第6回:最高に綺麗な景色の島に住み、最高の芸術を見る|女子的リアル離島暮らし

YADOKARIをご覧の皆様、こんにちは。小説家の三谷晶子です。 TwitterやFacebookを追ってくださる方はご存知だと思いますが、 現在、私は第1回でもお伝えした上毛町ワーキングステイでお世話になった福岡県の上毛町におります。その前には、熊本、鹿児島、京都、博多におりました。

紅葉の名所、京都永観堂の様子。日本の秋を堪能しました。
紅葉の名所、京都永観堂の様子。日本の秋を堪能しました。

鹿児島では100年に一人の逸材、現代バレエの女王と言われている世界最高のバレエダンサー、シルヴィ・ギエムの公演を見てきました。 京都では、ダライ・ラマ法王とよしもとばななさんの講演会へ行き、 秋の紅葉が美しい古都の景色を堪能。そして、たまたま特別公開していた京都永観堂の画仙堂の 関口雄揮が描いた『浄土変相図』を鑑賞しました。 博多では大傑作と話題の『かぐや姫の物語』を見て、映画館でしゃくりあげるのをこらえるほどの感動を覚えました。

この旅で実感したのが、「私は今、最高に綺麗な景色の島に住み、最高の芸術を見ている」ということです。

 

島が遠い分、本州の移動が苦ではなくなる


加計呂麻島から奄美大島に行くのは町営フェリー「フェリーかけろま」で。一日3便、生間港からは260円です。
加計呂麻島から奄美大島に行くのは町営フェリー「フェリーかけろま」で。
一日3便、生間港からは260円です。

私が住む加計呂麻島からは、とにかく本州に出るのが時間とお金がかかります。 加計呂麻島は奄美大島の南部の古仁屋港というところからフェリーで20分の島。 奄美大島の空港は島の北部にあるので、飛行機に乗るには島を縦断しなければなりません。 バスの接続が悪いので空港に行くまでに3時間以上、 その上で東京までは2時間半ほど。また、便数が少ないせいか、オフシーズンで安いチケットを探しても2万近い金額になります。 鹿児島か沖縄までフェリーも出ているのですが、船内で1泊して翌朝つくスケジュールで片道1万円ほど。つまり、どのルートを選んでも、本州に出るまで時間がかかります。

「フェリーかけろま」からの風景。双眼鏡もあります。
「フェリーかけろま」からの風景。双眼鏡もあります。

だからこそ、島の外に出るときは用事をまとめて入れるようにしています。本州まで出ればLCCの普及により、移動にもそれほどお金がかかりません。また、第3回でお伝えしたように、私がいる加計呂麻島はもとよりお金を使う場所がない島。その暮らしをしていると、外に出た時に不自由ないぐらいのお金は貯まります。

 

住みたい場所に住み、会いたい人と会い、見たいものを見る


「島は不便でしょ?」「海外より遠いじゃん!」

加計呂麻島へのアクセスを説明すると、大抵、そう言われます。 確かに、都市部に出るにはどんなルートを使っても物凄く遠い島です。 けれど、都市部から遠いことは必ずしもデメリットではないと私は思っています。

都市部から遠いからこそ残るのがこの景色。京都で出会ったスペインの方も「Beautiful!!」と感嘆してくださった写真です。
都市部から遠いからこそ残るのがこの景色。
京都で出会ったスペインの方も「Beautiful!!」と感嘆してくださった写真です。

遠いからこそ、人工物が何もない景色が残っている。

遠いからこそ、自分が生まれる前よりもっと昔の日本はこうだったのかもしれない、と思うような共同体とコミュニティが残っている。

遠いからこそ、どのようにお金を使うかを考える。

そして、私にとって新鮮だったのが、遠いからこそ、都市部にいる友達や仕事相手を大切に思うということでした。

第2回でもお伝えしたように、加計呂麻島のインターネット環境はかなり遅れています。私の仕事には締切があり、原稿を送るのはメール。しかし、インターネット回線の調子が悪かったり、台風で断線した場合は、原稿を送ることができなくなります。

だから、私は、台風が近づくと、前倒しして原稿を納品し、「もしかしたらネットが断線するかもしれないので、修正の依頼や疑問点などは早めに伝えてほしい」と取引先にお願いしています。

本来なら、仕事の取引先にこちらの都合でお願いなどできません。出版業界も大不況ですので、「そんなネットが断線するような面倒な場所に住んでいる人はいらない」と言われてもおかしくはないんです。けれど、それでも仕事をいただけ、「島は大変ですね」と言ってもらって状況を鑑みて、また仕事をいただける。それは、私にとって夢のような出来事でした。

 

時にはこんな風に野外で仕事をする時も。波の音は車の音と違い、集中を妨げません。
時にはこんな風に野外で仕事をする時も。波の音は車の音と違い、集中を妨げません。

19歳の時に私は編集プロダクションでライターの修行を始めました。編集プロダクションはどこも多忙です。終電で帰るどころか徹夜で何日も泊まり込みも当たり前の生活をし、結果、体を壊して退職。その後、フリーランスのライターとして記事は書いていたものの、それだけでは暮らしていけず、夜はキャバクラに勤めていました。

キャバクラに勤めていた頃の話は、二作目の小説『腹黒い11人の女』のモデルとなったもの。「現実に疲れて夢や理想を描くこともできなくなった女性」が「本当はしたくないことを何故かせざるを得なくなり流されていく」ことを描いたところもあり、その気持ちは当時の私と同じものです。

二冊目の本『腹黒い11人の女』書影。表紙イラストは第3回のコラムでも登場してくれた山崎ひかりちゃんが描いたもの。
二冊目の本『腹黒い11人の女』書影。
表紙イラストは第3回のコラムでも登場してくれた山崎ひかりちゃんのもの。

キャバクラに勤めながら「文章の仕事がしたい」「行きたいところに行きたい」と願っていた当時の私には、今の暮らしは想像もつかない、見果てぬ夢のようでした。

 

理想の暮らしは、見果てぬ夢ではない。


けれど、その「見果てぬ夢」を単なるキャバクラ嬢だった私は今、叶えています。

3月にリリースした上毛町を舞台にした短編小説『こうげ帖』のあとがきで私はこのように書きました。

『こうげ帖』はWebでも全編無料で閲覧可能。ご高覧頂ければ幸いです。
『こうげ帖』はWebでも全編無料で閲覧可能。ご高覧頂ければ幸いです。

〝好きな仕事をして、好きな場所で、好きな人と暮らす。

それは見果てぬ夢でしょうか?

上毛町に行く前の私なら、「全部なんて叶うはずないよ」と言ったでしょう。

けれど、今の私は「全部、叶うよ」と断言できます。

何故なら、上毛町にいる間、私たちはその全てを叶えていたからです。〟

Via 『こうげ帖

「自分の本当にしたい暮らしはなんだろう?」と見つめ返し、動き出すきっかけをくれたのは上毛町。そこから私は不思議なご縁で加計呂麻島に住み出し、こうして上毛町とのご縁も繋がり続いています。

ダライ・ラマ法王、よしもとばななさんの講演のあとの夕日。 「人生は美しくできている」と思いました。
ダライ・ラマ法王、よしもとばななさんの講演のあとの夕日。
「人生は美しくできている」と心から思いました。

最高に綺麗な景色の島に住み、最高の芸術を鑑賞すること。

好きな仕事をして、好きな場所で、好きな人と暮らすこと。

〝理想の暮らしは見果てぬ夢ではない。〟

これも、『こうげ帖』のあとがきの一節。

加計呂麻島でも、そして、上毛町でも、私はいつも、そのことを実感しています。