ツリーハウスつくろう(2)
今回は、僕が出会い影響を受けた『人』ツリーハウスクリエーター 小林 崇 さんと、その世界について、体験レポートを綴っています。
沖縄で特大のツリーハウス(冒頭画像)を見上げ感動したあの時は、まさか、自分がそれを造った方の下で勉強するとは、想像もしていなかった。
感動は人を動かす。
YADOKARIのマニュフェストにある通り、湧き上がる好奇心に従うと、どうやら世界は驚く程面白くなるようだ。
ツリーハウスクリエーター 小林 崇 さん
スタイルとデザイン、感性をコンセプトにしたツリーハウスを創作する。日本のツリーハウス制作、第一人者。世界中のツリーハウスビルダーや樹木医と交流しながら、最先端の技術やデザイン、樹木学等を学び、ツリーハウス情報を共有している。
いつもと違う視点や発想を得られる木の上の空間、ツリーハウス。 大人が夢中になれる遊びと捉え、夢をあきらめないことや、遊びの中から学ぶことを大切にし、自然で豊かな生き方という価値観を提案している。

【ツリーハウスビルダー養成講座】
この講座は日本ツリーハウス協会が主催する、制作の技術とその利用に関する基礎知識の習得を目的とした、初級者用のプログラムだ。ツリークライミング・ロープワークや木工技術といった実技と、樹木生態学・建築デザイン、ソーシャルデザインといった座学を外部の講師も迎えながら、実際にツリーハウスを制作していく中で学び取っていく。
講座で制作したツリーハウスは地域活性化のシンボル、観光の呼び水として、完成後に地元へ引き渡される。
今回、僕らが講座でツリーハウスを建てるのは、千葉県富津市金谷地区にある鋸山(のこぎりやま)の山中。
この山は、良質石材の産地として、かつて盛んに採石が行われていた。その結果、露出した山肌の岩が、鋸の歯状に見えることから、その名で呼ばれるようになったそうだ。
ツリーハウスビルダーはじめの一歩
講座は、主催である小林 崇さん(ここからは敬意を込めた愛称“コバさん”とお呼びする)のツリーハウス概論の講義から始まった。いよいよツリーハウスビルダー養成講座が開講だ。
【ツリーハウスの歴史】
生きた木を土台に造られる建造物。その起源は東南アジアの民族と言われており、彼らは敵対する他の民族から身を守る為、樹上高く住居を構えた。言わば森のシェルターといったところだろうか。大航海時代、東南アジアに辿り着き、樹上生活民族を見たヨーロッパ人が、宮廷で庭師に再現させた事がきっかけで、ツリーハウスは西洋へと広がっていった。
やがて近代になり、アメリカではベトナム戦争の反対運動をきっかけに「文明を捨てて森へ帰ろう」というヒッピー・ムーブメントが起こった。彼らはバスやティピーで暮らしたが、その一部が樹上生活を始めた。それが今に繋がっている。
歴史から見たツリーハウス文化は、物質文明へのアンチテーゼ、自由の象徴といえる。

日本のツリーハウスの現状
前述の通り、世界では既に成熟したツリーハウス文化があり、日常生活に近いところにそれがある。しかし、日本は欧米ほどの大木が少なく、また土地も限られており、文化としてはまだ根付いていない。まだまだ黎明期と言える。
地面に基礎を打たずに建つツリーハウス。その為、法律的にも非常にあいまいで、個人が私的に自分の土地に建てる分には何の問題無いが、公共空間等では建造物として申請する事が、時に難しい。遊具などとして見られる場合など、自治体によって対応は様々なようだ。
ツリーハウスの魅力
ツリーハウスの魅力は、日常の煩わしさや、過剰な便利さからも隔絶され、なんともいえない非日常感を得られる事にある。
コバさんの言葉で、印象的なものがある。
「僕らの祖先は太古、動物として木の上に住んでいた。そのDNAが今も僕らの身体には受け継がれていて、木の上に裸足で立つと、この足の指は、枝をグリップする為にあったのだろうと感じる事がある。ツリーハウスは、僕らのルーツと強く結びつくのではないだろうか。だからこそ、何かワクワクする感じ、幸せな感じがするのかもしれない」
ツリーハウスの歴史や定義といった概論、そして魅力を一から教わった。しかしビルダーは、樹上に登る事で得られる自由と共に、その危険性も知り、学ぶ責任がある。
僕らはこれから、地球環境と人間生活の基礎的な知識を更に学び、ツリーハウスの有効利用を考えていく。
自由と責任はいつも表裏一体だ、何事も。
ツリーハウスビルダー養成講座は、こうして始まった。