【対談】住居費をゼロに。北山幸朋氏とYADOKARIがつくる不動産の未来の形

2020年4月、YADOKARIが新しく東京の表参道にサテライトオフィスを構えた。場所は表参道の交差点から徒歩1分の、プレミアムな立地にあるビルの一画。北山幸朋氏(株式会社JAPAN PROPERTY nationwide代表取締役)が、遊休不動産の有効活用をオーナーから依頼され、運用・管理を請け負っている。

Omotesando Stories」と名付けられたこの施設は全部で12フロアを有し、シェアオフィス、ホテル、貸し会議室、イベントスペースなどフロアごとに異なる用途で空間を提供。1つのビル内に時代のニーズを汲んだ複数の用途が重層的に混在し、外国人旅行者をはじめ、ノマドワーカーやクリエイターなど多様な人々が出入りする。ここから予期せぬ出会いや縁が階層を超えて交錯・発展し、想像を超えた物語が生まれるマグネット的なスポットになれば、というのが北山氏の意図だ。

北山さんが管理する「Omotesando Stories」の一室。

YADOKARIがこのビルにオフィスを構えたのには明確な理由がある。一つは、長年不動産業界ひとすじでビジネスを展開してきた北山氏とのパートナーシップの締結。そしてもう一つは、北山氏とYADOKARIが始める全く新しい形態の住居モデルを、現実のものとするためだ。

今回の対談は、「リビングコストゼロの住まい“ゼロハウス構想”の実現」という、YADOKARI自身も大いに好奇心をそそられている新規プロジェクトの立ち上げにあたり、北山氏とYADOKARI共同代表のさわだいっせい・ウエスギセイタが表参道のオフィスで語り合ったものだ。互いの関係性やプロジェクトの概要、未来の住まい方のビジョン、人生観などについて、対談のハイライトをご紹介する。

直感で結ばれた信頼関係

北山幸朋(きたやまゆきとも)さん/株式会社JAPAN PROPERTY nationwide代表取締役。宅地建物取引士。大学を卒業後、不動産ディベロッパー 松下興産株式会社(現・関電不動産開発株式会社)に入社。その後、オーストラリア松下興産株式会社に出向しリゾート開発事業に携わる。不動産投資運用会社 株式会社クリードを経て独立。2014年に倒産、一時ホームレスも経験したが、2015年、周囲のサポートに恵まれ再起。新たにJAPAN PROPERTY nationwideを設立し、神田の複合ビルの1階をコミュニティスペースとして活用した「MID STAND TOKYO」等不動産活用のプロフェッショナルとしてさまざまな物件の活用提案と運営を行い現在に至る。「日本で最も美しい村」連合オフィシャルサポーター。

ウエスギ: 北山さんと僕らの出会いはいつ頃でしたっけ?

北山さん: 2016年の夏ぐらいかな、僕が復活して翌年。唐品知浩さん(YADOKARI小屋部部長)から「BETTARA STAND 日本橋」の話を聴いていて。

ウエスギ: 当時はどちらにいらっしゃったんですか?

北山さん: 再起後、リビタさんが運営する東京・神田の「the c」でオフィスを借りていて、2017年に同じく神田の「MID STAND TOKYO」をオープンすることになって、神田の街で大半の時間を過ごしていました。

さわだ: 「MID STAND TOKYO」では、いろんなイベントもやってましたよね。

ウエスギ: その頃は新しい会社を始めて大きな転換点だったと思いますが、どんな気持ちで仕事してたんですか?

北山さん: あんまり構えることもなく自然な気持ちですね。一度倒産している中で、仕事での明確なビジョンがあったわけではないです。目の前に来るものをただただ一生懸命やっていました。「日本で最も美しい村」連合に加盟する自治体からいただいた仕事や不動産仲介を。でも「MID STAND TOKYO」をやっていたことで、ここ(表参道の遊休不動産活用)の話をいただいて、現在につながってます。こうした案件は、大手より僕らのようなスタイルの方が融通が効いてフィットする。不動産は、少数でも十分に大きなビジネスができる業界だというのは、今までの経験から確信しているんです。

YADOKARI共同代表取締役のさわだいっせい

ウエスギ: 出会った頃の北山さんに対するイメージは、さわださんはどうだったんですか?

さわだ: めちゃめちゃナチュラルに心を許したな、という感じです(笑)。大先輩なのに距離感を感じさせないように接してくれて、一瞬で「裏切らない人だ」と。直感的にこの人と友達になりたいと思いました。その先で、いつか何か一緒にやれたらという感じで。

北山さん: 何か仕事の話になったっけ? その時。

さわだ: 伊根町(京都府)に一緒に行ったぐらい(笑)

北山さん: そんなに打ち合わせを重ねて、みたいな感じじゃないよね(笑)。でも僕は「BETTARA STAND 日本橋」が閉店(*①)するという話を、ウエスギさんから電話もらったのを覚えてるよ。

*① 2016年に、YADOKARIは東京都中央区日本橋のビル建設予定地の暫定利用期間に、車輪付きのタイニーハウスを活用した飲食店兼コミュニティプレイス「BETTARA STAND 日本橋」を開業。それまで空き地だった場所に可動産による場を設置することで新たな賑わいやカルチャーを創出した。しかしビルの建設が確定し、2018年3月末をもって「BETTARA STAND 日本橋」は惜しまれつつ閉店した。

ウエスギ: 覚えてます。あの時、申し訳なくて泣きながら電話してましたもんね。

さわだ: 「BETTARA STAND 日本橋」は僕らにとっても大きな出来事でしたね。その前は中銀カプセルタワービルの一室を保全の一環でオフィスとして借りてはいたけど、主体がメディアでしたから。「BETTARA STAND 日本橋」で初めて大手の不動産会社さんとも本格的に事業を行ったし、一つのリアルな場・施設を運営する中で、経営者としても学びが多かった。それが糧になって、横浜日ノ出町にある京急電鉄高架下の「Tinys Yokohama Hinodecho」へつながっていったんですよね。

北山さん: 表参道のこのプロジェクトも、「MID STAND TOKYO」をやっていた時に前職の先輩から話をいただいて。ちょうど2018年に民泊新法が施行されるタイミングだったので、「じゃあ家主居住型民泊のカテゴリでこのビルに住みながら民泊をやってみようか」となり、神田からここへ引っ越してきました。今までの経験から、できるだけ固定費を持たないように、何かあっても身軽でいられるようにして、YADOKARIのみんなもそうだと思いますけど、仕事もプライベートも垣根をなくして、限りある時間を大切に、人生を楽しみながら生きたいなと思っているんです。

共に始める新しい住居モデル

夜明けの表参道。撮影:北山幸朋さん

ウエスギ: 改めて、一緒に始めようとしている新しいプロジェクトについて、お話ししていきましょうか。

北山さん: 僕はオーナーから預かったビルや空間をいくつか運営・管理していますが、これまでもそれぞれの空間ごとにホテルや、シェアオフィス、貸し会議室など、あえて異なる用途での運用を行ってきました。同じビル内に空間が複数ある場合、全部同じ用途にする方法もあるけれど、それぞれ違ったニーズを満たす空間にするのも手法の一つかなと。特に今回のコロナ禍で、インバウンド頼みの宿泊業はかなり厳しい状況になっている。そこで、新しく運用を企画する区画では、これまでにはなかった「住居」による活用を提案しています。

さわだ: 建物の中に入れられる小屋(House in House/Hut)をいくつか作って、希望する人に住んでいただこうと思っているんです。その住居費をタダにする仕組みを構想していて。YADOKARIの新ビジョンとして掲げているのが「世界を変える、暮らしを創る」ということなんですけど、その暮らしの美意識を体現して新しいカルチャーをつくっていく「人材」を輩出し続けるような、新しい場を提供したいんですね。社会的に意義のある取り組みをしている、またはこれからしようとしている人たちに、住まいを無料で供給したいと。

ウエスギ: 僕らはそういう人材を「ニューエリート」と呼んでるんですが、世界的にはクリエイティブクラスとか、アーティスト、クリエイターと呼ばれるような、社会を変革する可能性を持った人たちが入居の対象。彼らに、いわば「ベーシックインカム的」な聖域としての場を無料(フリーミアム)で提供して、資本主義的な価値観に怯えることなく自由に実験開発や創作活動をしてもらおうという試みです。

さわだ: 小屋を用いた、小さくても快適でプライバシーを保つことができる住まいというだけでなく、いずれはコワーキングスペースやフィットネス、食事、リラクゼーションなどがシームレスに一体化した環境をつくって、パフォーマンスが最大限に上がるようにしたい。固定費の大半を占める家賃をゼロにすることで、時間とエネルギーを集中投下できます。

ウエスギ: ここにいろんな価値観を持った投資家や起業家、意識の高い若者などの人脈とアイディアが集まるコミュニティを形成しつつ、YADOKARI本来の領域であるメディアやイベントによるPR・発信の支援もしていく計画です。

ベーシックインカムとしての住居。資金の出所は?

YADOKARI共同代表取締役のウエスギセイタ

北山さん: それを無料で、という所が気になるんだけど、どういう仕組みなのかもう一度。物件のオーナーだって、持っているだけで固定資産税などの経費が発生する中で、借りる側にも貸す側にもメリットがある仕組みは、ある種の「発明」だよね。

さわだ: ビジネスモデルを変えようということではなくて、お金の出所を変えようということなんです。僕らが実現したい未来に賛同していただける投資家やVC(ベンチャーキャピタル)、上場企業などから社会的インパクト投資として資金調達を行う。投資家と言っても、例えばビル・ゲイツやジャック・ドーシー、元ZOZOの前澤さんみたいに、お金を持っているだけでお金が増えていく循環に入っていて、かつ社会的価値への視座を持った投資家に、金銭的なリターンを求めず「社会を変える人材・アイディア」に対して投資してもらうという新しい投資の形を提案したい。住まいを借りている人が家賃を払うのではなく、僕らが資金を調達して払うことで新しい文化ができないかと。富の再分配とか、フィランソロピー・マネーと呼ばれるものの一つの形ということですね。

北山さん: オーナーさんにとっては出所が違うだけで、家賃が入ってくるのは変わらないんだね。やはりオーナー側は、物件にテナントをつけて不動産投資を回収して…という考えは、そこまで変わらないだろうからね。

さわだ: その中で、例えば1室だけ、オーナーさんもこの取り組みに関わってみませんか?という形で提供していただくのは大いにありだと思っています。都市型のプランの場合はフロアのスペースも限られているけれど、郊外や地方都市など面積の取れる所では、住まいやコワーキングスペースに加えて、カフェ、温浴施設なども併設した、地域住民とも交流できるようなタイプのYADOKARIクリエイティブレジデンスもつくりたいと考えています。

ウエスギ: 今回のコロナショックが起こる前から「小さな家」の次の構想は考えていたんだけど、リビングコストのかからない“ゼロハウス”は、これからの時代により求められるかもしれないですね。

さわだ: 僕らYADOKARIがやってきたことは、もともと不況に強いというか、「人生をかけて家を買わなくてもいいよね。暮らしをミニマムにして小屋に住んだり、家に車輪をつけて既存のインフラから独立して、高い住居費を払わずに暮らしたら、幸福度は上がっていくんじゃないか」という提案。だから3.11からYADOKARIを始めたんです。流されていく家を見て「ああ、家ってなんだろうな」って思わずにはいられなかった。これからも、コロナ禍があっても大丈夫な暮らしをつくり続けたい。原点に立ち戻って、住居費を抑える暮らし方をさらに考えているんです。

人生の目的とこれからのライフスタイル

表参道の交差点で。

ウエスギ: 北山さんは、ご自分の会社が一度倒産して、離婚もして、お子さんとも離れて、マンションも手放してホームレスになって…っていう壮絶な経験をされていますが、そこから再起して、今はどういう目的で仕事をしているんですか? 人生観もきっと大きく変わったんじゃないかと。

北山さん: 以前の僕を知る人から見ると、今の僕は全然違うらしい(笑)。以前の僕はエゴが強かったみたいだけど、今はそういうのは無いよね、名前を売りたいとか、会社を大きくしたいとかは思っていないし、物欲も無い。僕が今、人生観として持っているのは、人生100年時代と言うけれど自分の命は必ず尽きる。たとえ100年生きたとしても、そこで自分の命が終わって忘れられてしまうのは淋しい。自分のやってきた仕事や価値観を共感してくれる人に継いでもらって、続いていったらいいなと思って仕事をしています。それで言うと、僕の子どもはまだ16歳だし、事業継承を押し付けるつもりもない。そこをYADOKARIの層が埋めてくれると思っているんです。今回、シェアオフィスにYADOKARIが入ってくれて、僕が持っていない層やネットワークを持って来てくれたのは本当にありがたいよ。

ウエスギ: 僕も離婚を経験していますが、これからのパートナーシップの可能性として、一緒に住まなくても家族だったりパートナーとしての関係は築けるんじゃないかと。北山さんは今でもお子さんの誕生日を一緒に祝ったりして仲が良いじゃないですか。

北山さん: 良い距離感だと思うよ、今。離婚した時、子どもはまだ10歳で、あちこち一緒に旅をしたりもしていたから、やはり一緒にいたかった。その強い気持ちがなければ、今、日本にいなかったかもしれないよね。近くにいながらたまに会って、また離れて、みたいな関係もあっていいんだと思うよ。

ウエスギ: 僕もそう思います。さわださんは今、家族と一つ屋根の下で暮らしていますが、夫婦の距離感や家族との関係についてはどんなふうに考えているんですか?

さわだ: もし今ライト別居しても子どもが小さいから、子育ての負担が奥さんに全部行ってしまうのは良くないよね。程よい距離感でコミュニケーションを取りながらやっていくしかないんじゃないかなあ。僕は仕事で行きたい所へ行けるわけだし。でも今回のコロナで外出ができなくなって、朝から家族みんなで海へ散歩に行ったり、今までできなかったことができたりして、経済がストップしたからこそ家族が一つになれたのは良い気づきだったね。

ウエスギ: 距離感が近くなる家族もいるだろうし、新たなスタイルの家族も生まれて来そうですね。

これから立ち現れる世界に向けて

明治神宮の森。撮影:北山幸朋さん

2020年、突如発生したコロナショックによって、全世界的に働き方や住まいの在り方、人との関わり方など、既存のあらゆる構造が一旦解体されつつある。アフターコロナの世界で、僕らはどんな生き方の指針を見出すのだろうか。これからどのような暮らしや未来をつくるのか。北山氏と共に開始する表参道での“ゼロハウス構想”プロジェクトは、その最初の礎となるのかもしれない。

▼ Omotesando Stories
https://www.omotesandostories.com/