第9回:遠いところに、手を差し伸べる島|女子的リアル離島暮らし
YADOKARIをご覧の皆様、こんにちは。小説家の三谷晶子です。
現在、まだ東京での用事が片付かず、東京に滞在しております。加計呂麻島には3月下旬に帰る予定。二ヶ月ぶりに見る島の景色がどのように自分の目に映るのかが楽しみです。
3年前の、東日本大震災を経て
東京に滞在して感じるのが、近頃とくに都心から地方へ移住を希望する人が増えているということ。移住を試みた理由は様々ですが、大きなきっかけとなったのが東日本大震災であるという方は多いようです。
3年前の3月11日、私は東京にいました。夕方から友人と食事をする予定で、シャワーを浴びて準備をしようと思っていたところで地震が発生。私は部屋着のまま、外に飛び出しました。
道端の電柱が見たこともない程に揺れていたこと、家の前の駐車場の車がずるずる動いていたこと。
被害の少ない東京にいた私ですが、今でもありありとあの時の気持ちを思い出せます。
加計呂麻島で出会った被災者の方々
私が加計呂麻島に住んで間もない去年の2月。島にツアーで東北の方がいらっしゃいました。
当時の私は加計呂麻島自然塩工房にお世話になっていて、ツアーでいらっしゃる方に塩のつくり方の説明をするお手伝いをしていたんです。
そのツアーの中にはお子さんがアトピーで悩んでいる親御さんがいらっしゃいました。 アトピーの治療にはミネラルが含まれ、塩分で殺菌・消毒ができる海水が効果があると言われています。
「でも、福島の海は……」
そう呟いて、俯いたその方にも、私は何も言えませんでした。何も、言えるわけがない。そう思いました。
けれど、その時、塩工房のご主人は手近にあった商品をがっと掴み、その方に言いました。
「これ、持って行って!」
それから、塩工房のご主人は加計呂麻島自然塩工房で作っている『水塩』をその方に数本手渡しました。
『水塩』は塩が結晶化する手前で火を止めた、いわば海水を煮詰めた液体状の塩。海のミネラルがそのまま入っています。
「これ、お子さんに使ってみて! きっと良くなるから!」
その方は何度も頭を下げて、手を振り去って行きました。
ツアーの方々が帰ったあと、塩工房のご主人は、肩をすくめて笑いながらこう言いました。
「あぁ、俺はこういうことしちゃうからいつまでたっても儲からない」
私はなんだかほっとして、どうしたらいいのかわからなかった自分に「こうしたらいい」と教えてもらったようで、
「でも、そういうところ、私、素敵だと思います」
そう言うと、ご主人は、さらに笑顔を深めて「ありがとな」と言いました。
助け合うことはけして特別なことではない
例えば、道を歩いていて、通りすがりの誰かが事故にあったとします。普通なら「大丈夫ですか?」と声をかけるし、救急車を呼んだり、手当てをしたりすると私は思います。
けれど、余りにも大きなことが起きた一体何をすればいいのか、わからなくなってしまうものではないでしょうか。
少なくとも、被災者の方とお会いした時、私は何を言えばいいのか、まるでわかりませんでした。
第3回の記事でも書いたように加計呂麻島は仕事がなく、けして裕福な島ではありません。けれど、それでも、疲れ果てた人、困っている人に手を差し伸べようとしている方がいます。
現在、加計呂麻島では、ちいたび奄美というプロジェクトに取り組んでいる方々がいます。
福島の線量の高い場所で暮らす子ども達は、落ち葉で焚き火をして焼き芋を焼くこともままならず、折り紙を落ち葉の形に切って、疑似体験の焚き火をしているそうです。 子どもを育てるお母さん方も、外で子どもを遊ばせることもできず、大変なストレスを抱えていらっしゃいます。
そこで、手付かずの自然が残る奄美、加計呂麻島に、線量の高い地域に暮らすご家族を呼んで、しばしの間でも安心できる時間を提供するプロジェクトが、このちいたび奄美です。
私は原発問題にも何も詳しくないし、放射能の専門家でもありません。けれど、自由に好きな場所で生きることができないストレスや、どこに行けばいいのかわからず不安だらけの日々の気持ちは、被災者の方の比ではないと言えど、理解できます。
現在、ちいたび奄美およびちいたびJAPANでは、活動のための支援を募集しています。募集はこちら。クラウドファンディングサイト、READY FOR?でも支援を受け付けています。そちらはこちら。
加計呂麻島は、誰かが重い荷物を持っていたら手を差し出し、雨の中歩いている人がいたら「車乗ってく?」と声をかけることが、今も当たり前にあります。
そして、こうして、出会ったことのない遠くにいる方々にも、手を差し伸べようとする島です。
この島の素晴らしさが、遠い場所にいる方にも伝わることを、私は願っています。