第5回:僕たち野蛮なミニマリスト|元新聞記者の、非日常生活。<ジャングルを走る編>
ジャングルを走るランナーはミニマリストでした。身につけるのはバックパックひとつ。1週間分の食糧からベッドまで生活の全てが背中に詰まっています。グラム単位で減らし重量はわずか10kg。小さな荷物を担いで得られたのは最上の日々でした。
わずか、と書きながらも10kgというと、重さにして大人のしばいぬ1匹分。背負って走り続けるには少し骨が折れます。少しでも軽くしたいというのが人情です。1時間ほど悩んでコーヒー用のカップを荷物から外したり、食糧は高カロリーなナッツを多めにしたり。涙ぐましい努力を重ねて誕生したミニマリストなのです。
ジャングルで汗と泥にまみれ、草むらがトイレ、ハンモックがベッドという半ば野生の暮らし。洗練されたイメージとはほど遠い、野蛮な姿でした。
ものを減らすのは手段
ランナーは、そもそもが、ものを減らすこと自体を目的としていません。目的は250kmのレースを完走すること。持ち物を減らすことは、あくまで手段です。そうは言っても、小さな荷物で1週間を走るうちに気づきます。いかに余計なものに囲まれていたのかと。
i-Podがなくとも、鳥のさえずりがBGMに。エアコンがなくても、風が火照りを冷ましてくれる。走って、食べて、寝る。夜が明けるとまた同じ繰り返し。シンプルな時間の流れです。それで十分でした。
ジャングルの中では「生きること」が強烈に輝きます。体中を傷だらけにして、肌の上を虫が這いずり回り、野生動物にびびる毎日。自分の弱さを知り、いやでも内面と向き合うことになります。「こんなことをして何になる」。うんざりするくらいに何度も自問します。答えを出す代わりに一歩、また一歩と前進を続けます。
苦しみながらも一瞬一瞬の積み重ねに自分のすべてを注げる充実感は、日常を漫然と過ごしていると気づくことのできなかった感覚です。ブスブスと不完全燃焼するのではなく、何もかもを真っ白に燃やし尽くす。あとに残った灰すらも風に運ばれてゆく。それでもいい、何も残らなくともいい。「あしたのジョー」的な感覚です。
一つのことに没頭できるだけで日々は、心は、満ち足ります。そう知りました。
一方で、ものが少なければ豊かな暮らしというわけでもないのだと、1杯のコーヒーに思い知らされました。前述のとおり、軽量化のために食器類は全て荷物からポイ。なので、コーヒーを飲みたいときには、食糧の入っていた空のパックを使いました。
真っ暗な夜空に無数の星がまたたき、足下のたき火はパチパチとはぜ、森をうっすらと浮かび上がらせます。ジャングルにいる実感に包まれながら、1日の疲れを癒そうと、かぐわしいコーヒーをすする。むむっ…ん、nんん。こ、これは直前に食べていたドライカレーの香り……。ジャングルで飲む1杯は、やけにスパイシーで苦かったのでした。おいしいコーヒーを飲むには、それなりの準備と道具が必要です。持っていた方がいいものは山ほどあります。
「持たない」を手放す
こんなトホホな失敗やコースアウトなど紆余曲折はあったものの、僕の歩んだ道のりはゴールへと至りました。完全燃焼した250kmには、不思議と心の震えるような感動はありません。胸のうちにあったのは、1歩目を踏み出したときの高揚感、そして軽やかさでした。
走り続けることも大変ですが、足を止めなければ、いつかどこかにたどり着きます。それよりも、止まっていた状態から前に出る、何かを始めるのは、もっと大変です。
そう考えると、新聞記者を辞めて、これからどうしようと勝手に思い悩んでいたころよりも1歩前進です。
僕は走る過程でミニマリストになったわけですが、ジャングルからの帰国後はというと、長続きしませんでした。握っていたものを手放すのは、心身ともに身軽になれて、心地よくさえありました。でも、時がたつと「持たない」に縛られるのも窮屈に思えてきました。だから、「持たない」という選択肢を手放すことにしました。
持っていてもいいし、持たなくてもいい。その方が軽やかです。
そして、使い慣れたカメラとペンを再び手に取り、福岡へ。それまで聞いたこともなかった秘境で暮らすことになりました。
次回からはジャングルを上回る、福岡の秘境暮らし編(仮)に続きます。