『今この瞬間』以外、何がある? 過去も未来もない民族“ピダハン”

あまりにも“過去”を悔やみ“未来”を心配しすぎる私達

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過去の選択に苛まされたり、未来への不安に押し潰されてしまいそうになる時はあるという人は、少なくないだろう。

人が最もストレスを感じる時。それは“過去への後悔”と“未来への不安”がある時だそうだ。実際にマサチューセッツ工科大学の実験でも、こうした感情がある時に人々のストレスレベルが上昇したという。

“あの時別の選択をしていれば、より良い今になっていたかも”と過去を悔んだり、 “今よりもっと悪い未来が来たらどうしよう。より良い未来の為に今から備えなければ”と未来を不安がる。
私達は過去や未来の自分と現在の自分を比較し、そのギャップにストレスを感じながら生きていることが多い。
しかし、出来る限りストレスを感じず、むしろ、毎日を幸せな気持ちで過ごしていたいものである。

『今この瞬間の自分』に集中して生きる民族“ピダハン”

過去を悔やみ、未来を不安がる結果、人々はストレスを感じやすくなる。
だとするならば、「今この瞬間」に全力集中している時、人々はストレスをあまり感じることなく、むしろ心穏やかに過ごすことが出来るのではないだろうか。

アマゾンの熱帯雨林地域の奥地に存在する400人に満たない少数民族。『ピダハン族』と呼ばれる彼らは“直接見聞きし経験したことのみしか捉えない”『直接体験の原則』に基づいた文化を持つ。一言で言うなれば“今この瞬間を生きている”民族と言えるだろう。

◆ピダハンには“未来/過去の概念”が存在しない

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ピダハン族には、過去と未来という概念が存在しない。そして、そもそも概念が存在しないのだから、彼らの言語に過去や未来を表す時制は存在しない。

過去という概念がない為、故人の死を弔う葬式などの儀礼や創世神話などは存在しない。血縁関係の離れた曾祖父母という概念もない。また、未来の概念がない為、肉の塩漬けや燻製といった保存食や加工食は存在しない。未来に食を持ち越すという考えがそもそも発生しないのである。

目の前に存在する直接的な体験のみしか認識しないピダハンにとって、存在するのは『今この瞬間』のみである。もはやそうせざるを得ないとも言えるが、過去や、未来が概念として存在しないのであれば現在しか存在しないのは当然だろう。そして、当然、現在と過去、現在と未来の“比較”も生まれることはない。つまり、過去を後悔したり未来を不安がることでストレスが生み出される状態自体が彼らにとっては起き得ないことなのである。

危険な虫や伝染病、外部からの侵入者。私達の普段の暮らしからは到底想像し難い未知の危険性が潜む環境にも関わらずピダハンはその運命が訪れた時に淡々と受け入れる。

ピダハン族は『今この瞬間』のみを意識して生きている。

◆ピダハンは“他人/自分”をほとんど区別しない

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加えて、人々がストレスを感じる別の要因として、他者との比較によって抱く劣等感もあるだろう。確かに、例え過去や未来と関係がなくとも、現在という時間軸においても“他者との比較”は私達に大いなるストレスをもたらす。

しかし、これまた興味深いピダハン独自の概念として自分/他人の区別がはっきりとしていないのである。彼らの言語にはありがとうやこんにちはなど、その言葉自体に情報的価値を持たない『交感的言語』が存在しない。

本来、交感的言語の役割の中に、他者との関係性を友好的に保つ事が挙げられる。そうした言語を持たないそれはつまり必ずしもイコールでは結びつかないが、自分と他人の境界線が曖昧であることを示していると言われている。他人と自分との区別がはっきりとしていないという事は他人に対して負い目を感じることがないという事である。そのため、他者との比較がストレスを感じる要因にはならず、さらに結果として人間関係の摩擦も起きずらい。

『今この瞬間』に集中しているだけではなく、彼らは『自分』にも集中しているのである。

『今 ここ 自分』を生きるピダハン族から学ぶ。

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過去と未来という概念が存在しないため、あの時ああすれば…と過去を悔んだり未来はどうなるのか…と将来を思い悩むことがない。そして、他者と自分の区別がないため、あいつはいいなあと負い目を感じることがない。

意図せずではあるが、今/ここ/自分に焦点を絞って生きることはそれ以外の、自分の過去や未来、あるいは他者を切り捨てているとも言える。捉え方によっては、機会損失を生むとも言えるが、むしろ切り捨てることでシンプルな生き方を実践しているとも言える。

その証拠にピダハンはよく笑うそうだ。直接体験したことのない他文化に興味を示さない彼ら。彼らにとって「現在」をあるがままに生きる自分達の文化と生き方こそ最高であり、未来も他者も思い悩む理由にはならないのだ。

貯金がなくなったら?
働けなくなったら?
病気になったら?
家族がいなくなって孤独になったら?

そんな風に未来を思い悩む私を見たら、彼らは笑い転げるだろうか。今この瞬間の自分以外、何があるんだ?と。どうだろう、過去や未来、そして他者についつい思考が向きすぎて不安を抱えて悩んでいる時。「今 ここ 自分」と小さく唱え、自分に意識を向けてみると、少し心穏やかに。そして何より目の前にある楽しみや幸せを感じながら過ごせるかもしれない。

『今』この瞬間
『自分』という存在に
もっともっと集中してもいいのではないだろうか?

【参考文献】
小川さやか 「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 光文社新書 2016
D.L.エヴェレット ピダハン「言語本能」を超える文化と世界観 みすず書房 2012
Two studies reveal benefits of mindfulness for middle school students | MIT News
ピダハンたちの言葉。 | めしは熱いうちに食え
言葉の断捨離 -『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』 – HONZ
苦しみのメカニズムは「痛み×抵抗」。世界一幸せな部族に学ぶ、“心の痛み”から逃れる方法|新R25 – シゴトも人生も、もっと楽しもう。



QUOTE

未来を思い悩む私達を見たら彼らは笑い転げるだろうか。今この瞬間の自分以外、何があるんだ?と。