第3回:仕事がない島、お金がそれほどいらない島|女子的リアル離島暮らし

YADOKARIをご覧の皆様、こんにちは。小説家の三谷晶子です。第1回では、去年まで、都内で働き、遊び、暮らしていた私が、「羽田から7時間もかかる離島に私が来たのか」を、第2回では「私が加計呂麻島でどのように仕事をしているか」を書きました。

では、今回は、加計呂麻島にいる方の仕事事情や生活費事情などをお話したいと思います。

フェリーから眺めた太陽と光る水面。ほかではなかなかお目にかかれない景色です。
フェリーから眺めた太陽と光る水面。ほかではなかなかお目にかかれない景色です。

「本当にいいところなのよ。だけど、仕事がない」


加計呂麻島にはIターン者もかなりの割合でいます。集落によっては、小中学校の子どもの数がほとんどIターン者のお子さんという場合も。
Iターン者の仕事は様々です。私のようにパソコンさえあればできる仕事であるプログラマーの方やインターネットで注文を受けて絵を描く肖像画家などの人がここ数年でちらほら現れ、あとはシーカヤックなどのガイドをしている人、ペンションを経営している人、飲食店をしている人、ヨットのセーリングをしている人などが長年住んでいる方々です。

このように、自分で仕事を生み出せる人でないと、島での暮らしはなかなか厳しいものがあると思います。

繁忙期の民宿でのアルバイトやさとうきび狩り、漁に出るなどのアルバイトはちょこちょこありますが、都市部と同じくらいのお金を稼ぐ仕事は、加計呂麻島にはほぼありません。時折、介護の仕事の求人があるぐらいでしょうか。
誰かに雇ってもらって働く選択肢は、都市部にいる人間の想像以上にないと思います。

仕事がないのは人が少ないからという理由も。ビーチはいつも人の足跡よりヤドカリの足跡が多いです。
仕事がないのは人が少ないからという理由も。ビーチはいつも人の足跡よりヤドカリの足跡が多いです。

「本当にいいところなのよ。だけど、仕事がない」
これは、島の方がよく言う言葉。

島に限らず、地方に移住を考える方は、自分で何らかの仕事を作るか持ってくる状態を整えないと厳しいところがやはりあると思います。

 

しかし、もとよりお金を使う場所がない


道端で見つけたバナナの木。あちこちに生えています。
道端で見つけたバナナの木。あちこちに生えています。

けれど、都市部にいるほどお金を稼ぐ必要は、島で暮らしていく分にはないというメリットも。
前回にも書きましたが、島にあるのは小さなタバコ屋兼雑貨屋と郵便局、無人の野菜販売所のみ。ですので、加計呂麻島ではお金を使う場所自体がありません。 その上に、家賃は広い一軒家でも5000~数万円程度。

野菜を育てている方も多く、写真のようにバナナやグアバの木もそのあたりに生えています。野菜はご近所の方からのおすそ分けもよくあり、買ったとしても抱えきれないほどの大きさのかぼちゃや冬瓜などが一個100円ぐらい。暮らし方にもよりますが、一ヶ月5~6万円もあれば、一人なら充分暮らしていけるというのが8ヶ月暮らしてみた私の実感です。

 

お金を使う場所がないからこそ、使い方を考える


島であった方がいいと思うもの。いつでも海を楽しむためのシュノーケルグッズ。
島であった方がいいと思うもの。いつでも海を楽しむためのシュノーケルグッズ。

そして、私にとって新鮮だったのがお金を使う場所がないからこそ使い方を考える、ということ。
目の前に次々と新しいものが現れる都会では、ふと立ち返り「本当にこれが欲しいの?」と自分に問いかけることはなかなかしにくい部分があると思います。
しかし、島ではまず簡単に手に入れられるものがありません。
引越しの業者などもないので、もし引っ越す場合は周囲の方の助けを借りて自分で運ばなければならない。となると、自分の手に余るものは自然と持ちたくなくなります。
軽トラ一台あれば運べる程度の荷物しか持ちたくない。これが今の私の正直な気持ちです。

 

華やかな気分になりたくなったら、道端に咲いた花を髪に挿したり。
華やかな気分になりたくなったら、道端に咲いた花を髪に挿したり。

潮ですぐに車も壊れてしまう上、崖崩れが日常なのでいわゆる高級車に乗っていても意味がない。崖崩れが日常の島でハイヒールなんか履いてたら足をくじくだけですし、繊細な作りをしていたり、高級なレザーを使っている靴なんか一発で潮でやられちゃいます。汗もかくし、暑いなと思ったらすぐに海に入りたいから、洋服も自宅で洗えるものばかりになりました。

 

何もないからこそ起こる価値観の逆転


島での愛用品。自販機がない集落もあるのでTHERMOSの水筒と友人のアクセサリーデザイナーが作ってくれたストラップ付きミラーレス一眼。
島での愛用品。自販機がない集落もあるのでTHERMOSの水筒と、友人のアクセサリーデザイナーが作ってくれたストラップ付きミラーレス一眼。

6月に加計呂麻島に来てくれた私の二冊目の本の表紙を描いてくれた山崎ひかりちゃんが、
先日、このコラムの第1回を読んでTwitterでこう言ってくれました。

24時間コンビニが開いていて当たり前。Amazonに頼めば、翌日には世界中のものが手に入る。電車が10分遅れただけでも困り、苛立つ。

東京では、私もそういう暮らしをしていました。

しかし、加計呂麻島では、海が荒れていたら島から出られないし、荷物だってもちろん届かない。「便利で、ものがいっぱいある」ということから真逆の暮らし。自分の思い通りになることなど何一つありません。

でも、「自分の思い通りになるわけがない」と開き直ると、何だか楽になるんです。

「あの人がこうしてくれない」、「どうして自分ばっかり」、「なんでこんな状況になるの」。

ストレスを感じると大抵こんな風に思うもので、それは要は「自分の思い通りにならない」ということです。 そして、「自分の思い通りにならない」ということは裏を返せば「思い通りになるはず」と思っているからです。

ところが、最初から「思い通りにならない」と思っていれば、「思い通りにならなくてイライラする」ストレスから解放されるんです。 元から思い通りにならないんだから、イライラしようがありません。

この「思い通りにならなくて当たり前」という感覚が、島ののどかさを作っているんじゃないかな、と私は思います。

いつでも海に入れるように、靴は大抵ビーチサンダルです。
いつでも海に入れるように、靴は大抵ビーチサンダルです。
ただひたすらに広がる、何もないビーチと海。
ただひたすらに広がる、何もないビーチと海。

「海から生命が生まれたって言うでしょ。海にはいろんなものが溶けてるし、だから、きっといろんなものを溶かしてくれる」

これは今、書いている小説の一節。

思い通りにならないことに苛立つ小さな自分や、固く強ばっていた心もふっと溶けて、凪ぐ。

加計呂麻島の海を眺める度に、私もいつも、そう思います。

次回は島につきものの自然災害について、家を借りる方法などをお話したいと思います。