【鏡祭トークセッション②「縁」えにし】愛でつながる文化圏を企業は創造できるのか?

2024年7月6日、YADOKARIは創業10周年を記念して、1人ひとりが自分の人生を取り戻し新しい世界を創っていくために、“自分と、他人と、世界と向き合い、共に行動するための集い”「鏡祭」を開催した。イベントテーマ「180 〜めざす、もがく、変わる〜」の下、各界のゲストを招き、今向き合いたいイシューについて行った4つのトークセッションの様子を、YADOKARIに関わりの深い3人のライターが「鏡」となり、映し出す。本記事は、セッション②「縁」のレポートだ。

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「鏡祭」の会場となったのは東急プラザ表参道オモカド内にある「おもはらの森」

はじめに

上京した10代の頃から数え切れぬほど通ったラフォーレ原宿のある交差点を見下ろしながらYADOKARIの10周年に立ち会うことになるとは、過去のどの瞬間にいる私も想像していなかった。新卒で最初に入った東京の会社のデスクで、PCの画面越しに法人化する前のYADOKARIを初めて見つけてから10年以上が経つ。2社目の会社の仕事で偶然にさわだ・上杉と対面し、数年後に自分が独立してライターとなり、YADOKARIのメディアで記事を書かせてもらう日が来るなどということも、どれ一つとして私が計画したことはない。合縁奇縁の連続。それが私とYADOKARIとの関係である。

そのYADOKARIは近年、投資家からの資金調達を開始し、さらなる成長へ向けてアクセルを踏むことを選んだ。資本主義の中で急速に成長しながらも、社員はもちろんYADOKARIに関わるすべての人々と「愛」でつながり続けられる文化圏を創造したいと、さわだは言う。

「僕らも“縁”を大切にしているんです」と、独立して間もない頃の何者でもない私に、かつて上杉は言った。10年目を迎えた YADOKARIが、この先どのような心持ちで人との縁をつないでいこうとしているのか。熱気に包まれた空中の森で、私は4人の対談に耳を傾けた。

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◆セッションテーマ:縁|えにし 
家族とパートナーシップと組織、合縁奇縁、本来性、依存と自立

【ゲスト】
●田中元子|株式会社グランドレベル代表取締役(写真左から2人目)
建築コミュニケーターとして建築関係のメディアづくりに従事後、2016年「1階づくりはまちづくり」をモットーとする株式会社グランドレベルを設立、2018年私設公民館として「喫茶ランドリー」を開業、同年グッドデザイン特別賞グッドフォーカス賞(地域社会デザイン)。設計コンサルティングやプロデュースなどを全国で手がける。主な著書に「マイパブリックとグランドレベル」「1階革命」(晶文社)ほか。

●立石慎也|パフォーマンスデザイン有限会社 代表取締役社長(写真右から2人目)
「存在の百花繚乱」をテーマとした意識の深化と発達に特化したエグゼクティブコーチ/「識育コーチング®︎」開発者/コーチ養成トレーナー。23年の経験を持つCEOとして、二つの会社を率いる。成人発達理論やインテグラル理論などを駆使して、プロアーティストや中小企業の成長や社会活動を支援。2022年9月からYADOKARI株式会社の人材・組織開発顧問も務める。

●さわだいっせい|YADOKARI 代表取締役 / Co-founder(写真左)
兵庫県姫路市生まれ。ミュージシャンを目指し上京。デザイン専門学校卒業後、アートディレクター/デザイナーを経て独立。2013年YADOKARI創業。逗子の海近くのスモールハウスをYADOKARIで設計、居住中。

●山下里緒奈|YADOKARI プロデュースユニット (ファシリテーター/写真右)
東京都国分寺市生まれ。デンマーク留学中、暮らしに溶け込む「遊び」の価値観にどっぷり浸かる。冒険遊び場やラジオパーソナリティ、国分寺のまちの寮での活動を経て、2022年にYADOKARIジョイン。名前の由来がリオのカーニバル。

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愛と合理性

山下: YADOKARIは元々さわださんと上杉さんが2人で立ち上げた半ば趣味のような活動から始まって、創業10年目を迎え、メンバーも30人近くに増えて成長している中で、会社として人との関わり方や向き合い方を考えるフェーズに来ていますよね。対談テーマ「縁(えにし)」は、私とあなた、1対1から始まる関係のことを指していて、会社組織もパートナーシップ、家族、親子…そうした個から始まる関わりの延長上にあると言えます。偶発的な出会いから人生が豊かになることもある。いろんな形の関係性を紐解きながら、これからのYADOKARIが文化圏の人たちとどのように関わっていきたいのかが見える回にしたいと思います。最初に皆さんが「縁」や、その先にあるであろう「愛」についてどう考えているのか伺いたいです。

立石さん(以下敬称略): 「縁」という言葉の対義語を仮に置いてみるなら「契約」になるでしょうか。例えば会社なら雇用契約とか。そういう関係ではない所に「縁」や「愛」がありそうだなと思います。この後、元子さんから「愛と合理性」のお話があると思いますが、「合理性」は可視化できて再現性の高いものだけど、そういうふうに定義されてしまったものではない所にありそう。「存在を招き入れて、そこで多くの人が幸せになるための合理性」が愛ではないか、そんなことを考えていました。

田中さん(以下敬称略): このイベントにあたってYADOKARIさんから5文字以内で自分を表現する言葉をくださいって言われて書いたのが「愛と合理性」。私は今まで愛しかない場合と、合理性しか問わない場合という極端な大人たちにたくさん出会ってきたけれど、愛を世の中にどのように出現させるのか、そのために合理性が必要で、両方大事なのにどちらかに偏りがちだよなと思いながら書きました。人をデートに誘うのに日時と集合場所だけ伝える人はいないでしょ。愛や伝えたい想いが伝わるという目的に向かって戦略立てや選択をするのが、合理性への模索だと私は思います。

山下: 元子さんは、仕事の時にもデートする時と同じような感覚で臨むこともあるのでしょうか?

田中: 仕事だけでなく誰かに何か言う時は全部そうじゃないですか? 言葉自体がプレゼントだもの。どんな言葉を選ぶかによって、相手が傷つくリスクも、喜んでくれる楽しみも孕んでいる。人間は、何を言っているかだけが重要で、どう言っているかはどうでもいいという動物ではないから、その特性に沿ったことをするのが私の興味。

山下: 動物の特性に沿ったことをする…面白い。さわださんもYADOKARIの中で「愛」は大事なキーワードだと思いますが、、「ビジネス」と「愛」を対比で考えた時、いかがですか?

さわだ: 僕は過去に会社員を2回やったことがあって、2回ともクビになってるんです(笑)。言われたことができないとか、上司に歯向かっちゃうとかで。自分のポリシーからものを言ったらクビになった。

田中: Oh my gosh! 言われたことをその通りにやってほしかったの? じゃあ、あなたじゃなくてもいいじゃない。思ったことを正直に言ってくれてありがとう、じゃなかったの? それは雇った方に責任があるんじゃない?

さわだ: まあ、ふり返れば僕にも至らない所が多々あったと思います(笑)。ただ僕はその経験から、自分でつくるなら「愛と自由のある会社」をつくろうと決めてYADOKARIを創業したんです。でも「愛」はいろいろな種類がありますよね、家族や奥さんへの愛、子どもへの愛、メンバーへの愛、地球への愛…。僕は「YADOKARI文化圏」をつくろうとしていて、最終的には「愛」や「信頼」といった人間の真ん中にあるようなものが大事にされつつ文化圏が広がっていったらいいと思っているけど、愛を定義しちゃって、皆がその同じ愛を目指すのが良いことなのか、それは幸せなのかをすごく考えます。

愛とは何か?

山下: 愛は抽象的で定義するのは難しいけれど、少し具体化するために、皆さんが日常の中で愛を感じる瞬間を教えていただけますか?

田中: 私は全時間そう思ってる。「愛」無くして「生きる」はないじゃない? 私には「愛」に明確な定義があって、「どなた様もすこやかに」ということ。誰だって健康な方がいいし、病気だったとしても少しでも回復した方がいいし、寝たきりでも“今日は晴れてるなぁ”って思えたらいいし、嫌なことがあっても良い経験だったと思えた方がいいでしょ? 人間は一度生きてしまうと、なぜだかずっと生きていたくなる動物だから、そういう動物としてすこやかであれ、というのが私の愛の定義。

山下: ともするとビジネスの文脈では忘れ去られてしまいそうな感覚ですね。

田中: すこやかであることを明確に求めて自覚的に動いているビジネスだけだったら、こんな地球にはなっていないですよ。秒で億を稼ぐことが超合理的なビジネスだと思われているけれど、その結果、人や地球がどうなっているのか総合的に考えると、それは本当に「合理的」なのかと私は思う。私は別に地球のために生きてはいないけど、自分が間違った悪いことを仕掛けてしまったという意識を持ちたくないから、自分のために未来永劫すこやかであるように仕掛けていて、それが「愛」だと思っているんです。

立石: 元子さんのお話を聞いていて、「合理性」とは、未来永劫、皆のすこやかさを再現するためのものということなのかなと。

田中: でもね、私は全然人のためではなく、それが結果的にたまたま誰かにとって良いことになったとしても、自分がそれをしたかったから、という気持ちが絶対最優先。

立石: それは僕の中の言葉で言うと、「美意識」や「美学」というものかもしれない。結果的に誰かのためになるかもしれないけれど、自分の中ではこうなんだ、こうでなければ許せないという美意識に根ざした合理性。誰かのためにという自己犠牲的な感じではなく、自身の本来性の発露から出てくる。

さわだ: うちのメンバーは個性的で、その人にしかない特性があって、それをいかに発揮してもらえるかを常に考えているけれど、仕事の中で今はなかなかフィットさせてあげられないことも多い。でも基本的にはその人が好きで、本来やりたいことにいかに集中させてあげられるかという所が、僕の経営者としての美意識の一つです。

予期せぬ一瞬に心が動く

山下: その人が持っている美意識とか、本来持っている在りたい姿を引き出していくのが経営者の手腕かもしれないですよね。世の中に面白い人と面白くない人がいるのではなく、誰もが美意識や本来性を持っていて、それをいかに発揮させていくか。元子さんが、屋台で無料のコーヒーを配って、自分とは全く考えが違う人ともコミュニケーションしてきた活動は、まさに「何者でもない私とあなたの関わり」を実践されていたのかなと思いますが、その活動について教えていただけますか?

田中: 2014年頃から10年ほど、道端で通行人にコーヒーをあげて遊んでるんですよ(笑)。皆どんな顔をするのか見たいから。「怖っ!」て思う人もいるかもしれない。でも「面白いね、ありがとう」って受け取ってくれる人もいて、受け取ったついでに聞いてもいないのにいろんなことを話してくれるんです。その内容がいちいち面白いんですよ。それはきっとその人がいちばん言葉にしたいことなのに、家族にも、仕事中にも、誰にも聞かれないこと。それが聞ける楽しみがあるという「イタズラ」です。

さわだ: イタズラ…可愛いですね(笑)

田中: 私はイタズラや実験をやってどうなるかが知りたくて生きてる。「喫茶ランドリー」も、私が公民館をつくったら、もっとファンキーでファンシーな公民館をつくれるよっていうイタズラがしたかったんです。

さわだ: YADOKARIも「イタズラ」とは形容していないですが、ワクワクとか、楽しく面白くエンターテイメント性を持って、ということは意識してきました。

田中: ワクワクするのは知らないことだからですよね。どうなるのかな?というスリルも含めて。「必ずワクワクできるもの」って矛盾してる。感動体験にも科学的なパターンがあるんですよ、緊張と弛緩とか。AIの方が間違いなく、それこそ合理的に感動するものをつくれると思う。だから私は感動そのものにも全然価値を見出していないんです。「泣かせるぞー!」という映画を観る時は、「泣かないぞー!」と思う(笑)。

山下: 元子さんにとって本当に自分の心が動く瞬間というのは、計算されたものではないんじゃないか、ということですね。

田中: そう。それこそ多様だと思うな。

縁が生まれる所

山下: 予期せぬ偶然の出会いや出来事に感動する経験は多くの人がしていると思いますが、場づくりの観点も踏まえて、どういう空間的な仕掛けや要素があるとグッと引き合う瞬間が生まれるのか、立石さんいかがですか?

立石: 最近よく言われる「心理的安全性」、ダイバーシティみたいなものは前提として必要ではないかと思います。例えば「正解はこれだけど君はどう思う?」なんて言われると仮面を着けなきゃいけなくなる。そういう完全防備しなくていい、人が自然でピュアにいられる環境設定が大事。先ほどの無料コーヒーのお話で、通行人が話をしてくれるのは、元子さんがピュアな好奇心から発している言葉・行為だからですよね。それに相手も影響を受けて、いつもは世間で求められていることを言わなきゃいけないと考えている人でも、その場では「実はさぁ」と自分語りが始まる。本当に自分自身が感じているありのままを言える環境が、まず必要かなと思います。

山下: 誰もが自分の本来性を起点として、自分が持っているストーリーを交換していくつながり。そういう「縁」が、「愛」みたいな所からつくられていくのですかね。

立石: そうですね。その人の本当の自分語り、それを仕事の場、会社でできるということにチャレンジしているのがYADOKARIさんだと思います。

さわだ: 難しいですが、それが理想だとは思っています。まだ社員が1人か2人の時に「YADOKARIサポーターグループ」というものをSNS上につくり、最終的には3000人くらいまでになったんです。そこでは「小屋部」と称して、グループ内の大工さんに教わりながら、小屋づくりのスキルを覚えたい人たちがコミュニティビルドで小屋を年間30棟以上つくったり、企業からの依頼案件に対して僕と上杉では対応できないスキルを持った、例えば建築家などのグループ内の専門家が手を挙げてくれて、有志で仕事したりということが、10年前に既に生まれていたんです。ゆるやかなつながりだけど、皆が「YADOKARIらしさ」みたいなことを考えていて、仕事はプロフェッショナルというギルド的な感じが新しいなと思いながらやっていました。今思えば「ソース」みたいな部分にアプローチできていたのかもしれないです。

つながり続けたいから、本音で語り合う

山下: 本音を語り合えるかどうかって、誰とどう向き合うのかによって感覚が変わるように思います。例えば私とさわださんは社長と社員の関係ですが、飲みに連れていってくださる時には、何者でもない私とあなたの関係でのコミュニケーションを取ろうとしてくれているのが分かる。奥さまやお子さんとの関わりの中ではいかがですか?

さわだ: 会社ではそこまで感情を出さなくなりましたよね。でも家では奥さんや子どもにすごく甘えていると思います。気を付けないといけないけど、僕がどんなにわがままを言っても、その人たちは離れていかないっていうコンフォートゾーンにいるような感覚。

僕は根暗で複雑に物事を考えてしまうことが多いんだけど、奥さんは常に明るくて安定していて言葉もシンプル。そんな所がバランス良いし、良い家族関係がつくれている自信がある。僕にとって家族はよりよく生きるための仲間です。聞いていいのか分からないけど、元子さんは?

田中: 私は今も元夫と一緒に仕事をしていますし、喫茶ランドリーを始めた時に「スタッフを絶対に叱らない」という実験を始めて、それが今も続いています。お互いに「そこ直してよ!」ということはあるけれど、じゃあもしそれが直らなかったら、その人とお別れしなきゃいけないんだろうかと思った時に、「だったら一生直らなくていいや」と思う。許せなくても、一緒に生きていく方を私は選ぶ。離婚にしても、家族関係って密室だから、うまくいかなくなった時に何か関係を変えないと再構築できないから、そうしたんですよね。

山下: 本当の意味では元旦那さまとも決別したいわけではないからこそ、関係性の変化を選択した、ということですかね。同じ人との向き合い方でも、ビジネスパートナーとして関係性を変えることで続いていく。

田中: そうよ。二度と会いたくなければそうしたし、私にとっては彼の良い所も能力も全部分かっていたからこそ、何か一緒にできたらいいなと思いました。「人との関係」ってよく言うけど、「自分がどんなコンディションか」の方が大事です。皆、自分の外に課題を見て「変わればいいのに」と言っているけれど、自分自身のコンディションだって1分1秒ごとに変化していて、そのお互いの変化の接点でたまたま起きているグルーブじゃないですか。だから私は、「ずっとあなたと一緒にいたいから、できればお互い調整したくて言いたくないことを言っているんだけど、それはあなたを愛しているからだ」と、そう伝えるようにしています。

山下: さわださんにもきっと同じような感覚があるんじゃないでしょうか?YADOKARIを卒業していくメンバーとの関係性とか。

さわだ: そうですね、いろんな理由で辞めていった人がいますが、お互いの道を歩んでいく中で、また未来で交わることがあるかもしれない。これが人生の終わりじゃないですし、YADOKARIを卒業したメンバーがもっと成長したら、それはすごくうれしいことだし。なので囲い込もうなんていう気持ちは全くなくて。

田中: 私は「辞めたい」と言われたことはないけれど、辞めたからって何も変わらないですよね、愛は。

さわだ: 変わらないですよ。お互いおじいちゃん、おばあちゃんになった時に、またおいしいお酒が飲めたらいいねって思ってます。

本来性同士の関係の中で

山下: 人との関係性を考える時に、まずいちばん大事なのは自分のコンディションを知っていることだという視点が面白いなと感じています。お互いに良い関係というのは、それぞれが自分のコンディションや本来性を分かった状態であることが一歩目なのかなと思ったのですが、立石さんの専門領域も踏まえて感じていることはありますか?

立石: 意識の発達現象に関しても、その人がどういう文脈・ストーリーや環境の中にいて、肉体や心のコンディションがどうであるかによって、発達レベルや多様な能力レベルが大きく変動しているということが最近の研究で明らかになっています。その人が状況によって変動しているということを心に置きながら、最善で働ける環境や文脈をいかに準備できるかが、企業や組織の課題だと思います。「愛と合理性」で言うと、合理性の部分ですね。

山下: 自分と相手のコンディションを知り、会社内での立場や仮面を着けた状態での関係性ではなく、私とあなたとの関係性の中でどう歩み寄っていけるのか。元子さんはご自身の会社の皆さんと関わっていく時に、大事にされているポリシーみたいなものはありますか?

田中: 私は1対1でも、会社でも、全部「イタズラ」だと思ってるんです。誰かにお声がけする時どんな言葉を選んで話すのか、それもちょっとしたイタズラやプレゼントみたいなもの。そういうものを用意するのが私は好きなんです。例えば人からトンチンカンなプレゼントをもらったとしても、「さんざん考えてこんな物かよ」というくだらなさも含めて最高のプレゼントだと私は思ってます。自分がコントロールできることなんてものすごく限られている。だから「歩み寄る」なんてこともしなくていいと思う。そんなことより、あなたがどんな人かということを素直に知りたい。あなたが考えていることをもっと聞かせてほしいと思います。

山下: 私とあなたの関係、「縁」は、相手のことを考えるのと同じくらい、自分自身がどんな感覚や思いを持っているのかを知ることが両輪で働く所から生まれるし、それが「愛」なのかは分かりませんが、お互いの言動の背景にあるものがイメージし合える関係性でいられたらいいなと思います。そして、それを素直に開示できるYADOKARIであったらいいなと思いました。

終わりに

一人ひとりが本来性同士で関わり合いながら、時に近づき、時に離れ、辞めた後でもつながり続ける「愛」や「信頼」を土台にした文化圏。その創造の鍵は、自分自身のピュアな本来性にバイアス無しにいかに気づき、素直に表現できるか。そして相手の中にもそれがあることを忘れずにいられるか、ではないか。自分も人も、大きく変動しながら今日を生きる人間という動物であり、そのすこやかさを尊重し続けることが真に合理的な愛なのかもしれない。4人の対談から浮かび上がってきた「縁」や「愛」というものの輪郭を何度もなぞりながら、これらがビジネスや仕事の場で実現可能であるならば、私は働くことに希望が持てるし、この身をどこに置いていたとしても私の心はYADOKARI文化圏の中にいつでも寛ぐことができる。YADOKARIという企業がつくるこの新しい世界の訪れを、私は見届けたいと思う。

この後、首都圏は凄まじいゲリラ豪雨に洗われることになる。
対談が終わった瞬間、その最初の一滴が天から落ちてきた。

取材・文/森田マイコ