第5回:シェアする心|アフリカの暮らし

2007年1月。私はユーラシア大陸をヒッチハイクで横断してスペイン南部アンダルシア地方のジブラルタル海峡が見える場所まで来ていた。この海の先に見えるのはアフリカ大陸だ。
その大陸は私のこの旅の目的地だった。とうとうここまで来てしまった、と思った。

アフリカ大陸に到着

アフリカ大陸へはフェリーで渡った。近づいてくるその大陸に鼓動は高まる。
到着したのはタンジェというモロッコの港町。モロッコはアラブ人など褐色の肌の色をした民族が生活している。私が初めてブラックアフリカと呼ばれるサハラ以南のアフリカへ足を踏み入れたのはセネガルへ入った時だった。

西アフリカの民族は背が高く、細く、黒い。期待していた通り、彼らは誰でも踊れた。音楽が鳴れば踊りだす。どこかから空きバケツや一斗缶を持ってきて、それがタムタム(太鼓)になることもしばしばあった。私の心も躍った。私はアフリカへ到着したのだ!それは日本を出発してから10ヶ月目のことだった。

アフリカへ到着してすぐに私は「ノラ」という一つ年下の日本人の女の子と一緒に旅をすることになった。一人旅と一人旅。それは「二人旅」とはまた少し違う感覚だった。もし残りたい場所が見つかれば、もし行きたい場所が全く違えば、私たちは別れることをいつでも選ぶことができる。行き先が同じ所まで私たちは「家族」になった。
日本から遠く離れたアフリカの大地でお互いのことを心配し合える同郷の人がいるのはなんとも安心できたのだ。

セネガル、マリ、ブリキナファソ、ガーナ、トーゴ、ベナン、ナイジェリア、カメルーン・・・・・。
今度は二人でヒッチハイクを続けた。私たちはアフリカ人の友達をたくさん作った。民泊を繰り返し、いろんな文化を暮らしの中で学んでいった。

オンボロバスの故障。バオバブの木の下で35時間。

彼らと一緒に生活するうちに、アフリカ人は何でもシェアすることに気がついた。彼らは5人でも10人でも一つの大きなボールの中にご飯を入れてシェアをした。アフリカ人は手で食べる。そのボールを囲み、相手のことを気遣いながら上手に食べていくのだ。
それはセネガルからマリの首都バマコへ向かう途中、オンボロの大きなバスをヒッチハイクした時のこと。

途中、砂漠地帯の何もない場所で、そのバスがベアリングの故障で止まった。一人の男が7時間先にある町まで部品を買いに行くということになった。往復14時間だ。待つしかなかった。
そこには巨大なバオバブの木があった。その木の下にゴザを広げてひたすら待つことになった。砂漠地帯の太陽は私の肌を黒く焼く。このままアフリカ人になるんじゃないのか、ふとそんなことを思った。
通りがかったトラックに分けてもらった水からはガソリンの匂いがして、喉が渇いているのに飲めなかった。そこにいた全てのアフリカ人にとってもこの事態は大変なことだった。

14時間後、部品を買いに行っていた男は帰ってきた。なんと部品が見つからなかったので逆方向にあるこれまた10時間(往復で20時間!)先の町まで行くというのだ。私はもう「どうにかなるさ。」という気持ちになっていた。私がここでできることはそう思うこと以外になかった。

アフリカ人に学ぶシェアする姿

バスのスタッフの一人がおよそ2キロ歩いた場所にある一番近くの集落に食べ物をもらいに行った。
私たちはお腹がペコペコだった。戻った彼が手に持っていたのは大きなボールに入ったぶっ掛けご飯。手を洗い、十人ほどいた私たちは大きなボールに手を突っ込み食べ始める。

「おいしい!」
この時の食事はどんな高級料理店よりもおいしかった。何しろ私たちは長い時間何も食べていなかったのだから。
しかし、こんな時でも彼らはとても紳士に食べる。大きな体のアフリカ人が私以上にお腹がすいているのは明らかだった。それでもみんな私とノラに多く食べさせようとするのだ。この時、私はアフリカ人がこんな窮地でも当たり前のようにシェアできる文化を持っていることに心から感動した。

シェアする心の育て方

私の住む南アフリカのトランスカイの村でも同じようなことが言える。
アフリカ人は食べ物も、飲み物も、タバコさえも一人で吸わない。物をあまり所有しないアフリカ人。一つしかないものがあれば分け合うのだ。

そしてアフリカ人は子供におもちゃを買い与えない。南アフリカでは最近おもちゃで遊ばせる家庭も増えてきているけれど、それでもまだ村では稀だ。彼らはおもちゃを自分たちで作る。ワイヤーで作る車、自転車のタイヤを木の枝で押して走ったり、そしてそれで一緒に遊ぶ。あとは大自然に囲まれているから遊ぶものは無限大にあるのだ。

おもちゃがないぶん、手作りで。
おもちゃがないぶん、手作りで。

大勢の子供たちの中で一つのものをシェアし合いながら育ったアフリカ人だ。大人になった時、自然とシェアできる紳士な態度にも頷ける。
日本に生まれ育つと、シェアすることをそんなに意識せずに育つことが多い。
その理由には兄弟が減ってしまったことや、豊かさからたくさんの物を買い与えられていること、物を一人一つ持っていることなどが挙げれらるだろう。

英語のことわざに「Sharing is Caring.」というものがある。
シェアすることは思いやること。
そのとおりだと思う。みんながシェアすることができれば、一人一つを所有する必要はないのだ。
家族全員が一つずつ同じものを持つ必要はない。家族で一つ、それでもいいと思いたい。

世界に繋がれ、シェアの心

ガーナを旅していた時、道端を歩いていてご飯を食べている人を見かけた。話したこともないその人たちと目が合うと彼女は素敵な笑顔で「You are invited, come and eat!(アナタは招待されているのよ。さぁ、こっちに来て一緒に食べましょう)」と言うのだ。

その後ガーナ中を旅して何度同じセリフをもらったか。
私は貧しいと言われる国々を旅する中で、自分の生まれた国が本当にあらゆるチャンスに恵まれていることを認識しながらも、その飽食や、物が溢れている事実を恥かしいと思い始めていた。

世界の国の中には買い物をほとんどせずに生きていける人たちがいるのだ。彼らの生活には無駄な物などない。そしてそれが本当の意味の豊かさなのではないかと思うのだ。
彼らは当然一つの物をみんなでシェアしながら使う。これこそが世界中が幸せになれる姿なのかもしれない、私はそんなことを考えていた。

シェア。シェア。シェア。Sharing is Caring.
自分のことばかりを考えてたらできないこと。
食べ物だってそう。持ち物だってそう。知識だってそう。お金だってそう。
持っている人が持っていない人とシェアできれば、生活はもっと豊かになる。

私たち人間は生きるのに必要な物を与えられている。それを一掴みの人が所有してしまっていることが歪みを生み、貧困が生まれるのだと私は信じている。
この地球を世界中の人が上手に他の生き物たちとシェアできれば、世界はきっともっともっと豊かで素晴しくなる。まずは家族から。そしてそれがいつか世界中に広がるのを信じて。