方丈記はミニマリスト文学。鴨長明が建てた800年前のモバイルハウスとは?
「方丈」とは「四畳半」のような意味。しかも、その家は折り畳み式の「モバイルハウス」。そこで書かれた方丈記も「小さな暮らし」をすすめるエッセイだったことを僕は知らなかった。
※ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
変わらないように見える川の景色も、その流れは絶えることなく、一度として同じ水が止まることはない。これは方丈記の有名な書き出しだが、このあとに続く一文を覚えているだろうか。
※世の中にある人と栖(住みか)と、又かくのごとし。
「人の住まいも同じである。」この一文こそが、作者である鴨長明が最も伝えたかったこと。つまり、方丈記とは「住まいの文学」なのである。
鴨長明は800年前の「ミニマリスト」
鴨長明が生きたのは、平安時代の終わりから鎌倉時代の始まり。
京都にある下鴨神社の跡取り息子として大豪邸で育った長明だが、後継者争いに敗れ、和歌で生計を立てようとする。しかし、30歳を過ぎてもプロにはなれず、ついには家から追い出されてしまう。そのとき、長明はどうしたか。鴨川のほとりに自分で家を建てたのだ。
多才と言われる長明だが、設計図を書くこともそのひとつ。はじめて建てたその家は、牛車の駐車場を用意するなどそれなりに大きな家でモバイルハウスではなかった。その後、プロ歌人となった長明は、とある事件を機に出家する。そして、比叡山の周りを転々としながら四畳半の折り畳み式住居を構想すると「日野南山」で実践した。
日野南山は伏見区にあり、都まで歩いて3時間。出家したあとも、都で開催される歌会に参加していた長明にはちょうどいい場所だった。現代の東京で言えば、多摩や湘南に住む感覚ではないだろうか。都心との距離を保ちつつ、自然に近い静かな場所で心豊かに生きる。長明が辿り着いたのはそんな「小さな暮らし」だった。
鴨長明という人物について詳しくは【旅訳:方丈記】元祖ミニマリスト 鴨長明の人生をたどる旅(前編)で書いた。では、「方丈記」にはどんな内容が書かれているのか。
方丈記は「モバイルハウス」のススメ
方丈記は亡くなる直前に書かれたものだが、災害ルポータージュと呼ばれる側面もある。
長明はその長い人生で、地震や火事、竜巻、遷都(今でいえば転勤)など、数々の自然災害や人的災害を体験してきた。方丈記の前半部分では、災害でいとも簡単に家が倒壊してしまう様子を克明にレポートしている。
それならば、と後半がはじまる。大きな家を所有するためにあくせく働いたり心を悩ませたりするのは無意味ではないか。最小限の物と住まいで、好きなことに静かに打ち込める環境があればそれでいいじゃないか。そう言って、自らが実践しているモバイルハウスでの暮らしを紹介していくのである。
震災後に生まれた現代のミニマリスト思考とぴったり重なる。そう感じるのは僕だけだろうか。
方丈記の内容について詳しくは【旅訳:方丈記】元祖ミニマリスト 鴨長明の人生をたどる旅(後編)に書いたが、ここでは、800年前のモバイルハウスとその住まいについて書いてみたいと思う。
鴨長明が建てたモバイルハウスとは
方丈記には、こう書かれている。
※その家のありさま、世の常にも似ず、広さはわずかに方丈、高さは七尺がうちなり。所を思い定めざるが故に、地を占めて作らず、土居を組み、うちおほいを葺きて、継ぎ目ごとにかけがねをかけたり。もし心にかなはぬ事あらば、やすく他に移さむがためなり。その改め作る事、いくばくの煩いかある。積むところわずかに二輌、車の力を報うほかには、さらに他の用途いらず。
その家は常識とはかけ離れている。広さはわずかに四畳半。高さは二メートルもない。定住すると決めているわけでもないので、土地を買ったわけでもない。まずは土台を組んで、簡単な屋根をつけて、材木の継ぎ目には釘ではなく掛け金をかけた。もしも気にいらないことがあれば、すぐに引越しができるようにするためである。この家を組み立て直すのに、どれだけの面倒があろうか。必要なのは牛車二台。それ以外に何もいらないのだから。
家の中についても詳細に書かれている。要約すると、寝泊りするのに十分なスペースと、仏道に関する物と、趣味に関する物があるだけ。方丈記に実際に書かれているスペックを図にしてみると、このような住まいだったと思われる。
長明にとっての「森の生活」も、ヘンリ・ソローがごとく描かれている。
花鳥風月を友として、春夏秋冬の自然を味わう。なんでもない食べ物もおいしく感じられるし、人目を気にして衣服にこだわる必要もない。おまけに、念仏だって適当にサボってもバレない。ここにはめんどくさい規制もなければ、とやかく言う人もいない。好きな和歌を好きなだけ詠い、琵琶だって好きなだけ奏でられる……などなど、イキイキと語れられる文章は読むだけで木漏れ日を浴びたような気持ちになる。ここはぜひ原文を読んでみてほしいところだ。
ちなみに、モバイルハウスについては、長明の記述をもとに「河合神社」で復元されている。冒頭の写真がそれだ。
現代の日本人が方丈記から学ぶこと
※かみなは小さき貝を好む。これ身知れるによりてなり。
「かみな」とは「ヤドカリ」の古語である。「ヤドカリは小さな貝を好む。それは、身の丈を知っているからだ。ミサゴは荒磯にいる。人を恐れるからだ。私も同じである。」と方丈記には書いてある。
“いつかは一軒家”という言葉もあるが、日本人は昔から土地や家を重視する民族だった。長明は当時から、人が家を建てる理由は“家族のため”“面目のため”であって、“豊かに暮らすこと”が二の次になっていると指摘している。
ほかにも、貧乏なのに無理して金持ちの隣に住めば、自分のみすぼらしさが恥ずかしくて家に出入りするのも気苦労するし、妻や子どもが隣の家をうらやんでいる様子を見るのも辛い。財産があればあったで失うことを恐れて心配事が多くなる、とも書いている。
物を持たないことだけじゃない。人と比べないこと。周りの目を意識してしまう日本人の心理からミニマルライフを説いているのが方丈記の面白いところだ。実際に読んでみると、それが現代の心理にも当てはまるという真理に、それを800年前に書き記した鴨長明という人物に、驚かされるはずだ。
長明は自身のモバイルハウスについて「誰のためでもない、自分のために建てた家だ」と言っている。理想の住まいを人と比べずに自分で考えること。場所も、家も、その暮らしも。少なくとも、今より遥かに制限が多く、周りの目も厳しかった800年前にそれを実行した男がいる。
ミニマリストの原典にして、わずか1万字の短編と読みやすくもある方丈記。その背景を旅して歩いた記事と合わせて、ぜひ読んでみてほしい。
鴨長明は30歳までニートであり、売れないミュージシャンだった。鴨長明という人物を思い描きながら、その人生を旅してたどる前編。
【旅訳:方丈記】元祖ミニマリスト 鴨長明の人生をたどる旅(前編)