【インタビュー・前編】田舎に”来る・住む・働く”をつくるゲストハウス。LODEC JAPAN合同会社たつみかずきさんに聞く、地方でリアルに暮らすこと?
「なにもない」が、ここにある……。長野県の北端に位置する、人口3000人超の小さな集落から成る小谷(おたり)村。古民家ゲストハウス梢乃雪(こずえのゆき)は、「なにもない」場所に建っている。
冬の積雪量は想像を超える。夏場だって、過ごしやすい気候ではあるけれど、アクセスがいいとは到底言えない。そんな不便な場所にあるのに、全国から「自身のふるさと」を求めて訪れる人が後をたたない。古民家ゲストハウス梢乃雪は、2011年にオープンして以来、その歩みを着実に進めてきた。
築150年程の古民家を改装したゲストハウスは、数え切れないほどの人々の行き交いを見届けながら、今日もまた新たなゲストを迎え入れている。
古民家ゲストハウス梢乃雪を運営するのは、長野県大町市に拠点を置くLODEC JAPAN合同会社。現在は梢乃雪のほか、もう一軒のゲストハウス(ゲストハウスカナメ)およびシェアハウス(シェア&コミュニティハウスmetone)を運営している。ご自身も移住者である代表社員のたつみかずき氏は、この地域に移住したいとの思いがある人々の受け皿となるべく、日々様々な活動を行っている。
このインタビューは前後編の二本立てで、たつみ氏にその思いをお聞きする。前編では、地域でゲストハウス・シェアハウスが果たす役割を中心に、また後編では、田舎での働き方と生業をテーマにお話いただいた。
キッカケは、山村留学だった
たつみかずき氏は大阪府高槻市に生まれ、その後京都で学生時代を過ごしている。ある意味、田舎とは無縁とも言える生い立ちに見えるが、どのようにして現在の活動に至ったのだろうか。
「僕ら世代だと、いわゆる”帰省する田舎”がない人も多いと思いますけど、僕自身もまさにそうでした。ただ、小学校4年生から3年間、山村留学という制度で長野県北安曇郡小谷村の小学校に通っていたのです。今はもう山村留学の制度はなくなってしまっているんですが、片道数キロの道のりを歩いて登校し、ありあまるほどの自然と触れ合って過ごした3年間は、僕の原体験となっている気がします。」
たつみ氏いわく、田舎での生活は、どこか「しっくりくる」感覚があったという。ただ、当初から田舎に興味があった訳ではない。地域創生を担うなんて野望は毛頭なかったし、学生時代から社会に出るまでずっと、京都での生活を謳歌していた。そんなさなか、企業戦士であった父親が定年退職を機に田舎への移住を決意。たつみ氏が24歳の時である。その時、縁に導かれるようにして父親が古民家を手に入れた。その建物が古民家ゲストハウス梢乃雪になった。
たつみ氏は、なかば勢いで父親とともに住まいを移すことを決め、幼少期を過ごした小谷村の役場職員として就村。ある意味カルチャーショックとも言える超ド級の田舎の洗礼を受けながらも、徐々に村の人たちとの交流が増えていった。
それと同時に、想像をはるかに超えるスピードで過疎化・高齢化が進む村の現実を目の当たりにした。少しでも、村の活力となるようなことができないだろうか……。たつみ氏の心の中で、「父親が手に入れた古民家を、人々が集まれる場として開放したい」という思いが湧き上がってきたのだ。
ゲストハウスを通じ、多くのゲストさんと触れ合う中で感じたこと
たつみ氏は前述のとおり、「田舎に移住したい!」という強い思いを持っていたわけではなかった。ある意味ひょんなことから、けれど、運命に導かれるようにして小谷村での生活を始め、増えゆく仲間とともに古民家ゲストハウス梢乃雪はその存在感を増していった。
「最初の2年間は大変でしたよ。僕らが手に入れた家はまだ状態がいいほうでしたが、それでもあらゆることが試行錯誤の連続で。何しろ、本当になにもないところに、人を呼び寄せないといけないわけです。けれど次第に、新規のお客さんだけでなく、各々の『ふるさと』として、梢乃雪に来られるリピーターさんも増え始めました。僕らは、ゲストハウスの宣伝は自社の媒体でしかしていないんです。ホームページとFacebookとチラシだけ。それなのに、どこかで見たり聞いたりしたと言って、今では多くのゲストさんがいらしてくれます。こんなに不便な場所にもかかわらずです。」
たつみ氏は梢乃雪の運営を通じ、ゲストハウスは「田舎への入り口」となる存在だと感じていた。帰るべき田舎やふるさとを持たない人も多い、若い世代が、テレビで見たことしかない「昔ながらの日本」を気軽に感じられる場所。そして、都会とは全く違う時間と空気が流れる場所。梢乃雪に来れば、同じ日本にも異なるライフスタイルが存在することを肌で感じることができる。
移住を考えている人がイメージする田舎と、実際の田舎暮らしとのギャップ
たつみ氏は、ゲストハウスの運営を通じ、多くのゲストさんと触れ合う中で、田舎への移住を考える人たちとの交流も増えていったとう。
たつみ氏が活動の拠点とする北アルプス山麓地域は、圧倒的な存在感を放つ山々の眺めや、のどかな田舎の景色、そしてゆったりと流れる時間と丁寧な暮らしに魅了され、移り住みたいと考える人も多いエリアだ。
しかし、たつみ氏は移住を考える人たちと話をする中で、「移住のハードルはかなり高い」と思わざるを得なかったという。[protected]
「移住とは、ある意味人生を賭けた決断とも言えます。世の中では、移住がブームになっているように言われることもありますけど、移住するための仕組みはまだまだ整っていないというのが肌感覚としてあって……。普通は仕組みが整って流通にのることでブームとなるけれど、移住に関しては声高に叫ばれてる割には、まだ中身が伴っていないのが実情だと思います。」
「田舎のゆったりとした丁寧な暮らし」というイメージだけでは、その地域でどのように稼ぎながら暮らしていくのか、なかなか実感は湧いてこない。
移住を考える人たちにとって、現実問題としてどうやって働き、住んでいけばいいのか、その情報提供を行う場の必要性をたつみ氏は感じていた。
「シェア&コミュニティハウスmetoneは、移住を考える人たちが、気軽に地方に住んで時間を過ごして欲しいという思いで始まりました。すでに運営している2つのゲストハウスが田舎への入口だとすると、このシェアハウスは、いわば田舎の住みかづくりのためにあります。ひとことに暮らすといっても、都会のマンション暮らしと田舎暮らしは全然違います。都会では、仕事終わりに寄れる飲み屋だったり、週末のイベントだったり、暮らすこと以外に楽しみがありたくさんある。でも田舎では、暮らすことに様々なことが付随してきます。それは地区の集まりや祭りだったり、このエリアだと、冬は除雪作業をしなければ家から車を出すこともできなかったり。そういったことを、まずはシェアハウスで時間を過ごし、田舎暮らしを徐々に知っていければ、移住のハードルは少し下がるのではないか。僕たちは、シェアハウスの住人が地域を知り、地域の人たちと交流することを、全面的にバックアップできたらと考えています。」
metoneとは芽と根という意味。地域に芽吹き、地域に根を張るという思いを込めている。このシェアハウスに滞在したプレ移住者たちが、今後どのようにこの場所で芽吹き根を張っていくのかが楽しみだ。
地方創生というコトバに対して感じること
日本における人口減少や少子高齢化、そして経済のグローバル化の進展は、言うまでもなく地方に多大な影響を与えている。過疎化が進み、廃村や廃集落等が進行していくことも予想される。
たつみ氏にとって、自身が幼少期を過ごした小谷村も、例外なくその影響を受けている現実を目の当たりにしたことが、現在の活動に至る原動力となった。
政府の国内政策の目玉でもある「地方創生」。にわかに叫ばれ始めたこのキーワードについて、たつみ氏はどのように感じているのだろうか。
「僕は、地方創生というコトバ自体にはあまり興味がなくて。なぜなら、地域を活性化しましょうとよく聞きますけど、それって結果としてそうなるべきものなんです。地域ってなんだか広いようなイメージがありますが、結局は人の集まりの集合体でしかありません。地域活性といっても、地域という枠組みの話ではなく個々人の話なのだから、ひとりひとりがどうやって生きていくか?そこにフォーカスしなければならないと思っています。ひとは1人では生きていけないわけで、そのコミュニティの中の様々なタスク(仕事)をシェアして生活していく。ミニマムな経済が連鎖することによって地域経済となっていくことが必要なんじゃないかって思ってます。僕は、この地域で暮らすことを選択した人たちひとりひとりが、住みかと生業を持って、この地域と共に発展していくための方法を考えていきたいんです。」
この地域に移住して7年。日々地方のリアルを感じてきたたつみ氏にとって、にわかに叫ばれ始めた地方創生という聞こえのいいコトバは、どこか絵空事のように感じるのかもしれない。
近年のインターネットを始めとするインフラ網の整備は、私たちを「場所」から解放しつつある。暮らしていくのは、都会だって田舎だっていい。そのどちらにも、それぞれの楽しみがあって当然なのだから。誰しもが、どこの場所にいたとしても、「住みかも生業も選択できる未来の創造」を掲げるたつみ氏。後編では、地方での働き方と生業をテーマにお話をお聞きする。
(写真提供:LODEC JAPAN合同会社)[/protected]