自分のスケールを変える旅へ。LA.バントリップ10DAYS|YADOKARI CEO さわだいっせいの「コンフォートゾーンを越える旅」Vol.1

2022年4月、YADOKARIのさわだいっせいと、はじまり商店街のくまがいけんすけはロサンゼルスへ飛んだ。YADOKARIが10周年、はじまり商店街が5周年を迎えた節目に、各社の代表を務める二人が、LA.からサンフランシスコへチェロキーで北上する旅において見出したものとは? さわだの視点で追う。

異国の新しい日常を見に行く

発端は、知己の工務店ルーヴィス代表 福井信行氏の「そろそろ海外行きたいよね」の一声だ。気がつけば、もう何年も海外へは行っていない。特に新型コロナウィルスが世界を席巻したここ2年ほどは、日本全体に暗く重苦しい空気が充満していて、閉塞感で窒息しそうだった。昔から人の集合意識を拾ってしまうような所があったが、今回もいつの間にか引っ張られて、かなりしんどくなっていた。マスクの着用やワクチン接種の同調圧力。みんな疑問に思いながらも、表面的には従っている。そんな殺伐とした世間の雰囲気に蝕まれつつあった。

そこへ福井さんの一言である。コロナ禍もピークを過ぎ、徐々に海外渡航も許される情勢になってきた今、他の国の人々が新たな日常の中で何を考え、どんな暮らしをしているのか、この目で見たかった。圧倒的にインプットが枯渇していた。もっといろんなものを感じて、この先のアウトプットにつなげたい。行かない理由はなかった。

2022年2月の真冬に、くまがいと二人で国内をバントリップした。YADOKARIの新タイニーハウス+ヴィンテージバンの事業も視野に入れ、まずは自ら「移動し続ける暮らし」を体感したわけだが、やはり頭の中で想像するのと、身を以てリアルにやってみるのとでは経験値に雲泥の差が出る。自分の感覚や視界が決定的に変わってしまう。今回のLA.行きも、自分に不可逆的な変化をもたらしてくれそうな予感がしていた。

成田空港で、福井さんの招集に応じた総勢15名ほどの旅の仲間が顔を合わせた。不動産業界や建築業界の関係者が多く、遠くは鹿児島から参加している方もいた。空港自体はひどく閑散としてゴーストタウンのようだったが、缶ビールを開けて自己紹介なんかしてるうちにハートが温まってきた。ほどなく僕らはLA.に向かう機上の人となった。空に舞い上がった瞬間、鬱々とした気分は消え去った。

あっけなく吹き飛んだ小さな自分の枠

ロサンゼルス空港に着陸し飛行機から降りると、誰一人マスクなどしていないことに驚いた。コロナ禍によって膨大な死者を出した国だが「そんなの関係ないぜ、俺には!」って感じで、みんな平常運転だ。人も気候も、空気感が日本と全然違う。いい感じに温かいし、カラッとしている。重かった肩の荷が一気に降りた感じがした。僕はいったい何を背負っていたのだろうか。

くまがいと僕は空港の近くでレンタカーを借りた。二人だし、ホテルやRVパークに泊まりながらの旅を想定していたので小さな車種を予約していた。「3番エリアへ行け」と言われて行ってみたら、ピカピカのチェロキーやランクルが停まっていて「こいつらはミニだから乗っていい」と言う。スケール感の違いに笑いが出た。結局、僕らはチェロキーをこの旅の相棒に選んだ。

LA.に来る前に、くまがいも僕も国際免許を取得していた。まずはくまがいがハンドルを握り、バントリップが始まった。初めての左ハンドル、右側通行に最初はビクビクしたが、30分も走らせると慣れてきた。Simを手配したので、Googleマップもいつも通り日本語で案内してくれる。アメリカ大陸の高速道路を車で飛ばしている時の感覚はかなり爽快だった。「全然知らない国でも、こんなに簡単に自分で運転して行きたい所へ行ける。きっと、世界中どこでもこんなふうに旅できるんだ」その気づきと共にもたらされたパワフルな自己効力感は、固定されていた僕の認知の枠をあっけなく粉砕し、広大な可能性の世界へ僕を放り出した。自分のコンフォートゾーンを軽々と超えられた瞬間だった。

メキシコの混沌から

1日目の夜は、福井さんがエアビーで予約していたLA.のプール付きの大豪邸にみんなで泊まった。10日間で50万円ほどだが割り勘すれば安い。街を散策して夜更けまでクラブで遊び、明け方に豪邸に戻ると、ふと、メキシコに行きたくなった。LA.からなら国境までそう遠くない。サンフランシスコへ出発する前の方が好都合なので、少し眠った後に僕とくまがいは車で2時間の国境の街 ティファナへ向かった。

車を国境付近に停め、メキシコへは徒歩で入った。アメリカからメキシコへ入るのはすごく簡単で、パスポートを見せればほぼノーチェックで通過できる。ゲートを出ると、埃っぽくどこか猥雑なメキシコの街が広がっていた。陽気な音楽が流れ、路上で物乞いをする人や、物売りもたくさんいた。貧富の差が可視化され整然と区分けされているアメリカに比べ、かつてバックパックで旅したタイやインドネシアを思い出させるような混沌とした雰囲気が、僕の肌にはしっくりきた。

夜のティファナは麻薬取引や売春なども行われている危険な街でもある。だが、その界隈に入り込まなければ、さほど危うさは感じなかった。メキシコにそのまま1泊して、翌朝早くアメリカへ戻った。結局二人でタコスを食べてビールを飲むくらいの滞在だったが、体感できて良かったと思う。メキシコは昼間の太陽も、夜の闇も、どちらも強烈で、合理的には割り切れない情動が剥き出しになっている。僕らの拠点がある横浜の日ノ出町もかつてはそうだったし、今もどことなく空気の中にその感覚は残っている。僕はこのようなカオスを自分の内部にも持ち続けたまま、これからもアウトプットしていきたい。そこからやって来るインスピレーションの中に、既存の世界のモノサシでは測れない美意識の芽があるような気がするからだ。

自由を呼吸するバントリップ

3日目から、くまがいと僕はサンフランシスコへ向けて北上を始めた。ビジネスもカルチャーも世界最先端の街とはどういう所なのか知りたかった。ホテルばかりでもつまらないので、RVパークでキャンプしながら旅することにし、ウォルマートでテントやBBQ用品一式を買い込んで(全部で2〜3万円くらいで安い!)出発した。その日の夜は煌びやかな高級地区であるベニスビーチの近くにテントを張り、アメリカンサイズのデカい肉を炭で焼いてかぶりついた。このエリアに建ち並ぶ高級マンションを買うには、いったいどれだけの金が必要なのだろう。片や僕らは一介の旅行者で、しかもテント泊である。しかし、このエリアの住人たちと同じ海と星空を眺め、潮風を感じながら存分に腹を満たし、その上、身軽で自由だった。

朝になるとキャンプ用具をチェロキーに積み込み、交替で運転しながら次なる街へ向かった。後部座席ではスターウォーズのR2D2にそっくりなBBQコンロが、車が揺れるたびにカランコロンと文句をつけた。(悪路で一度だけ炭をリバースした)

やがて、経由地の一つとして予定していたビッグベア湖付近の山中にある「Getaway」という名の宿泊施設に到着した。30棟ほどのタイニーハウスからなるヴィレッジ型の施設で、アメリカ全土に展開している。現地にはスタッフがいないノン・オペレーションで、予約やチェックイン・アウト、案内、支払い等手続きは全てSNSで済む。スマートな仕組みもさることながら、宿泊することになったタイニーハウスに入ると、僕らはすっかりシビれてしまった。

タイニーハウス・ヴィレッジ最前線

日本のキャンプ場によくあるバンガローとは似ても似つかない、美しく快適な空間がそこにはあった。ミニマムなキッチン、居室、バスルームは、デザインはもちろん機能的にも知的にレイアウトされていた。壁面に設けられた大胆なフィックス窓に、ビッグベア湖の深い森と立ち込める霧が幻想的な絵画のように切り取られ、時折そこを鹿たちが悠々と通り過ぎていった。それぞれのタイニーハウスは互いにプライバシーを侵さない距離と角度で森の中に配置され、ファイヤーピットも各棟に備わっている。全てが想像を超えて洗練されていた。しかも、人を介さないオペレーションも含めて、冷たい感じが一切しない。一人で泊まると一晩300ドルくらいするが、二人なら一人あたり200ドルほどになり、享受できる環境を考えるとごく常識的な料金だった。

僕らが目下取り組んでいるタイニーハウスの事業に対して、「Getaway」はかなり直接的に勉強になった。これと同じことが日本の地方でもできそうだ。日本各地にこんな文化度の高いタイニーハウス・ヴィレッジがあれば、都市部との2拠点生活や移動する暮らしが実に豊かなものになる。

このゲートウェイのタイニーハウスには、LA.から仲間たちも加わり、マイナス1℃の外気にBBQは断念して、快適な室内で楽しい夕食となった。ここで体感した素敵な時間を、僕は自分のタイニーハウス事業に大いに活かすつもりだ。

サンフランシスコで考えるYADOKARIらしさ

LA.に降り立ってから6日目、僕らはとうとうサンフランシスコに到着した。道中の田舎町で劇的にまずい天麩羅を食べたり、冴えないホテルに泊まったりと、観光地化されていないアメリカの洗礼を受けながらようやく辿り着いたサンフランシスコは、期待以上に美しい街だった。北側にあるゴールデンゲートブリッジからぐるりと街を周遊した。LA.と変わらず元気で、陽気で、さらに洗練されている。

サンフランシスコに来て経験したかったことの一つが、お決まりではあるがGAFAめぐり。世界的に大きな影響力を持つ巨大な企業の空気を実際に感じてみたかった。各社を回ってみたが、どこも佇まいに企業文化が表れていた。Appleはやはりデザインの会社らしく、Apple Parkの敷地内に立つ看板一つに至るまで美意識が徹底されていた。Meta(旧Facebook)は僕が見た所さほどデザインにはこだわっていなくて、もともと別の企業が使っていたビルに居抜きで入ったらしく看板以外は特にMeta感はない。エンジニアの会社っぽく合理的で、オフィスがあればそれでいいという感じ。Googleは人々を楽しませようとしているのを感じた。色使いもカラフルで、一般の人にも社屋を開放しており、社員への待遇の手厚さが楽しげな社食からも伝わってきた。

世の中に新しい当たり前をつくり全世界を動かしているこれらの巨大企業とYADOKARIとは、規模で言ったら比べようもないけれど、特にAppleは「Appleらしさ」が全てに徹底されているのを感じ、僕らが追求すべき「YADOKARIらしさ」とはなんだろうと、改めて見つめ直す機会になった。

タブーが光に変わる時

ところで、カリフォルニア州ではマリファナは合法だ。サンフランシスコには、そのカルチャーの最先端がある。街中で「マリファナショップ」が堂々と営業していて、しかも店のデザインはAppleストアかと思うほどスタイリッシュ。パッケージも、ブランドの化粧品みたいにきれいで華やかだ。店頭にはめちゃくちゃ洗練された店員がいて「それ、すげー決まるぜ」などと言ってくる。店を訪れる客も完璧にスタイリングしていて、こぎれいな愛犬と共に散歩のついでに気軽に立ち寄る感じだ。ここでは、マリファナは完全に日常的な嗜好品になっている。

僕にとってはけっこう衝撃的な光景だった。何より面白かったのは、今までタブー視されメインストリームには上がってこなかったこういうものが、デザインされることで人々の価値観を変え、世の中の前提をひっくり返してしまうことだ。

観光立国を目指すタイでも、マリファナは合法になった。日本にもそういう日はいつか来るのだろうか。とにかく、最も進んだ人々のライフスタイルを目の当たりにしたことは確かだ。

コンフォートゾーンを超え続け、新しい世界をつくる

LA.への帰路も、RVパークでキャンプしながらのバントリップだった。最終的には「グッドウィル」というドネーションショップに立ち寄って、この旅のために揃えたキャンプ道具一式を寄付してきた(もちろんR2D2も)。代わりに僕らはそこでTシャツなどを購入した。

くまがいはかつて、一人で自転車で今回のルートを縦断した経験があり、こうした旅のインフラにも通じていた。旅に出る前も、旅の間もずっと、彼の前へ前へ進もうとするエネルギーに鼓舞された。今回は二人で行けたことで感動をシェアできたのが、くまがいも非常にうれしかったようだ。彼も一社を率いる立場で、次の5年、10年への手がかりを得たに違いない。

僕はと言えば、コロナ禍中に行けて良かったと思っている。それまで俯瞰して他国と比較することができなかったが、国によってこれだけ人々の考え方や行動、暮らしが変わるのだと今回の旅で実感できた。多様な価値観や環境の中で、自分はどうすべきかを個人がしっかりと考えて、自分の責任でみんなが動いている感じが良かった。まだまだ世界は広いし、未知の景色がある。自分が知らぬ間にはまり込んでいた小さな枠組みや固定観念、重さからスカッと軽くなれたこと、そして新たな視野を獲得できたことが僕の最大の収穫だ。

YADOKARIは「世界を変える、暮らしをつくる。」というビジョンを掲げている。それは僕自身が見たい、新しい世界でもある。そのためにも、人とはちょっと違うということを自他共に許容できる人間でありたいと思う。これからも新しい世界を提案し続けるために、自分自身のコンフォートゾーンを常に超えていく勇気と貪欲さを持ち続けることが、自分の成長はもとより会社の成長にもつながると思うし、それには「遊ぶ」という体験がどれだけ大事な機会であるかを、僕は身を以て示し続けたいと思うのだ。

文/森田マイコ