Life is beautiful – ありたい自分であるために。YADOKARIの殻を脱ぎ、愛を広げる旅人へ

暮らしの実践者に問いかけ、生きかたのヒントを探究する「Life is beautiful」。今回は2023年4月にYADOKARIを飛び出し、世界を旅するアーティストになったYUKIさんを訪れました。

YUKIさんは人生のターニングポイントとなる2度の旅を経て、2024年3月に個展を開催。個展に合わせ、旅で感じたさまざまな愛を詰め込んだ本の出版も行いました。自分らしく生き生きと人生を歩む彼女にとっての「Life is beautiful」とは。そのインタビューの様子をお伝えします。

ーー旅人、そしてアーティストとして世界を歩くYUKIさんですが、子どもの頃から旅や海外への憧れがあったのですか?
実は大学に入るまで、旅や海外には全く興味がなかったんです。海外に興味を持ったのは大学1年生の時、アメリカに留学した友人とビデオ通話をしたのがきっかけでした。身近な人が海外にいることに衝撃を受け、そこで初めて「自分も行ってみたい」と海外に目覚めました。翌年の夏休みに短期留学でインドネシアへ、大学4年生になる前には休学をしてオランダに半年、ドイツに半年の計1年間留学をしました。

ーー海外に憧れを抱いたのは大学生になってからだったのですね。それ以前のYUKIさんはどんな学生時代を過ごしていましたか?
生徒会に所属するような真面目な学生でした。人の目を気にするし、とにかく周りに気を遣っていて。今思えば、きっと親や周りの人に褒められたかったんだと思います。

考え方が変わったのは、大学で出会った親友の影響が大きいです。「こんなに自分らしく生きている人に出会ったのは人生で初めて」と思うくらいまっすぐに生きている彼女と出会い、一緒にヒッチハイク日本一周をしたりと濃密な時間を過ごすなかで、「自分らしく生きる人を増やしたい」という自分の軸のようなものが作られていきました。

ヒッチハイク日本一周をする大学時代のYUKIさん(写真右)

ーーそういった学生時代を経て、大学卒業後の進路にYADOKARIを選んだのはなぜですか?

会社員として働いてみたい気持ちがあり、大学在学中に就職活動をしました。自分らしく生きる人を増やすためにどうすべきかを考えたときに、オランダ留学中に感じていた「暮らしの余白」が鍵になるのではと思ったんです。YADOKARIは「世界を変える、暮らしをつくる」というビジョンを掲げており、私のやりたいことや世界観にマッチしていると思いエントリーしました。

ーーYUKIさんの軸とYADOKARIのビジョンがマッチしていたんですね。YADOKARIに入社してからはどのような日々を過ごしていましたか?

YADOKARIでは好きなことややりたい仕事がたくさんできて、doingがとても満たされていました。言い換えれば、doingが先行していたんだと思います。仕事は楽しかったし、社内には尊敬できるすごい人ばかりだったので、「自分も期待されたい、誰かの役に立ちたい」という思いでがむしゃらに頑張っていました。

YADOKARI入社当時の集合写真

ーー社会人2年目の2023年当時は、YUKIさんがプロジェクトマネージャーを務めた共創型コリビング「ニューヤンキーノタムロバ」(以下、タムロバ)にご自身も入居していましたよね。

私はプライベートと仕事の境目がない人間で、自分が面白いと思えるように企画を作っていたら、自然とタムロバに住みたいと思うようになりました。1年間の集大成として「ゼロフェス」というイベントを行うタムロバと仕事の両立は大変でしたが、何より楽しかったです。住人との会話を通して「自分はどう生きたいのか」を見つめ直すこともあり、戦友のような関係を築けたのはタムロバに住んで良かったことの一つです。

ゼロフェス当日のYUKIさん

ーー充実した生活を送るなかで、転職を考えるようになったのはなぜだったのでしょう?

2023年9月から3ヶ月間受講していた環境問題に関する講座で、beingとdoingの話を聞いたことが影響していると思います。日本では、子どもの頃は将来の夢としてなりたい職業を聞かれるし、就活では会社に入ってやりたいことを聞かれる。子どもの頃からずっと「何をしたいか」を問われ続けるけれど、「どうありたいか」というbeingは問われないですよね。

私は自分のありたい姿とYADOKARIのビジョンが共鳴して入社し、やりたい仕事を楽しくやれていたけれど、この頃から「今の自分はありたい自分じゃないかもしれない」と違和感を覚えるようになりました。

ーー忙しい毎日のなかで「ありたい自分じゃないかもしれない」と立ち止まるのは、なかなか難しいことのように思います。

そうですよね。私はたまたま講座で話を聞いたので、違和感に気付くことができたのだと思います。その年の秋には、店長をしていたTinys Yokohama Hinodecho(カフェ、ホステル、イベントスペース等を有する高架下複合施設)で、日々の業務に追われてベストな接客をできなかったことがありました。お客さんにとってはたった1度の貴重な滞在なのに、そんな自分が許せなくて「これは私がありたい私じゃない」と強く感じました。明確に転職を意識するようになったのはその頃だったと思います。

ーーその後はどういった軸で転職活動をしましたか?

どこでも働けること、時間に縛られないこと、環境問題や暮らし方にアプローチする事業を展開していること。この3つを軸に転職活動をしました。振り返ると、この時も自分のdoingが満たされることを優先していたのだと思います。最終的には、学生時代から関心を持っている環境問題に対して、面白い切り口でアプローチしている福岡県の会社に転職を決めました。

ーーYADOKARIを退職してから次の会社に入社するまでの期間は、どのように過ごしていましたか?

「仕事を辞めたらインドでしょ」と思い、2週間インドで一人旅をしました。よく耳にする「インドに行くと人生が変わる」、「ガンジス川で泳いだら病気になる」というのが本当かどうか確かめたい好奇心もありましたね。友人のいない土地で長期の一人旅をするのは初めてでしたが、「ガンジス川で泳ぐ」以外はノープランで出発しました。

 

旅の様子を発信するYUKIさんのインスタグラム。2024年4月時点でフォロワーは2.9万人。

ーー初めての一人旅でインドというのはかなり挑戦的ですね。

一人旅なので、食べるもの、泊まる場所、次の行き先など、ありとあらゆることを自分の心に聞いて、自分と会話して決める。それを続けていたら、自分の心と自分自身が”コネクト”し、この旅で初めて自分の直観がアライブした感覚になりました。インドは危険も多く、第六感を働かせていないと命を落とす可能性のある国。だから人を疑わずにはいられないけれど、直観に従って信じる気持ちを持ってみたら、どんどん旅が面白くなっていきました。

ーー自分の直観を呼び起こす旅になったのですね。「インドに行くと人生が変わる」という言葉に対する、YUKIさんとしての答えはいかがでしょう?

訪れた人たちがそれぞれの変わり方をしているのだと思います。第六感が働かない国だと「旅」ではなく「旅行」になっていたと思うので、旅先がインドだったことによって私の人生もきっと変わった部分があるのだと思います。

YUKIさんが撮影したガンジス川

ーーインドから帰国した後は、福岡で新生活をスタートしていましたね。

地元・長崎と同じ九州の福岡県で、新しい会社に通う日々が始まりました。将来的には社員が好きな場所で働くことを目指している会社でしたが、当時は毎日オフィスへ出社しなけれななりませんでした。オフィスと家を往復する日々のなか、「これだと前と同じで、自分がありたい自分でいられないかも」と呟くと、その時一緒にいた友人に「YUKIって海外にいる方が楽しそう」と言われたんです。本当にその通りだなと思い、その週に社長さんに退職したい旨をお伝えしました。

ーー入社2週間目で退職の意向を伝えたのですね。

はい。すぐに決断できたのは、インド一人旅の影響が大きいと思います。インドで直観がアライブしたから違和感にすぐ気付けたし、友人のシンプルな一言をスッと受け取れたんだと思います。結果的に2ヶ月間働かせていただき、2つ目の会社を退職しました。

ーー退職後はどんな風に暮らしていましたか?

退職後は祖母と一緒に暮らそうと考えていましたが、いつも大事なタイミングで連絡をくれるスペイン人の友人から久しぶりに連絡がきて、スペイン巡礼を勧められたんです。渡航費や参加費のことを考えて少し迷いましたが、思い切って片道分だけ航空券を取り、出発地であるバルセロナに向かいました。

ーー片道分だけ航空券を取って出発したのですね。

スタート地点のバルセロナからミサが行われるポルトガルに向けて、12日間巡礼をしました。私は貯金残高が6000円しかなく帰りの飛行機のチケットを買えなかったので、共に歩いたメンバーを見送り、私は1人で解散地点のマドリードに残りました。

ーー貯金残高6000円で、たった1人でマドリードに残るのは不安ではなかったですか?

前職で働いた分のお給料が1ヶ月後に入ってくる予定だったので、それまでなんとか生き延びようという気持ちでした。1ヶ月どう過ごすかはノープランでしたが、習字でどうにかなるかもしれないという思いもありました。

個展で展示されたYUKIさんの書

ーー習字というと?

子どもの頃に書道を習っていて、字を書くのが得意なんです。スペイン巡礼に行く半月ほど前に友人の依頼を受けて、結婚式の前撮りに使う文字を書いたことがありました。できた書を渡したら友人がとても喜んでくれて、「YUKI、書道や文字でお金を稼いでる人たちもいるんだよ」と言われたんです。そのときに初めて「文字って需要あるんだ、書道で喜んでくれる人がいるんだ」と気が付きました。その言葉があったので、1人でマドリードに残った後もどうにか書道で生活できるかもしれないと思っていました。

ーー実際にこの旅では、書道をYUKIさんならではのアートとして販売し、その様子を発信されていました。

マドリードでみんなと別れてから、全財産の6000円で1泊分のホステルを予約しました。2泊目のお金はなかったので、翌日、書いた文字をiPadで印刷して販売してみました。すると買ってくれる人がいたんです。3時間で15ユーロ、2500円くらい稼ぐことができたので、11ユーロの宿を見つけて泊まりました。それ以降は、その日に稼いだお金でその日の宿代を払ったり、アートを買ってくれた人に泊めてもらったりしていました。

売り場のレイアウトや見せ方、出店する時間や場所などを研究して工夫を重ねると、右肩上がりで売上が増えていったんです。旅の終盤はありがたいことに3時間で2万円以上を売り上げられるようになっていたので、躊躇わずに飛行機のチケットを購入して移動することができました。

旅中にアートを販売する様子

ーー帰りのチケット代が買えるようになってからも旅を続けていたのはなぜですか?

友人の結婚式に招待されていたアルメニアに向かい、そこからインドなどを経由して日本に帰ろうと思っていました。ですが旅があまりに楽しく、生き延びれることにも気が付き、結果的に4ヶ月間、乗り換えの国も入れたら10か国の旅になりました。アートの販売以外にも、ボランティアをすれば寝る場所と食べ物をもらえるWorkaway(ワーカウェイ)、交流したい人をつなぎ無料でホームステイできるCouch Surfing(カウチサーフィンなど、海外のいろいろなサービスを駆使していましたね。

アートを売りながら旅を続けられたのは、お客さんに出会うのが楽しかったからです。自分の書いた文字を気に入ってくれて、自分にしか作れないもので幸せになってくれる人がいる。そういう姿を目の前で見て、アートってすごいなと思いました。お金を頂いているのに、こちらが幸せにしてもらっている感覚でしたね。旅人や日本に興味持っているお客さんと仲良くなって、ご飯に連れて行ってもらったり家に泊まらせてもらったり、そういう出会いも面白かったです。

ーー4ヶ月の旅の間は、YUKIさんがありたい自分でいることはできましたか?

めちゃめちゃできていたと思います。この旅で自分のことを大好きになって帰ってきました。愛読書である『アルケミスト 夢を旅した少年』( パウロ・コエーリョ)に書かれているように、自分の心と自分が一緒にいたから、全てが味方してくれていろいろな奇跡が起きた旅でした。

今思えば子どもの頃にテスト勉強や生徒会を頑張ったり、社会人になって誰かに頼りにされたいと一生懸命になったりしていたのは、自分で自分のことを認められなかったからだと思います。他人の評価で自分を満たそうとしていたんでしょうね。でも自分を好きになれた今は他人の目が気にならなくなったし、自分で自分を満たせるようになりました。

個展で展示されたYUKIさんの作品

ーー4ヶ月間の旅でとても素敵な時間を過ごせたのですね。旅での体験を踏まえて、YUKIさんが今後の人生で大切にしたいことがあれば教えてください。

今回の旅では、自分から愛が溢れ出るのを感じていました。そうすると周囲で良い循環が生まれていったんです。上手く言葉にできないのですが、自分から出た愛が、地球上の愛の循環の一部になっていくような感覚でした。だから「愛を広げたい」というのが今のモットーです。

愛を広げている自分が好きだから、愛を広げる私でありたいし、やりたいことは愛を広げること。今はbeingとdoingが一緒になった感じです。もう少し具体的に言うと、私はやっぱり旅が好きだから、今は旅をしながら愛を広げていきたいと思っています。

ーー最後に、YUKIさんにとっての「Life is Beautiful」をお聞かせください。

国籍、性別、年齢、肩書きなどに関係なく、この地球上に存在している全員が尊くて、1人1人の人生が美しいと思います。もう既に、この世界は美しい。私はそう信じています。

ありたい自分と成し遂げたいことが合致したYUKIさんは、2024年5月から再び旅に出る。期間は決めず、愛を広げながら世界を歩く予定だという彼女の行く先にはどんな景色が待っているのだろうか。

いつか帰国した彼女から「やっぱり世界は美しかったよ」と聞ける日を楽しみに、私も彼女から受け取った愛を伝え続けていきたい。

▽YUKI Instagram
https://www.instagram.com/yu__1231

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