第2回:帰国子女、タイ北部で2週間のパーマカルチャー農業ボランティアを経験する

タイでのパーマカルチャー農業ボランティア
YADOKARIの読者のみなさま、「脱線帰国子女、農を求む」を連載中の江里でございます。

前回の記事では、ぼくのこれまでの人生についてざっくりとお話しました。中学時代の3年間をサイパンで過ごし、3年半東京で社会人を経験中に迷いを感じ退職、その後の1年間の旅で農に目覚めた経緯について。
第1回:帰国子女、仕事を辞めて旅に出る、農に目覚める

1年間の旅で最初に訪れた国がタイであり、ここで初めて「パーマカルチャー」という農業を知りました。
その後、北部の都市チェンマイの農地で2週間のボランティアを経験するわけですが、今回はここでの体験について書いていきます。

農地を見つけたきっかけは、農業ボランティアのマッチングサービス。今の時代、ネットを活用すれば世界中の農家とつながり、言葉だけでは表現しきれない貴重な体験ができることを、僕のささやかな記事を通して感じていただければうれしい限りです。

農地を見つけた経緯

活用したサービスの名前は「WWOOF Independents」。「WWOOF」というのは、世界的に有名な農業ボランティアマッチングサービスで、簡単に説明すると「農業ボランティアをしたい人」と「人手が足りていない農家」をネット上でつなげるもの。
農業ボランティアマッチングサービス「WWOOF」WWOOF公式サイト「WWOOF」

「WWOOF」には現在60もの国々が登録されているのですが、ここでカバーできていない国の農家(ホスト)を集めているのが「WWOOF Independents」です。
wwoof-independentsWWOOF Independents公式サイト

当時(2年前)僕が使っていたときは無料だったのですが、現在はリニューアルされて15ポンド(約2500円 ※1ポンド=170円)の年会費を払うことで利用ができるようになっています。
これについては、以前個人ブログで詳しく書いているので、興味のある方はよかったら読んでみてください。
【農業ボランティアサービス3選】WWOOFとWorkawayを活用して世界中の農家とつながろう

北部チェンマイの農地「SANGOB」へ

タイ北部の大都市、チェンマイから車を2時間ほど走らせた場所にあった農地「SANGOB」。僕が訪れたときは開墾から2年が経過していて、タイ人とベルギー人の男性ふたりが暮らしていました。
タイ北部でパーマカルチャー農業ボランティア-2入り口の正面には2階建ての小屋が建っていて、1階が共有のリビングスペース、2階にはゲストやボランティアのための部屋が用意されていました。

滞在していた部屋。朝の風が気持ちよかった風が毎朝が持ちよかった部屋


毎朝の朝食がゆったりで心地よかったリビング
ゆったりな朝食を思い出すリビング

たまにここでくつろいで本を読むのが贅沢だった緑のカーテンが涼しかった玄関。ここでたまにぼーっとしてました

ふたりが住んでいたのは、この小屋の奥にある小さくてかわいいふたつの部屋。自分たちでつくったそうで、土台はコンクリート、壁には藁(わら)や粘土が使われていました。
手作りのおうちふたつあった手作りの部屋

DIYハウスの内部手作り感が伝わってくる愛くるしい窓の形

農地には、トマト、唐辛子、オクラ、パイナップル、ドラゴンフルーツ、バナナの木などの様々な植物と、ヤギと鶏、そして2匹の犬が暮らしていました。
2階から眺めた農地2階から見える農地

バナナの木が印象的だった農地とにかくたくさんのバナナの木が。奥に見えるのは鶏小屋

ちょこんと、でもたくましく生えていたパイナップル隠れた場所でたくましく育っていたパイナップル

まさに南国、な感じがしたドラゴンフルーツの苗初めて見たドラゴンフルーツの苗

毎朝開放的に草を食べていたヤギたち毎朝開放的に草を食べるヤギたち

 

いつも戯れていた犬たちはしゃぎつつも、農地をしっかり守っていてくれた犬たち

滞在中は1年前に一度来たことがあるベルギー人カップルもいて「以前とはずいぶんと雰囲気が変わっていてビックリしたよ」なんて話も。期間中は、このカップルと僕との3人で一緒に作業をしていました。

キッチンだった場所を、「ここをヨガや料理教室ができるスペースに改装したいんだ」という理由から屋根の解体がはじまったり、コンポスト(堆肥)をつくったり、ひたすら雑草を抜いたり、色々な体験をしました。
ハイライトかもしれなかった作業、屋根の解体解体中のキッチンの屋根

採れたてのコンポストティー(堆肥液)採れたてのコンポスト液

雑草取りも苦ではなくなる風景雑草取りも苦ではなくなる風景

週1回の休みをもらったときは、「あそこなら間違いないよ」という地元のマッサージ屋さんを紹介してもらったり(ほんとよかったぁ)、自転車を借りてベルギー人と一緒に村に出て夕食をしたり。
休日は、自転車で村へなんだかテンションが上がった休日のプチ自転車旅

そのままの形をした鶏の足の料理に「きゃー!むりむり!」と彼女が驚いていた姿が、2年前の今でもぱっと思い浮かびます。
みんなとの記念の一枚記念の一枚

あれから2年、今振り返って感じること

ぼくが人生で初めて「パーマカルチャー」を知ったのは、旅の初日。バンコクの宿で出会ったアメリカ人から教えてもらいました。

農業というと、毎朝早く起きて土を耕したり種をまいたりの肉体労働で、正直「大変そう…」(農家さん、ごめんなさい)というイメージしかなくて。でも、「パーマカルチャー」はちょっとユニークな視点を持っていました。
「大変」というのは同じかもしれませんが、目指している形は「自然をうまく利用して最小の労力で最大の成果を得る」ということ。

これだったらいいかもしれない、”自然を理解する”というのはそれこそ生涯を通じた努力が必要だけど、自分は自然が好きだし、そのためだったら頑張れるかもしれない。そんな風に感じました。
いろいろと考えているぼく

ここでの経験が、その後のイスラエルやフランス、そして今の帰国後の活動に繋がっていると考えると、色々な意味でこれが自分にとっての”農的出発点”だったのかもしれません。
そして、これを与えてくれたのが人との”ご縁”であり、インターネット。すごい時代になったものです。

次回は、中東の国ヨルダンで出会った未来の農法「アクアポニックス」について書いていきたいと思います。