「 完璧主義では前進できない 」
完璧主義と聞いて自分のこと、または誰かを思い浮かべたり、
それは日本人の国民性に多いのかもしれない。
とある哲学者は、
「完璧主義とは、本質的には自分を前進させることへの拒絶だ」
という。
完璧主義に囚われた人は、
過ちを恐れるあまり細部に拘り、全体を見失う。
ぐるぐる回って閉じ込められて、エネルギーを消耗する。
こうして自分の独創性を面白みのないものに変えてしまう。
「間違いを恐れてはいけない、間違いなどそもそも無いのだから」
完璧主義者は、絶えず他者の評価や結果を気にして活動している。
その「プロセス自体を楽しもうとすること」をどこかに忘れて来てしまう。
そして、その先が、未来がどうなるのかを徹底的に見極めようとする。
その昔、政治や戦の行く末を占いで決めていた日本人が今さらどうしたことか。
「その先どうなるかなんて、誰が知ってるのだろうか?」
完璧主義者は決して満たされることが無い。
彼らの目から見ると、改善の余地なしということはありえない。
彼らはそれを謙遜と成長の種と呼ぶが、実際には強い利己主義にほかならない。
それは、ベストを尽くすことではない。
単なる自己満足となりかねないことには目を背けてしまう。
「いったいそんなに細部に拘り、何を見つけるというのだろうか?」
時は流れる、物事も流れる、季節も変わりゆく、人も流れる、すべては流れている。
だから時が来たら手放し、次に移る、そしてまた移る、そしてまた移る。
「握り締めているそれを手放すことで、新たな創造性と出逢うのだ」
そして改めて、
「優しく労ろう、褒めよう、認めてあげよう、今日までのあなた自身を」