第9回:アフリカ流 十人十色の美しさ|ニンゲンらしく、アフリカぐらし
男性が女性のありのままの姿を美しいと感じてくれたなら、女性はどれだけ嬉しいだろう。
世界の美しい女たち
旅をしていろんな国の美しい女たちを見てきたけれど、本当に美しい女というのはいつもありのままの姿でいるのだった。
エチオピアの長い睫と濃い眉毛をした女。
グルジアの女もエキゾティックで魅力的だった。
マダガスカルの市場で野菜を売りながら愛おしそうな眼差しで赤ん坊に乳を与える女。
アフリカの布にをまとうなんとも女性らしい仕草のタンザニア人の女。
ナミビアで出会ったヒンバ族の女は部族の格好をしていた。肌や髪に牛の脂と赤土の粘土を混ぜたものを塗り、上半身は裸だ。この現代に残る貴重なアフリカの民族だ。その誇り高い姿は美しく、思わず羨望の眼差しで眺めてしまう。彼女たちの赤土は化粧とは違う美しさがあった。
世界のあちこちでそんな美しい女たちに出会う度に美しさとは顔に何か塗って作り出すものではないのではないか、と思い初めていた。コンプレックスを隠すことから美しさは生まれてこない。
日本人の美しさとは何だろう
初めて日本を出て一人旅をしたのが24歳の時。それまでは九州の実家から出て生活したことさえなかった。
美容などに多少興味があったので、毎朝鏡の前に長い時間座り自分の顔を見てあの手この手を試していた。瞳を大きくするためにアイライナーを引いて、鼻筋が通っているかのようなハイラインを引き、マスカラを塗り睫にボリュームを出し、健康的に見えるようにチークを塗っていた。
旅を始めるといろんな国の友達ができる。いろんな価値観の違いがあり始めは驚くことが多かった。そして自分が日本人であることを自分の価値観を通じて実感したものだった。
当時衝撃的だったのは私たち極東の人たちの目は小さくて切れ長でとても美しいと思われていることだった。
それまでは当たり前のように大きな目が美しさの基準のように思っていた。でもその意見を聞いた時、とてもうれしかったことを今でも覚えている。それは日本人女性の一番の美しさであってほしい。何しろ私たちの大多数は小さく切れ長の目をしているのだから。そして人気のあるパッチリ二重の大きな目の女性というのは少数だ。
それなのに大多数の女性が小さく切れ長の目にコンプレックスを抱いているのは何かおかしい。鼻が低い民族が鼻の低さをコンプレックスに思っているのも何か違う。
色白で目がパッチリ二重で大きく、鼻が高く、手足が長い。はっきり言うとそれは日本人ではない。
自身満々のアフリカの女たち
アフリカでは同年代の女性のことを「シスター」と呼び合うのだけど、アフリカ人のシスター達はみんな自信に満ち溢れている。
「私はブスだ!」と泣いている者などまず見ないし、まず「ブス」という言葉を女性には使わないのだ。どんな太っちょのシスターも自信満々で胸を張って歩いている。だから私はそんなシスター達みんなを美しいと言い切ってしまいたいのだ。
アフリカ人と日本人のそんな違いを話していると、コサ族の友人がこう言ったのだ。
「自分が自分のことキレイだと思ってないと、誰が思ってくれるのよ!自分が一番そう思ってあげないきゃ!」
それはあまりにもアフリカ人らしくて、うらやましい程の答えだったが、まさにその気持ちが大切だと思うのだ。せっかくこの世に授かったこの体。自分の顔や体を恥じたくないものだ。
2009年に旅を終えて日本に帰っても私は化粧をしなかった。髪を染めたり、パーマをかけたり、香水をつけることもやめた。なるべくシンプルな洋服を選んだ。そうすることで自分自身になりたかったのだ。そしてその決断はとても自然なことだった。私は私であり、他の誰でもないのだ。
女性の美しさの競争に乗る気もさらさらないのである。私は私であることに充分満足しているのだ。
化粧をすることがなくなると、鏡を無駄に眺める時間も減り、そんな生活の方が私には心地よいことにも気がつけた。
本当の美しさとは
こうして美しさについてたくさん書いてきたが、やっぱり大切なのは外から見た美しさではなく、心の中にある美しさや強さ、健全な思考と生活、言葉遣い、女性らしい仕草など、日々の積み重ねだと私は思う。バランスの採れた食事や無理のない生活リズムなども重要だ。
そして美しさというものは年齢相応でどんどん熟してゆくはずなのである。常に鏡を見ることで確認できるような、そんなものではないと思うのだ。歳をとりたくないと切実に思うのも何か違う。白髪でも皺ができても、年齢相応の女性の美しさがある。何よりみんな年を重ねていくことから逃れられないのだ。
毎日丁寧に手入れして、心の中にも気を配り、自信を持って歳をとる。美しさは十人十色。他人と比較するものでも、真似るものでもない。コンプレックスを隠すより、いただいたこの体に感謝して愛してあげることができれば、それだけで女性は充分美しい、そう思うのだ。