創業10周年を迎えたYADOKARIの現在地。自他と向き合い、進んでいくための集い「鏡祭」レポート
ー私たちには、 YADOKARIを見つめ直す「鏡」が必要だ。
私たちは、時々不安になることがある。 自分たちの人生や暮らしが、本当にこれでいいのか?と漠然と考える時がある。 その度に、私たちは自らと向き合い、自分の願いや価値観を見つめ直す。 そして、そこからまた一歩、何かに気づき歩み始める。
(鏡祭ステートメントより)
2024年7月6日(土)に東急プラザ表参道「オモカド」の5階「LOCUL」・6階「おもはらの森」にて、YADOKARI創業10周年を記念した祭典「鏡祭」が開催されました。
創業から10年という節目を迎え、これまでの軌跡や自分たちの存在意義について、改めて向き合ってきたYADOKARIメンバーたち。その中で見えてきた核となる価値観は、「YADOKARIと関わるすべての人々が、それぞれの人生の豊かさや願いを見出せるような存在でありたい」ということでした。
これは「生きるを、啓く」という言葉として、新しいパーパスにも込められています。そして、これからも自分たちの大事にしたいこと、目指したいことを見失わないため、自他と向き合う機会としての「鏡祭」を定期開催していく運びになりました。
この記事では第一回目となる鏡祭について、当日の様子やコンテンツを中心にレポートしていきます。
執筆させていただくのは、「未来団地会議」などでYADOKARIのまちづくり・コミュニティ支援の取り組みの記録をしてきたライターの中島です。
参加するプロジェクトを通してYADOKARIメンバーの一人一人と関わることはあっても、会社の根幹や遍歴に触れることは初めての機会。開催を聞いた時から楽しみにしていた1日です。
会社の価値観を見つめ直すための創業祭を、あえて外に開かれた形で開催すること。
前代未聞の挑戦、どのような光景が広がるのだろうとワクワクした気持ちで会場へ向かいました。
「生きるを、啓く」。会場に掲げられた新しいパーパス
今回の鏡祭の舞台となるのは、東急プラザ表参道「オモカド」の5階「LOCUL」と、6階「おもはらの森」です。
初回となる今回は、YADOKARIが向き合い続けたい姿勢「180 〜めざす、もがく、変わる〜」をテーマに展示やトークセッション、ポップアップが用意されました。
「180」はYADOKARIメンバーが活動に取り組む際、大切にしている3つの姿勢を表す記号となっています。そして、この姿勢を変態の中で体現し、最後には飛び立っていく「蝶」がシンボルマークとして会場を彩ります。
お祭りが始まる前の高揚感を纏い、オープンに向けて着々と作り上げられていく会場。設計デザインを担当されたオンデザインパートナーズ 松井勇介さんも、最後の調整の指揮を取ります。
「設計を考える際に、対話をすることは大切にしています。幹太さんとも、いつも色々な話し合いを重ねて言葉を拾いながら、設計に落とし込んでいきます。
YADOKARIのみなさんは自分達の言葉を持っていて、個人個人のやりたいことが集約し、組織が作られている印象があります。それは僕たちの会社にも通ずる部分があって、今後も一人一人の対話から生まれる熱量を大事にしていきたいです。(オンデザインパートナーズ 松井勇介さん)」
180度鏡張りになった小部屋の展示も、二人の対話を通じて形になりました。社員一人一人のリアルな葛藤が書き込まれることで展示が完成していきます。
葛藤の部屋の表側では、設営の仕上げに掲げられるパーパスの文字について、最後まで擦り合わせが行われていました。揮毫(きごう)*された駒井恵太さんは、1ヶ月間この言葉と向き合い続けてきたそうです。
*揮毫(きごう):毛筆で言葉や文章を書くこと
「生まれたばかりの言葉でまだ整っていない、”鼻息の荒い感じ”が今のYADOKARIに合っているということで、この一枚が選ばれました。
会社のパーパスを揮毫することは初めてでしたが、言葉の概念が動作に繋がり、エネルギーが生まれていく。書いている内に身体の感覚と結びついていくことを感じましたね。(駒井恵太さん)」
YADOKARIを表す生まれたてのパーパス、周りの方々と共に育まれる言葉になっていきそうです。
この日のために揮毫された書が会場中央に飾られると、一気に空間が引き締まり、来場者を迎える準備が整いました。「楽しみましょう」と、拳を掲げるYADOKARIのみなさん。
めざす、もがく、かわる。2024年鏡祭テーマ”180”に合わせた展示やコンテンツ
開場時間となり、いよいよ鏡祭の幕が上がります。
5階のLOCULでは、「これまで、向き合ってきたこと。これから、あなたと一緒に向き合いたいこと。」をテーマに、YADOKARIのこれまでの活動や思想に関する展示、参加型の企画も用意され、”向き合う”ということを体感できる空間に。
創業前夜の3年間〜今年までの歩みが記されたタイムラインは、YADOKARIという会社の原点や変遷が記され、現在の取り組みが目指している未来、想いの源流が浮かび上がってきます。
展示エリアの中央には180度ミラーの小部屋が配置され、鏡面にはメンバーの葛藤が赤裸々に綴られました。
大きく掲げられたパーパスの裏側にこの仕掛けを作ることで、メンバーが向き合ってきたこと、迷いや決意の過程が目に見える形になっています。
分かる分かると共感する言葉もあれば、心当たりがあって耳(目?)が痛い言葉や、本音すぎて人間らしいなぁと笑えてくる言葉も。己の姿を鏡に映しながら、他者の内なる声に触れることで、私自身の心の声も呼応していきます。
一人一人が等身大に葛藤し、自分にとっての真実や情熱を持ち、周りの人たちと歩んでいくこと。”生きるを、啓く”ことの決意表明にも見えました。
来場者が参加できるワークショップでは、今回のテーマの「めざす、もがく、かわる」のプロセスを体験できるものが行われました。自分の理想と同時に、他者の理想も一緒に考える企画です。
①【めざす】蝶の左の羽に「めざしたい未来」について記入します。
②【もがく】他の人が書いた①の「めざしたい未来」の実現アイデアを考えて、右の羽に記入します。
③【かわる】蝶を飛び立たせて完成!
飛び立つ瞬間に居合わせたこちらの蝶は「怒りの少ない世界で過ごしたい」という未来をめざすものでした。
左の羽には「怒りの源流をたどってみる。誰かが怒っている時に、なぜその人が”怒”なのか理由を知れば、実は悲しんでいるだけだと気がつくかも」という回答が。
参加した方同士で「私だったらこうするかも」「その視点はなかった!」と対話が生まれている様子も印象的でした。
日常の中でも、モヤモヤを人に話してみることで、次なる一手が見えてくることがあります。理想も葛藤も受け取り合うことで、人は一歩前に進めるものなのかもしれません。
YADOKARIメンバーが今向き合いたい、4つテーマのトークセッション
6階のおもはらの森では、「180 ~めざす、もがく、変わる~」のテーマに共鳴する、多様なポップアップ企画とトークセッションが開かれました。
1日を通して行われたトークセッションは、祈・縁・馬鹿・悟の4つがテーマ。YADOKARIメンバーが今向き合いたいことについて、ゲストを迎えて対話していきます。
来場者の方にお話を伺うと、多くの方がトークセッションの中で、自分のヒントになる言葉を持ち帰られていました。
トークセッションの内容は、YADOKARIに関わりの深い3人のライターが「鏡」となり、レポートとして記録しています。
【鏡祭トークセッション①「祈り」いのり】一人ひとりの「意宣り」を、守り続けるために
ー自分のいのりの対象を外へ外へと探し求めていた私。しかしそれは、世界のどこを探しても見つかるものではなく、すでに心の中にあるものなのだと、4人の対談から気づかされたように思う。(本文より抜粋)
【鏡祭トークセッション②「縁」えにし】愛でつながる文化圏を企業は創造できるのか?
ー4人の対談から浮かび上がってきた「縁」や「愛」というものの輪郭を何度もなぞりながら、これらがビジネスや仕事の場で実現可能であるならば、私は働くことに希望が持てるし、この身をどこに置いていたとしても私の心はYADOKARI文化圏の中にいつでも寛ぐことができる。(本文より抜粋)
【鏡祭トークセッション➂「馬鹿」ばか】一つを決めて、やりきるということ
ー私は「YADOKARI文化圏」にいる人たちの、馬鹿になろうともがく姿が好きだ。馬鹿になりたくて、なりきれなくて、でも諦めたくなくて、涙を流す人がいる。その姿が人を惹きつけ、YADOKARI文化圏は自然にその輪を広げていく。(本文より抜粋)
【鏡祭トークセッション④「悟」さとり】過去とこれからをつなぐ癒しの物語
ー「悟り」とは、過去に向き合い、意味を書き換えることでそれを癒し、今とこれからに接続するための物語。それが「生きるを、啓く。」と限りなく同義であるならば、このパーパスは、泥臭くもがき続けてきたYADOKARIという会社とそこに関わる人々のこれまでを肯定し、そこから続く未知の世界へと進む勇気をくれる。一人ひとりが自分の人生を本当に愛することを思い出すための鍵だ。
「生きるを、啓く」を様々な形で体現する、多様な出店の数々
屋上エリア「おもはらの森」にて行われたポップアップは展示、販売、ワークショップなど、鏡祭のテーマと共鳴する出店者たちが会場を盛り上げました。
タロット占いや似顔絵、色々な人の生き方・働き方に影響を与えた書籍から仕事に出会えるブースや、自分の作家性を探る絵のワークショップなど、さまざまな角度から鏡祭のテーマを体感することができます。
にわか雨により、舞台を5階に移して「鶴川からの使者」による詩の朗読・踊り・パーカッションのパフォーマンスが始まりました。
3人が出会ったのは、YADOKARIがコミュニティ形成の事業で携わっている、町田市にある鶴川団地。コミュニティビルダーである石橋さんと鈴木さんが、地域の方々との交流を深めていく中で、ご近所に住んでいたパーカッショニストのひろしさんと出会います。
周辺住民から愛されている行きつけのお店で意気投合し、これまでも街のお祭りや二人が企画するイベントを共に盛り上げてきた仲間です。
3人で作品を作るのは初めてのことで、鏡祭のテーマに寄り添った内容にできたと語ります。
“かもしれないし
そうではないかもしれない
考えるを考える…”
鈴木さんが朗読する鶴山 欣也(つるやま きんや)さんの詩に合わせて、パーカッションの音が重なっていき、石橋さんの踊りが加わります。
今までの空気が180度変わるような演出に、居合わせた人たちもパフォーマンスに引き込まれていきます。
観ている人々も巻き込んでいき、盆踊りのように円を描きながら会場を歩く場面も。
聴こえてくるリズムや詩の言葉、身体の動きを追う内に、日常のノイズが遮断され、パフォーマンスにぐっと集中する時間は、自分の内側と向き合う姿勢が整うような感覚になりました。
最後のトークセッションも多くの方で賑わい、第一回目の鏡祭は幕を閉じました。
YADOKARI文化圏が広がっていく未来が見えた1日
これまでYADOKARIのプロジェクトやイベントの記事を書かせていただく時、組織と仕事をしているというよりは、血の通った個人と共創する意識が強かったと感じます。その背景には、「こう生きたい」という問いに向き合い続ける人々の集いが、YADOKARIを作ってきた歴史があり、鏡祭を通じて腑に落ちる瞬間が多々ありました。
「働いている方々それぞれが自分自身に矢印を向けて『生きるを、啓く』をしている姿勢が、外の人たちに影響を与えて、巻き込んでいくのだと思いました。自分たちに矢印を向ける時間を鏡祭で持てることが価値だなぁと感じています。」
「YADOKARIの現在地、愛も苦しみもまるっと映し出されていて、痺れる空間でした。これからも心地よく、もがきつつ、一緒に生きるを啓いていきたいです。」
来場者の方々の感想からも、YADOKARI一人一人の熱狂が多くの人の心や時代を揺さぶっていく、そんな期待や信頼を感じ取ることができました。そして、私自身もその文化圏に触れていること、その意味に考えを巡らせ人生を想う今、第一回鏡祭で撒かれた種はそれぞれの意思に根づいて育ち始めているのだと思います。
YADOKARIという文化圏が気になった方、何かピンときた方は、ぜひ来年の鏡祭にてお会いしましょう。