木曜喫茶 〜Discussion like a Radio〜vol.2 後編「フラットな組織」ってなんだ?


YADOKARIメンバーが夜の喫茶店で駄弁っているような、あれやこれやの盗み聞きラジオ「木曜喫茶 〜Discussion like a Radio〜」。第2回は、「「フラットな組織」ってなんだ?」。

「世界を変える、暮らしを創る」ビジョンの下、住まい方だけでなく新たな働き方も探求するYADOKARI。会社の成長に伴い所属するメンバーの人数が増えていった時、どう組織の形は変わっていくのか。変えていきたいのか。YADOKARIメンバーがお菓子をつまみながら、ざっくばらんなラジオのように掘り下げています。

前編はこちらから。

「フラットな組織」ってなんだ?

さわだ「僕はそれぞれ個人が責任と自由度を持って何かを決めて進んでいくことが幸せだと思っていて。そういう組織やコミュニティを作りたい、目指したいと思っているけど、みんなとディスカッションして意見を聞くとそうでもなかったり?みんなにとっての幸せな組織形態って何なんだろうと思う。」

きむら「メンバーに責任と自由さを持ってもらった時に、その人に対してどのくらいの影響力を作ってあげるかなのかと思って。会社としての方針や大切なものを決める時に、どれだけの影響力があって行使できるのか。コモンズでの有益な人数が影響力というものに起因するなら、それをデザインすることが、フラットな組織に通じるのかなと思う。」

りおな「仕組みとしてと、態度としてのフラットさもありそうだなと思う。投票権とか、合意形成の仕組みがある以外でも、体感として例えばYADOKARIに所属していることが価値がある、繋がっている、役に立っていると思える瞬間があれば、豊かというか。働く姿勢としてのフラットさも感じられるので結果いい組織だな、となるかもしれない。」

きむら「自分が組織のトップだとしたら、その瞬間のデザインをどう提供していく?」

りおな「枠組みを人工的にやると、うまくいかないのかなと思う。むしろトップが弱音を吐ける、ワンピースのルフィみたいな。その弱さを補うメンバーが集って目的を達成していくというか。リーダーを助けてあげたい、と思えるようなトップだといいかも。」

さわだ「それぞれの強みがあって役割を全うする。弱いルフィのために何かをやりたいって。それが海賊王になることやよりよい暮らしにも繋がっていくってことだよね。そういう意味ではYADOKARIもリーダー弱いからいいよね、鬱になって休んじゃうし。笑 その良さも何となくわかるけど、もう一段階高いレベルでフラットな組織を考えてみたいんだよね。」

きむら「僕らが巻き込まれている完成された資本主義、システムを正確に捉えられているのかなと思う時もあって。資本主義のシステムってある意味完成されすぎているから批判する人も少ないなって。今回っているシステムってなんなんだろう。それを理解した上でいえてるかなって。

ゆき「株式会社ができる前も同じような議論があったような気がしていて。株式会社自体も、それを解消するための一つの仕組みで。全否定する必要はなく、新しいものを作ろうとする時に、取り入れられるものもあるかもしれない。その正反対をトライしようとしている組織があるとしたら、そこで何がうまくいって、失敗しているのか。新しいものと古いもの両方みて考えてみるのもいいかも。」

りおな「日本ってお客様至上主義のなかで。逆に働き手の豊かさ主体になったら、その先に創造されていくものってなんだろうと思う。」

きむら「その時発生しうる問題はなんだろう?サボり放題とか?笑」

さわだ「売ってもらえないとか。笑」

きむら「信頼関係の中でできるのかも。クライアント側のメリットってなんだろう?」

りおな「クライアントとしても働き手としての優先度が高いとしたら、何よりも大事なのは自分の人生だとなった時に、今は利益=お金が最上だけど、何が仕事のことの対価になるんだろう。」

ゆき「一斉にそういう社会になったらそこってやり取りできるかもしれないけど、今の、隣の企業は8時間働いていて夜中でもレスポンス返せます!という状況の中で、仮に4時間しか働かないファーストペンギンが選ばれるためには、何が必要なんだろう?」

きむら「持てるものだからこそ言えるんだろうな、という気はした。実際に3時間で提供できる人は、3時間しか働かねえ!と言えるかもしれないけど。もしかしたら逆にめちゃくちゃ競争社会になるかもしれない。」

ゆき「逆競争社会になったら面白いけどね。今は22時まで営業できます!みたいな店が選ばれがちだけど、18時閉店でーすという店があえて選ばれるような。笑」

きむら「資本主義って100年後にはみんなに利益が行き渡る、と言われていたけど、実際そうなっていなくて。slackとか便利なものも出たけど、あまり働く時間は減ってないし、豊かになってない。限られたものをさらに切り売りしていくような。とことん利益を追求する、まさに資本主義的なものなのかもしれないけど。」

さわだ「お金は根源的に物々交換の間に入るような役割としてできたものなのに、現代では金融資産や不動産、株なんかを通じて、お金がお金を生むような方法も多くなってしまって。金を持っている人がさらにお金と権力を持っていくし、その差はこれから開いていく一方で。その差デカ過ぎない?ってのは僕も疑問で。そうなっちゃったら権力側からその仕組みを壊したいとは言わないよね。」

きむら「本来会社が富んでいくことで下の人たちにも富が分配されるはずだけど、結局富野分配が起きていないんですよね。」

さわだ「会社組織に関しても株式の有無でオーナー側と従業員で資本の差ができてしまって。僕はどちらかというと富を得る側、体制側な位置にはいるとは思うけど、それを壊してみたくてうずうずしている。笑」

能力じゃない、タグ付け採用。


りおな「もしYADOKARIがフラットな組織になったら、メンバーは戦友なのかな、ライバルなんですかね?」

さわだ「どっちでもあるかもね。それぞれが自分の強みを発揮しつつ、その個同士が切磋琢磨して、一人でクリエイトするよりも皆んなで生み出す物の方が価値ができたり、そのプロセスが面白いという仕組みがYADOKARIで作れないかと思っていて。あいつがいいもの作ってるから負けずに頑張ろうみたいなのはライバルであり仲間であり、個なのかもね。」

りおな「個々の強みや持ち寄れるものって可視化されていた方がいいんでしょうか。タグみたいな感じで。サンジはコックで人一倍優しくて・・・みたいな!」

さわだ「そうなりそうだね。自分が得意な分野のタグは大きく表示されてたり。」

りおな「面接とか履歴書では出さないけど、働きながらそれぞれのアイテムがわかるというか、仮に弱みだとしても、コレクティブとして有機的な組織になることもあるかも。営業とかスキルだけで判断されない世界。」

さわだ「そういえば、僕が通っている鎌倉のシーシャ屋があって、大学生の店員だけどめちゃくちゃシーシャに詳しいこがいて。YADOKARIで働きたいっす!って言ってくれるんだけど・・色々と考えた結果、YADOKARI×シーシャ、ちょっとアリかもと思ってきたりして。笑 タグで言うとシーシャって表示されてるんだろうね。

例えばGoogleは社食のシェフを世界のレストランから引き抜いてきて、社員は無料でレストランを使えたりするわけじゃない。そういう福利厚生的な意味合いだと、シーシャが作れる人が疲れた他のメンバーを癒したり、そこでコミュニケーションを誘発したり、究極のリラックスってなんぞやって違う発想が生まれたりするというのはイメージできる。そういう意味でも一見役立たなそうな奇抜な能力であっても大切にした方がいいかもね。営業とかプロデューサーのスキルを持っていた方がもちろんすぐに活躍できるけど、エッジのきいた特徴があればあるほど、会社と掛け合わせると結果的にいいのではと思う。」

ゆき「奇抜な能力を持っている人が社員か副業、プロジェクトベースで入っていることの違いはあるんでしょうか?」

さわだ「そうだねえ・・・。社員で入った方が面白いよね。笑」

ゆき「会社の成長途中、売り上げを伸ばす時って営業や即戦力的な能力が欲しくて、ただ奇抜な能力を持った人を取りづらい雰囲気もあるけど。その時、ある程度成長した後奇抜な人をとるのか、今あえてとるのか、どちらもメリットデメリットあると思うけど、さわださんはどう思いますか?」

さわだ「採れるなら早く採りたいよね!楽しそうじゃないっすか。笑 みんなの思考が広がったり、影響しあうことで、面白いアウトプットに繋がっていくと思うし。世の中に新しい視点やイノベーションの種になっていくんじゃないと。それはすぐ目の前の商品が売れていくことに繋がらないかもしれないけど、いずれそういう世界の方が資本主義的にも儲かることになるんじゃないなか?って。」

きむら「会社に必要な能力ってなんだろう、ってずっと思って。AIでプレゼン資料を作るとか、オートマティックに結構できてしまう。気づいている人はいるし、気づいていない人はいない。そういうものをうまく使えて、システムがバグと思えるようなちょっと尖った価値観をいかに付加できるかとか。「能力」って何だろうな?って思う。」

りおな「一般的に仕事ができると言われていたものが、本当に必要なのかってことですよね。個人でもどんどん仕事ができる時代に、組織でやるときに、どういう人が欲しいかということかな。」

きむら「そういうシステムをどう向き合って作って使い倒していくのか。そのベースラインがあった上で、ある程度のものを機械が作ってくれて、人間がその先を作っていくことって、今よりも楽であり、楽しい部分が増えることなのかなって。」

りおな「例えば社内コミュニティビルダーのような形でYADORESIに奇抜な発想を持った人を入れるとか。日常的に社員メンバーとコミュニケーションをとって、仕事が捗るとかと言うより、違う部分に働きかけることで効果検証とかできるかなあとか。変わった能力を持った人を入れて、面白いアイディアを添加してもらう。」

さわだ「お見合いおばちゃんみたいな。」

りおな「超お節介な人も、なんもしない人もいるかもしれないけど。実験的にいいかもと思った。」

さわだ「AIに代替できないことって、より人間的であり動物的なことだったり、体験とかエンタメとかでしょうね。今後欲しい人材のスキルって。」

きむら「チャットGDPとかも、くだらない質問したらくだらない答えが返ってくるので、面白い質問が大事。その背景となるのは、経験で。例えば100カ国回ってきた人とそうでない人で、出せるものって違うかなと思うし、今以上に経験がものをいう世界になってくる。テクニックよりも経験なのかなと思いました。」

さわだ「その人のオリジナルの視点なのかな。」

きむら「どういう視点を持っているか。世界から何かを作ることはもうサポートできる技術があると仮定するとしたら、その膨らます世界をどう持っているかを持っていることは大切だし、そういう人がテクノロジーを身につけた時に、ものすごく跳ねることになるんじゃないかなと。」

ゆき「その経験の得方って、旅するとか本を読むとか、その人によってなんでもいいのかな?」

きむら「わからない。さっきのカビの話じゃないけど、場所に紐づく経験やコミュニティって沢山あると思うし、そういうものを大切にした方がいいんじゃないかなという予感だけはある。」

さわだ「コミュニティね。自分の居心地のいいところで何かを作っている状態。」

りおな「自分と違う価値観に会うということなのかな。」

暮らしのアーティストから、暮らしのエンターテイナーへ


さわだ「AIに代替できないものの一つとして、エンタメ面白いって話をしたと思うんだけど。

YADOKARIも個性を強みとして出すこと、思考停止せず自分の暮らしを作っていく人たちを「暮らしのアーティスト」と定義してたんだけど、最近少し変わってきているかもなと。

アーティストって自分の根底にあるものと正直に向き合いながら、常に葛藤しながらなんとか答えを出すもののというか、常に自分と戦っているイメージというか。それをこれまでの10年でやってきた感じで。これからさらに文化を広げることを考えたときに、そろそろやり方や見せ方を変えないといけないんじゃないかと思っていて。暮らしを楽しそうにやっている、真似したいという世界の方がみんな一歩踏み出しやすいんじゃないかと思っていて。そういう意味で、アーティストよりも「エンターテイナー」の方がしっくりくるかもなあって。」

ゆき「人を喜ばせるといいうか自分自身が楽しんでいる状態?」

さわだ「そうそう、どっちもだよね。自分が本気で楽しいと思っていたら、見てる人たちもやってみたいなと思うこともあるだろうし。」

ゆき「楽しんでいるものに人が引き寄せられているというか。」

りおな「エンターテインの語源は人間内部の心を変化させる何か、らしいですよ」

きむら「エンターテインって、基本的には自分ではない誰かを喜ばせる・慰めるという意味ですね。だから、そこに自分という軸があるときは違う定義になるのかも。」

ゆき「消費されない方がいいかもしれないですね。評価されるものとか、ウケるものをやってしまうと違うかも。」

りおな「そういう意味でお祭り、カーニバルというイメージは好き。笑(りおなの名前の語源はブラジルのリオのカーニバル)」

さわだ「お後がよろしいようで。笑 僕のYADOKARIの活動のイメージって「祭り」が近くて、メンバーと一緒にYADOKARIという神輿を楽しんで担いでいると、だんだんオーディエンスが増えていって、その中からも担ぎたい人がどんどん出てくるような。あと目指す方向に関しても、その時々の流れやその時にエネルギーが強い人に引っ張られるみたいなことがあっても面白いんじゃないかと。経営者が全部決めるんじゃなくてね。そんな組織を目指していきたい。」