【アフターレポート】\二拠点居住と山梨 Vol.1/ 新たな拠点で生業をつくる 〜仕事を通じてまちに寄り添う暮らし方〜

近年話題となっている”二拠点居住”という新しいライフスタイル。新型コロナウイルスの影響で働き方が多様化したことで、二拠点居住に興味を持った方も多いのではないでしょうか。

 一つの地域に定住するのではなく、2つの拠点を行き来する二拠点生活。平日は首都圏の家から会社へ行き、休日はもう一つの拠点である地方の家でリラックスして過ごす。出社する日は首都圏の家に帰り、リモートワークの日は地方の家で仕事をする。将来地域で事業を起すための足がかりとして、首都圏に生活拠点を持ちながらも、定期的に地方で過ごす時間をつくる。などなど、二拠点生活の形も目的も人それぞれ。

 どんな目的を持ってどんな生き方をするか、自分次第で自由に決められる時代になったからこそ、たくさんの選択肢のなかからどんな生き方を選ぶのか、自分に合った道を決断するのが難しくなったように思えます。

 既に二拠点居住をしている人、自分が興味を持っている地域を活動の拠点としている人、自分と同じように二拠点居住に興味を持っているけれど何から始めれば良いか悩んでいる人。そんな人たちと出会い、それぞれの生き方について一緒に考える場があったらな。

 そんな「あったら良いな」を実現するのが、オンラインセミナーと現地ツアーから成るイベントシリーズ「二拠点居住と山梨」です。その第1弾として、去る10月9日(土)「二拠点居住と山梨 Vol.1  新たな拠点で生業をつくる 〜仕事を通じてまちに寄り添う暮らし方〜」と題したオンラインイベントが開催されました。

どうして山梨?

首都圏に家や職場を持つ人にとって、2つ目の拠点を選ぶ際の重要な要素は「距離」。

山梨県は都心からのアクセスが良く、JR中央線を使えば新宿から大月駅まで約60分、甲府駅まで約90分で移動することができます。さらに、数年後に開通予定のリニア新幹線を使えば、品川・甲府間を約25分で移動することが可能になると言われています。このように、山梨県は二拠点生活の移住先として、立地条件がとても良いエリアなんです。

さらに、移住者への支援制度が充実しているのも山梨県の魅力。イベントの冒頭では、やまなし暮らし支援センターの移住相談員である宮崎さんより、山梨での暮らし、そして山梨県で実施されている移住に役立つ制度について、お話がありました。

 有楽町にあるやまなし暮らし支援センターでは、首都圏在住で山梨県に移住や二拠点生活を検討している方向けの相談窓口が設置されています。山梨県への移住に本格的に動き出している方から、移住したい場所や時期は漠然としているけれど移住に興味があるという方まで、幅広く相談を受け付けています(相談は無料、要事前予約)。

 山梨への移住について詳しい話を聞きたい、相談してみたいという方はぜひ、やまなし暮らし支援センターにも足を運んでみてくださいね。

学生時代に憧れたビルをリノベーション!

 移住先にぴったりな山梨県での生活がどのようなものか気になりますね。今回のイベントでは、山梨県内で地域に根ざした事業を展開している「移住の先輩」であるお二人をゲストに迎え、山梨県で事業を行うことになった経緯や、山梨県での暮らしについてトークが行われました。

IROHA CRAFT代表、一級建築士。スクラップ&ビルドの建築に違和感を覚え、29歳で建築事務所を開設。空き家、空きビルのリノベーションに尽力。2018年、廃墟と化していた街のシンボル「アメリカヤ」を複合施設として再生。山梨県建築文化奨励賞、リノベーションオブザイヤー2018特別賞受賞。2019年、居酒屋を5店舗誘致し、アメリカヤ横丁をオープン。リノベーションオブザイヤー2年連続受賞。

 1人目のゲストスピーカーは、一級建築士の千葉健司さん。空き家や空きビルのリノベーションに特化した建築会社であるIROHA CRAFT(株式会社アトリエいろは一級建築士事務所)の代表を務めています。

 千葉さんは、2018年に山梨県韮崎市にある「アメリカヤ」という廃ビルをリノベーションしたことを契機に、現在は隣接する甲斐市に住みながら、アメリカヤ周辺エリアのまちづくりに取り組んでいます。

手すりの錆が目立つリノベーション前のアメリカヤ

1967年に建設されて以来、韮崎市のシンボル的存在だったアメリカヤビルは、韮崎市内の高校に通っていた千葉さんにとって憧れの存在だったそうです。しかし、大学進学を機に地元を離れた千葉さんが、29歳となり、再び韮崎市に足を運んだ時には、アメリカヤビルも周辺の商店街もすっかり廃れていたといいます。

「リノベーションや建築で街を盛り上げるなら、お世話になった街に行きたい」という思いで街に戻ってきた千葉さんは、「アメリカヤを複合施設として復活させ、街を盛り上げたい」という熱い思いを大家さんへ伝え、リノベーションに着手することとなりました。

現在コミュニティスペースとして利用されている5階のエリアは、再び地域の人に愛される場所になってほしいという思いから、地元の有志の方と共に塗装作業を行ったそうです。 

2018年4月、複合商業施設としてオープンした新生アメリカヤは、初日から大盛況。無料開放されている5階のコミュニティスペースは、お弁当を食べたり、仕事をしたり、小学生がゲームをしたりと、地域の方が集い、自由な時間を過ごせる場として愛されています。

アメリカヤから街へ 

アメリカヤ横丁オープンの日の写真@アメリカヤスクエア 500人近い地元の方が集まって盛大にお祝いした

千葉さんは、新生アメリカヤのオープンを多くの方が喜んでくれたことで、考え方に変化が生まれたと言います。

千葉さん「地域住民、行政、入居者と、想像以上に多くの方がアメリカヤのリノベーションを喜んでくださって、建物単位というより、街として、この盛り上がりをどう広げていったら良いかを考えるようになりました」

千葉さんは、アメリカヤ横の土地を駐車場兼イベントスペース「アメリカヤスクエア」としてデザイン。周辺の空き家もリノベーションし、個性的な5つの飲み屋が集うアメリカヤ横丁や、ゲストハウス「chAho」が誕生しました。

古民家をリノベーションした「おけたく指圧院」

 chAhoの2軒隣には、渋谷区から移住してきたご夫婦が立ち上げたコーヒー屋「PEI COFFEE」がオープン。同じ通りには、品川区から移住してきたご家族が住む古民家があるそうです。こちらのご家族は、古民家を3分割し、ご主人が営む指圧院、奥様が営むカフェ、そして家族が住む住居として有効活用しています。家族で山梨県に移住することで、お互いの夢を叶えているんですね。

 千葉さん「韮崎市は人口3万人弱の市で、高校も2校しかない。そのため、高校の先輩にあたる内藤久夫韮崎市長や、大村智博士(ノーベル生理学・医学賞受賞)が、後輩が地元を盛り上げてくれるなら応援しよう、とバックアップしてくださっている。このような関係性を築けるのは、田舎の良さでもあるなというのを日々強く感じています」

 アメリカヤを中心に魅力的なお店や施設が増え、賑わいを見せている韮崎中央商店街。一度街を離れた千葉さんや、新たに移り住んできた人々の挑戦に寛容なのは、都会から少し離れた山梨県が持つ魅力なのかもしれません。

Uターンで地元の飲み屋街を復活!

1983年山梨県笛吹市生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業。2015年にふじよしだ定住促進センター職員となり、根っからの酒飲み・酒場好きから、空き店舗ばかりになってしまった飲屋街〈新世界通り〉の復活プロジェクトを担当。2016年に新世界通り運営会社合同会社〈新世界通り〉を設立。魅力的な街をさらに魅力的に、「乾杯!」の掛け声で賑わい、笑顔溢れる飲食店街にしようと日々奮闘中。

2人目のゲストスピーカーは、合同会社新世界通りで代表を務める小林純さん。山梨県富士吉田市にある飲み屋街「新世界乾杯通り」のマネジメントと、新世界乾杯通りがある西裏エリア全体を活性化するためのコーディネートを手がけています。

こうふのまちの芸術祭の様子

山梨県笛吹市で生まれ育った小林さんは、大学進学を機に上京。様々な職歴を経て、27歳の時、地元の山梨県にUターンしました。

「地元に帰って、馴染みのある街でイベントをしたり、関係性を作ったりしたい」という思いから、中高時代を過ごした甲府の街で、幼馴染と共に「こうふのまちの芸術祭」と題したアートプロジェクトを立ち上げた小林さん。2010年から2016年まで「こうふのまちの芸術祭」に携わるうちに、出会った方たちとのご縁で、「まちづくりやまちのイベントを仕事としてやりたい」と考えるようになったそうです。

そして32歳の時、ふじよしだ定住促進センターへ転職。小林さんは、「30歳を過ぎてからの転職だったけれど、富士吉田市の人たちは温かく迎えてくれました」と当時を振り返ります。ふじよしだ定住促進センターは2015年から飲み屋街を活性化させるプロジェクトに着手しており、お酒が好きな小林さんはその担当となりました。

「猫しかいない道」を、乾杯の声で賑わう場所に

 現在小林さんが担当しているのは、西裏エリアを活性化するためのコーディネートと、エリア内にある「新世界乾杯通り」のマネジメントです。かつては数えきれないほどのお店が立ち並び、歩けば人と肩がぶつかるほど賑わっていた西裏エリアですが、1990年代に入り、バブルの崩壊と共にお店が激減。「新世界通り」もほとんどが店を閉じ、空き家となっていました。

いつしか地元の人から、「猫しか通らない通り」と呼ばれるようになったこの通りを復活させるため、小林さんたちは空き家に放置されたゴミ出しからプロジェクトをスタートさせました。アメリカヤのリノベーションと同じように、地元の方の協力を得ながら、空き家の掃除や解体を行ったそうです。建物を利用したイベントなども開催し、復活プロジェクトには約3000人もの方が協力したというから驚きですね。

「新世界はしご酒」イベントにて、新世界乾杯通りの店主たちが鏡割りをしている様子

再び「乾杯!」の声が聞こえる通りになるようにとの思いから、「新世界乾杯通り」と名を改め、2016年2月23日、ふじさんの日に、この通りは新たなスタートを切りました。この時、ふじよしだ定住促進センターから運営会社として独立する形で、合同会社新世界通りが誕生、小林さんはその代表となりました。

 復活した新世界乾杯通りでは、焼き鳥、焼肉、イタリアン、スナック、バーといった個性的な10店舗が営業しています。小林さんは現在、既存入居店舗間の連携づくり、新規店舗入居の手伝い、物件の改修等を行っています。また、新世界乾杯通りをより多くの人に知ってもらうため、新世界乾杯通りの店舗や、近隣の西裏エリアの店舗と協働したイベントの企画運営も行っているそうです。

新世界乾杯通りだけでなく、通りがある西裏エリアを活性化するためのコーディネートも担当している小林さん。個人経営の小さなお店が集まる西裏エリアにて、店舗間の連携でづくりに加えて、マップや冊子、ウェブメディアの制作、イベントの企画運営、外国人観光客の受入体勢づくりなどを行い、エリアの魅力を発信しています。

小林さん「西裏には100店舗近い飲食店がありますが、それぞれのお店がすごく魅力的かつ個性的。昔ながらのピンク電話が残るお店をはじめ、歴史の深いお店がいっぱいあるので、新しいものを作るのも良いけれど、それぞれのお店の良さを活かして盛り上げていこうと思っています」

 地元に帰って、街を盛り上げるイベントや人との繋がりを作りたい。そんな思いで山梨県にUターンした小林さん。拠点を移して新しく何かを始める時には、人との繋がりが大きな力になるのかもしれませんね。

先輩が語る移住のリアル

 お二人のお話に続いて、テーマに沿ってフリーディスカッションを行うトークセッションが行われました。参加者の方から事前にいただいた質問や、イベント中にチャットに寄せられた質問をもとにトークが行われました。そのハイライトをご紹介します。

事前に用意されたトークテーマ

〇山梨暮らしの魅力とは?

千葉さん「都会だと、私のように思いを持って街を変えてやろう!というのは難しいと思います。私が活動している韮崎市は人口3万人弱で、志のある若者にはみんな味方してくれて、手を貸してくれる。若い人たちにチャンスをくれる、温かく見守ってくれる雰囲気がある温かくて良い街だなと感じます。そういった意味で、事を起しやすい、何かを変えるだけの可能性があるのかなと思います。」

小林さん「電車じゃなくて車や自転車生活できるのが、私はけっこう好きです。適度に田舎で適度に生活しやすい。ちょっと でかければ綺麗な山や湖に行けたり、買いものにも行けるので、すごく精神的に暮らしやすい街だなと思います。」

〇いま活動している地域や場所に思い入れを持てた理由は?

かつての「アメリカヤ」

千葉さん「自分の場合は、アメリカヤはもともと憧れていた建物だし、建物自体のポテンシャルの高さが理由としてありました。ずっと地域に愛されてきた歴史、ストーリーがある建物なので、それを継承して残していきたい気持ちが大きかったです。あとは、アメリカヤに視察に行ったとき、4階からの眺めが良過ぎて、ここで働きたいなとシンプルに思ったのも理由です。」

小林さん「一番大事なのは人だと思っています。色んな独特な方がいて、(プロジェクトに対して)肯定的な意見ばかりではなかったですが、西裏のお店の方にプロジェクト前から支えられていて、弱った時に行ったら夜遅くまで一緒にお酒を飲んで励ましてくれました。そういう人との繋がりがモチベーションになっていると思います。やりたいことがある、そして人との繋がりがあるから、おこがましいかもしれないけれど、この土地でみんなのために一緒に色々考えていきたいという気持ちが大きかったです。」

〇地元出身ではあるけど地元にずっといたわけではない2人。地元にずっといる人との間で感じる難しさや困難はあった?

小林さん「ふじよしだ定住促進センターは、行政から委託されてやっている促進センターなので、そこがハブになっていて、地域の重要な年配の方と繋げてくれました。直接関わりにいくよりも、定住促進センターをはさむことで円滑に仕事ができているので、ハブになる場所は大切だなと感じています。」

〇自分の街に二拠点居住したい人がいたら何て声をかける?

千葉さん「先ほどご紹介したPEI COFFEEのご夫婦や、指圧院とカフェを営むご家族など、東京から移住してきた方は、もともと住んでいた人たちよりも、街の人たちと上手く交流して馴染んでいます。それは、この街でやっていくという覚悟が決まっているからだと思うんです。ここがおもしろそうだから来てみようという中途半端なノリではなく、覚悟を決めて来ると、地元の人も受け入れてくれるようになるので、それが大事かなと思います。」

小林さん「富士吉田市は、夏は涼しくて一見暮らしやすいのですが、古民家や空き家だと、断熱設備が入っていなくて冬はとても寒いです。冬に離脱する人がけっこう多いので、そういう点を私たちももう少し伝えていかないといけないなと思っています。あとは、やりたいことがこの土地に来てきちんとできるかというのをきちんと考えている人のほうが、二拠点居住はやりやすいのかなと思います。」

〇これから挑戦したいことは?

千葉さん「 遊んで飲んで泊まる場所ができたら、次は集合住宅を丸ごとリノベーションして、移住者を受け入れるアメリカヤ村を作って、そこの村長さんになりたいです。」

小林さん「飲み屋の文化はすごく魅力的で、心が癒され、明日の活力になると感じています。西裏の文化をこれからも支え続けるのはもちろん、日本全国のギリギリ消えちゃいそうな飲み屋街を魅力的に発信していくことができたら良いなと思っています。」

 移住の先輩お二人が感じる山梨暮らしの魅力や、新しい土地で何かを始めることの難しさ、そしてこれからの夢。山梨への移住や二拠点居住を考えている方には、とても貴重なリアルな声が聞けたのではないでしょうか。

 イベントページのチャットには、「ハブになってくれるところがあると思うと、全部自分でやらなくていい、背負わなくていいという気持ちになれて良いですね」、「覚悟が決まるまで何度も足を運んでお試ししてみるのも良いのかなと思いました」といったコメントが寄せられていました。

二拠点居住に大切なのは……

 ここでイベントは中締めとなり、第2部では、希望者がルームに分かれてオンライン交流会が行われました。また、イベントの参加者の方が二拠点居住に向けた情報交換や横との繋がりが保てるよう、グループチャットができるアプリ「slack」のトークルームも作られました。

 千葉さん、小林さんのお話のなかでも何度も登場した「人との繋がり」という言葉。この「二拠点居住と山梨」のイベントを通じて、自分が憧れる暮らしを一足先に実現している先輩や、新しい一歩を共に踏み出す仲間と繋がることができたら、二拠点ライフがより充実したものになりそうですね。

「二拠点居住と山梨」では、移住の先輩のお話が聞けるオンライン二拠点居住体験ツアーを実施予定。二拠点居住や山梨県での暮らしに少しでも興味がある方は、この機会をお見逃しなく!皆様のご参加お待ちしています。

詳細とお申し込みはこちらからご確認ください:https://va.apollon.nta.co.jp/yamanashi_nikyotenonline/

文/橋本彩香