第15回:集落の行事に参加し、変わる価値観|女子的リアル離島暮らし
未来住まい方会議をご覧の皆様、こんにちは。小説家の三谷晶子です。
TwitterやFaceBookを見てくださる方はご存知かと思いますが、10月中旬から鹿児島、秋田、青森、東京、出雲などを巡り、先日、加計呂麻島に戻ってきました。
さて、今回は旅立つ前に行われた加計呂麻島のお祭りや運動会についてお話したいと思います。
集落の行事や運動会に参加する日常
加計呂麻島は奄美の中でも伝統的な行事が色濃く残る場所。
中でも旧暦の新盆、8月15日前後に行われる豊年祭は私にとって馴染みが深いものです。
今年の私が住む諸鈍集落の豊年祭は9月7日。豊年祭は今年一年の収穫と五穀豊穣を神様に感謝する行事。全国各地で行われていますが、加計呂麻島の豊年祭は、子ども達のちびっこ相撲や、集落の人々が行う踊りや歌の出し物などとても身近な形で行われています。
去年の豊年祭の詳しい模様は私のブログをご覧下さい。
また、今年は豊年祭の翌週、9月14日に私の家の目の前にある諸鈍小中学校の運動会も行われました。
都会ですと、運動会はあくまでも子ども達とその父兄が参加するものです。けれど、人口の少ない離島ですとそれだけでは参加者があまりにも少ない。そこで、子ども達の競技の他に、小中学校の校区となる集落が参加します。
超高齢化が進む加計呂麻島では、30代の私はまだまだ若手。正直言って運動にはまるで自信がないのですが、二人一組でビンに水を入れる早さを競う水入れやリレー、綱引きなどに「若いんだから頑張って!」と言われて参加をしました。
行事に参加することで塗り替えられていく価値観
この連載でも今まで、自分の価値観が加計呂麻島に移住してどのように変わったかを書いていますが、こうして集落の行事に参加することでもまた、新たな発見があります。
運動が苦手な私は、幼い頃、運動会が憂鬱でたまりませんでした。
しかし、加計呂麻島に来て運動会に参加してみると、お年寄りが楽しげに競技を見ている様子や、1位になって沸き立つ同じチームの方々と一緒に過ごすのがとても楽しいです。
運動会が楽しいと思うようになるなんて、学生時代には全く想像がつかなかったけれど、「明日、絶対筋肉痛だよ」と言い合いながら打ち上げで飲むお酒は格別な味がします。
やることがたくさんある。だから、漠然とした悩みが減る
遊びに来てくれた友人に、「加計呂麻島に来て具体的じゃない悩みが驚くほど減った」という話をしていたときのこと。
「東京にいる頃は、『将来どうしよう』とか『これからが不安』とか漠然とした悩みが多かった。
でも、こっちに来てからそれこそ『豊年祭の時に晴れるかな』とか、『台風、どのぐらい強いんだろう』とか『雨続きだから明日あたりそろそろ晴れて欲しい』とかぐらいしか悩みがないんだよね」
そう言うと、友人はこのように答えました。
「確実な未来に向かっている悩みと、見えない未来への悩みは全然違って、
見えない未来に向かう悩みは実はぐるぐるしているだけで先に向かってない。
目に見えて自分でやらざるを得ないことが田舎や地方だと断然多いから、
未来に向かわざるを得ない。だから、じゃない?」
その時、なるほど、と腑に落ちました。
かつてご一緒に仕事をさせて頂いた方の言葉で深く印象に残っている一節があります。
「幸せとは、心と体と頭が『今』に一致している状態」
行事やイベントが多いこと、離島という土地柄、台風などの自然災害が多く、買い物や移動で不便なところがあること。それは、一見すると面倒だと感じられるかもしれません。
しかし、私はそのことを現在、面倒だとは感じていません。むしろ、「やることがある」ということに落ち着きや充足感すら感じています。
洗濯物を干せば太陽の匂いがするシーツでその日は眠れるし、運動会に出れば翌日の筋肉痛は辛いかもしれないけれど、運動のあとのビールは美味しい。
そういったごく当たり前のこと、シンプルなことが、生活の中にある。
そのことが、もしかしたら自分を『今』に一致させてくれるから、このような心持ちでいられるのかもしれません。
そして、『今』に自分が一致すると、矛盾しているようですが、同時に過去も未来もクリアに見えるのです。
自分が今、いる場所を「いい所だ」と思うと、この場所を作ってきた誰かに自然とありがとうと思える。いつまでも綺麗なところ、素敵なところでいて欲しいと思うから、「これから」を考える。
好きな人を思う時、出会えたことはもちろん、自分や相手が生まれてきたことを嬉しく感じるように、好きな場所、大切なところのことを考えることは、とても幸せなことだと私は思います。