【インタビュー・前編】「自分が欲しいモノ」を作り出す、弁理士・ミュージシャン・発明家という生き方:小川コータさん
所長弁理士として特許事務所を経営し、2010年には都心にほど近い鎌倉に移住し地域密着型ミュージシャンとして活躍している小川コータさん。AKB48やももいろクローバーZなどに楽曲提供する作曲家としても活動するほか、スマートフォンやタブレットに搭載される「フリック入力」を生み出した発明家という顔も持つ。
今回はマルチな才能を余すところなく発揮する小川さんの活動の根底である「自分が欲しいモノを作り出す」ことにフォーカスし、パラレルキャリアな生き方についてお話をうかがう。
<プロフィール>
慶応義塾大学法学部政治学科卒業後に27歳で弁理士となり、その後、東京工業大学大学院修士課程を修了。2年半の特許事務所勤務を経てアイザック国際特許商標事務所を設立、所長を務める。株式会社ハイキックエンタテインメントに所属する作詞作曲家。AKB48、ももいろクローバーZ、パク・ヨンハ等に楽曲提供。鎌倉で地域密着ミュージシャン「小川コータ&とまそん」として活動中。
「音楽で食いたい!」
学生の頃から「音楽で生計をたてたい」という夢を持っていた小川さん。大学を4年間で卒業するも、科目等履修生としてさらに1年間を学生として過ごし、英語の教員免許を取得。しかし、英語教員は他にもっと適した人材がいると考えたことから、その後もアルバイトをしながらライブ活動をしていたという。とはいえ、音楽の世界で一旗揚げることは難しく、だんだんと金銭的にも余裕がなくなり・・・・・・そこで小川さんは大胆かつ、誰もが一度は思い付きそうなアイデアで一発逆転を試みることに。
「何か発明して特許を取って一攫千金を狙おう!」
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発明家を目指すつもりが弁理士の道へ
日比谷駅から有楽町駅までの地下道がとても長いのを知り、「自分が通勤でこの経路を自分が使うなら、通勤バッグからスケボーを出してシャーッと行きたい」と考え、小さく折り畳んで通勤バッグに仕舞えるスケボーのようなものを発明した小川さん。しかし、発想は良かったものの特許庁に特許を出願する手続きに四苦八苦した。
「発明の内容を文書や図面で記載した明細書を、インターネット上の情報を参考にして形にするまでは何とか自分でできた。でも『拒絶理由』という書面が特許庁から届いてからの対応に困っちゃって。周囲に相談したら、弁理士という資格をもつ特許の法律の専門家がいることを知って、弁理士会の無料相談に行ってみたんだ。でもお金がないからアドバイスをもらいながらも結局全部自分でやったけどね」(小川さん)
この発明は権利化できなかったが、小川さんは弁理士という職業に初めて触れたことで「発明の良し悪しだけじゃなくて弁理士の力量で特許が取れたり取れなかったりする。それってすごい面白いことだ」と思ったそう。さらに無料相談で会った弁理士の先生に自力で作成した明細書の出来を褒められたことも後押しになり、弁理士の資格を取得することを決意。2年間の勉強の末、超難関の弁理士試験に合格した。
弁理士資格を取得してから大学院に通い、起業
弁理士会の無料相談で知り合った先生の事務所に合格の挨拶に行くと、「今日からうちで働いてくれ」と言われ、そのまま弁理士として特許事務所に就職。事務所勤務の傍ら、東京工業大学の大学院の修士課程に進学した。
「事務所の所長が『理系の学歴がなくて苦労した』と言ったのが気になって。弁理士は技術を権利化する仕事なのでクライアント企業も技術系の方が多く、文系出身だとナメられたりもするのかなと。そこで就業時間が終わったあとに東京工業大学の大学院に通うことにしたんだ」(小川さん)
大学院に通いながら、インターネットのショッピングサイトなどで関連商品を閲覧者に勧める「リコメンドエンジン」のアプリケーションを開発して会社を設立し、修士論文のテーマにした。そのアプリケーションは大手新聞社のサイトにも搭載されていたが、会社は数年で畳んでしまったという。
「当初はこのアプリケーションで特許を取ろうと思ったんだけど、リコメンドエンジンとは演算処理なので数学そのもの。数学自体は特許にならないから、そういうものにイマイチ興味がなくなってしまって。この事業はビジネスとしては成功しそうだったけど、ほかにもやりたいことがあったから辞めちゃった。今ではリコメンドのニュースアプリ、有名なのあるよね。あれよりだいぶ先駆けてたんだけど」(小川さん)
大学院の修士課程を修了してすぐ特許事務所を退職して独立、虎ノ門に事務所を構えた。しかし当時はリーマンショックで特許業界は不況の真っ只中。必然的に音楽に時間をかけることができるようになった。
後編では、小川さんが発明し、スマートフォンやタブレットの文字入力ですっかりお馴染みになった「フリック入力」についてや、東京から移住した鎌倉での生活、「紅白に出たい!」と語る音楽活動についてお話をうかがう。【後編に続く】
写真提供:小川コータ
小川コータ&とまそん
アイザック国際特許商標事務所 [/protected]