「生きるを、啓く。」YADOKARI新パーパス誕生のプロセス【座談会】

創業10周年の節目に、企業としてのパーパス(存在意義)を「生きるを、啓く。」に定めたYADOKARI。自己の現在地を確かめ、“これまで”と“これから”をつなぎ、YADOKARI文化圏を可視化する機会として2024年7月6日に開催した「鏡祭」において、狼煙を上げるように発表されたこのパーパスはいかにして生まれたのか? 共同代表のさわだいっせいと、ブランドフィロソファーの伊藤幹太、アートディレクターの工藤駿が道筋を振り返る。


工藤 駿
Art Director / Graphic Designer

1991年秋田県北秋田市生まれ。 静岡の大学でデザインに興味を持ち、卒業後上京してエディトリアルデザインの事務所にてデザイン制作の基礎を学ぶ。その後、NOSIGNER株式会社にてソーシャルデザインやブランディングを中心としたデザイン戦略の経験を積み、2018年よりフリーランスへ。 現在は言葉をお守りにするサービス「KOTORI」など、自身でプロダクトの制作を行いつつ、世の中の意義ある取り組みや、秋田を中心とした地方のデザインに活動の重きを置いている。


伊藤 幹太
YADOKARI株式会社 ブランドフィロソファー

神奈川県横浜市生まれ。新宿在住。2019年にYADOKARIジョイン。恋話を通じて、人と人との関係性について考えるのが好き。2024年から、ブランドの核となる精神・思想・哲学を探究し、文化圏へ浸透させていく役割「ブランドフィロソファー」に就任。


さわだ いっせい
YADOKARI株式会社 代表取締役/ Co-Founder

兵庫県姫路市出身。10代でミュージシャンを目指して上京し、破壊と再生を繰り返しながら前進してきたアーティストであり経営者。IT企業でのデザイナー時代に上杉勢太と出会い、2013年、YADOKARIを共同創業。YADOKARI文化圏のカルチャー醸成の責任者として、新しい世界を創るべくメンバーや関係者へ愛と磁場を発し続ける。自身の進化がYADOKARIの進化に直結するため、メンターとなる人に会うことを惜しまない。逗子の海近のスモールハウスをYADOKARIで設計し居住中。

哲学する部署の新設

ー YADOKARIの新パーパス「生きるを、啓く。」を考え抜いてきた、フィロソフィーボード(現 フィロソフィーユニット)の幹太さんと工藤さん、さわださんに、この言葉に込めている思いや誕生の背景を伺いたいと思っています。そもそも「フィロソフィーボード」という部署が立ち上がった経緯は?

さわだ: 僕は2022年11月〜2023年3月までお休みをいただいていたんです。自分たちで創業したYADOKARIが成長するにつれて、僕自身とYADOKARIとの距離をどう取ったらいいのか分からなくなって調子を崩して。その休んでいる間に、家族やYADOKARIのメンバー、仲間の温かさや優しさに改めて気付かされる体験が多々あり、意識の変容が起きたんですね。今まで僕はとても利己的だったけど、利他の心が湧いてきた。僕にはまだ周りの人のためにやるべきことがあるし、社会にとってやっぱりYADOKARIは必要だという思いが、僕をここに復帰させました。

その時思っていたのは、会社が経済的に大きくなっていくことと、もともとYADOKARIが持っていた文化や思想、精神性を両立させることが、「社会にとって」重要なんじゃないかということ。会社がいくら大きくなっても、そこで働いている人たちが忙しさや本意でないことに身を削られて幸せじゃなかったら意味がない。昭和的な資本主義偏重への反発みたいな思いもあり、個人の幸せ・会社の幸せ・社会の幸せを常に考えておく、つまり哲学が大事だなと思って、「フィロソフィーボード」というチームを経営直下でつくることにしたんです。これが、僕が復活して最初にやった仕事。僕一人が「こういうこと大事だよね」と言っていても、会社の中ではいつの間にかうやむやになりがちだし、経営的なジャッジも難しい。この価値観を大事にしていくために、名前をつけて組織化したんです。

YADOKARIで自分は何がしたいだろう?

ー フィロソフィーボードのメンバー構成はどんなふうに決まったんですか?
幹太: さわださんが「こういうのやりたいんだよね」と言っていて、「僕、それやりたいです」みたいな感じだった気がしますけど…

さわだ: そうそう、 “理想を掲げる”というか、一般的な会社の仕事や社会システムの枠組みから少し外れるようなことを許容できるYADOKARIの良さを、これからもそのまま大事にしていきたくて、この感覚を説明しなくても分かってくれるのは幹太かなって。

ー そこへの信頼があったんですね。幹太さんはなぜやりたいと?
幹太: その時、僕も迷いの中にいた時期だったんですよね。YADOKARIのフェーズも大きく変わる中、「俺はここでこれからどうしていくんだろう?」と悩んでいたんです。その時、上杉さんに飲みに誘ってもらい、「幹太は今までYADOKARIにとって必要なことをずっとやり続けてきてくれたけど、幹太自身から“俺はこれを絶対にやりたい!”と言ってくれたことがないから淋しい」と言ってもらったんです。僕も会社を信頼し切れていなかったかもしれないと反省して、じゃあ、もし何でもやらせてもらえるなら何がしたいだろうと。

さわださんが言ったような、精神や文化と、経済性や波及力がちゃんと重なる所を僕自身も見たいし、僕は経済性や事業性をつくっていくのは苦手だけど、YADOKARIを主語にして“これだけは守っていきたい”ということを語るのは自信があった。それで上杉さんと飲んだ翌週、フィロソフィーボードの中でYADOKARIとしての文化や精神に取り組んでいくための何か役割を、僕に持たせてほしいと言いました。

さわだ: 「いろんな枠組みを取り払って、何か面白いことやろうよ!」ということに、最優先に取り組めるYADOKARIでありたいよねと再確認し合った。それを僕や上杉はもう10年以上やってきてるから、ひと回りくらい下の世代が語れるようにならないといけないという意識も強くありました。

ブランドフィロソファーとして、YADOKARI10周年鏡祭の総合ディレクターを伊藤が担当した。

もう一度、YADOKARIを見つめ直す

ー こうしてフィロソフィーボードが立ち上がったんですね。その最初の取り組みがパーパスの策定だったんですか?

幹太: 「パーパスをつくろう」みたいなことからは始めていないですね。まずは「YADOKARIって何なのか?」という所を見つめ直していきたいというのがきっかけ。少ない人数でやっていた時は、あえて言葉にして共有しなくても、一緒に過ごす時間の長さや密度に頼ることができたんだけど、会社が大きくなっていく中で「YADOKARIとは?」と聞かれた時に、きれいに打ち返せるアイテムが自分たちの手の中に無いと感じていたんです。

さわだ: そうそう。もともとはYADOKARIのブランディングやクリエイティブをアップデートしたかった。そこでアートデイレクターを募集して、手を挙げてくれたのが工藤さん。工藤さんにヒアリングしていただきながら、「YADOKARIって何?」を深掘りしていく過程で、「ミニオス」*①・「アドリブ」・「バグ」という3つのキーワードが出てきました。

*①:「ミニマル」と「カオス」を掛け合わせたYADOKARIの造語。自身の本来性から能動的に人生をつくろうとする一人ひとりを「ミニマル」な状態と捉え、多様な「ミニマル」が集まって創造性を発揮することで想像以上の何かが生まれ続ける混沌とした状況や集団を「ミニオス」と名付けた。

ー なるほど、パーパスを決めようというよりも、YADOKARIらしさを見つめ直してみることが発端だったんですね。工藤さんとYADOKARIが一緒にお仕事をするのは今回が初めてだったんですか?

工藤さん(以下敬称略): そうなんです。

さわだ: もう10年来という感じですけどね。

工藤: でも、僕もすごく波長が合う感じは最初からあったので、楽しかったです。YADOKARIの今までの話を聞くたびに、僕はそこにはいなかったはずなのに、なぜかものすごく感情移入して面白かった(笑)

−会社としてのアイデンティティとなる部分に、初めてのお仕事の中で取り組むことへのプレッシャーはなかったですか?

工藤: 特になかったですね。もちろん真剣にしっかりと考えたいという思いは共有していましたが、皆さんの人柄もあり、重たい感じはなかったです。先ほど「アドリブ」というキーワードが出ましたが、話す中でお互いが即興でつくり上げていくセッションみたいな対話となり、僕も楽しみながら取り組みました。「生きるを、啓く。」という言葉も、僕が考えたというより、対話の中から自然と生まれてきたように思います。YADOKARIに関わった人たちが皆、「自分の生きる道を啓かれる」体験を持っているという話が非常に印象的で、それを全面に押し出していくのがいいんじゃないかというのが最後の着地でした。

幹太: プロセスとして、パーパスをつくろうとか、VMVを決めようみたいな設定の中で進めていくと、もっと緊張感が出たかもしれないけど、「そもそもYADOKARIって何?」について、誰より僕ら自身が納得したかったし、だからこそ高いモチベーションとピュアな気持ちで取り組めたと思います。議論したことを、全員が納得できる足跡になるように表現していくことが工藤さんはすごく得意。皆で一つのものを目指していくための優れた「手」を持っている人だなと思いました。

さわだ: 本当に一つずつ腑に落としながら、階段を上れた感じ。

工藤: 全5回くらいだったかな。とにかくさわださんと幹太さんの話を深掘りして、キーワードを徹底的に洗い出してまとめることの繰り返し。その中で出た印象的なワードが「ミニオス」と「アドリブ」と「バグ」ですね。この3つを持っているのがYADOKARIの精神なんじゃないか。また、それに触れた人たちが“啓かれる”体験をするということが、YADOKARIの「役割」としてあるんじゃないかと。これを位置付けるなら「パーパス」だね、という所に落ち着いたんですよね。

YADOKARIを掘り下げていく際に工藤さんがまとめてくれた図

YADOKARIの精神「ミニオス」、「アドリブ」、「バグ」

−ヒアリングが一つ一つ確かめていくような時間になったんですね。3つのキーワード「ミニオス」、「アドリブ」、「バグ」について、もう少し詳しく教えていただけますか?

幹太: 「ミニオス」は最初に出てきた重要なキーワードです。YADOKARIでは、一緒に仕事をした方が進路を変える、というのが本当によくある風景。例えばプロジェクトが終わった後に「来年も一緒にやりましょう!」と言うと、「実はYADOKARIさんと一緒にやってたら、自分の世界がすごくちっぽけに思えるようになったので、会社辞めて海外行くことにしました」みたいなことが多々ある。それは事業の直接的な成果にはならないけど、YADOKARIの存在意義として大きいんじゃないかって。

関わった人が、「自分なりにこう生きたいと思うものに沿って生きていいんだ」というマインドを獲得していく。それは僕自身も体験していて、僕は大して意志も特徴も無かったけれど、面白そうだと思ってYADOKARIに入ってやっていく中で、自分の生きたい中心や方向がどんどん見つかっていった。ぼんやりしていた視界がクリアになって、一人ひとりが自分の人生を自分の手に取り戻していく。「ミニマル」とは、本当はそういうことなんじゃないかと。そのミニマルな人々が集まったり重なったりして作用し合う中で、全然違う面白い風景を見つけていくのがYADOKARIにいる意味なんだと思います。

工藤さんがまとめてくださったように、一人ひとりの色がはっきりしながら集まっていき、YADOKARIの中で溶け合っていくグラデーションみたいなこの色合いを「美しい」と僕らは捉えているんじゃないだろうか、というのが「ミニオス」が示すものです。

幹太: 2つ目の「バグ」は、常識に囚われない感覚のことです。YADOKARIの創業時、社会的には大企業に入って、長期ローンを組んで返済しながら生活していく、みたいなことが「当たり前」だとされていた中で、もっと自分たちにとって理想的な家の在り方や暮らし方があるんじゃないかとその常識を疑って、ミニマリズムやタイニーハウスを発見していったというスピリットみたいなものが、YADOKARIには今も一貫してあると思います。

クライアントさんから依頼をいただく時、よく聞くのが「YADOKARIさんなら、何か面白い提案や新しい可能性を見出してくれると思って」というお声。それはおそらく、僕らが常識に囚われずに、楽しみながら自分たちの辿り着きたい場所を見出していく性格をしているから言われることだと思うんです。社会の中で「バグ」を探求していく姿勢ですね。

幹太: 3つ目の「アドリブ」には2つの示唆があります。1つは、「アドリブ」という言葉の成り立ちなんですが、「リブ」という言葉には、リバティにも通じる「自由」という意味があります。それを「アド(加える)」するから「アドリブ」。メンバー一人ひとりの“自分なり”みたいなものを混ぜ合わせながら仕事をしていく、その人の個性が仕事の中に立ち現れる自由さがYADOKARIにはある。さらにそれを俯瞰してみると、2つ目の示唆として、YADOKARI一人ひとりの個性に基づく自由さが加えられて全体がうまく噛み合って進んでいる状態が、ジャズのセッションみたいに音楽的でもある、ということで「アドリブ」というキーワードが定まりました。この3つが、YADOKARIの精神として大事だという議論がありましたよね。

工藤: そうですね。僕も改めて、「ヤドカリ」という生き物自体が「生きるを、啓く。」を体現していると感じてきました。成長に合わせて家を変え、その変化・変異を受け入れながら、もがきながら生きていく姿勢があるような気がする。ハサミもあって何か切り開いていく感じがしますし、「生きるを、啓く。」を象徴している生き物なんじゃないかと、改めてそういうふうに見えてきた感覚があります。

幹太: この3つキーワードが見えてきた辺りで、メンバーにヒアリングしようということになりました。僕らから出てきた言葉ではあるものの、僕らの頭の中だけでつくり出したものに過ぎないんじゃないかという疑いもあって、皆が思っているYADOKARIらしさから乖離していないか確認したくて。それでけっこう時間をかけて、メンバー全員にヒアリングをしていったところ、全く齟齬がなかった。ここで「タイニーハウスこそYADOKARIらしさ」みたいな声が出てくると、先ほどの3つのキーワードや「生きるを、啓く。」が示すアイデンティティからズレてきちゃうんだけど、ほとんどのメンバーが回答してくれたのは「常識に縛られずにやっている感じ」とか「振り返った時に自分自身がすごく変化している」みたいな話ばかりだったんですよね。だから僕らが考えてきた方向性は、やっぱり間違ってなかったんだと確信できて、足元をしっかり踏み固めながら、さらに歩みを進められたと思います。(417)

さわだ: VMVやパーパスって、トップダウンで決められることが多そうじゃないですか。会社ってこういうものだからという。でもそれは、僕がそもそもやりたいボトムアップの精神とは違うと思った。僕は社長らしい社長ではないけれど、何かこれだけは本気でそうしたくないと思いました。パーパスのようなものを会社でつくると、社内で「あーはいはい、それ一回聞きました」みたいな空気になることもあるけど、僕はそれが非常に嫌い。つくったパーパスに皆もちゃんと乗って、自分の意志や魂が入って、皆で実現していくものじゃないと意味がない。皆で一つの大きな波にしていきたい。でも、この「生きるを、啓く。」を全社会議で発表した時に、皆がすごく賛同してくれたんです。響き合いというか、共感のバイブスというか、そういうものがブワッと広がった感覚がありました。

「生きるを、啓く。」の今後

ー メンバーがこれまでYADOKARIを通じて体験してきたこととリンクして、「生きるを、啓く。」が皆の中にストンと落ちたんですね。このパーパスを、フィロソフィーボードとしては今後どのようにしていきたいでしょうか?

さわだ: そうですね、「鏡祭」は意思表明だったから、ここからはスピードを上げて、「大きな世界へ行くぞ!」という覚悟を持って進んでいきたいです。

幹太: 「覚悟」って言葉が出た時点で、さわださんはこれを信じ抜いてるなって。僕はまだ少し怯えているけど。でも、タイニーハウスが住宅ローンからの解放だったように、世の中には自分を縛っているものがたくさんあると思うんです。もしかしたら自分で自分を縛ってしまっていることもあるかもしれない。そういうことから解き放たれて、一人ひとりが意志を持って「こういうふうに生きたい!」という方向へ皆が歩いていける世界を本気で信じたいし、YADOKARIをそこへ連れて行こうと思っています。その約束を日々守り、形にしていくのはすごく大変だけど、自分たちがちゃんとやれているのか確かめながら進んでいきたい。「鏡祭」はそういう「向き合う」意味で立ち上げました。1回目は宣言や覚悟を示した場になりましたが、今後も毎年開催して、「生きるを、啓く。」を決めた僕たち自身の姿を確認しながら、YADOKARIが目指す世界へ当たり前のように進んでいる推進力をつくっていきたいです。

工藤: 今回は制作する立場で関わらせていただき、 僕自身、かなりもがきながらグラフィックをつくりました。すんなり出てきたビジュアルではなく、幹太さんとも議論を重ね、試行錯誤しながらつくったものなんです。「彩豊かなミニオス」と、もがきながら変化していくもののシンボルとして、蝶とグラデーションを掛け合わせることでYADOKARIの精神がしっかり伝えられるんじゃないかと最終的に考えて、落とし込んだビジュアルでした。

僕はあくまで外部の人間かもしれないですが、YADOKARIメンバーの一人として考えたつもりです。そういう意味では、僕も切り開かれたというか、「生きるを、啓く。」に挑戦させてもらったんだと思っています。

幹太: 「鏡祭」をつくる側がまず啓かれていった感覚は非常にありますよね。そして実際に開催してみて、さわださんが言っていたような「波紋」みたいなものが広がっていくのを僕も感じることができた。その上で、YADOKARIとしてこれからこの精神性と社会性と事業性をどのように三位一体にして、一つの生き物みたいにして成長させていくのかに挑んでいかなきゃいけない。ここからは「生きるを、啓く。」を本当に僕たちの手足や行動にしっかり浸透させて、融合させていく。「鏡祭」はフィロソフィーボードが役割としてリーダーシップを取ったけど、各事業部や関わってくれる一人一ひとりと連携したり、向き合ったり、一緒につくったりしながら、YADOKARIのどこを切っても「生きるを、啓く。」なんだと言える状況を、僕はつくりたいと思います。

さわだ: フィロソフィーボードも、鏡祭の後に「フィロソフィーユニット」という組織に格上げされて、社内でより重要な部署と位置付けられました。僕が統括している文化醸成の領域で言えば、「生きるを、啓く。」に基づいたクリエイティブやメディアの刷新、それから成果としてすぐには目に見えにくいですが、ラボ的な活動も大事だと思っていて、これらが一つになって成熟していくといい。こうした動きの中で、一緒にアドリブ的に奏でていく人たちは皆、YADOKARIですよね。社員だとか、社員じゃないとかに関わらず。僕らはこれからも工藤さんと、YADOKARIをつくっていけたらと思ってます。また大変な思いをさせるかもしれないけど、よろしくお願いします。

工藤: いやいや、僕も同じ気持ちです。心はすでにYADOKARIの人間なので、ぜひ一緒に面白いものをつくっていけたらうれしいなと思っています。よろしくお願いします。

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編集後記

「生きるを、啓く。」それは私にとって、口にする度に力をもらえる言葉だ。まるでマントラのように。「こんなふうに生きたい!」を諦めないで、自分を縛る制約や、いつの間にかつくってしまった限界を突破しようともがくこと。その姿を「美しいね」と讃え、応援し合える仲間がYADOKARI文化圏にはいる。そこで私は何がしたいだろう? そして皆は何に挑むのだろう? YADOKARIにつながる人々の「生きるを、啓く。」をもっと聞かせてもらいたくなった。