【訪問レポート】「おかげさま」で溢れるまちへ。タイニーハウスとつくるこれからの学びと人の繋がり|ぐるんとびー

「地域を一つの大きな家族に」をビジョンに、小規模多機能ホームなどの介護・医療の事業を通して高齢者の方々の生活支援を行う傍ら、地域のコミュニティづくりにも取り組まれている「ぐるんとびー」。株式会社という枠組みを越え、NPO法人としても活動されているそのお姿は、いうなれば地域の何でも屋さんのような存在かもしれません。

そんなぐるんとびーさんは、今年5月に新しく本社「ぐるんとびー まちかどオフィス」を新設し、その一角にYADOKARIのタイニーハウス「ROADIE mini」を設置していただきました。まちづくりへの新たな仕掛けとして導入されたタイニーハウスを使用しているのは、なんと地域の子どもたち。駄菓子屋さんとして利用され、地域の方々が集まる賑わいの場となっているのだとか。

今回は、ぐるんとびー まちかどオフィスを訪問させていただきました!はたしてどんな場所なのでしょうか。ぐるんとびー代表取締役、菅原健介さんへのインタビューの様子と共にお伝えします!



最寄り駅からバスで7分ほど。住宅街の一角にあるのが「ぐるんとびー まちかどオフィス」。お庭でミーティングをするスタッフの方々、タイニーハウス周辺に集まる子どもたち、本やあたたかみのある家具が並べられた玄関から、まるでお友達のお家を訪れたかのような温かさがありました。

大人たちがお仕事をしているすぐそばで、綿あめをつくる子どもたち。働くことと遊ぶことが共にある温かい空間。

タイニーハウスの駄菓子屋が誕生!本社に佇むROADIEに込められた想い。

—まちかどオフィスの新設にはどんなきっかけや想いがあったでしょうか。

菅原さん (以下敬称略):私たちは、主軸である介護や医療といった福祉事業を行いつつ、その他にも子ども向けのスポーツクラブ「スポトレ」や、まちの人の困り事を助ける「御用聞き」などの様々な活動を行い、魅力的なまちづくりに向けて取り組んでいます。しかし、多くの地域の方からは「介護・医療関係の会社」というイメージを持たれてしまい、地域の方となかなか関係性を築けずにいることが現状です。

私たちの目指すぐるんとびーの姿は介護や福祉といった特定の事業を行う会社ではなく、住民の助け合いや共助を最大化する活動隊や、活動のプラットフォームのようなもの。その姿を実現するための新しいまちへの仕掛けとして、また、まちの人やぐるんとびーがもっとシームレスに繋がることのできる場所として、この拠点を構えることを決めました。

—タイニーハウスを導入していただくことになったのにはどのような経緯があったのでしょうか?

菅原:元々、タイニーハウスというものに惹かれていて、本社新設の機会に設置したいと考えていました。中でもYADOKARIのROADIEminiに惹かれたのは、この可愛らしさや、柔らかい雰囲気です。

ROADIE miniの耐用年数は20年程と聞いています。十分な強度はありますが、強度を売りにしているプレハブのようなタイニーハウスなどと比べると、やや弱いなという印象がありました。だからこそ、手入れをしながら、愛着を持って使い続けられるのではないかと思ったんです。いずれは名前を付けたり、子どもたちと壁の色を塗り替えて模様替えをしていきたいです。

—今回、駄菓子屋さんとして利用することになったのはどんなきっかけがあったのでしょうか。

菅原:この秘密基地のような空間を、子供達の占有空間にできたら面白いなと思いついたことがきっかけです。すでに本社の中で駄菓子屋さんを行うことが決まっていたので、このタイニーハウスの中で子どもたちがお店を開いたら面白いんじゃないかなって。
息子のソウスケとも相談し、彼が子ども店長としてタイニーハウスの中で「駄菓子屋クレヨン」を営業することに決めました。

—なるほど!ソウスケくんが店長なのですね。

菅原:そうなんです。駄菓子の仕入れから販売、売上や利益の計算まで全てソウスケがやってくれていて、苦手だった算数も自然とできるようになっています。他にも「もっと多くの人に助けてもらいながら営業するにはどうしたらいいのだろう?」、「お金が払えないお客さんが来たらどうしよう?」などと経営に関することを自ら考え、学ぶ機会にもなっているようで嬉しいです。ソウスケは学校にあまり行っていないのですが、学び方はひとつじゃなくていいと思っていて、このタイニーハウスが彼の学び舎の1つ。
もしこれからタイニーハウスで駄菓子屋さんを始める人がいたら、ソウスケがノウハウをレクチャーをさせてもらう日が来るかもしれない。そんな未来もあるのではないかと楽しみにしています。

週に2回オープンしている駄菓子屋さんは友人たちと一緒に営業。放課後になると、ソウスケくんの学校の友達がたくさん買いに来てくれるのだそう。

ヒントはメタバース?ぐるんとびーが目指すこれからのまちづくり

 
街の人が集うことのできる拠点として本社を構え、みなさんが理想とするまちづくりの実現に向けて新たな挑戦をスタートしたぐるんとびーさん。今後目指しているまちの在り方についてもお話をうかがいました。

菅原:私たちはまちづくりを通して「ほどほど幸せな毎日に感動できる豊かな人の繋がりを作る」ということを実現したいと思っています。

人間誰しも、楽しい日もあれば辛い日もある。日々の感情の振れ幅が大きい人がいれば大きい人もいて、毎日の過ごし方や幸せの価値観は、それぞれグラデーションのように異なりますよね。だから自分が何か悩んでいるときに、自分の親友が必ずその辛さを受け止めることができるとは分からないですし、どんなに親しくても打ち明けにくい悩みを抱くことだってあります。

そんな時こそ、助け合えるのは親しい人より近くにいる人。他の人の暮らしを覗かせてもらうことで、もっと深刻な悩みを抱えている人の存在を知って悲しみが少し和らいだり、気づけていなかった幸せに気がつくことできるのではないでしょうか。たとえ助けようとしなくても、誰かの暮らしている姿や些細な声掛けが、思わぬうちに誰かを助けているということが起こり得ると思っています。

—たとえ深く関わり合わなくても、ただ同じ場所で生きているということが誰かの助けにつながるということでしょうか?

菅原:はい。誰かの行動が、たとえ繋がっていない人や見えていない部分に機能することだってあると思っています。なぜなら、1つのまちの中には、見えていないたくさんの世界、つまりメタバースのようなものが存在しているからです。

—メタバースですか?

菅原:メタバースというのは、通常インターネット上にある複数のコミュニティのことを指しますが、私は、私たちの暮らしの中にもたくさんのメタバースが存在していると思っています。

例えば、私たちが暮らしているこの地球には、アリや微生物など他の生き物の世界も存在していますよね。私たちの日常の中で存在を意識することのない微生物だって、私たちに知らぬうちに恩恵をもたらしてくれていますし、自分たちが何気なくシャベルで土を掘ったその瞬間に、実はアリの家族が大崩壊している、なんていう見えていない世界があるわけです。

私たちの住んでいる地域においても同じようなことが言えます。例えば、まちの中には、インフラのこと、福祉のこと、テクノロジーのことなど、それぞれ別のことを考えている人がいます。つまり、同じまちの中に住んでいたとしても、それぞれの人間が見ている世界が全然違うんです。もちろん他の世界を見ることはできませんし、自分の世界が他の人の暮らしにどのように機能しているかは分かりません。ですが、必ず影響し、恩恵を受け合いながら私たちの暮らしは成り立っています。つまり、日々幸せに生きることが出来るのは同じまちの中で、異なる世界を生きている多くの”誰か”のおかげなんです。

私たちは、そんな「おかげさま」の気持ちを持って共に暮らすことが出来るあたたかなコミュニティを作っていきたいと思っています。「おかげさま」の気持ちを多くの人が感じながら生きるその先に、私たちが目指す「ほどほど幸せな毎日に感動できる豊かな人の繋がり」のある社会が誕生するのではないかと考えているのです。

編集後記

「おかげさま」

インタビュー中も何度も繰り返されていた「おかげさま」という言葉。自分の生活は多くの人の恩恵によって成り立っていること、そして自分の行動も、世代を越えて誰かの幸せや暮らしを作っていると気が付かされるこの言葉は、一人ひとりの人生を輝かせる力を持った言葉であるように考えさせられます。

そうして、見えない世界とのつながりを意識してみると、自分の暮らしがより新鮮に、そして輝かしく思えると共に、自分の暮らしが世代を越えて誰かの暮らしを豊かにしているかもしれない、そう思えることはとてもここちが良く、菅原さんがおっしゃっていた”ほどほどの幸せ”を感じられているような感覚になりました。

場所・時間・お金にとらわれず、自分にとっての幸せな暮らしを模索している最中の私ですが、「固定観念」に縛られない新たな暮らしを開拓しながらも、そんな冒険が出来るのは、先人たちからの恩恵や周囲の人のお陰であり、そのことへの感謝の気持ちを忘れてはならない、そう確信できた訪問でした。

「会社」という枠組みを越えて人の暮らしやほどほどの幸せのために活動を続けるぐるんとびーさんの新たな挑戦、また子どもたちの新たな学びの場としてタイニーハウスを選んでくださったことをとても嬉しく思います。今回のぐるんとびーさんとの出会いは、「タイニーハウスを通してこれから、どんな新しい発見や学びと出会えるだろう」そうワクワクせずにはいられないものでした。