第8回:加計呂麻島から来て、東京で感じること|女子的リアル離島暮らし

YADOKARIをご覧の皆様、こんにちは。小説家の三谷晶子です。 現在、私は実家の用事や仕事の打ち合わせなどもあり、東京におります。

旅立つ前に海上タクシーから見た加計呂麻島の風景。早くも青い海が恋しい今日この頃です。
旅立つ前に海上タクシーから見た加計呂麻島の風景。
早くも青い海が恋しい今日この頃です。

先日は、この連載をさせて頂いている『未来住まい方会議 by YADOKARI』の運営チーム及びサポーター、読者の方々が集う新年会に参加しました。 この連載を読んでくださる読者の方にもお会いでき、遠い島からでも自分の書いたものが届いていることを感じて、とても嬉しかった。

さて、今回は、加計呂麻島から東京帰省をして感じていることをお伝えしようと思います。

スーパーで見る、食べ物に対する実感


東京に来てすぐにスーパーに買い物に行き、並んでいる野菜を見て私は不思議な気持ちになりました。

家の庭に生えている木にはこちらのみかん、『たんかん』が鈴なりになっています。
家の庭に生えている木にはこちらのみかん、『たんかん』が鈴なりになっています。

現在、私は、島で知らない人が作っている野菜を食べることがほぼありません。

港や無人販売所で売っている野菜はほとんど同じ集落の方が作ったもの。畑仕事が好きなお年寄りから食べきれない野菜をおすそ分けして頂いたり、無農薬で長年野菜を作っている方のおうちに行って直接購入をしたりしています。そちらのほうがフェリーで海を渡って買い物に行くよりずっと楽で、便利。そして、同じお金を使うなら、できれば自分が好きな島でお金を落としたい。私が島で野菜を買う理由はただそれだけです。

島にあるのはタバコ屋兼雑貨店とこの移動スーパー「とらや」、野菜の無人販売所のみ。どちらの方にも良くして頂いています。
島にあるのはタバコ屋兼雑貨店とこの移動スーパー「とらや」、野菜の無人販売所のみ。
どちらの方にも良くして頂いています。

しかし、東京のスーパーで売っているのは、産地も行ったことがなければ、生産者の方のことも知らない野菜だけ。そのことに、私は、何だかびっくりしてしまったんです。

道を歩いている最中に桑の実が生えているのを発見。甘酸っぱくてジューシー!
道を歩いている最中に桑の実が生えているのを発見。甘酸っぱくてジューシー!

例えば、道端を歩いていて、通りすがりの見知らぬ人から食べ物を手渡されたとします。その食べ物を抵抗なく食べることは、かなり無理があると私は思います。

産地の偽装や食品についてのことを、私は全く詳しくありません。ただ、顔の見える相手が作った食べ物を食べることは、シンプルですっきりしているな、と思います。

渋谷モヤイ像前で「港がなくて不便」だと思う


そして、さらに不思議だったのが、渋谷のモヤイ像前で友人と待ち合わせていた時のことです。

私の家の最寄りの港、生間(いけんま)港。この景色を見ていれば時間はあっという間に過ぎていきます。
私の家の最寄りの港、生間(いけんま)港。この景色を見ていれば時間はあっという間に過ぎていきます。

久しぶりの東京で、電車の乗り換えや人混みに慣れない私は、待ち合わせに遅れないよう時間に余裕を持って行動していました。 そうしたら、モヤイ像前に待ち合わせの30分前についてしまったんです。

週末、人でごった返すモヤイ像前は、とても落ち着ける場所ではありません。 かと言って、カフェで時間を潰すにも、週末の渋谷駅近くのお店はどこも混んでいます。すぐに入れるお店を探していたら、あっという間に15分ぐらいは経ってしまう。30分後に待ち合わせを控えているのに、それはちょっと非効率。

その時、私はこう思いました。

「加計呂麻島なら、港に座って海を眺めていたら30分くらいすぐなのにな」

海はいつでも不思議と見飽きないもの。港には自販機もあり、喉が乾いたらお茶も買えます。私としては、何も不自由はありません。

こちらは私の家の近くの海。水遊びをしたり、貝殻を拾っていれば30分はすぐに過ぎます。
こちらは私の家の近くの海。水遊びをしたり、貝殻を拾っていれば30分はすぐに過ぎます。

モヤイ像前で「港がなくて不便」なんて感じているのはきっと私ぐらいだろう、と思うと何だか可笑しくなってしまったけれど、これが正直な私の気持ちです。

鳥の声より車の音が大きいことに対する違和感


私は東京生まれなので、現在は実家に滞在しています。実家は23区内ですが、いわゆる住宅街で東京の中では静かな場所です。 しかし、そこで朝起きた時、何だか釈然としない気持ちになりました。

それは、鳥の声が聞こえてこないことに対する違和感です。

鳥の撮影は難しかったけれど、こんな風に道端でカニにもよく会う島です。
鳥の撮影は難しかったけれど、こんな風に道端でカニにもよく会う島です。

今、私が加計呂麻島で住んでいる場所は、すぐ裏が山。天然記念物のルリカケスやリュウキュウコノハズクの鳴き声がよく聞こえてきます。海までは徒歩3分。波の音も時折、響いてきます。 もとより人口が1400人にも満たない島ですと、車もそうそう通りません。朝起きてすぐに聞くのはいつも鳥の声です。

自分が毎日鳥の声を聞いて目覚めていたことに気づき、加計呂麻島の自然が素晴らしいものであることを、改めて感じました。

田舎で暮らすこと、都会で暮らすこと


現在、地方で暮らしたいと思う方は増えているようです。 先日、この『女子的リアル離島暮らし』をITジャーナリスト佐々木俊尚さんがTwitterFacebook上で取り上げてくださり、 多くの反響をいただきました。

田舎のほうがいい、都会のほうがいい、というのは一概には言えない問題です。 実際、私も現在の東京滞在で、友人と会い、島にはない美術館で芸術作品を鑑賞し、レストランで島ではなかなか食べられない手の込んだ料理を楽しんでいます。

しかし、それでも、今の私は、「東京はたまに滞在すればいい。日々の生活を送るのは加計呂麻島がいい」と思っています。

家の近所の諸鈍長浜の夕日。この景色が私の居心地のいい場所です。
家の近所の諸鈍長浜の夕日。この景色が私の居心地のいい場所です。
移動スーパーのほかには移動図書館も。私の本も置いてくださっている加計呂麻島がある瀬戸内町の図書館が、月に2回巡回してくれます。
移動スーパーのほかには移動図書館も。私の本も置いてくださっている加計呂麻島がある瀬戸内町の図書館が、月に2回巡回してくれます。

ライフスタイルは人それぞれ。また、何か心地よいと思うかも、人によって違います。

自分にとって心地よいことを知ること。そして、その環境を作り上げること。

「自分の幸福を欲し、自分の幸福をつくりださねばならない」

これは、フランスの哲学者アランの『幸福論』中の言葉です。

「行動する楽しみは、いつも約束以上の楽しみを与えてくれる」

これも同じくアランの言葉。

住みたい場所に住むために行動することは、時に大変なこともあるかもしれません。 けれど、やっぱり、とても楽しいこと。

加計呂麻島に住み、東京に滞在することができる今の状況を嬉しいと思うとき、私はいつでも「幸福だな」と感じています。