【世界の道の上から vol.3】旅先での発見と、その意味を考える。バリ島・太陽に続く道

一人、ピアノマンの記憶にふける朝

バリ島、モーニングにしては少し遅くランチにしてはまだ早い時間。

一人でスミニャックビーチ沿いのカフェに立ち寄った。オーダーしたのはトーストとトニックウォーター。

こじんまりとした店内でぼうっと考え事をしていると、BGMがBeach boysの曲からBilly Joelの “Piano man”に変わっていたことに気がついた。

その瞬間、私の頭の中には、ある記憶が思い起こされていた。

それは今、この瞬間まで一度も思い出すことのなかった記憶だったのでとても驚いた。

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それは約3ヶ月前の、沖縄のゲストハウスでこの曲をピアノで弾き語りながら歌っていた人の記憶だった。

暑い夏の日、昼下がり。

彼は、その日だけ宿泊したゲストハウスのお客さんの一人で、普段はシンガーソングライターとして活動していると言っていた。

リビングルームの横にあるピアノに腰掛け、彼は唐突にこの”Piano man”を歌いだしたのだった。

周りには誰もいなかった。その横のキッズルームにたまたま居合わせた私に、気づいていたのかどうかも分からない。

ただ真っ直ぐに、彼は歌っていた。「そこにピアノがあるから弾いているだけだよ」というみたいに。

しかし彼はまさに、正真正銘のPiano manだった。

ピアノの鍵盤を強く叩く音と、その喉から震え出る声。まるで、身体がピアノと一体になっていくような圧倒的な力を持っていた。

誰にも注目されず、この切ない曲を歌っているその光景が、その歌声が、心の奥底に深く残っていたのだろう。

He says, “Bill, I believe this is killing me.”
(彼は言う。「ビル、もう俺はうんざりなんだ」)

As the smile ran away from his face
(そして彼の顔から笑顔が消え去った)

“Well I’m sure that I could be a movie star.
(「俺は映画スターにだってなれると思うんだ。)

If I could get out of this place”
(この場所から出ていくことさえ、できればね。」)

Oh, la la la, de de da

La la, de de da da da……

彼の名前は残念ながら覚えていないのだけれど、その揺れる背中を、その声を、このバリ島の朝に思い出すことができる

それはなんて素敵なことなのだろうか、と思った。

カフェの店内に流れている”Piano man”を聴きながら、歌詞の意味や、映画スターになれなかった私の過去の夢について、また沖縄で出会った人々のことを考えた。

こうやって、音楽と、土地と、出会った人々と、過去の記憶が繋がっていく……。

自分の中に無意識にしまいこんでいた記憶も、ふとした瞬間に思い出すことができる。

まるでこの時、この場所で、後ろを振り返れば、今まで出会った人やその時の思い出がそのままそこにあるような

だから、たとえ今は一人きりでいたとしても、いつでも過去に出会った人々がそこにいるような心強い気持ちになれた——そんな不思議な朝の出来事だった。

▽原曲はこちら

サヌールの朝日を眺めて気が付いたこと

その翌週、私はサヌールというバリ島の西側の地域に赴いた。

サヌールは「バリ島リゾート発祥」の地とも言われる、歴史あるリゾート地だ。今では観光客の数は少なくなってきているが、朝日が綺麗に見えると有名で、長期滞在をしている人や現地の人がよく訪れる。

まだ辺りの暗い、朝5時過ぎ。私はホテルの部屋を静かに抜け出して一人、海辺まで歩いていった。

真っ暗な街並みはどこか他人行儀でよそよそしく、足を出すスピードは自然と早くなる。海岸に近づくにつれて、人がまばらに現れたことに心底ホッとするようだった。

海辺は、朝日を見ようと来た観光客や地元の人ですでに賑わっていた。

朝日が昇るまで、時間はゆっくりと過ぎていく。

この時間が、たまらなく愛しい。様々な言語で喋る人々のおしゃべりを聞きながら、辺りを包む光がぼんやりと明るくなっていくのをただ、観察していた。

そして、朝日は目の前から昇ってきた。

太陽は、じんわりと辺りを照らしながら真っ直ぐ地平線から昇ってくる。

その神々しさに、思わず息を呑んだ。最初はピンク色の淡い光が、穏やかな黄色へ、それから濃い橙色へと変わっていく。

雲の間から顔を出す、その光の色合いの移り変わりによって、辺りの空気もまるっきり変えていくようだ。

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ずっと太陽の中心を見つめていると、目が痛くなってくる。

それでも、辞められない。太陽の光と色は強烈な美しさを纏っていた。それに見惚れてしまった私は、まるで囚われた人のように全く動けなかったのだ。

橙色の光がさらに濃くなっていくと、太陽の光によって、海の上に美しい一本の筋が出来た。

その光筋は海の上で、波の動きによってその形と色を微妙に変える。これを私は「太陽に続く道」と呼ぶことにした。

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その道筋は、真っ直ぐと私の足元に向かって伸びていた。

このまま海の上を歩いてその道を辿って行くと、その最後にはきっと天国に行けるに違いない。

「もっと少し光筋が真っ直ぐに見えて、綺麗に写真を撮れる場所を探そう」と腰を上げた次の瞬間。私は我に帰り、自分の無意識を恥じると同時に、当たり前のことに気がついた。

この「太陽に続く道」は、すべての人に真っ直ぐ続いている道なのだ、と。

光の筋は、小さな波があることで波の面で反射されてこのように見える。

そしてその一本筋は、光源(太陽)と人の視点を結んだところの海の上にできる。だから、場所を移動したって、この道筋はどこまでも私を追いかけて、真っ直ぐに伸びてくれるのだ。

また勿論、私にだけそうなのではない。

横にいるあの家族にも、後ろにいるカップルにも、そして私にも、この光の筋は平等に真っ直ぐ伸びているのだ——。

その当たり前の事実に、私はその瞬間、なぜか限りない勇気をもらっていた。

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ホテルへの帰り道は、来た時と反対に自然と足の歩みがゆっくりになっていた。

まだ部屋に帰りたくなくて、わざと別の道路を通ってみる。

太陽に続くその平等で圧倒的な美しさを前にしただけで、これまでの人生で歩んで来た道も肯定されたかのような、あたたかい気分になっていた。

旅の最中に考えること、その意味について

旅先では特に、ずっと頭をフル稼働させているように思う。

いわゆる「何も考えずにぼーっとする」なんて時間はほとんどなく、基本的にはずっと何かしらの事象について考えを巡らしてしまう。だから、疲れてしまうこともあるのだけれど。

また冷静に考えると、どこの土地でも大体似たようなことを考えている。バスの中でも、飛行機の上でも、朝日や海を眺めていても。

考えるのは、自分自身のことや過去のこと、今まで出会った人々のこと。

眺めている景色によって、そこに時々街の景色についての気づきや、物事についての新しい解釈や発見が加わる。

そうやって見ず知らずの景色の中、自分の思考にじっとりと沈んでいく感覚が好きだ。

たとえ当たり前なことでも、側から見るとすっとんきょうな繋がりでも、旅先での発見は自分にとって何か深い意味があるように感じる。

スミニャックで思い出したPiano manの記憶、そしてサヌールで発見した「太陽に続く道」。それらの記憶は旅先のどんな景色よりも、私の心に強く刻まれるだろう。