【対談】暮らしを冒険しよう。「高品質低空飛行」で豊かに生きる。暮らしかた冒険家・池田秀紀さん×YADOKARI|未来をつくるひと〈100 People〉Vol.2

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YADOKARIメンバーが未来をつくるひと100人に会いに行く対談企画「100 PEOPLE 未来をつくるひと。」VOL.002は、暮らしかた冒険家の池田秀紀さん。結婚式や新婚旅行、住居などの「これからのあたりまえ」を探す冒険を展開しています。熊本の町家 #heymachiya をセルフ・リノベーションしたのち、札幌国際芸術祭2014への参加をきっかけに札幌に移り住んだ池田さんと、YADOKARIの二人がお話します。(進行・構成 蜂谷智子)

池田秀紀さん プロフィール
1980年 千葉生まれ。神奈川、埼玉、東京と、引越しの多い家庭に育つ。大学在学中に独学でウェブデザインを習得。卒業後は広告代理店、慶應義塾大学田中浩也研究室を経て、2006年、独立。2010年には写真家の伊藤菜衣子と結婚し、翌年の熊本への移住を機に「暮らしかた冒険家」を名乗る。高品質低空飛行生活をモットーに結婚式や新婚旅行、住居などの「これからのあたりまえ」を模索中。 100万人のキャンドルナイト、坂本龍一氏のソーシャルプロジェクトなどのムーブメント作りのためのウェブサイトやメインビジュアルの制作、ソーシャルメディアを使った広告展開などを手がける。2014年に参加した札幌国際芸術祭がきっかけで、札幌へ移住。ほどなく生まれた息子とともに、あらたな冒険が始まっている。

僕らは家のなかを冒険しているんだ、と気付いて。

── 池田さんが名のる「暮らしかた冒険家」という肩書き。それは初めて聞くものでありながら、すっと耳に馴染んできます。毎日の暮らしが冒険であること。そして登山家や芸術家のように、暮らしに特化した「冒険家」が存在すること。そのことに思わず納得してしまうのは、現代に住む私たちの多くが、今こそ暮らしに「冒険」が必要なことを、心の深いところでは分かっているからかもしれません。

YADOKARIさわだ 池田さんの講演*1を聞いて、とても心が動かされたんです。住宅をセルフ・リノベーションして、それをウェブで公開する『暮らしかた冒険家』の活動に関しても、東京、熊本、北海道と、いくつもの拠点を移住するスタイルにしても、非常にYADOKARIの提唱することと重なっていて、ぜひお話したいと思っていました。池田さんご夫婦はどういった経緯で『暮らしかた冒険家』を名乗られるようになったのでしょうか。

池田 直接的には移住したことがきっかけです。2011年6月に僕らは東京の渋谷区から熊本に引っ越しました。もともといずれ地方で暮らしたいと二人で思っていましたが、結婚してちょうど半年後ぐらいに東日本大震災があって、その3カ月後に東京を離れようという話になり、全然縁もゆかりもなかった熊本に行ったんですよ。なぜ熊本かというと、同時期に作家で美術家の坂口恭平さんが熊本で新政府を立ち上げるという活動をちょうど始めたところで、これはおもしろくなりそうだという直感で。

YADOKARIさわだ YADOKARIも坂口恭平さんのモバイルハウスというアイデアには、影響を受けています。

池田 坂口恭平さんの活動はアートとしての強い力があります。モバイルハウスは非常に尖った極端な住まいや暮らし方を示しました。選択肢35年ローンで家を買うか、モバイルハウスか。極端な選択肢しかない。いまの日本の閉塞感は実はこの選択肢が少ないことが原因だと思うのです。その間のグラデーションに僕は興味があります。

YADOKARIさわだ 僕らも方向性は同じですね。坂口恭平さんが提唱したモバイルハウスを、アートとしてではなく、一般の人が選べる現実的な選択肢として広めたいという思いがあります。

池田 熊本を選んだのは坂口さんの活動がきっかけですが、僕らは前から地方に移住しようという気持ちがあったんです。だから新婚旅行も、「これからの暮らしに必要なものを探る旅にしよう」と、西日本を1ヶ月見てまわりました。そのときも各地の文化や趣のある建物に魅了され、「東京じゃなくてもどこでも住めそうだ」ということがわかりましたが、「今すぐ」ではないという感じでした。熊本移住の決め手は、物件を見つけたことです。築100年にもなる、廃墟同然の町家。とはいえ家賃は月3万円広さは70㎡。渋谷に住んでいた頃に比べると、家賃が3分の1で広さは倍です。

YADOKARIウエスギ リノベーション前の家の写真をFacebookで拝見しましたが、かなり荒れた状態でした。それを1カ月でリノベーションし、移住するつもりで即決したんですね。

池田 はい、ところが全然予定どおり進みませんでしたね(笑)。当時を振り返ると、まるでリノベーション鬱。毎日埃だらけの顔を付き合わせながら、夫婦喧嘩もたくさんして……。そんな時に『これは冒険だ』と。今までの冒険が未知のフィールドを開拓するっていう意味なら、僕らは高度成長で置き去りにしてきた暮らしの知恵を再開拓しようと、おのずとついてきた肩書きが『暮らしかた冒険家』なんです。
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リノベーション前の1階の様子

1階のリノベーション後。和モダンなスペースに。
1階のリノベーション後。和モダンなスペースに。
2階リノベーション中。
2階リノベーション後。古い梁がポイントになった、味わい深い空間。
2階リノベーション後。古い梁がポイントになった、味わい深い空間。

震災復興後に、どんな世の中になっているべきなのか。

YADOKARIウエスギ 『暮らしかた冒険家』というコンセプトが最初にあって熊本に移住したわけではなくて、移住された後に気づきがあったというわけですか。

池田 問題意識は震災以前からもちろんありました。ネーミングは後からですね。元々僕らは100万人のキャンドルナイトの運営に関わっていたんです。アジテーションするのではないやり方で、世界を変える試みは以前からいろいろしてきました。
それでも震災後、ああいうことになってしまったことについて、苛立や焦りはあります。あのとき、日本全体が何ともいえない嫌な空気に包まれていました。原子力発電所を再開するのか止めるのか、東日本から逃げるのか逃げないのか。日本中が未来のビジョンを見失っていた。

YADOKARIさわだ 震災は未来について考え直さざるをえない出来事でしたね。僕は池田さんとは違って、震災前は移住については考えていなくて、都心の広い家、家賃の高い家に住むことがステータスだと思っていました。
それがあのとき、家が一瞬で津波に流されていく映像を見て、住まいや暮らしについての常識が崩れた。それがYADOKARIを始めるひとつのきっかけのひとつです。僕は実生活でも震災を機にそれまで住んでいた恵比寿から逗子へと、家族を連れて引っ越しました。

池田 震災後、多くの人が被災地にボランティア活動をしに行きましたよね。僕の友人たちも皆行っていた。そんななかで、僕自身は現場で必要とされるスキルが足りないように感じていました。僕はひ弱で要領も悪いのでむしろ足手まといになるだけだとも。⌘Zが効かないことが、基本苦手なんです(笑)またデモにも参加しましたが、それも未来が変わるような実感は持てなかった。では自分に何ができるのだろうか、何をするべきかと考えた時に、僕らが未来に希望が持てる新しい暮らしかたをまずは作ってみよう思ったのです。震災復興後にどんな世の中になったら自分がハッピーか、まずはそれを作る必要があると感じました。

YADOKARIさわだ 僕らも自分の手で暮らしを作っていく、ちゃんと考えて選んでいくということが必要ではないかと思いました。インターネットが発達して、世界中の住まい方が可視化されて比較ができるようになった。世界には僕たちが知らなかった自由な暮らし方がたくさんあり、日本の暮らし方や選択肢が凝り固まっているように思えたのです。そもそも建築家や住宅メーカーじゃないと家は作れないの? そんな疑問から素人が小さな家を作る実験を始めました。

── もしかしたら、あの震災に衝撃を受けた誰もが「暮らしかたの冒険」のなかにいるのかもしれませんね。だからこそ、その問いに真摯に向き合い、試行錯誤の過程を可視化する池田さんやYADOKARIの活動が、見る人に強い印象を残すのでしょう。

ひとりひとりが、未来の社会を彫刻する。

── 2014年に開催された札幌国際芸術祭で、池田さんご夫婦は「暮らしかた冒険家」として、熊本から札幌に移住する際の暮らしをインスタレーションとして公開しました。

池田 ゲストディレクターの坂本龍一さんからオファーがあり、札幌国際芸術祭に参加しました。妻の元実家があったり、子どもができたり、必然と偶然が重なって最終的には、熊本から札幌に移住することになったのですが、『暮らしかた冒険家』をアートとして見せることには、面白さと戸惑いを感じました。僕ら自身はアーティストとかどうか、ということには無頓着で、ただただ、ほしい未来を作っているだけだったので。困っていた家をリノベしたり、お金を介さず物技交換をしたり、全国からおもしろい人たちが集まることさえも作品の一環でした。だから結局、週末に誰でも来ても良い、ということ以外は、いつも通り暮らしてました。セルフリノベまっただ中で、足場のある家の中で。

札幌国際芸術祭では、セルフリノベーション真っ只中の家を公開。
札幌国際芸術祭では、セルフリノベーション真っ只中の家を公開。
札幌国際芸術祭。週末にやってきた人達に漆喰塗りを手伝ってもらうのも、展示の一部。
札幌国際芸術祭。週末にやってきた人達に漆喰塗りを手伝ってもらうのも、展示の一部。

YADOKARIウエスギ 高度経済成長以降、暮らしの中でも合理性や利便性を追求してきた時代も、3.11を機に少々限界なのでは? と感じ始めている人たちも多い。今まさに池田さんの活動、 地に足の着いた丁寧な暮らし方は、アートと同じく強いメッセージ性と共感の火種を持っていると感じています。

池田 札幌国際芸術祭2014のテーマのひとつとして社会彫刻という概念があります。ドイツの現代美術家ヨーゼフ・ボイスによるもので、芸術というのは少数の芸術家のためだけにあるのではなくて、ひとりひとりの行動が積み重なることで、未来の形を変えるという考えです。

YADOKARIウエスギ その考え方は、まさに『暮らしかた冒険家』としての池田さんの活動と重なりますね。

池田 僕らが熊本でやっていたこととか、インターネットでやってきたことと、つながっている気がしました。知人でアーティストの生意気のデイビッドが『僕らが今まで作ってきた音楽とか絵は、ごはんの上の〈ふりかけ〉のようなものだった。震災が起きて、〈ごはん〉をつくらなきゃと思った』と言って田畑を耕しながら暮らしています。3.11を経て、アートもまた解釈やあり方が揺らいでいるのかもしれません。

貨幣経済に頼った生活は『しあわせ変換効率』が悪い。

YADOKARIウエスギ 時代が変わって行くなかで、暮らしという当たり前のことも、形を変えていく必要があるということですね。そのことを踏まえて、池田さんは『高品質低空飛行』を提案されているのだと思います。暮らしという観点でいうと、池田さんは最近お子さんが生まれましたが、それによって暮らしに変化はありましたか。『高品質低空飛行』な暮らしを続けていくことに難しさを感じたりはしたのでしょうか。

池田 難しさがあるとしたら、前例がないので、ひとつひとつトライアンドエラーしなければならないことですね。家族が大事にしたいことや状況と、常に向き合っていなければならないってこともあります。子どもができたことによって、ここがかなりシビアになっていくんだろうと想像してますけど。結局は〈低品質低空飛行〉になりそうな暮らしを、どう予算配分して、知恵をつかって〈高品質〉にするか、ということなので。あ、でも先日、友人から管理人として分不相応に借りているジープのフロントガラスを割ってしまいまして、金銭的にも精神的にもだいぶヒヤリでした。ラッキーなことにヤフオクで純正のスペアガラスが1万円で手に入り、何とかなりましたが、正規料金だと20万はしましたから…。

YADOKARIさわだ 池田さんはウェブ製作の仕事もされていますよね。それと冒険家であることの、生活におけるバランスはどのようなものですか? 冒険家専業になりたいと思ったりすることもありますか。

池田 僕は冒険家専業で行きたいという気持ちはありますね。妻には『両方やるからいいんだよ。ウェブで何ができるか、も冒険の一部』と言われますけど。冒険の一環で家の性能について勉強していたら『パッシブハウス・ジャパン』*2がクライアントになったり、冒険業務とウェブの仕事の親和性はかなり高いです。

── 仕事の方が冒険に引き寄せられているのですね。札幌国際芸術祭のお話をうかがっていても感じたのですが、池田さんの冒険は決して突飛なことをしているわけではなく、これからの暮らしかたのために必要なトライアルですね。だからこそ、見る人にインパクトを与えるアートになり得る。冒険家というと特殊な人というイメージですが、今や暮らしに関しては誰もが冒険家になるべき時に来ていると思いました。

池田 僕らがよく話すのは、2009年から日本の人口が減り続けているということです。現在はひっそりと進行している状況ですが、そのうち経済に大きく響いてくる。それでも『強い経済、強い日本を取り戻す』と言っている人もいます。でも僕は今までの暮らしかたを維持できなくなるのが自然だと考えます。
経済的には縮小しているけれど、人口減によるメリットも当然あると思っています。その状況下で、メリットを最大限活かせる暮らしかたを今からやってみる、ということです。正解がないので手探りですけど、今現在の日本の経済力を前提とする生活設計は、先々に取り返しのつかないリスクを負うことになるのではないでしょうか。

── この国の経済を維持するために、私たちはいつの間にか多大なリスクを抱えてしまっている。それは、震災にともなう原子力発電所の事故でも思い知りました。

池田 貨幣経済に頼った生活は便利ですが、実は『しあわせ変換効率』が悪いのではないかと思うのです。エネルギーに関しても、それはいえます。僕は薪ストーブを使っているのですが、いろいろと声をかけてお願いするとものすごく大量の木がタダで集まるんです。もちろん、木を薪に替えるには労力が必要ですが。でもお金を出してエネルギーをまかない、仕事で下げたくない頭を下げ、子どもとの時間も持たずに働くよりも、薪割りの労力をかけた方が僕は幸せです。

薪ストーブの周りには、タダで譲り受けた薪が積まれている。
薪ストーブの周りには、タダで譲り受けた薪が積まれている。


 
── 現在はオフグリッドな暮らしに挑戦している池田さん。その「高品質低空飛行」な暮らしを実践する冒険の根には、未来の日本に対する洞察がありました。とはいえ、ウェブを通じて発信される彼の冒険には悲壮感などなく、ワクワクするアイデアや家族の愛情に溢れています。

現代は「快適な暮らし」をお金で買うのが当たり前。その価格が妥当かどうか考える余地も無く、私たちは決して安くはない対価を支払い続けています。でも少し立ち止まって池田さんの「冒険」をのぞいてみれば、お金を介してでは到底手の届かない豊かさのヒントが見つかるかもしれません。

暮らしかた冒険家 個展開催のお知らせ

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暮らしかた冒険家 hey, sapporo
ないものねだりから、あるものみっけの暮らしかた展
OFF-GRID & COMMUNITY SUPPORTED LIVING EXHIBITION
2015.5.31-6.14

札幌国際芸術祭2014のゲストディレクター坂本龍一氏に「君たちの暮らしはアートだ」と、アーティストとして招集され、期間限定のつもりが、すっかり札幌に住み着いてしまった暮らしかた冒険家。どんな未来を見据え、何を考え「暮らしかた」を「冒険」するのか。現在進行形の”暮らしのDIY”風景と暮らしかた冒険家の”アタマの中”で、会場中を埋め尽くします。

会期中、不定期にトークイベント「札幌で□□□て暮らす」が開催されます。
http://facebook.com/heymeoto にて随時告知します。
※建築家 竹内昌義さん(みかんぐみ) やグラフィックデザイナー 長嶋りかこさんなど、豪華ゲストとのトークショーも続々決定中!

会期:5/31-6/14 12:00-20:00(オープニングレセプション5/30 19:00-20:00 ※マイカップをお持ちください)
※6/1, 6/8は定休日のためお休み
会場:D&DEPARTMENT HOKKAIDO
〒060-0042 北海道札幌市中央区大通西17丁目1-7
011-303-3333
主催:暮らしかた冒険家 伊藤菜衣子+池田秀紀
お問い合せ: hey@meoto.co / 090-3528-3426(伊藤)[/protected]