【インタビュー】30代ふつうの夫婦が地方移住して空き家で一棟貸しの宿を始めるまで | 長野県飯島町「nagare」(前編)
過密な都会から離れ、自然豊かな地域で生活コストを抑えながら友人たちと心地よく暮らし、かつ自分らしい働き方や自己表現も叶えたい。そう願う人はますます増えていることでしょう。地方移住や多地域居住のイベントをのぞいたり、地方の空き家や不動産情報を調べてみたりするものの、お金のこと、仕事のことなど考えれば考えるほど自分には無理じゃないかと心折れたり、変化すること自体への恐れも顔を出したりして「一歩」が踏み出せない…。そんな方に知っていただきたいのが、このお二人のお話です。
それぞれ東京と横浜に生まれ育った石川景規(けいき)さん・妙子(たえこ)さんは、銀行勤務から500日の世界一周の旅を経て2017年に長野県に移り住み、築100 年超の朽ちかけた古民家をフルリノベーションして、一棟貸しの宿「nagare」を2020年7月に開業。ふだんは敷地内に停めたトレーラーハウスで生活し、リモートワークでウェブや編集関連の仕事をしつつ、地域資源を五感で体験する宿を営んでいます。
お二人が移住を決意した理由、開業に至るまでの3年間に長野でどんなことがあったのか、資金面のこと、苦労と成功のポイントなど、これから空き家で何かアクションを起こしたい方必携の新しい生き方のポートフォリオを前後編に渡ってご紹介します。
世界一周から見えてきた、心地よい暮らしと時を経たものの尊さ
お二人は共通の趣味である写真を通じて出会い、新婚旅行を機に、それまでの銀行員の仕事を辞め、2015年から500日の世界一周の旅へ出ました。東京に実家もあり、地銀に就職も決まって、自分の人生それでいいと思っていたという景規さん。大学卒業の時に初めて訪れた海外で世界の美しさに衝撃を受け、いつか世界一周したいという夢を抱くものの、銀行を辞める決心がつくまでに5年かかったそう。背中を押したのは、同じく銀行員でパートナーの妙子さんでした。
アフリカと北米を除いてほぼぐるりと一周、世界を旅する中で最も印象に残った場所はアイスランドとチベットだそうです。
景規さん:「アイスランドで出会った想像をはるかに超える自然の豊かさと、Airbnbを利用して実際にアイスランド人が住んでいる一軒家に暮らすように滞在したことが、この宿の原体験にもなったと思います。
チベットでは、まちなかでお祈りをしながら歩いている人がいるなど昔からの仏教が根付いた生活が続いていて、でもそれが今いろんな圧力や文明に押されて変わってしまおうとしており、10年後に来たらこの光景はもうないな、という感覚が印象的で。古いものをなくすのは簡単だけど、もう取り戻せないんだと強く思いました」
帰国時はほぼノープラン、民泊と編集の仕事で経験・スキルを培う
帰国した時には開きたい宿のイメージが固まっていたのかというと、意外にもほぼノープランだったというお二人。「漠然と宿がやりたい」くらいの粒度で、地方で開業することも考えていなかったそうです。
そんな中で、景規さんは東京で民泊の運営を始めます。1年ほどホストとして外国人旅行者を受け入れながら、楽しい面も難しい面も経験し、次第に宿をやるなら一棟貸しがいいというイメージができてきました。
一方、妙子さんは帰国してから「場所にとらわれない働き方をしたい」と思い、編集の仕事を始めます。独学と、仕事で関わる人たちから教えてもらいながら、どこにいても仕事ができるスキルを身に付けました。
自分たちにフィットする替えのきかない居場所を求め、友人を追って長野へ移住
旅の途中からぼんやりと「移住」も考え始め、帰国後1年ほど東京に住んだものの、そこはもう自分たちにとって心地いい場所ではなくなっていたという景規さんと妙子さん。都会に生まれ育ったお二人が、長野県に移住したきっかけと決断の決め手は何だったのでしょうか?
妙子さん:「移住のイベントなどにも行って探したりしていたのですが、どこもピンとこなくて。そんな時、たまたま共通の友達が移り住んだのがきっかけで訪れたのが、この長野県飯島町です。すでに友達が住んでいたので、その方の周りにはすでにコミュニティもあり、すぐにいろんな人とつながりが持てたので、『ここなら大丈夫!』みたいな安心感がありました」
景規さん:「僕が思っていたのは、都会でやっていた仕事はほぼ全て代替可能だということです。つまり誰もが決められた役割を歯車としてこなしているだけの状態。自分じゃなきゃダメだと思って頑張っていたけど、それは幻想だった。じゃあどこだったら? と考えた時に『誰かに必要とされるところ』ぐらいしかなくて(笑)。だから場所はあまり関係なかった。
飯島町に移住しようと決めた後に、この土地に定着するためにも地域おこし協力隊の制度を活用させていただきました。ウェブ関連の業務だったので僕でもできるかなと。今でもこの活動でのつながりは本当にありがたかったと思っています」
空き家に出会いリノベーション、4回も設計士を変えた理由
現在宿として運営している空き家だった築100年超の古民家との出会いは、役場からの紹介でした。ロケーションといい、建物の中に入った時の雰囲気といい、一目で気に入り即座に借りたものの、リノベーションが完了し宿としてオープンするまでには実に3年もの時間がかかりました。物件自体がかなり傷んでいたという理由もありますが、それ以上に「自分たちが本当にこの物件を通じてやりたいことは何か?」を問い続けることに時間をかけたと言います。さらに、やりたいことを理解し形にしてくれる、心から信頼できる設計士と巡り会うまでの道のりが長かったそうです。
景規さん:「最初に相談した地元の工務店さんには『これは壊したほうがよい』という感じで、ほとんど理解していただけなくて。
地元の建築関係の方以外にも、東京で活躍されている設計士さんや同じエリアの若手設計士さんなど、さまざまな方にご相談させていただきました。
ですが、ほとんどの方が『そこまで投資するポテンシャルのある物件ではない』という答えで、なかなか思い描いていたプランにはならなかったんです。そのくらいボロボロの状態だったので(笑)。そんな中で最後に出会ったのが、『nagare』の設計デザインをしていただいたフィールドワークさんでした。
4回も設計士を変えているので、フィールドワークさんに依頼した頃には宿をやろうと決めてから2年もの月日が経っていました。心から信頼できる人と納得のいく宿をつくる。そこにこだわったからこそ、時間がかかってしまったのだと思っています」
妙子さん:「生き急がなくて良かったね、工事を焦ってやらなくて良かったねってよく言っているんです。きっと急いで工事しても今のように納得感のある物件にはならなかったと思います。そして、自分たちを閉じないで積極的に地域や人と関わる機会をつくり、時間をかけて関係性を築いてから開業できたことも良かったなと思っています」
後編ではいよいよ、空き家のDIYでの苦労や気になるお金のこと、地域資源を生かした宿運営のことなどをお届けします。
(執筆:角舞子)
>> 後編へつづく
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