会食恐怖症って? 食べるを強制しないカフェ、 食べなくていいカフェから考える
会食恐怖症って?
今夜の夕食は手巻き寿司にしようと思う。旬の鰹のたたきに、トロたくなんかも最高だ。1人暮らしにおける手巻き寿司の極意。それは、
其の一:具材で誰とも喧嘩しないということ
其の二:具材がカツオとねぎとろだけでも許されるということ
其の三:海苔の枚数を数えなくていいということ
其の四:別に手巻きしなくてもバレないということ
等々。挙げればキリがない。しめしめ、今宵も御一人様を満喫できる…。そう考えてから、ふと思う。「もし誰かと食べたい具材でじゃんけんが出来たら」とか「海苔の枚数を半分こ出来たら」と。私は誰かと一緒に食事をすることが難しい。心を許した相手とであれば多少は出来るが、それでも連続して共に食事をすることは出来ない。そう、私は今回のテーマである「会食恐怖症」の当事者である。
会食恐怖とは、人前での食事に対し不安や恐怖などの強い抵抗感を抱くことを指す。嫌悪感の程度は人によって様々で、私のように心を許した相手とであれば可能な場合もあれば、相手が誰であろうと一切食事が喉を通らないという場合もある。また、人数や場所などの環境が理由で食べられない状況になる他、特定の食品を前にすると食事を受け付けなくなるという場合もある。このように、食事内容への抵抗感の他、食事を行う環境に対して抵抗感を抱く点が会食恐怖症の最大の特徴である。
会食恐怖症の原因
会食恐怖症は、不安や恐怖などの感情に影響を与える“偏桃体”と呼ばれる部分が過剰に活動することで引き起こされる。また、そうした“恐怖”や”不安”といった感情は多くの場合、過去に食事の際に受けた完食指導が原因であるという調査結果が出ている。
そして、一般社団法人会食恐怖症支援協会の調査によると、過去に受けた完食指導の経験の中でも特に、給食の際の完食指導が原因だと考える人の割合は全体の半数近く50.3%に上る。
また、会食恐怖症当事者に対して行われた別の調査の内、完食指導が発症の原因と答えた7割が完食指導を受けた相手に関して”学校教師”と回答した。
つまり、多くの場合、過去に給食の時間に学校教師から完食指導を受けた経験が引き金となり、食事そのものや食事環境に対して強い不安や恐怖感を抱くようになる。結果、会食恐怖症になり得るという。
完食指導が行われる背景
では、なぜ会食恐怖症の原因ともなる給食での完食指導は行われるのであろうか。背景の1つに給食の「残量調査」があると思われる。平成25年度の調査によると、児童1人当たりの学校給食における年間食品廃棄量は約17.2kg。いわゆる「食品ロス」の1人あたりの平均量になるのだが、このうち“食べ残し”によるものは7.1kg。割合にして41.3%と半数近くに上る。
こうした食品ロスへの意識の高まりと比例して強化されるのが給食の残量率を量る「残量調査」であり、完食指導の背景の1つと考えられる。
小学校教師を対象とした残量調査に対する意識調査によると、約9割の教師が「残量調査の結果を気にする」と回答した。また、約7割の教師が「頑張って子供に食べさせる指導をする」と完食指導に繋がる行動を取ると回答した。
根本的克服が難しい会食恐怖症の背景
つまり、完食指導の多くは食品ロスの現状から行われる給食の残量調査に由来するものである事が多く、必ずしも教師自らの“何が何でも食べさせたい”という悪意の下で行われるわけでは無い。いわば”誰も悪くない”という状況、そして人によって尺度の異なる食事への価値観。この2つの背景があるため、会食恐怖症の根本的な克服はなかなか難しい。
実際に私も筆者自身も、”食事を残さないこと=美徳”という価値観を少なからず幼い頃からの教育で持っていた。そのため、他人がいる環境で食事を残してしまわないか。自分の食べるペースが一般的に比べて遅いことで店の回転率を下げてしまわないか(冗談ではなく本気で思う)心配になってしまい箸が少しも進まなくなる。何よりも”誰のせいでもない”という状況には苦しさを覚える。”食べなさい”と私に一度でも言ったことがある特定の誰かに悪気があったとは思えない。また、飲食店で私の思う1人前と料理人の思う1人前に大きな差があったとして、それはあくまで食に対する価値観の違いであるだけだ。
このように会食恐怖症の背景にある完食指導をなくす難しさや、食に対する価値観の違いによって根本的な克服はなかなか難しい現状がある。
“食べなくても許される環境”の存在が居場所を作りうる
会食恐怖症となった原因の根本的な克服は難しいかもしれない。ただ、「会食恐怖症でもいい」と自分を肯定できる環境があれば当事者にとって安心できる空間になり得るかもしれない。
1年半前は誰とも食事が摂れなかった私。徐々に心を許せる相手とだけ食事が出来るようになったのは“無理に食べなくてもいい”と思えるようになったからだ。私の食に関する状況を知った友人。友人の食事時間を気にして。なかなか待ち合わせの時間を決められない私に“一緒に食事が出来なくても、会えるだけで嬉しいから何時でもいい”と言ってくれた時。
1年半ぶりの誰かとの食事相手に勇気を出して自分から誘った高校時代の恩師。注文したポテトサラダが、カロリーが高そうで自分の身体が受け付けないと感じ“食べられない”と言った私。何を気にするでもなく“もちろん大丈夫”と全く無理強いをしなかったこと。
手が震えている自分に気付いたけれど、久しぶりに会話をしながらの食事が出来たことが心から嬉しかった。このように出来ない自分を打ち明けても否定されない経験が、食環境への不安を和らげ少しずつ誰かと食事が出来るきっかけを作ってくれた。
“食事に対する解釈は人それぞれでいい” “目の前に出された食事を食べ切れなくてもいい”
そう心から思える環境で過ごすこと。会食恐怖症を抱える人にとって少しだけ心が休まる瞬間になるかもしれない。
“食事を摂らなくてはいけない” “何かを口にしなければいけない”
そんな飲食店=食事場所あるという当たり前のようでいて、実は会食恐怖症の当事者を不安を感じるきっかけになりうる価値観。単に誰かとの交流を楽しみたい、空間を味わいたい。そんな気持ちを“飲食店=食事の場”という価値観が阻害しているのであれば。飲食店=必ずしも食事を摂らなくてもいい。そんな逆転の発想が存在するとするならばどうだろうか。
「食べる」を強制しないカフェ、「食べなくてもいいカフェ」って?
家族や仲のいい友人とも食事が出来なかった時。
「好きな時に○○(私の名前)が食べたいものを食べたい量だけ食べればいいよ」
そんな言葉に救われたことを思い出す。
今回紹介する「食べなくてもいいカフェ」はその名の通り「食べなくていい」では食事を強要されることはない。日本会食恐怖症支援協会の取り組みで始まったこの「食べなくてもいいカフェ」は2020年に東京にオープンした。その翌年には大阪にもオープンし、現在は大阪が本店となっている。
通常のカフェのように毎日開かれている、という形ではなく、不定期で月に2度ほど開催日が告知されるという形態である。開催日に関してはSNSを通じて告知が行われる。営業は対面営業とオンライン営業の2パターンの形態があり、後者では大阪在住でなくとも参加できるといという利点がある。オンラインは開催時間であれば、入退場自由。短時間での参加も可能だ。また、対面営業も予約制・定員制ではあるものの、「行けたら行くわ」という、行っても行かなくてもいい予約スタイルである。
“予約したから、必ずしも行かなくてはいけない”ではなく、体調や予定に合わせて自分自身を一番に優先し、大切にして欲しいという運営団体側の意図がある。運営団体も、皆会食恐怖症の当事者であったり、理解がある方のみで構成されているという。少人数のグループに分かれて会話をし、セルフサービスのドリンクやお菓子も好きなタイミングで食べられる(もちろん食べなくても良い)
個人的には、高所恐怖症の方が高いところが苦手なように。動物が好きな方もいれば、必ずしもそうでない方がいるのと似たように。自分は食事を人と摂ることが少し苦手である。と自分の個性の一部として肯定できるようになってきた。しかし、やはり誰かに説明する時には「理解してもらえなかったらどうしよう」とか「食事は人とするからこそ楽しい」という価値観の相手だったらどうしよう。そんな不安に陥ることがある。
だが、例え不定期であっても。月に1度や2度の開催であっても自分が安心して気兼ねなく食事を介さない交流の場があると心に逃げ場所を作れることは当事者にとって救いの場となり得る。食事の場ではあるが、食事を気にしなくていい。そして食を介した人目を気にしなくてもいい。当事者にとって、少しだけ心の糸を緩められるかもしれない。こうした場所がある事を心から嬉しく思う。そして読者の方々の頭の片隅で、食や食環境の在り方の選択肢の広がりを実感するきっかけとなっていたらこれ以上嬉しいことはない。
(参考文献)
食べなくてもいいカフェについて
人前で食事、喉通らない 知っていますか「会食恐怖症」 | 中国新聞U35
「口を開けられ無理やり食べさせられた」園児失禁で波紋…過度な“給食の完食指導”でトラウマに?教員・学校側は”残量調査”で躍起に (ABEMA TIMES) – Yahoo!ニュース
給食残してクラスで謝罪、完食指導による心の傷で「会食恐怖症」に… 教育現場の実情 – 弁護士ドットコム
Vol.132(3) トピックス 「学校給食から発生する食品ロス」
学校給食から発生する食品ロス等の状況に関する調査結果について(お知らせ) | 報道発表資料 | 環境省
The Fear of Eating in Public (Deipnophobia): How to Address It
‘Deipnophobia’ — understanding the fear of dining with others | The Japan Times
Deipnophobia – Why Does Eating in Public Cause Anxiety?