【インタビュー】まちづクリエイティブ・寺井元一さん、小田雄太さん|まちづクリエイティブ不動産業を核に、クリエイティブな自治区をつくる|Re:Tokyo
東京は、これから5年で大きく変わる。
2020年の東京オリンピックに向けて、大規模な都市開発が進行し、そこかしこでスクラップ&ビルドが行われている。
東急線や小田急線が地下化したことによって、渋谷駅や下北沢駅周辺の再開発が進み、築地市場は豊洲への移転が進められ、国立競技場も新しくなる。そのことにワクワクするかと問われたら、あなたはどうだろう? もしかしたら、微妙な気分を抱いているかもしれない。
良くなるにしろ、悪くなるにしろ、東京の都市計画は私たちひとりひとりの気持ちとは別のところで、いやおうもなく押し進められる。特に昨年は、そのように感じられる出来事が頻発した。
この大きな流れに乗っているだけでは、個人個人が望む未来にたどり着けないのでは? そんな疑問を解くヒントを求め、この連載「Re:Tokyo」ではオルタナティブな立場から、東京という都市に働きかけるキーパーソンを取材する。
この都市を愛しているからこそ出ていく人、変化を起こすために新たな流れを呼び込む人、既存の街並みをあえて破壊する人……。東京に対するそれぞれの「返信」は、私たちが自分の目線で自由に未来を描くための、貴重な手がかりになるはずだ。
千葉県松戸に、ゼロから創り出したMAD な街
千葉県松戸の駅前に面白い地域がある。その名もMAD City。株式会社まちづクリエイティブのプロジェクトから生まれた、「クリエイティブな自治区」だ。
まちづクリエイティブのビジネスモデルの核は不動産業だが、一般の不動産屋とは趣が違う。彼らにとって、不動産物件は外から人を呼び込むためのインセンティブであって、活動の主眼はまちづくりにある。
彼らは、サブリース(転貸)のビジネスモデルを活用して松戸の一角、半径500メートルの範囲をMAD Cityと再定義し、新しい街を作っている。
まちづクリエイティブがやって来るまでは、松戸は無数にある地方都市のひとつに過ぎなかった。常磐線と新京成線が乗り入れ、交通の便は良い。「アトレもある。伊勢丹もある。しかし文化的ではないベッドタウン」住んでいる人が、自らそう批評するような街だった。そこが、この5年でにわかに変化が生まれた。
老朽化したマンションは若者で満室状態。彼らは、思い思いのリノベーションを施す自由を謳歌している。駅前のカップルホテルはクリエイターの工房や、一定期間アーティストを滞在させるレジデンスになった。
新しいビルが建ったわけではない。目に見えて風景が変わったわけでもないが、そこに居る人達が、明らかに変わった。それを仕掛けたのがまちづクリエイティブであり、変化の現場がMAD Cityというアイデアなのだ。
実は、まちづクリエイティブは松戸から立ちあがった会社ではない。
代表取締役の寺井元一さんは、2002年にNPO法人KOMPOSITIONを設立。渋谷を拠点に、若いアーティストやアスリートに活動の場を提供する活動をしてきた。
また取締役でクリエイティブ・ディレクターの小田雄太さんは現在も東京に拠点を置き、COMME des GARÇONSなどともコラボレーションするデザイナーである。その他のスタッフも、松戸に住んでいる人は半数程度だという。
そういった彼らが、なぜ松戸でまちづくりをしているのか。その手法やビジョンはどういったものなのだろうか。まちづクリエイティブの寺井さん、小田さんに話を聞いた。
渋谷で感じたもどかしさが、新しいまちづくりの原動力。
── クリエイティブな自治区という言葉を聞いただけでは、その実像が上手くイメージできないのですが、いったい松戸で何が起こっているのでしょうか。
寺井元一さん(以下、寺井)
MAD Cityは松戸の駅前半径500メートルの範囲を核に、徒歩圏に限定したまちづくりのプロジェクトです。「まちづくり」という言葉は、元々あった街をアレンジする意味合いが強いと思いますが、僕らは違うアプローチを取っています。
MAD Cityはクリエイティブな自治区であるというビジョンを掲げて、全く新しい街を作ろうとしているのです。元々の住民だけでなく新しい人を呼び込み、独自のルール、独自の経済、独自の文化が生まれていくことを目指しています。
実際に2010年のプロジェクト開始以来、5年を経てのべ200人以上のクリエイティブ層を誘致してきました。
── ゼロから新しい街を作るモチベーションは、どこから来るのでしょう。
寺井
まちづクリエイティブのアイデアは、僕の個人的な思いに基づいています。
MAD Cityを形成する半径500メートルという範囲は、住人にとって一番小さな世界。生活の基盤となる施設やコミュニティがあり、シェルターのようにその人を守り、やりたいことを後押してくれる場です。
僕は本来街って、そうであるべきだと思うんです。ところがMAD Cityを作るまで活動の拠点にしていた渋谷は、そういう街ではなくなっていったという実感がありました。ならば、ゼロから作ればいいと、株式会社まちづクリエイティブを設立したのです。
── まちづクリエイティブのメンバーは、寺井さんにしても小田さんにしても、元の拠点は東京にあったのですね。
寺井
二人とも渋谷です。
僕はまだメジャーでないアートや、スポーツをやっている人達のために仕事をしていました。彼らの描くグラフィティや、ストリートバスケのプレイを知ってもらうためには、路上や公園で人目に触れさせる必要がります。そこで僕はNPO法人を作って公共空間を活用し、彼らの活動をサポートしていたのです。
公共空間には様々な規制があります。実はその規制があらかじめ個々に条例などで決められているかというと、そうではありません。条例に書いてあるのは、例えば「迷惑をかける騒音を立てるな」ということだけ。何が騒音にあたるのかは解釈次第です。その解釈は、日々寄せられるクレームによって形成されます。
クレームのたびに、できないことのリストがふえていく。例えば公園の音楽ステージで、ロックやハウス、テクノが禁止になっている例がある。音楽ジャンルに優劣があるはずもないのに、ロックやハウスを演奏しているときにクレームがきたら、それが禁止になっていってしまう。
多様な人が集まること自体は素晴らしいのですが、そこにコミュニュケーションがないと、クレームだけが独り歩きし、禁止事項が増えていく。やがて街が人を後押しするパワーが落ちていきます。
僕は街に根付いた活動をしていたので、そんな場所に居る意義が見つからなくなったのです。