第6回:〜自然の中のシンプルライフ〜 キノコやベリー、森の恵みを探して| 北欧スウェーデン、夫の祖国の素敵な暮らし
「スウェーデンに住んでいる」と言うと「なんだかのんびりしていそうでいいな」と言われることがよくあります。確かにとてものんびりしている国です。なぜでしょうか?もしかしたらその秘密は”森”に隠れているかもしれません。スウェーデン人の生活に森は切っても切り離せないもです。今回はスウェーデンの森についてお話しします。スウェーデンの森は木が空高く伸びていて、足元には背の低い草花や苔が生えているだけで、とても歩きやすい森です。物語に出てくるような ”木の下を歩ける森” は私の憧れでした。主な木の種類は白樺、樫の木、松の木などの針葉樹林です。
私が初めてスウェーデンに訪れた時に義理の父母の持つ森を歩きました。スウェーデンの田舎では敷地内に森が含まれていることは珍しくありません。カゴをもってベリーやきのこを探して、「あー、これこれ!」と、まさに物語の世界だと思いました。スウェーデンでは森を舞台にした絵本がたくさんあります。その中でも特に私の好きなエルサベスコフの『もりのこびとたち』という絵本がります。きのこ頭の子供達、松ぼっくり頭のお父さん。ふくろうの先生。森を歩いていると、今にもその登場人物たちが出てきそうな気分になります。「これ、絶対妖精がいる!」と心のなかで確信していました。
日本では森林浴と言えばハイキングや山登り、都会では公園などでしょうか。スウェーデンにはフラっと入ってお散歩が出来る平坦な森がたくさんあります。きっと地形の関係もあるでしょう。スウェーデンは国土が平坦で、北部の一番高い場所でも標高2000mほどです。この国土の約68%は森林に覆われているというスウェーデン。”北欧=森”というイメージを持っている人は多いと思います。それでも、私の驚いたことは日本の森林率はスウェーデンとほぼ同じで、先進国の森林率は第1位がフィンランド、第2位がスウェーデン、そして第3位が日本なのだそうです。
日本には緑豊かな山が沢山あります。ただ、都市部からだいぶ離れています。その点スウェーデンは森が平均的に国土を占めていて、街からも遠く離れることなく森が存在しています。なので、森が人々の生活に溶け込んでいるのです。
キノコやベリーの宝庫
夏から秋にかけて森ではキノコやベリーがたくさん取れます。
スウェーデンと言えば、このキノコ。スウェーデン語でカンタレラと呼ばれるあんず茸です。そして右は少し種類の違うtratt(トラット)カンタレラ。trattとはじょうごのことで、その形が似ているので付けられたとか。主にこれらのキノコが一般的にキノコ狩りとして楽しまれているものです。
ですが、おばあちゃん級になるとまた違ったキノコも楽しみます。これはある日のスウェーデンのおばあちゃん。森へ何か面白いものはないかと出かけていき、食べれそうなキノコを発見。おばあちゃんは食べれるキノコと毒キノコを見分けるプロです。無事に昼ご飯の収穫に成功したようです。ささっとバター炒めにしてパンと一緒に頂きます。
しかし、森には数え切れないほどたくさんのきのこがあります。そのほとんどが毒キノコ。キノコ狩りには注意が必要です。おばあちゃんも首をかしげるようなきのこは、キノコの本で確認します。
その他、ベリーもスウェーデン人には欠かせない食べ物です。夏の中旬からはブルーベリーや秋にかけてはリンゴンベリーそして湿り気のある森ではオレンジ色のクラウドベリーなど、数多くの実がなります。
クラウドベリーは主にジャムに、ブルーベリーはジャムやコーディアル(水て薄めて飲むジュース)にしたり、そのままヨーグルトやケーキにのせたりして頂きます。
リンゴンベリーはスウェーデンを代表するベリーといっても過言ではないでしょう。主にジャムにして、スウェーデンの伝統料理のミートボールなど、暖かい料理に添えられる、少し酸味のあるベリーです。
夏が近ずくと皆んなキノコやベリー狩りを心待ちにします。しかし、いつでもたくさん採れるわけではありません。実は年によってかなりむらがあります。私は3回のスウェーデンの夏を体験しましたが、年によってその採れ方にはかなりばらつきがありました。そして、同じ年でも場所によってかなり違います。また、キノコは他の草に隠れていることも多いので、うまく探せる日と全く探せない日、その日の自分の調子によっても収穫量が変わってくるのです。だから、やめられないのでしょうね。
みんなで守って親しむ森
スウェーデンでは自然はみんなのもの。という考え方があります。自然享受権と言って、所有者の損害にならなければ基本的にはどこでも花やキノコを摘むことが許されています。(希少価値のある花、また、ナショナルパークでの採取は禁止されています。)さらに、私が驚いたのは私有地であっても住居の近くでなければ一晩だけならどこでもテントを張って過ごすことが許されています。
実際、私の義理父母も昔、他人の敷地内にテントを張って一晩過ごしたことがあるそうです。その時のエピソードをこのように語ってくれました。 車で国内を旅行中に止むを得ずどこかで一晩過ごさなければならなくなり、私有地にテントを張ったそうです。しかし、テントのを張った敷地の所有者に怒られそうな気配を感じだ義理父はストックホルム出身の標準語を話す義理母に対し、「お前は一切、喋るな。」と言って自分だけで所有者に交渉しに行きます。北部の訛りがある義理父はすぐにそこの家人に気に入られ、交渉を成立されせたとか。もし、都会人と思われたら嫌がられると義理父は思ったようです。
いくら法律で許可されていると言っても、人の敷地内にテントを張るのは勇気がいるもの。そして、やっぱり自分の敷地に他人にテントを張られるのもあまり気持ちの良いものではないようですね。
自由が許可されている法律と人々の秩序で守られ、親しまれているスウェーデンの自然。人々の自然に対する意識が高いのが私のスウェーデン人に対する印象です。
森を歩いてリフレッシュ
3月になり雪解けになり、徐々に陽が伸びて暗かった辺りが一気に明るくなり始めます。5月になればもう日は延びて夜は9時近くまで明るくなっています。太陽を待ち望んでいたスウェーデン人に取ってこれほど嬉しい季節はありません。冬眠していた熊のような気分でしょう。
仕事が終わって5時、遅くても6時には帰宅します。もちろん残業などはほとんどないので、お父さんもお母さんもみんなが揃います。夕食を食べた後でもまだ外は明るく、森へ散策へ出かけます。そして、春の草花の芽生えなどを見つけながら、その日のストレスはその日のうちに解消するのでしょう。こうして心に余裕のある生活が生まれるのだなぁと思います。
2006年に上映されたフィンランドを舞台にした映画『カモメ食堂』で、もたいまさこさん演じるマサコが「どうしてこの国の人はゆったり、のんびりしているように見えるのでしょうか?」と言っている場面があります。それに対して日本人かぶれの現地の少年”豚身昼斗念”(トンミヒルトネン)が「森があります」と答えます。私もスウェーデンで生活するようになって、森の存在が人々の生活に余裕を与えていると感じます。きっと北欧の人にとって森に行くことが生活になくてはならないものなのでしょう。
私が東京で生活している時はとにかく毎日毎日忙しく、日々に追われていました。忙しいのは仕事だけではなく、休みがあればこっちの友達、あっちの友達に会いに行き、面白そうなイベントがあれば顔を出し、知らぬ間にスケジュールが埋まっていってしまうのでした。
自分でコントロールすればもちろん東京に住んでいても余裕のある暮らしはできたはず、でもその地に居るとなかなかその空気に逆らって生活することが出来なくなっていました。そんな生活に少々疲れを感じていた私にとって田舎で自分のペースでシンプルに暮らすこと、それは私の憧れでもありました。
しかし自分で望んだのか、自然の流れだったのか、今実際スウェーデンで田舎暮らしをしていると『東京ほど楽しい場所はないわ』なんて思うこともしばしば。自分ながらに無い物ねだりも甚だしいと笑ってしまいます。実際、スウェーデンの森は素晴らしいと思う反面、スウェーデンには森しかないわなんて思うことも。まだまだ、仕事や友達などの生活の基盤がスウェーデンにしっかりと築けていない私にとっては、森に行ってストレス解消というほどのストレスがありません。
いつか社会生活と森の両方を上手く生活に溶け込ませてバランスのとれた生活ができるようになったら私もスウェーデン人に少し近づける気がします。