アメリカで2000年代初頭に成年期を迎えた世代「ミレニアルズ」。彼らは初のデジタルネイティブ世代であり、金融危機や格差拡大といったさまざまな経済環境の変化やネットの情報の渦の中で育ったせいか、これまでの世代とは消費傾向や経済感覚、社会的価値観などが全く違うと言われています。
彼らはかつての世代に比べてモノを所有することにあまり興味がなく、また生まれた頃からSNSを使いこなす環境にあったため、情報リテラシーが高く周囲の友人との共感を大切にする傾向があります。
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こんにちは、しっかりリノベの工事を今月よりついに始めました!始めたら完成まで一直線、その先には二宮町での楽しい暮らしが待っているはず。ゴールがあるので頑張れる。
ということで、時間を見つけては二宮団地に足繁く通い団地リノベーションを進めています。そして今回はお部屋の塗装とモルタル塗りを行いましたのでそのリノベ工事について。
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こんにちは、国際中医薬膳師の長岡桃白です。
先日、二宮音楽まつり2017の「二宮こども音楽祭」に行ってきました。
0歳から参加できる無料のイベントです。
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フォルクスワーゲン社製のバスは、ファンの心を掴んで離さない。ずんぐりとしたフォルム、騒がしいエンジン音、カスタマイズが可能なことなど、魅力がつまった車種だ。オリジナルのワーゲンバスは、1947年にビジネスマンであったBen Ponによって設計された。当時、Benの設計アイディアは画期的で、車体はビートルという車種の車台の上に造られたそうだ。
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自然の中に出現した、長いテーブル。きちんとテーブルセッティングされ、周囲に広がる草原とはおよそ似つかわしくない光景だ。これは、単にフォトジェニックなディナーイベントではなく、食べ物について考えるイベントなのだ。主催者の”Outstanding in the Field”は、食材の生産場所で生産者と消費者を結びつけるイベントを世界各地で開催している。ユニークな彼らの活動を紹介しよう。
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イタリアを代表するチャーミングなスクーター、ピアッジオ社の「Vespa」の意味は、なんとスズメバチ。おお怖い。ミツバチの方が似合いそうな気がしますが、ピアッジオ社には、別にミツバチの名前の車、Piaggio Apeという三輪自動車があるんです。
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小屋やタイニーハウスで暮らす、「ちいさな暮らし」は、まだ国内に事例が多くありません。
ちいさな暮らしに興味を持っている方も、実際の暮らしや住み心地が気になるけれど、情報が少ないと困っている方もいるのではないでしょうか。
「TINYHOUSE ORCHESTRA」のこの連載では、ちいさな暮らしを実践する方にお話を伺い、その暮らしぶりをご紹介します。
今回ご紹介する、いんべさんは東京と三浦半島で二拠点居住をしているご夫婦。週末は、自分たちで作ったちいさな小屋に住み、今は家具などをつくりながら過ごしているそうです。
その暮らしを少しだけ覗かせてもらいましょう。

私たち夫婦は平日は東京のアパート、週末は三浦半島の小屋で暮らしています。
以前こちらの記事で紹介していただいたときにはまだ作業中でしたが、一年かけてようやく暮らせる状態になりました。今は、東京と三浦を行ったり来たりして暮らしながら、少しずつ内装や家具づくりをしています。今回は小屋を作り、小屋で暮らしながら感じたことをお伝えしたいと思います。
小屋のこだわりは「ゆっくり」作ること

私たちの小屋の大きさは12㎡で、半分が土間になっていて、小さなキッチンとトイレとシャワー付き。建て方はハーフビルドと言って、必要な部分はプロの力を借りながら、自分たちでつくる工法です。
建築確認申請が必要だったこと、ずっと暮らすためある程度しっかり作りたかったことから、基礎と構造、防水にかかわる部分は工務店さんにお願いし、屋根、軒、外壁、断熱材、内装の下地、ロフトなど、友達に手伝ってもらいながら少しずつ作ってきました。

内装のこだわりは、しいて言うなら「ゆっくり」作ることです。あれも必要、これも決めなきゃ、とそわそわする気持ちもありますが、ひとつひとつゆっくりと。これが案外難しいことで、だけど心地よいことだと気がつきました。
DIYのコツは、使った時の景色を想像すること
内壁は施工を手伝ってくれた友人とともに漆喰を塗りましたが、ロフトの下の窓辺だけは壁紙にしています。壁紙はなかなか決められなくて長いこと下地のままでしたが、お気に入りのものが見つかり、仲良しの壁紙屋さんに貼ってもらいました。
その壁紙にあわせてソファーベンチの布を選んだり、布の色にあわせてカウンターに塗るペンキを調合しています。

小屋の中でお気に入りの場所は、ロフト下の窓辺。こじんまりとした空間で、ベンチに座ったときに窓から外の畑や空が見えて落ち着くんです。
DIYで小屋を作るときには、座ったときや立ったときにどんな景色が見えるのかを想像するのがコツだと思います。この窓も高さをどうするか、時間をかけてまじめに考えてよかったと思いました。
家具は、縁があるものを仲間にしたい
小屋だけでなく、家具も作れるものは作りたいなと思っています。
なかなかお気に入りのテーブルが見つからず、小屋を建ててからずっと木材の上でごはんを食べていましたが、最近やっとちゃぶ台ができました。友達がもらってきてくれた畳サイズの重厚な座卓(床にそのまま置いて使用するテーブル)を、小さなちゃぶ台に作り替えました。
この座卓、材料は「カリン」というすごく重くて堅い木で、一人では持ち上がらないし、丸ノコが壊れたりもしましたが、2か月かけてようやく完成。ちゃぶ台ができあがってから、そこではじめて食べた朝ごはんは忘れられません。

そのほかにも、近所のおじさんにもらった枕木で作ったアプローチ、縁(えん)のある町の木材をつかった床、職場のひとが作ってくれたスピーカー、好きな布とひもで作ったロールカーテンなど、小屋にあるものはどれも他にはないものばかりです。
もちろん生活に必要なものはたくさんあります。けれど、本当に気に入ったものや、縁があって小屋にやってきたものたちだけを仲間にしていきたいと思って、安易に買うことはやめました。
こんな感じで小屋を建ててからいつまでも何かを作り続けていますが、迷ったり探し回ったりしたことも含めて、すべてのものに思い入れがあります。そのせいでしょうか。はじめから計画していたわけではないけど、不思議とひとつひとつのものがお互いに調和している気がします。
「なんとなく楽しく暮らしたい」、それでいいんじゃないかな

私は小屋で暮らしはじめてから、暮らしをもう一度いちから始めている感じがします。寒い日に家に帰ると暖かいこと、寝る場所があること、トイレが使えること、野菜が採れること、夜になっても明るいこと、ごはんが炊けること。いちから作ってきたからこそ、それらの小さなひとつひとつが大切で楽しいのかもしれません。
小屋を建てた場所にも満足しています。三浦半島は海も森も山もまちもあって、居心地がよいです。それに、小さな暮らしを受け入れてくれるおおらかさがある気がします。ここに住むまでは、地元以外にこんなに好きになれる場所があるなんて思っていませんでした。

小屋暮らしや二地域居住というと思い切った感じがするかもしれませんが、私たちは「なんとなく楽しく暮らしたいな」という気持ちではじめたことで、哲学とか価値観とか、そうしたきちんとした考えはありませんでした。
だから、ちいさな暮らしに興味があれば、気軽にはじめてみてもいいと思うんです。
最近は、「もし東京のアパートを引き払って小屋で暮らすとしたら、何を持ってきて、どの場所をどう使おうかな」と妄想しています。友達には小屋のことを「別荘?」と言われることもありますが、小屋はいい意味で「普段通り」の、特別じゃない場所になりつつあります。
この先のことは何も決まっていませんが、このまちと友達と小屋があればきっと楽しいのかなと、そう思うんです。
(本文ここまで)
忙しい毎日のなか、暮らしに必要なものをひとつひとつ吟味して選ぶことは大変なことです。それでも、丁寧に身の回りに置く家具や家を選んでいれば、いんべさんの感じているように「居心地良く」暮らせるようになるのではないでしょうか。
いきなり二拠点居住はハードルが高いかもしれません。けれど、何を周りに置くか、何を選ぶかは今日からでもできるはず。あなたも今からはじめてみませんか?
居酒屋やバーでお酒を注文するとき、ウェイターに「どこに寄付しますか?」と聞かれたら戸惑いませんか?アメリカのとあるパブでは、最初の注文の際にこの質問をうけます。実はこのパブに払うビール代は、いくつかの慈善団体などに寄付されているのです。しかも、パブ運営者の本職はすごく意外な職業でもありました。古いリノベーション物件を舞台に繰り広げられる画期的な物語を、一緒にのぞいてみましょう。 (さらに…)
ウィスコンシン州の歴史あるキャンプ場、キャンプ・ワンダウェガ(Camp Wandawega)が荒廃して森に帰っていく様子を見かねたシカゴ在住のとある夫婦は、このキャンプ場を購入し幼少時代に経験したサマー・キャンプを再現するというビジョンのもと建て直し作業を開始した。
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“全米で最も住みやすい街”に選ばれた、西海岸オレゴン州のポートランド。
ZINEを代表とするDIYカルチャーの発信地としても知られる、緑豊かな居心地の良さが魅力のこの街には、都市再生の成功事例として、世界中から注目されるパール・ディストリクトがあります。荒廃して見捨てられていたこのエリアが、どのようにしてリノベーションに成功したのか、その秘密と魅力を探っていきましょう。
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小川の流れるポエティックな林のロケーションに、近未来的な白の建築が突如顔を表す。
物件概要
エリア:群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原字鬼の泉水 価格:1,780万円
建物面積:52.04坪 敷地面積:239.27坪
間取り:2LDK
物件の詳細情報・お問い合わせはコチラ
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現在の住処は四畳半
タイニーハウスや小屋暮らしなど、ちいさな暮らしはまだまだ実践者も少なく、始めてみたいけれど少し不安という方も多いのではないでしょうか?TINYHOUSE ORCHESTRAでは、日本国内で実際にちいさな暮らしを実践されている方にレポートを執筆いただき、新しい暮らしを始めるヒントをお伝えしています。
今回は、ちいさな暮らしを実践中のフリーランスライター、スズキガクさんによる暮らしの記録です。ガクさんの所有物は一時、段ボール3箱ほどに収まる量。2年で引っ越しを5回繰り返し、東京都内のシェアハウスを転々としながら暮らしてきたそうです。
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僕が東京都内を転々とする生活をはじめたのは、2014年6月のこと。コネも経験もないけれど、ライターになる!と地元を飛び出し、まずは高田馬場にあるシェアハウスに転がり込んだ。ライターになりたかったのは、「旅をしながら仕事ができるかも」という淡い考えからだった。「なんとかなるだろう」と勢いだけで行動できるほどに、僕は旅が好きだったのだ。
僕は大学を卒業後、学生の頃に読んだ紀行文に憧れて(あと就活に失敗して)自転車で日本を一周した。そこから旅の魅力にハマり、2年ほど自転車屋で働いた後に8ヶ月間の世界旅行に出かけることになる。折りたたみ自転車を持って中国からスタートした旅は、チベットやインド、トルコやヨーロッパを経て、南アフリカまで及んだ。

自転車旅行中、北海道北部にて
それでも僕の旅行熱は冷めなかった。地元のNPOで少しだけ働いた後、「生きてる実感がない」と感じて仕事を辞めて、段ボール2箱分の荷物だけを持って上京した。
僕は、大学を卒業してからは京都〜静岡〜東京と住む場所を変え、上京してからも、高田馬場〜学芸大学〜吉祥寺〜銀座〜下北沢と引っ越しを繰り返している。どうやら、僕はひとつのところにはじっとしていられないみたいだ。
引っ越しは段ボール2箱でおさまった
そんな風に都内をあちこちへ転々とする生活は心地よかった。引っ越しをするたびに住む家が変わり、毎日行き来する道が変わる、街には知らない店が山ほどあって、休日には散策だってできる。それは旅の延長のようなものだったのだ。
住む場所は決まってシェアハウスを選んだ。マンションのように敷金礼金がかからないし、生活に必要な家電や食器も一通り揃っている。家賃も比較的安いシェアハウスは仮暮らしには最適の住居だと思う。
東京都内を転々としていた時の所有物は少なく、上京してきたばかり頃の荷物は確か、こんな感じだった。
<下着>
・パンツとタンクトップ:4枚
・靴下:4足
<外着>
・Tシャツ:5枚
・ズボン:3本
・冬用の上着1枚
・フリース:2枚
・Yシャツ:2枚
<仕事道具>
・ノートパソコン:1つ
・パソコンのケーブル類:諸々
・スマホ:1台
・デジカメ:1台
<洗面用具など>
・歯ブラシ:1本
・髭剃り:数本
・シャンプーや石鹸:1セット
・洗濯用洗剤:1ボトル
<その他>
・寝袋:1つ
・就寝用マット:1つ
・自転車:1台
・文庫本:3冊
・靴:2足
上京後、引越しを重ねるうちに多少荷物は増えたけれど、積極的に荷物を増やそうと思うことはなく、気軽に引っ越せるだけの量をキープしていた。

これは世界旅行中の荷物、これに衣服4日分が加わる
ちいさな暮らしを維持した3つの理由
僕がちいさな暮らしをキープしようと思ったのは、3つの理由からだった。
①気軽に引っ越すことができる、気ままな暮らしを味わいたかったこと
②駆け出しのフリーランスだから金銭に余裕がなかったこと
③物は必要最低限あればいいと気付いたこと
「③」のような考えに至ったのは、長期の旅行経験からだった。旅の最中は基本的にテント暮らしか、ゲストハウス暮らし。家電はない、定住する家も電気・ガス・水道もない。ないないづくしの仮暮らし。それでもテントを立てれば家になり、コンビニやスーパーで食料が買えて、コインランドリーに行けば洗濯だってできる。
背中に背負えるだけの荷物で、1年だって2年だって生活できることを経験できたし、道具は工夫すれば本来の用途以外の使い方ができることも知れた。この経験を通して、物を買う前に、それが本当に必要かどうか、手持ちの何かで代用できないかをよく考えるようになったのだと思う。
遊牧民から定住民へシフトする
思うに、暮らしの拠点をあちこちに動かしていた時の僕は、まだ旅行気分を味わいたかったのだと思う。ひとつの場所に留まりたくない、都内の様々な場所に住んでその土地の雰囲気を味わいたい。そんな価値観を持っていたから身軽さを重視していた。その結果、僕はミニマリストになった。
僕はミニマリストを志していたのではなく、自分にとって心地よい生活を模索した結果、いまの暮らし方を選んだ。そんな経緯を経てきたので、「ミニマリスト」と言っても、人それぞれに様々な価値観や背景があるのだと考えているし、物を減らすことで豊かな生活が得られるとは思っていない。
僕は、「ちいさな暮らしは手段であって目的ではない」と考えている。だから、物は増えてもかまわない。事実、直近の1年半を同じシェアハウスで過ごしていて、だんだんと所有物も増えているのだ。
ちいさな暮らしをしていた僕が、なぜ物を増やそうと思ったのか。その理由は、生活の豊かさや価値観の変化に関わることなのだけれど、詳しくは次回お話しします。
ライター:スズキガク