知覚の宙返り―オラファー・エリアソンが開く新たな世界の可能性


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現代の地球は、ハリケーンや洪水を始めとする異常気象がもはや当たり前となり、私たちが健全な四季の巡りや濁りのない純粋な自然環境に触れられる機会は明らかに減ってきた。だがその事実を知ったところで、さして世間は驚かなくなってしまった。昔は平気で雪を食べておいしいとか話していたのに、今の子どもたちは、現にそうはいかないのだ。

だから昨年10月、コペンハーゲンの市庁舎前に、子どもに限らず大人も思わず舐めてしまいたくなるような、とても美しい氷の塊がやってきたときは、誰の目にも新鮮に映った。これは、アイスランドの血を引くデーンマーク人の芸術家オラファー・エリアソンが、気候変動に関する討論会の開催に際してつくった作品、その名も《ice watch》である。彼はこのために地質学者と手を組んで、グリーンランドの氷100トン分を輸送し、その巨大な12個の氷塊を時計の形になるよう設置したのだ。

自然の再設計

オラファー・エリアソンという芸術家を一言で表現するのは難しい。彼は斬新な気象学者で物理学者、色の調香師であり市民参加を促す革命家でもある。彼の手にかかれば、私たちは美術館という制約の中でさえ、小川を飛び越えることも、太陽の中に飛び込むことも、の上を歩くこともできる。エリアソンは1995年にベルリンにスタジオを立ち上げたが、そこで働く人の数は年々増え続け、今では90人近いという。本人いわく「スタジオを実験室のように考えている」というから、その真剣度も伝わってくる。

エリアソンの作品における自然現象は、人工的な計算のもと仕掛けられたものであり、そこには絶えずエモーショナルな雰囲気とクールさが共存している。彼が試みるのは、設計図に基づく自然の再設計なのだ。

時間と空間

エリアソンは、2008年の《New York City Waterfalls》でも、パブリックスペースに自然の壮観な造形美をつくりだして人々を驚かせている。彼がニューヨークのイーストリバーに仕掛けた4つの滝。それは私たちの立つ位置によっていろいろな見え方をする。

アイスランドの山々を歩いてきたエリアソンによると、たとえば、ある地点から別の渓谷まで行こうとしたとき、もしそこに目印となる滝があれば、流水の速さから距離感をつかめるのだという。滝の流れを速く感じたら、そこまで行くのにさほど時間はかからないし、ゆっくり流れているように感じたら、結構遠いと推定できる。こうして時間を手段に空間を把握する術を、私たちは身体で覚えているのだそうだ。

彼は街に滝という興味深い測定値を加え、次元の感覚を与えれば、ブルックリンとマンハッタンの距離感、すなわちニューヨークという空間そのものの大小を捉え直すことができると考えた。さらにこの滝は、人間同士が互いのことを思いあうきっかけにもなっている。なぜなら私たちが滝という現象に惹かれるとき、それは自分が立つこの場所とは違う時間の流れに魅せられていることを意味するからだ。

ニューヨークという大都会にあっては、人々は同じ場所を共有していても個々にさまざまな時を生きている。高級マンションの入口で流れる時間は、ドアマンと住人では違うものだし、だからこそ、そこで何か一言交わすことで同じ時間を少しでも共有しようとする。ニューヨーカーが話好きなのは、たぶんそのせいかもしれないが、この滝はそうした人々の深層心理を代弁するとともに、他者に流れる時間へ思いを馳せることの意義を再認識させてくれるように思う。

経験と責任

エリアソンの作品は、現代人が日々の生活で忘れていた感覚をぴりぴりと刺激する。だから私たちは思考に依存して物をみるのではなく、また感情だけに左右されるのでもなく、知覚と思考をシンクさせながら物事を体験できる。

自分の信じてやまない認識力に固執せず、疑ってみること。そして、周囲の環境、あるいは他人の立場に身を置いて考えてみること。それを促すのが、オラファー・エリアソンの作品なのである。彼は言う。「経験とは責任である。経験を有するとは世界に参加することなのだ※」と。

エリアソンの最新の展覧会は、昨年10月に建築家フランク・O・ゲーリーがパリのブローニュの森に手掛けた現代美術館、フォンダシオン ルイ・ヴィトンで見ることができる。「Contact」というテーマで構成されており、2月16日まで開催中だ。

※引用:http://www.ted.com

Via:
vimeo.com/olafureliasson
songery.net
vimeo.com/publicartfund