【インタビュー・後編】「賃貸なのにセルフリノベOK」を可能にした、MADな仕組み・ 株式会社まちづクリエイティブ|Re:Tokyo

住人とのコミュニケーションに対しては専任の担当者が日々対応している。
住人とのコミュニケーションに対しては専任の担当者が日々対応している。

半径500メートルの範囲限定によって、街と身体がシンクロする

── MAD Cityは半径500メートルにその範囲を限定していますが、それも経験値からきているのでしょうか。

小田

半径500メートルは人が歩いて行ける範囲です。例えば猫って自由気ままに歩いているように見えて、半径500メートル内しか移動していないらしいんです。

また、きっと皆さんそうだと思うんですが、生活圏内と呼べる場所ってせいぜい歩いて10分、15分の間ではないでしょうか。先行事例でも、コンパクト・シティを実現したポートランドでは半径800メートル以内を開発対象地域にしています。

寺井

日本のコンビニエンス・ストアはその商圏を500メートルに設定していると聞いたことがあります。経験則的にもその程度が生活徒歩圏であると考えて500メートルを採用したのが始まりです。

── 生活する側にとっては徒歩圏内に街の機能が凝縮していたら便利ですし、まちづくりの観点からは、街の範囲を限定することで多様性が生まれそうですね。

寺井

500メートルの範囲限定には、身体的に近いと感じられる場所に人を呼び込んで、コミュニュケーションを活発化させる狙いがあります。日常的に生活をしているなかで、自然と出会って立ち話をするだろうとか、すれ違いざまに挨拶するだろうとか、そういうことが起こりそうな距離感が大切だと思っているんです。

MAD Cityのフラッグシップ的な存在であるMADマンションは、広々とした屋上が共有スペース。不定期で住民によるイベントが行われている。
MAD Cityのフラッグシップ的な存在であるMADマンションは、広々とした屋上が共有スペース。不定期で住民によるイベントが行われている。

── MAD Cityの公式ウェブサイトには、住人のコラムも掲載されている。そこには在住アーティストの創作への思いが綴られていたり、地域情報の紹介があったりする。

もしもそれを目にするのがFacebookやTwitterだったら、どこかで打ち上がっている花火を見るようなものかもしれない。しかしMAD Cityのウェブにある情報は、ごく身近な、足を伸ばせば行ける千葉・松戸で起きていることであり、今日擦れ違うかもしれない人のことなのだ。

多様性を保ちつつ、コミュニケーションを活発化すること。それは人と人のつながりの不足によって、クレームが多発する渋谷の街を見てきた、寺井さんだからこそ心を砕く部分でもあるのだろう。

物件情報、イベント情報やコラムなどを掲載。情報密度が濃いウェブサイトだ。
物件情報、イベント情報やコラムなどを掲載。情報密度が濃い公式ウェブサイト

東京は、もっと東京であって欲しい

── MAD Cityは5年を経て成長し、今や住民にとってのシェルターの役割を果たしつつあるように見えます。

東京という都市に限界を感じ、MAD Cityを作ってみて、東京に対する見方は変わりましたか? 寺井さん小田さんは、今も東京での仕事もしていらっしゃいますし、住人の方も仕事の拠点を東京に置いている人も多いと思います。中心としての東京は、やはり必要でしょうか。

寺井

必要だと思います。先ほど(前編で)クリエイティブ層が集まる都市の概念に言及したのですが、一方で注目されているのが金融都市です。投資や投機といった産業が集積している都市を指すもので、僕は東京にはその道を突き進んで欲しいと思っています。

もちろん東京のなかにも地方性のあるエリアは出てくるでしょうし、僕自身がそういった地域に関わることもあるかもしれません。

でも東京のセントラルは、もっとなりふり構わずファイナンス中心で非人間的になることを意図的に選び取るぐらいでいい。その方が東京の魅力は引き出されるし、面白いと思うんです。

小田

東京は、そもそもクリエイティブシティじゃないんです。真ん中の人達はファイナンス重視で、だから「クール・ジャパン」なんて言い出す。もちろん、ファイナンス側のクリエイティブに対する意思決決定には構造的な欠陥があることは理解できますが、結果的に骨抜きされ、創造性のかけらもなくなってしまっているということに、皆気づき始めています。

そして僕自身は、それを悪いことだとは思いません。ファイナンスがないとマーケットが生まれないし、マーケットに見初められないとアートも活性化しない。だから金融都市はそれが存在すること自体に価値があります。僕が東京に住み続けているのも、そういった相反する可能性を感じているからです。

寺井

自分の拠点をそこに置かないだけで、僕はそういった街を全否定しているわけではないのです。僕らもそこへ仕事をしに行くでしょうし。

金融都市に違和感を感じる人は、仕事などで部分的には関わりながら、クリエイティブシティに軸足を移すという共生のあり方でいいのだと思います。その一つにMAD Cityが選ばれるようになりたいですね。

── まちづクリエイティブが懸念しているのは、東京の中心がMAD Cityのような地方の事例に感化され、中途半端なまちづくりを始めることだという。

小田

そういったものが欺瞞でしかないケースが多いからです。部分的な心地良さによって、僕らが構造的に搾取される側であることに、気付けなくなるのはヤバいですね。都市部の大規模開発は、私企業の利益のために行われるものであって、巨大な格差を前提に成り立っている。

その構造に居づらさを感じている人が、MAD Cityにやってくる傾向はあります。

寺井

極論を言えば、中途半端に田舎臭くなったりせずに、東京はもっと「東京」であり続けて、資本主義の追求による発展を目指して欲しいです。
ビジネスに邁進して、住みづらさなど気にせずビルを乱立させたらいいんです。壁だって思い切り厚くして、隣に誰が住んでいるかなんて、分からなくなった方が良い。それが東京の個性であり、これまでの蓄積を生かすことでもあると思います。

東京にエコなんて不要で、もっとエゴと経済的な効率を追求しないとダメです。そういう東京にできないことを、僕らはMAD Cityでやっていこうと思っているんです。

── 取材の最中、小田さんに「あなたはこの連載で、東京に対してどんなインサイトをもたらしたいですか」と聞かれた。

東京オリンピックに向けた大規模開発に疑問があることや、もっと地方に開かれた東京であって欲しいことなどと答えたが、彼らの話を聞いた後では、ふんわりとした「いい感じの東京」というような未来像は、もはや幻想でしかないようにも思えてくる。

今ある東京がディストピアだとするなら、ありのままを面白がればいい。振り切れたスタンスに立ってみれば、逆にここでは得られない価値にも気付くだろう。

まちづクリエイティブの人々は、すでに自分にとって必要なものに気づき、それを共有するべくMAD Cityをつくり出している。そのプロジェクトは、現状を息苦しく思う多くの人の心を、軽やかにするのではないだろうか。

東京からごく近い場所にだって、別世界は得られる。自分にとってのシェルターがあれば、その分大胆に外の世界を渡り歩くこともできるはずだ。