【前編】4年目だから話したい、YADOKARIのこと

YADOKARI
さわだいっせい(左) ウエスギセイタ(右)

2016年、一発目の記事は今年から新たにチャレンジする「プレミアムメンバー」向けの限定記事です。この限定記事の第1回目の内容をどういうものにすべきか、編集部でも色々と考えたのですが、まずは「自分たちのこと」を紹介することにします。

僕たちは今まで、自分たちのことを進んで話してきませんでした。
それは、あえて話す必要がないかもと考えていたり、僕たちが人前に立つことが苦手だったりと、色々な理由があるんですが、活動を始めて4年が経ったいま、改めてYADOKARIが活動をはじめた理由や、今までの仕事の成果を2本の記事にまとめてみたいと思います。

まずは前編。僕たちYADOKARIがなぜ活動を始めたのか。その裏にはどんなストーリーがあったのかをお話します。

YADOKARI初期のしょっぱい思い出

YADOKARIが動き出したのは2012年。Facebookページの投稿から僕たちの活動がはじまりました。今でこそ、一記事投稿すれば数万人の読者さんにアクセスしてもらっていますが、当時のアクセス数は二桁、よくて数百。代表のさわだ・ウエスギが、知人友人にページへの「いいね!」をお願いしても、反応なし……。そんなしょっぱいスタートでした。

自分でいうのもあれなんですが、僕たち、話しかけづらいとか、すごい人とか思われているかもしれないんですけど。ぜんぜんそんなことないんです。最初はこんな感じではじまったので、続けてたら思いもよらない場所に来てしまった。という感覚が強いと思います。

ゴリゴリの上昇志向だった会社員時代

そもそもさわだ・ウエスギのふたりがどのように出会ったのかというと、元々ふたりは同じ会社の社員でした。

ITベンチャーの会社で、さわだはウェブデザイナー、ウエスギはプランナーとして働いていました。今でこそ、「小さな家」だとか「暮らしの再編集」とか言っていますけど、当時の僕たちはゴリゴリの上昇志向で動いていました。

年収や肩書きを求めて、朝から晩まで働いて会社に泊まり込むことも当たり前でしたし、ある日ウエスギがさわだの家に遊びに行ったら「目指せ年収◯◯億円」という張り紙を見かけたくらいです。

そんな僕らがなぜダウンシフトして、「小さな家」だとか「暮らしの再編集」と言いはじめたのか?それは東北大震災のショックがあったからです。

3.11東日本大震災のショック

3.11東日本大震災。津波で全てのものが一瞬にして流されてしまう凄まじい光景を目の当たりにする
3.11東日本大震災。津波で全てのものが一瞬にして流されてしまう凄まじい光景を目の当たりにする via:.youtube.com

当時ニュースを見ていると、津波で家や生活や社会が壊されていって、「僕たちの社会ってこんなに脆くてあっけないものだったんだ」と思い知りました。

相変わらず仕事は忙しいから、東北のことは無関係なことのように電車で会社に行って、ワーカホリックのように働いて……。心をすり減らして働けば、その分収入も上がり手に入れられる物は増えていくけれど、もし震災の場所が東京だったら手にしたものなんてあっという間になくなってしまう。

忙しく仕事をしていることに対する疑問は常に感じていたのだと思います。でもそれを直視するのは怖かった。それを直視して違う道を模索するきっかけになったのが、僕たちにとっての東北大震災でした。

木工教室の帰り、ファミレスでYADOKARIが生まれた

それで僕たちがはじめたのが、木工教室に通うことでした。
「自分たちで手や体を動かして物を作りたい。」普段の仕事がパソコンに向き合う仕事だったので、そんな思いがありました。

木工教室の帰り道はいつもファミレスで他愛のない話をしていたんですが、ある日さわだがコンテナハウスの話をしたんです。

[protected]「貨物用コンテナって古くなったら捨てられるじゃないですか。それを家に再利用して住めたら面白いと思うのよ。」
それ面白い!とウエスギも反応し、青山ブックセンターで海外の小さな家を扱った本を見に行ったり、コンテナハウスを集めてヴィレッジを作ろうと妄想したり。木工教室の帰りのファミレスはいつの間にか企画会議になっていました。

その結果として、面白いと思った海外の住まいの事例を集めて紹介したのが、冒頭で紹介したFacebookページなんです。

根拠のない自信と365日の投稿

開始当初はメディアにすることは考えず、海外サイトで小さな家や、移動できる家、電気や水を自給自足できる家など、新しい暮らし方や面白い家を見つけては更新を続けていました。

同時期に、コンテナハウスが作れないか企業に企画を持ち込みに行ったこともあります。しかし「費用が……」「耐久面が……」「売れるのか?……」と企業の反応は思わしくありませんでした。

活動初期にビジネスコンテストに出場し、ボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」をかけながらタイニーハウスヴィレッジ構想をプレゼンしたこともあるんですが、審査員の皆さんの反応は冷ややかでした。

七転八倒の当時、YADOKARIの活動を唯一応援して下さったROOVICE代表福井さん。福井さんより「お金うんぬんじゃない、やったほうがいい。応援している」と激励を頂く
七転八倒の当時、YADOKARIの活動を唯一応援して下さったROOVICE代表福井さん。福井さんより「お金うんぬんじゃない、やったほうがいい。応援している」と激励を頂く

それでも僕たちには、「新しい住まい方が多くの人の暮らしを豊かに変えていくだろう」という根拠のない確信がありました。なにより、自分たちが新しい暮らしをしてみたかったんです。

Facebookページの更新は2人で交代しながら365日毎日行い、仕事が終わった深夜12時から作業をスタートして3時くらいまで続けることもありました。

Facebookページの名前は、モバイルハウスや住む家を変えていくイメージから「YADOKARI」に決め、根拠のない自信と共に駆け抜けた3ヶ月後、Facebookページに「いいね!」がだんだんと付きはじめます。

未来住まい方会議のはじまり

Facebookページを開始して半年後、僕たちは「未来住まい方会議」と名前をつけたホームページを立ち上げました。名前に込められた思いはふたつ。これからの新しい住まい方を作っていくヒントを発信したいと思ったこと。もうひとつが、未来の新しい住まい方を読者の皆さんと考えていきたかったこと。

毎日2人で記事を更新していく生活は変わりませんでしたが、僕たちが立ち上げたウェブサイトは徐々に読者を増やしていきます。

未来住まい方会議と同時期に立ち上げたのが、YADOKARIサポーターズというFecebookグループです。このグループは僕たちの活動の幅を大きく広げてくれました。

YADOKARI サポーターズと部活動の誕生

YADOKARIサポーターズは読者さん同士が交流してもらうために作ったものです。グループ参加者の職業や住む場所は様々で、海外に留学中の学生さんや、地方と都会を行き来して暮らす二拠点居住をされている方、建築家やデザイナーの方などなど。2016年1月で、約2300名のメンバーが参加してくださっています。

YADOKARIサポーターズ向けの交流会イベントを初開催!サポーターさんのご自宅でアットホームな会となった「YADOKARI PARTY Vol.1」
YADOKARIサポーターズ向けの交流会イベントを初開催!サポーターさんのご自宅でアットホームな会となった「YADOKARI PARTY Vol.1」
「YADOKARI PARTY Vol.3」:開催3回目となると100名近いメンバーが全国から集い、メンバー同士、積極的に声をかけながらそれぞれの活動へ繋がっていきます
「YADOKARI PARTY Vol.3」:開催3回目となると100名近いメンバーが全国から集い、メンバー同士、積極的に声をかけながらそれぞれの活動へ繋がっていきます

このグループをつくることで、それまで一方通行だったコミュニケーションが双方向のものに変化しました。新しい暮らし方に興味を持つ人たちがつながり、独自に活動していく。その中で生まれたのが、YADOKARI小屋部やYADOKARI小商い部などの部活動です。

YADOKARI小屋部キックオフミーティング。表参道246commonにて。
YADOKARI小屋部キックオフミーティング。表参道246commonにて。
YADOKARI小商い部キックオフミーティング。3331ArtsChiyodaにて。
YADOKARI小商い部キックオフミーティング。3331ArtsChiyodaにて。

それぞれセルフビルドや小商いを実践したい人が集まる場になっていて、YADOKARI小屋部部は2014年の春に発足してから、半年で7棟の小屋を施工しました。

僕たちは旗を立ち上げ、人が集まる場を作りましたが、少人数で道を進むのは心細いものです。そうした中で共に道を開拓し、時に応援してくれる仲間を持てたことは、僕たちが頑張る原動力になっているのです。

2012年の活動開始から4年。未来住まい方会議には編集メンバーとして協力者が集まり、僕たちの暮らしも少しずつ活動当初に思い描いたものに近づいています。
事業化することを考えずはじめたYADOKARIでしたが、2015年11月には株式会社化することにもなりました。

最初はこれでご飯を食べられるなんて考えてもいませんでしたが、こうなれたのも応援してくださる皆様のおかげだと感謝しています。

後編では、僕たちが仕事として手がけてきたウェブサイトや書籍、建築物の紹介をしようと思います。[/protected]