移ろいの美学。アルネ・ケーンズがつくる次世代型「ノアの方舟」?
期間限定のパブリックアートは、公の場所に突如として現われ、そして撤去されていく。まるでミュージシャンが各地を転々と回り、機材を運んではギグを続けていくような感覚に似ている。それは一種のパプニングであり、観者との間にどのような相互作用が起きるか、フタをあけてみるまで分からない。
優れたパブリックアートは、設置される場所がどこであれ、美術館の外というパブリックスペースに陣取る限り、単なるオブジェクトとしてのみ存在することはない。そこでの主役は歩行者であって、作品ではないからだ。パブリックアートにとって重要なのは、野外スペースに身を置く人間の存在をいかにして認めていくかということである。
多くのパブリックアーティストのなかでも、とりわけアルネ・ケーンズは、人と人のコミュニケーションに重点を置いて取り組んでいる作家の一人だ。ケーンズは、1971年ベルギー生まれ。正規の美術教育を終えることはなく、80年代からグラフィティアーティストとして活動を始めたが、今では世界中に木を使った巨大なインスタレーションを披露している。
《Uchronia》(2006)
ケーンズの作品はどれも規模が大きく、たとえば2006年の《Uchronia》では、1~3mの長さにカットした木材を、計150㎞分使用した。25人の職人チームが3週間かけ、高さ25m、面積60×60mの基部にそびえ立つ建造物を完成させた。
これは、ネバダ州で行われた『バーニング・フェスティバル』のために建てられたものだった。『バーニング・フェスティバル』とは、アメリカ北西部のブラックロック砂漠で8月末から1週間開催される催しで、各参加者は、この平原に街を作り上げ、新たに出会った隣人たちと共同生活を営むことになっている。フェスティバルの最後に《Uchronia》には火がつけられ、燃え上がった。その光景は感動的で、人々の記憶に深くとどまった。作品を介して、あらゆる方法で人間同士にコミュニケーションを取らせることを目標としてきたのである。
《THE PASSENGER》(2015)
ケーンズの作品は、荒野だけでなく、その規模の大きさのまま都市にもひょっこりと顔を出すから驚きだ。「私の夢は、都市をインタラクティブな屋外ミュージアムにすること」だと語るケーンズ。その態度がよく現れていたのが、たとえば《The Passenger》(2015)のような作品である。
この作品も、素材は木材。全体のサイズは、長さ43m、高さは16mになる。ベルギーのモンスという都市のニミー通りに造られた。ケーンズはアートのドローイングや設計段階に入る前に、必ずその土地の文化的な下地を調べる。この場所は、13世紀頃、貿易で人の行き来が活発になり、かなり賑わったとされており、モンスの中心街への入り口であった。この通りに文化が流れたことで、当時の人々は活気づいた。当時のことを意識しながら、ケーンズは現代の通行人の頭上に、この刺激的な文化物を設置してみることにしたらしい。これを機に都市に関する対話や議論が人々の間で再熱するだろうと、彼はにらんでいた。
次世代型、ノアの方舟?
ケーンズの作品は、見れば見るほど、その異様な空間が生み出す雰囲気に心を奪われる。しかし、自分の作品はカオスではない、と彼は言う。「私の世界にはカオス(混沌)などというものはない。別の言い方をすれば、カオスは存在するが、構造の形態としてのみ存在する」。だからこそ、彼の態度は一貫している。ケーンズがすることといえば、それは人々が移ろう場所に、自分の作品を設置するというだけの実にシンプルなことなのだ。そうすれば、人は勝手に作品の中を通り抜ける。それはいつの間にか乗り物のような一時の共有スペースとなり、人々の間にコミュニケーションが発生しそうな予感を巧みに引き出す。
《Uchronia》がノアの方舟のように見えるのも、《The Passenger》=乗客といった意の作品ができたのも、そう考えれば納得がいく。作品を堅固なアート作品だと主張するよりも、何か特別な、概念的な大きな乗り物として、人々を包み込み、乗せ込むほうが、観者もよっぽど気を許せるものだ。これはアート作品に限っていえることではない。『アベンジャーズ』のようなハリウッド映画に大きな空飛ぶシップのようなものが登場するが、それが「乗り物」で人がそこに乗り込み集える場所だと雰囲気で伝わってくるからこそ、見ている側も安心できるし納得がいくわけだ。あの感覚に似ている。違いといえば、アルネ・ケーンズの作るシップは、もっと温かみと生命力に富んでいるということだろう。
Via: arnequinze.com
参考文献: FRANCESCA TATARELLA 著/ 牧尾晴喜 訳『ナチュラル アーキテクチャーの現在』(ビー・エヌ・エヌ新社)