【インタビュー】withコロナ時代のマイクロツーリズム。本当に持続可能な宿と地域のつくり方|NIPPONIA小菅 源流の村(前編)
新型コロナウィルスが猛威をふるうなか、山梨県の山奥の小さな村にある空き家を改装した宿が、連日完売するほどの人気を見せている。その宿とは「NIPPONIA小菅 源流の村」。2019年8月、この村で「大家(おおや)」と呼ばれ親しまれてきた築150年余のシンボリックな邸宅を改修し誕生した。続く2020年8月には、同村の2つの空き家を改修した2棟の客室「崖の家」を加え、今後も村の空き家を使った「700人の村まるごとホテル」の実現を目指す。
この宿を呼び水に、初めてこの村を訪れる20〜40代が増加しているという。そればかりでなく、ここ30年来過疎化が進み、かつての3分の1まで減少し続けてきたこの村の人口が、数年前から継続的に流入し始めた若い世代の移住により、奇跡的に下げ止まっている点も注目に値する。
「NIPPONIA小菅 源流の村」の成功要因とは何か?
若い世代は、いったい何を求めてこの宿を目指すのか?
運営者である株式会社EDGE 代表取締役 嶋田俊平さんにお話を伺った。
小菅村との出会い
山梨県北都留郡小菅村は、人口約700人の小さな村だ。東京都を広域に渡って潤す多摩川の源流に位置し、村の総面積の約95%を森林が占める。かつては農林業や養蚕業で栄えたが、時代の変化と共に仕事を求めて住民が都市部へ流出、少子高齢化と過疎化の波にさらされながらも他の市町村と合併しない道を選び、持続可能な村づくりを模索してきた。現代の日本にはよくあるケースと言える。
嶋田さんが小菅村に関わるようになったのは2014年頃からだ。当時、嶋田さんは大学時代に学んだ林業や、その後に勤めたまちづくりコンサルティング会社での経験を生かし、自身の株式会社さとゆめを立ち上げたばかりだった。「伴走型コンサルティング」を信条とし、持続可能な地域づくりのために、計画をつくるだけではなく商品開発や店舗の開発・運営、人材育成も地域と共に行い、売上や雇用が生まれるところまで一緒に汗を流す会社だ。
「商品ができたら終わりではなく、それが売れて雇用が生まれ、人が集まり、産業になり、そのうち『この地域は最近元気がいいね』と評判になって人が移り住み、家族ができ、賑わいが戻ってくる。そこまでできて初めて地域活性なんです」と嶋田さんは言う。
さとゆめは、創業当初、さまざまな地域と共に開発した商品を販売するため、東京の永田町に3坪ほどのコンテナを利用したアンテナショップも構えていた。嶋田さんの講演に参加した小菅村役場の職員が、「さとゆめさんはお店をされているのですね。だとしたら、ちょっと相談したいことがあるんですが」と相談を持ちかけたのがきっかけだった。
道の駅の中身づくりから
嶋田さんが小菅村から相談を受けた最初の案件は、村の一大事業である新しい「道の駅」の立ち上げだった。半年後にオープンを控え建物は完成したが、品揃えやサービスなどのソフトがほとんど決まっていなかった。嶋田さんはコンセプトの策定から商品・人の確保などに奔走。紆余曲折を経たものの雨降って地固まり、1年後の2015年春、「道の駅 こすげ」は無事にオープンを果たした。
これをきっかけに小菅村の村長の信頼を得て、嶋田さんは村の地方創生総合戦略の策定に関わることになった。村長が最も重要視していたことの一つが人口減少の抑止だ。ピーク時には約2200人だった村の人口は、ここ30年で毎年数十人ずつ減少し、約700人にまで落ち込んでいた。村の存続を考え、なんとしてもこの人口を維持しなければならない。嶋田さんは総合戦略策定にあたって、「関係人口」という言葉がまだなかった頃に、いち早く「小菅村に住んでいない人でも村を応援できる仕組み」を提案し、この村を好きな人々が「1/2村民」として、村外からさまざまな形で支援できる取り組みを始めた。
ほかにもオープンビレッジ等のイベント開催や村内ベンチャーの支援、タイニーハウスコンテストを行って小屋の実物を村内の各集落に点在させ、移住者用の住宅に充てるなどの施策を積極的に展開していった。
これらの取り組みと道の駅の開業、松姫トンネルの開通、地方創生の追い風などが重なり、2014に年間約8万人だった小菅村の観光客は、2018年には年間約18万人にまで増加した。しかし、嶋田さんには次なる課題が見えていた。
「観光客の増加は良い話ですが、本当に持続可能な村になっているかと言うと、観光客の90%以上が日帰りで、宿泊率は約8%と非常に低い。これでは村への経済効果は小さく、雇用が生まれません。滞在型観光を増やしていく必要があります。しかし新しい宿泊施設をつくろうにもお金はない。一方で、村内には100軒近くの空き家があり、これを活用した宿泊施設をつくれないかと模索し始めました」
中途半端な地域活性にはしたくない。自分自身が宿の運営者へ
過疎地で増え続ける空き家を、宿泊施設に転用する。アイデアとしては合理的だが、実際にこれを実現し、かつ継続的に運営していくのはそう簡単ではない。そんな時、嶋田さんは株式会社NOTEの存在を知る。兵庫県の丹波篠山にある限界集落で、村民との共同事業として空き家になっていた複数の古民家を改修し、宿泊施設やレストランとして活用しながら、持続的に集落そのものの再生を行っている会社だ。現地を視察すると、若い世代の移住も始まっており、新たな家族もでき始めていた。
嶋田さんは、NOTE代表の藤原岳史さんに相談し、小菅村の古民家再生構想を策定。村に点在する空き家をひとつずつ改修し、村の景色にとけ込みながら村民になったように滞在できる宿泊施設をつくっていく、「700の村がひとつのホテルに」という事業コンセプトを掲げた。
時を同じくして、最初に改修する空き家が選定され、5年以上空き家になっていた、村で最も歴史のある大型の古民家、通称「大家」が候補に上がった。
物件の目星もつき、残すは運営者を決めるだけとなった。関係者全員が、村の若者の中から担い手が出てくることを期待していたが、これほど大きな施設の運営となると相応のリスクも伴うため、1年経っても希望者は現れず事態は膠着し始めた。そこで嶋田さんは、自分が運営しようと腹を括った。
「こういう時、僕はだいたい手を上げちゃうんです(笑)。NOTEさんのビジネスモデルは非常に良かったし、小菅村の地域活性を中途半端なものにしたくないという想いもありました。やると決めてからは、死ぬ気で取り組みました」
村まるごとホテルを成功させるための3社共同の仕組み
「NIPPONIA小菅 源流の村」を運営している株式会社EDGEは、3つの会社が共同出資している。嶋田さんの株式会社さとゆめ、藤原さんの株式会社NOTE、そして小菅村が100%出資している株式会社 源(みなもと)だ。株式会社EDGEへの出資比率は、施設運営を担うさとゆめが最も多く、代表取締役には嶋田さんが就任した。
「今回のプロジェクトは1社だけではなし得なかったと思います。最もリスクをとって運営するのはさとゆめですが、『村全体がひとつのホテル』という、村と一体になった事業を目指しているので、村民からの信頼という意味でも役場が出資している会社が仲間に入っていることは重要でした。また、空き家改修による分散型ホテルの知見はNOTEさんが持っていた。この3社で良い体制がつくれたことが、効果的な事業開発につながりました」と嶋田さん。
特に、村の空き家を使うにあたり、そして金融機関から融資を受けるにあたり、村長の存在は非常に大きかったと言う。空き家活用が容易ではない理由の一つが、所有者からの信頼だ。村民にしてみれば、先祖代々大切にしてきた家や土地を、見知らぬよそものの事業のために貸したくない、という思いもある。ところがここに、村が出資している株式会社 源代表の村長が立ち会うことで、村民からの理解と協力が得られる。
また、金融機関に対しても、村が出資している会社がコミットしている事業であれば、取り組みの意義や信頼を感じてもらいやすい。実際に今回の融資においても、嶋田さんは地元の金融機関数社から「私たちは地域の経済が元気であってくれて初めて成り立つ」という言葉と共に、好条件で長期融資を受けることができた。
「お金を借りる時に、村長がついて来てくれるというのはレアケースだと思いますが(笑)、非常に心強かったです。地域で事業を行う上では、自治体や首長の協力は不可欠だなと思いました」
もちろんここに至るまでには、「道の駅」から始まった、嶋田さん自身の小菅村に対する誠心誠意の尽力の積み重ねがあり、それが村長との揺るぎない信頼関係の土台になっていることを忘れてはならない。
さて、後編ではいよいよ、「NIIPONIA小菅 源流の村」を訪れる若い世代がいったい何を求めているのか、そして嶋田さんが考える、一過性のムーブメントに終わらない持続可能なマイクロツーリズムと他地域連携について深堀りする。
(執筆:角 舞子)