村の人は雨水は街の水道水よりおいしいという。
そのタンクが台所につながっている家は少なく、ほとんどの家がタンクからバケツを汲み台所へ持っていって使う。
水はたいてい真っ黒になるまで使われる。そして使い終わった水は庭に蒔かれる。
だが乾季になるとタンクの水がなくなるので、女は川へ水汲みや洗濯に行く。
彼らは1円も水にお金を払っていない。でも彼らは水の大切さを知っている。
だから雨が降れば喜び、雨の降らない日が続くと雨を乞う。
私は日本の生活を思う。
日本にはたくさんの山があり、水に恵まれている。
でもその水が雨から来ていることをどれだけの人が意識しているのだろう。
お金があるから水を使えていると、なんだか錯覚してしまいそうな街の暮らし。
いろんな国を旅をして驚いたことは、雨は多くの国で喜ばれているということだった。
雨は私たちの生活に欠かすことのできない自然の恵みだ。
私たちは自然に生かされていることを忘れてはいけないのだ。
食べ物に感謝をする心を忘れない
アフリカで学んだのは食べ物との向かい合い方。彼らはこうして今日も食べられる幸せな生活に感謝をする。
大切に育てた家畜。その命をいただく、彼らはそれを忘れない。骨付きのその肉はキレイに食べ残しなく食べられる。肉を食べ残す人は一人もいないのだ。そして残った骨は犬のご馳走となる。
▲まだお金がなかった時代、家畜がその役割をしていた。今でも家畜は大事な財産だ。
野菜の切れ端は豚の餌。豚は何でも食べるので、食べ残しなども豚さん行きなのだ。
わが家は豚がいないので、野菜の切れ端は土の中に埋めて畑の堆肥を作る。
鍋に残った少しのお米やパプ(とうもろこし粉で作る主食)も水に一晩つけておいて、翌朝庭に蒔けばたくさんのひよこたちが寄ってきて、ピヨピヨとかわいい声を出し食べてくれる。
「食べ物に感謝する。」その気持ちを忘れてしまったら、私たちは鬼になる。
その落とした一粒の米さえも、蟻のご馳走となるのだ。
食べ物を捨てずに生きていきたい。
毎日おなかいっぱいおいしい物を食べられるこの生活に感謝をしたい。
世界中の人がそうして食べ物に感謝をして有難くいただけたら、世の中から飢えはなくなるのだ。
自然は全ての生き物に必要なだけ食べ物を与えてくれる。必要以上の食べ物を所有して無駄にしてしまうと、その歪みがどこかの国の誰かに出てしまうのだ。
ライオンが食べた後の肉を他の動物に分け与えるように、自然から頂くこの食べ物を自然と循環することが豊かな暮らしを作る一歩だ。
丁寧にご飯を作るおいしさ
料理の時は火をおこす。
この村には電気がきている。だから多くの家では電気ストーブという簡易的なものがあり料理ができるのだか、アフリカママたちは外で火をおこし料理をするのが基本だ。
▲コサ族の伝統的な料理の仕方。
火で作る料理は一味も二味も違う。
アフリカ人は毎日火をおこして料理をする。それはとても贅沢なおいしさなのだ。そういう日本もほんの50年前は蒔きから火をおこし料理をする暮らしだったのだ。
そうやって便利さだけを求めない丁寧な暮らしは、物質的な貧しさとは裏腹にとても豊かだ。
私は去年から天然酵母菌をおこしパンを毎日焼いている。
毎日食べるものだから自分で作りたい。そして朝食を丁寧に作ることで一日がシャキッとするのだ。
酵母の瓶に入れる野菜や果物によって微妙に味が違うのも楽しみの一つ。野菜の芯などからも酵母が起きるからうれしい。
そしてコサ族のとうもろこし粉から作る発酵ドリンク「マヘウ」も自家製で毎日継ぎ足し作っている。
発酵製品は、生き物と循環していることを感じることができるからおもしろい。
味噌も昔は家庭でつくられていたのだ。
▲自家製のマヘウ。発酵して自然と微炭酸になっている。
全て必要な物はスーパーで買えてしまう時代。
でも丁寧に手作りで作られるものは、やっぱりおいしく安全だ。
そしてその味は大量生産されたそれとは違うお袋の味となるのだ。
自然と循環し、生きる豊かな生活
何もかも買えるお金も便利だけど、そういう生活で育ってきた私の目には、自然と循環して自然からの恵みに感謝して生きている姿はとても逞しく、豊かに映る。
豊かな未来を思うなら、自然と循環して生きていく以外に道はないのだ。
街中でお金だけを使って生活していると、その循環の輪から人だけがポツンと離れて存在しているような感覚になる。
お金は便利がいいけれど、お金があるからおなかが満たされている、という考え方にはちょっとエゴイストな考え方だと思うのだ。
野菜も果物も肉も魚も水も自然の恵みだということを忘れずにいたい。
逆にお金がなくても、自分で野菜を育て、家畜を育て生きることができれば安全で豊かな生活を送ることはできるのだ。土に触れる生活、その生活は驚く程人間を豊かにする。
捨てるものをなるべくなくしたい。
買うものも最小限にしたい。
拾ってきて使えるものだってたくさんある。
作れるものは作りたい。
使い捨てのものはなるべく使わない。
小さなことから。
無理のないことから。
シンプルに、根っこのある暮らし。
いつかは私も土に還る。
そんな気持ちで生きていたいのだ。