【インタビュー】「孤独と不便」が面白い。スマイルズ・遠山正道の北軽井沢での「アートのある暮らし」

(プロフィール)遠山正道:1962年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年株式会社スマイルズを設立、代表取締役社長に就任。現在、「Soup Stock Tokyo」のほか、ネクタイ専門店「giraffe」、セレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」、ファミリーレストラン「100本のスプーン」、海苔弁専門店「刷毛じょうゆ 海苔弁山登り」を展開。「生活価値の拡充」を企業理念に掲げ、既成概念や業界の枠にとらわれず、現代の新しい生活の在り方を提案している。著書に『成功することを決めた』(新潮文庫)、『やりたいことをやるビジネスモデル-PASS THE BATONの軌跡』(弘文堂)。

「アート」という言葉は抽象的だ。よく分からない、実生活には関係のない、一部の人のためのもの。そんな印象を受ける人も多いのかもしれない。自分自身もそんなふうに思っていたことがある。しかし昨年(個人的な話で恐縮だが)30歳を迎えるにあたって、いくつかのアート作品を購入することになった。それらはずっと憧れていた同世代のアーティストたちのドローイングで、それ以来アートという存在が急に身近になり、アートと暮らしの関係についてもいろいろと思いを巡らせることが増えた。

たしかに、雑誌を見ても「アートのある暮らし」はいろいろなところで取り上げられている。しかし、なぜか実感がわかない。それはなぜだろうか。アートという存在は、はたして私たちの生活に、仕事や思考に対して、どんな影響をもたらしてくれるのだろうか。

今回はそんな「アートのある暮らし」をテーマにしたいと思う。お話を聞いたのはアートコレクターとしても有名なスマイルズ社長の遠山正道さんだ。あらためて説明するまでもないが、遠山さんといえば「Soup Stock Tokyo」やセレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」などを運営するスマイルズの代表。大学卒業後に三菱商事を経て、飲食業界に関して感じた違和感をもとに、三菱商事初の社内ベンチャー企業として株式会社スマイルズを設立した人物である。

「誰にでも、ビジネスもアートも起こりえる」

初期のアート作品 Untitled #2 (1998) Walter Wickiser Gallery, New York

「アートのある生活」を考える前に、遠山さん自身のことに触れておきたい。まず、彼はアートコレクターでありながら、アーティストでもある。さらには、アートというものを広めるための事業も行っている。あらゆる角度からアートに接している稀有な存在だ。

2018年には株式会社パーティーとの共同出資でThe Chain Museumという新会社を設立し、アーティストと個人をつなぐプラットフォームを作っている。翌年2019年には、アーティストを支援できる「ArtSticker」というアプリを公開。アーティストの作品に対して気軽に“投げ銭”ができるような仕組みを作ることで、ユーザーにとってもアートを身近に感じられるような体験を生み出した。

事業計画として「スマイルズのある1日」と題した1枚の絵

会社が苦境に立たされた際、事業計画として「スマイルズのある1日」と題した1枚の絵を書いた話は有名だが、1日1組限定の宿泊型のアート作品として「檸檬ホテル」を瀬戸内国際芸術祭で発表したり(現在は休業中)と、ビジネスとアートをこんなにもシームレスにつなぎ合わせる経営者は他にはいない。

「檸檬ホテル」(現在は休業中)

そんな遠山さんに「アートと生活」というテーマで話を聞こうと思ったところ、彼はこう切り出した。「誰でもアーティストになれる」。そして、ゆっくりと、こう続ける。

「アーティストというのは技術のことじゃなくて、自分自身の社会との関係性、態度みたいなもの。自分ゴトとしてなにかをやるというのがアーティストだと思う。人には『まわりから声がかかる人』と『自分から仕掛ける人』『そうでない人』の3つがあるけど、自ら仕掛ける側にいるというのがアーティスト。それは会社でも言えること。窓の新しい拭き方でも、アクリル板の設置方法でも、小さいことからでいいから、新しいやり方を見つけること。そういう態度がこれからの時代には必要になる」。

遠山さんはかつて、サラリーマン時代にはじめて絵を描き、個展を開催した。33歳の時だ。それが大きな転機になったという。

「あれは人生の中ではじめての意思決定、自己責任だった。絵の個展なんて誰に頼まれるものでもないし、開催することに合理的な理由もない。当時は子供も生まれたばかりで忙しいタイミングだった。だけど、自ら動いて世の中に問い、その反応をいただく。それが心地よかった」。

日常生活では、会社のせいだ、上司のせいだ、国のせいだと、ちょっとした不満もすぐに誰かにせいにしてしまう。しかし、自ら開いた個展の責任は全て自らにある。それが原体験となって、自ら仕掛けることの意味を知ったのだという。それから何度か個展を開きながら「Soup Stock Tokyo」の事業を始めた。すると、個展とは比べ物にならないほどの感謝・反応が届いた。「絵なんかよりスープ作る方が楽しいじゃん」。それから20年。気づけばここまで事業を成長させてきたのだという。

作家とともに成長できるのがアートを買う最大の楽しみ


そんな経営者・アーティストとしての側面に加えて、彼はアートコレクターでもある。その原点はすでに幼少期にある。彼は以前別の取材でこう答えている。

「小学生のときモネの《日傘の女》を観たのが最初の感動でした。あとは家にあった岡鹿之助(おか しかのすけ)という渋い洋画家の画集が好きで、よく眺めていました」。(https://www.artlogue.org/node/4491)

遠山さんの父が美術出版社を経営していたこともあり、ミッドセンチュリーのモダニズムを体現した自宅には、写真集やアート作品がすでに置かれていたという。その後、彼がアートを収集するようになるのは自然なことだろう。はじめて購入したのはおよそ30年前。結婚のタイミングで買った菅井汲(すがいくみ)の版画だったという。それは今も自宅の玄関に飾られている。

彼は現代アートを中心に買っているという。現代アートとは、今も存命の作家の作品を指すが、その理由は「作家とともに成長できるから」だという。

「ピカソの絵を持っていたとしても、彼に会うことはできない。でも、現代アーティストは5年後10年後に全然違う作品を作っているかもしれない。それはきっと本人もわからない。アーティストという特殊な生き方をしている人の断片が作品なのだとしたら、その作品は半分完成しているが、もう半分はまだ未来が残されている。作品を買うことで、その未来に加担することができるんです」。

作家とともに成長すること。それこそが、現代アートの醍醐味だと彼は教えてくれる。

「ちょうど昨日、アーティストの長谷川愛さんに会っていたんだけど、彼女は最近、貧困や固定化しない居住形態をテーマにしていて、貧困層が増えている現実の中で、これからどう豊かに暮らし、どう死んでいくことが幸せなのかを考えている。彼女の作品を鑑賞することは、そのテーマについて一緒に考えることでもあるんだ」。

作家の思考に自らを重ね、さまざまな可能性に思いを巡らせる。自分の知らない世界を垣間見る。それがアートを鑑賞することの大きな意義だという。それは、すごく納得ができる。自分自身も購入した絵を通して、(例えばひとつは中瀬萌さんという方なのだけど)彼女の考えている「地球のこと」を考えるようになったし、それ以来彼女の考えていることをSNSでチェックしたりやりとりをすることが出てきて、作品を通じて確実に新しい世界を知り、歩みを進めているという実感がある。

一方で、難しいことを考えるためだけにアートがあるわけではないとも彼は言う。もうひとつのアートの役割を彼は「瞑想に近いもの」。呼吸に集中し、頭の中を空っぽにすることで日々の生活の中に空白を生み出すのが瞑想だとすれば、アートもそれに近いもので、普段は活発に働いている頭の中の一部分が“スタンバイオフ”になるような感覚があるという。

「その絵の値段とか背景とかの情報は一切なくても良い。なんか気になる。そんな絵が椅子の前に飾ってあって、ぼうっと眺める。それも大事なアートの楽しみ方です」。

「孤独と不便」を愛する北軽井沢での生活

北軽井沢の「Tanikawa House」にあるアート作品たち

「アートと暮らし」にも目を向けてみたい。遠山さんは北軽井沢に「Tanikawa House」と呼ばれる別荘を所有している。谷川俊太郎の詩をもとに1974年に建てられた別荘で、建築は紫綬褒章も受賞している名建築家・篠原一男だ。この「Tanikawa House」にもいくつかのアートが置いてあるといい、それがまさに先ほど書いたような「ぼうっと眺める」ための作品なのだという。

「この家には写真もモノクロしか置いていなかったり、ベルナール・ブネというフランス人画家のモノクロの絵を置いていたり、かなり静かなものしかありません。この家は篠原一男の建築なので、あまり色を持ち込みたくなかった。むしろ家を預かっているような感覚なので、変に格好良くしたくなくて」。

家を「預かる」という感覚はアート作品に対する接し方と同じであるし、住環境にもこうして敬意を払えるのは、きっとアート作品の価値を知っていて、彼自身がそれに救われてきたからなのかもしれない。

しかし、この静かな家での体験が、遠山さんの価値観に大きく影響を与えている。北軽井沢での生活を彼は「孤独と不便」と表現する。北軽井沢駅から一日数本のバスで40分。そこからさらに歩いて数十分の場所にあるこの家。最近ようやく車を置いたらしいが、それでも不便な場所にあるこの別荘では、東京では味わうことのできない時間を否が応でも味わうことができるのだ。

「不便を望んでいるわけではないけれど、たしかに快適。電気も音楽もつけずに、明るい時間に料理を作って早く寝る。冬はとにかく寒いけど、毎日3回くらいお風呂に入ってゆっくりと考えごとをする。車を購入するまででは歩いていくしかないから担げないサイズのものはそもそも持ち込めなかった。東京とは逆行したこの場所での生活だからこそ、普段とは違う頭の働きが生まれる」。

スマイルズは「スマイルズ生活価値拡充研究所」を開設。今年、「不便」さから生み出される「益」に価値を見出す「不便益」を含む「未知なる益」の共同研究を開始した。「不便益」研究の第一人者で元・京都大学特定教授のの川上浩司氏と東京大学特任教授の平岡敏洋氏とともに「未知なる益」の研究を始めている。遠山さん自身の思想は、こうした会社の流れとも重なる部分があるだろう。

それは、表現するならば「活性化しきらない」ような状態だ。普段は働きすぎてしまう頭の中が平穏を保っているような感覚。かつて彼が大学で所属していた水上スキー部でいうところの「凪」の状態にも近いという。彼はちょうど今取り組んでいるという生のフルーツを使った「生彫刻」なる作品の試作品の写真をたくさん見せながら、こう教えてくれた。

「不便だからこそ、普段とは違う脳の働き方なのかもしれない。いろいろと思いつくのも、朝起きたてのベッドの中だったりするんです。だからこそ、アートを生み出す時だとか、大切な時こそ、この場所に行きたくなる。そこでは、自分の知らなかったゾーンがひらけていく感覚になって、日常だと気がつかないようなことに敏感になれる」。

未来において、アートはどんな役割を担うのか?

さて、かなりいろんな角度からアートと暮らしの関係性を考え、さらには彼の北軽井沢での生活から「不便益」ということまで話が膨らんでしまった。あらためて、ここまでの話をまとめてみよう。

まず、アートというものを分解してみると、それを見るという視点と、作るという視点の両方が存在していて、人は誰しもがその両方になることができる。むしろアーティストになるべきだと彼は言う。一方では、それが成長するきっかけとなり、他方では、自らの自己責任を生み、人生を面白くするからだ。それらはどちらもある意味では必要のないものだが、だからこそ、それが人生を、考えを予想し得ない方向へと連れていってくれる。

また、アートに接することで普段とは異なる頭の使い方になることがある。それは、北軽井沢での生活のように生活環境を大きく変えることでも生まれるものだが、もしかすると場所を変えずとも、アートに触れるということで違う世界へと逃避することもできるのかもしれない。かつてインタビューで彼は、アートを「(見えていない世界へとつながる)見えないトリガー」だと表現している。普段とは違う思考になれるからこそ、きっとこの違う世界への入口が開くというのも、アートが持つ力に他ならない。

最後に、私たちは「未来において、アートはどんな役割を担うのか」について聞いてみた。彼の答えはこうだった。

「ビジネスは四コマ漫画のように、起承転結がある。だけど、アートは一枚絵で何かよくわからないもの。もしかしたら、描いた本人でも説明ができないかもしれない。私たちは真っ当だからなんでもオチをつけたくなるけど、もっと心地よいことだったり、感覚的なことに気付いて愛でられたらいいと思う。これからは、誰でも社会に対して自覚的になるべき時代。高度経済成長期のように団体戦に乗っかっていればいいという時代ではない。そんな時だからこそ、アートが意識を自覚的な方へと導いてくれる要素なんだと思う」。

なるほど。ここまでまとめてみて、最後に私の感想でこの文章を終わらせようかと思っていたが、そう言ってもらえた以上はせっかくだから、その結論を書かないことにしておこうと思う。