スイスの暮らしを覗いてみると、あらゆるところに “シェア”が根付いていることが分かる。
マイホームより多数派な暮らし方
まずは、家。物価が高く、また山に囲まれて平地が少ないスイス。集合住宅に住む人々は、国内の6割にのぼるといわれている。
シュヴィーツ州・キュスナハトの「Residential Building in Küsnacht, Switzerland」は、高齢者向け集合住宅。

via:https://architecturephoto.net/134752/
この住宅を手がけたのは、建築家アネット・ギゴンとマイク・ゴヤー。チューリッヒ湖の絶景を楽しめるような造りだけでなく、共有スペースの確保も、クライアントの大きな要望だったそう。

via:https://architecturephoto.net/134752/
地下1階には、居住者と商業テナントのための収納スペースや、共用ランドリールームが用意されている。

via:https://architecturephoto.net/134752/
洗濯機の共有は、この国では一般的。一家に一台を所有するのではなく、集合住宅内の住民とともに使っている。
さて次は、チューリヒ州のロイチェンバッハ地区にある「Mehr als Wohnen」。“暮らし以上に”を意味するこの名の組合住宅も、人と人がモノを通して、暮らしも分かち合うスタイルが魅力だ。

via:https://www.swissinfo.ch/jpn/society/45596302
この地区はもともと工業・商業用地だったそう。それが近年では団地やタワーマンションの建設が進み、2040年までに人口が25%増加すると見込まれている。
「Mehr als Wohnen」の周りには、思い思いに過ごせそうな広場がある。それだけでなく、保育園や幼稚園から小学校、小さな個人店やサッカー場まで。子どもから大人までのびのびとできる施設が、この小さな区画内に揃っているのだ。
こちらにも、もちろん共用のランドリールームはある。

via:https://www.swissinfo.ch/jpn/society/45596302
さらに屋上には、居住者全員が使えるサウナルームも。

via:https://www.swissinfo.ch/jpn/society/45596302
それだけではない。子ども向け屋内遊戯室、コワーキングスペース、会議・セミナールーム、屋上テラス、音楽ルーム、工具レンタルや自転車の空気入れができる作業スペース、ゲストハウス、ビストロ、菜園スペース……。暮らしの中で、ふと必要になったときに安心して使える共用スペースが目白押し。ほとんど完備されていると言っても良いのではないだろうか。
自動車から遊具まで。買うのではなく、一緒に使う
世界でもシェアリングの歴史が古いスイス。特にカーシェアリングは、スイスが発祥という記録もある。まず1948年に、チューリヒの住宅協同組合が車両共同使用プロジェクトをスタート。さらに1987年にカーシェアリング協同組合「モビリティ」が設立され、現代の“カーシェアリング”により近い形態が生まれた。
さらに近年は、国内のスタートアップ企業によるシェアリングカー「ENUU」も話題に。自動車とバイクの中間である「小型4輪モビリティ」の電気駆動車で、免許は不要なのだとか。

via:https://moov.ooo/article/5eb9f9021b05ee0697dd28eb
世界で広まる自転車シェアリングは、もちろんスイスでも進んでいる。2020年、シェアリングサービス「Vélo Partage(ベロ・パルタージュ)」がスタートした。スマホ一つで借りることができ、ジュネーブ州内の各所で返却可能だ。

via:https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/08/5e84b588d2d8ba54.html
そしてもう一つ面白いシェアリングの形に、「Ludothek(ルドテーク)」がある。

via:https://jneia.org/190612-2/
アメリカやノルウェーが先駆けと言われている、遊具のレンタルサービス。スイスでは、1972年頃に最初のレンタル施設が設立された。2011年には、全国組織「ルドテーク連盟」に加入する施設は、全国で約400箇所に達した。

via:https://jneia.org/190612-2/
1970〜80年代のスイスで、遊具は一般的に高価なものとされていた。しかし、木製の遊具や家族で楽しめるゲームを求める子育て世代は多く、そこから“遊具をレンタルする”という発想が生まれたのだとか。
遊具は、小さな頃の思い出を彩ってくれる。しかし、意外とすぐに役目を果たしてしまうものではないだろうか。そういったものをわざわざ買わず、地域の子どもたちみんなで共有できたら素敵だ。
“モノの共有”から、“人の交流”が生まれる
さらに、最近注目を浴びているのが、2012年に始まったプロジェクト「Pumpipumpe(プンピプンペ)」。自宅のポストに「わが家が貸し出せるもの」を表すシールを貼り、必要な人からのコンタクトを待つ。アナログで簡単なシステムだ。

via:https://ideasforgood.jp/2022/04/20/pumpipumpe/
Pumpipumpeのメリットは、要らないものがゴミにならないこと、欲しいものがお金をかけずに手に入ること、だけではない。人と人の交流だ。わざわざ地域の行事や会合へ参加せずとも、ご近所付き合いのきっかけが生まれる、素敵な取り組みといえる。

via:https://pumpipumpe.ch/en/supporter-en/
スイスの人々のシェアリングは、モノの共有だけには終わらない。人と人の、“暮らしの共有”だ。エコや節約だけではない“楽しさ”、“温かさ”がそこには溢れている。
参照元:
https://architecturephoto.net/,
https://www.swissinfo.ch/jpn,
https://moov.ooo/bouncy,
https://www.dir.co.jp/,
https://www.jetro.go.jp/,
https://www.jetro.go.jp/,
https://jneia.org/,
https://ideasforgood.jp/,
https://pumpipumpe.ch/en/home-en/
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横浜市保土ヶ谷区の高架下に展開する、YADOKARIの生きかたを遊ぶ住まい「YADORESI」は入居者募集中!
全22部屋の個室(1R・シャワーブース・トイレ付)と、各個室に付帯し小商いや自己表現が可能な「はなれマド」、リビング・キッチン・ランドリールームなどの共有部から構成されており、個性豊かな住人が集い暮らしながら、新たな自分と生き方の選択肢を探求・挑戦できる住まいです。
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①“生きかたを、遊ぶ“星天qlayの店舗や暮らしを共にする仲間、星天のまちとの出会い・つながり。
②「食」「働」「暮らし」が融合した住まい
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「ROBERT’S COFFEE」:お好きな食事やドリンクに使える、毎月3000円分のチケット付与。
③全部屋に付帯する「はなれマド」
廊下を出た先にある、小さな窓付きのスペースの使い方は自由!ギャラリー、制作スペース、小商など、あなただけの表現をぜひここで。
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みなさんタイニーハウスと聞くと、どんな家を思い浮かべるでしょうか?きっと小さな限られたスペースに、キッチンやシャワー、ダイニングや寝室がパズルのように組み合わさり、小さな宝箱のようにぎゅっと凝縮されたようなスペースをイメージするのではないでしょうか?今日ご紹介するイタリアのタイニーハウスクリエイター、レオナルド氏のタイニーハウス、“aVOID”はその名の通り一見”何もない空間”。今回は、その魅力と彼の暮らしの美意識に迫ります。
レオナルドさんとは

今回のタイニーハウスクリエイターインタビュー企画、トップバッターを快く引き受けてくださったのは、イタリアで注目されるタイニーハウスクリエイターのレオナルド・ディ・キアラ氏(Leonardo Di Chiara)。イタリアのペーザロ(Pesaro)在住の30歳の建築家です。現在はTinyhouse Universityの理事を勤めながら、フリーランスの建築家として世界中でタイニーハウスをはじめ多くのプロジェクトを手がけています。
“aVOID”とは

初めて”aVOID”を見た時は、今までのタイニーハウスの概念が一気に覆されるような感覚がありました。ただでさえ限られたスペースに、日常に必要なものを全て詰め込むだけでも大変なところに、何もない空間を作れるとは考えてもみませんでした。”aVOID”は全ての家具や機能が壁の中に収納されているのです。これを聞いただけで、ワクワクしますよね。まるでトランスフォーマーの世界のようです。さて、どんな風に家具が現れるのか、まずはそのデザインのきっかけからご紹介していきましょう!
“aVOID”が誕生するきっかけ

まずは、どのようにしてこの斬新なアイデアが思いついたのか尋ねてみました。
この全てを収納するアイデアは、「どのようにしたら小さなスペースを常に物が溢れず綺麗な状態を保てるか」という問いから始まったというレオナルド氏。
落ち着いてストレスのない自分だけの空間が欲しかった彼は、必要な時に必要なものを取り出せるように全てを収納し、グレーの何もない空間を作り出すことで自分だけの空間を確保することに成功しました。この空間こそが、この”aVOID”の名前の由来です。

自分だけの空間というと、タイニーハウスという小さな家自体が既に自分だけの空間ではあるのですが、そこに物も存在しない空間こそ、真の自分だけの空間だと彼は言います。そして、そんな空間を彼はこう表現します。
「ここはまるで白いキャンバスのように、いつでも自分の生き方を創造できる場所なんです。」
全てのものを収納すると、またゼロからのスタートが切り出せる家。彼にとっては、感覚的に毎日自分の家を作っているようで、時にはデスクで仕事をし、時にはテーブルを広げ友人を呼び、ベッドを広げて眠る。翌朝には全てをもう一度収納して、この日はどんな家にしようかと考える。そして、その作業は永遠に終わりがありません。タイニーハウスがさまざまな場所に移動できるのと同じように、家も固定されずにいつでも変化できるところが、この”aVOID”の面白さだとレオナルド氏は言います。
タイニーハウスと住む土地との関係性

そんなレオナルド氏はタイニーハウスを牽引し、ドイツはベルリン、スイスのチューリッヒやイタリアのローマなど、ヨーロッパの大都市を旅した後、現在はイタリアの彼の故郷、ペーザロ(Pesaro)にあるカントリーサイドで暮らしています。都市にあるタイニーハウス、田舎にあるタイニーハウス、それぞれの魅力を伺ってみました。
「私の夢は中心地や様々なものにできる限り近い場所に住める家を持つことでした。」と語るレオナルド氏。
都心部で家を持とうと思っても、古くて狭くておまけに高い。そこで思い付いたのが両側が建物に囲まれた狭い土地にもフィットする、テラスハウスのようなデザインのタイニーハウスでした。つまり、隣の建物に近づけるように、長手方向には窓が一切ないのです。

高層ビルが立ち並ぶ都市部に対照的なタイニーハウスで暮らすことに成功したある日、彼に転機が訪れます。さまざまな都市を旅している時、イタリア・トスカーナ地方の田舎町に住む友人が彼を招待してくれたのです。
「初めて自分のタイニーハウスが田舎町にある姿を見た時、本当に大きな衝撃を受けました。そして、この家の可能性を理解したのです。この家にはタイヤがついていて、一緒に移動ができる。つまり、まだ誰も住んだことのない場所に住める可能性があるのだと。」

この時をきっかけに、自然や太陽、自分を取り巻く環境と素晴らしい関係を築けることに気づいたレオナルド氏。ただ最終的に大切なのはバランスなのだと彼は言います。都心部なら多くの人と繋がれる。でも田舎なら自然や自分自身と繋がれる。現在は田舎町に住む彼は、自分らしくいられて、誰もいない場所で自分のやりたいことができるのはとてもよかったそうです。

ただ、誰にも未来のことは分からない。コロナの前はミラノに行く予定を断念し、今の暮らし始めた彼も今は田舎暮らしが好きだったとしても変わるかもしれないと彼は言います。
「タイニーハウスの利点は、永遠に決める必要がないことだと考えています。」
大人になると、誰に言われる訳でもなく、なんとなく安定しなくてはならないというプレッシャーを誰もが一度は感じたことがあるのではないでしょうか。それがどこかで自分を制限してしまい、苦しいと思う人もいると思います。本当は、家も生き方も、決める必要なんてないのかもしれません。
家族でタイニーハウスに住むことは可能?

一方、家族が増えたりライフステージが変わっていくこともありますよね。“aVOID”は写真のようにゲストを招いて4人で食事をすることも可能です。それでは、家族でタイニーハウスに住むことは可能なのでしょうか?
家族だとしても誰もが自分だけの空間が必要だと語るレオナルド氏。”aVOID”は定住者一人用+ゲスト一人が泊まれるサイズとしてデザインされています。それでは、家族用のタイニーハウスはどのように変化を遂げる可能性があるのでしょうか?

現在5人用のタイニーハウスをデザインしているというレオナルド氏。そこには、一つの空間を家族分に分けるような工夫があり、各々が自分の空間を閉じたり開いたりできるのだとか。
そして、このアイデアはなんと日本のカプセルホテルからインスピレーションを受けたのだそうです。カプセルホテルに滞在した時、同じ空間に多くの人がいながらもm、例えその空間が小さかったとしても、音楽を聞いたりカーテンを閉じたり、確かに自分の空間だと感じられたと言います。
タイニーハウスのムーブメントはアメリカから始まり、どこか海を渡ってきた価値観のような気がしていましたが、言われてみるとカプセルホテルや都心での一人暮らしのアパートなど、私たち日本人ははもともと限られた空間で過ごすエキスパートだったのかもしれません。生き方の選択肢が変化し、増え続ける今、家族で暮らせるタイニーハウス、世界を旅する家族も増えていくのかもしれません。
家族の定義とは

ここで気になるのが、そもそも”家族”ってなんだろう。家と家族というのは、文字通り切っても切り離せない関係性でもあります。家族用のタイニーハウスをデザインしている彼に尋ねてみました。
「人にとって大切なもので、自分自身が感じるものであり、自分らしくいられ、頼れる場所。」
「自分が感じ、深く繋がった人のことを言うのだと思います。」
と答えてくださったレオナルド氏。時には自分一人きりでさえ、それも一つの家族の形になり得ると言います。
私自身もデンマークに留学中、ルームメイトと2人暮らしでした。彼のおっしゃる通り、彼女のことを心から信頼し、今思えばその時彼女は確かに、私にとって”家族”でした。タイニーハウスのような固定されない家での暮らしがあるように、家族もまた、定義を固定しなくてもいい時代。妻、夫、子供だけでなく、様々な形があり、そしてそれらが変わっていくことも、時には自分の人生にとっていいこともあるのかもしれません。
暮らしの美意識とは?

ここまで変化を喜んで受け入れ、自分の人生を作り上げているレオナルド氏。限られた空間の中、そして変化する生活環境の中でも、いつでも自分らしさを失わずにこのタイニーハウスで暮らすことができる、その暮らしの美意識に迫ってみました。
「美意識とは、自分が好きなものを持つこと、つまり必要以上のものは持たないこと」
何か欲しいものがあれば、自分が確信を持ったものを選ぶ。何かをデザインするのであれば、自分な必要なものだけにし、余計なものは加えない、そう意識しているそうです。そしてそんな自分の好きなものというのは、目でははっきり見えず、暮らしの流れの中にあるものだと言います。ご自身だけでなく、クライアントの家をデザインする時も、これを意識するそうです。その人の隣には、いつもどんなものがあって、その人の周りのものにはどんな流れがあるのか、それをしっかりと観察することで、その人らしい暮らしの美意識が見えてくるのです。
予測がつかないタイニーハウス

ただ、タイニーハウスだけは周辺環境も含め、自分の周りに何がくるかは予測がつきません。そこで前述の美意識の真逆の発想も使ったそうです。つまり自分の身の回りにあるものと完全に異なるもの、好きでないものをあえて使う。それがこの”aVOID”を真っ白にした理由だそうです。そうすることによって、自分の周りにあるもの、自分の好きなものがより一層引き立つのだと言います。
コロナ後の暮らしはどのように変わるのか

タイニーハウスと共に新しい暮らしを創り上げてきたレオナルド氏。そんな彼にとっても予想外だったコロナは、これから私たちの暮らしにどんな影響を与えてくれるのでしょうか。
「私たちは、自分自身を幸せにしてくれるものが何なのか、例えそれを今まで思いつかなかったものだったとしても、気づいていくと思います。」
長い時間何もない日々を過ごした人も多かったと思います。そんな時こそ、自分の心の声に耳を傾け、何が必要で、何が本当にいいものなのかを試す時間でもあったと彼は言います。イタリアでは、この時期テラスの重要性が再注目され、今ではテラスの無い家を買う人がほどんどいなくなってしまったとか。このようにテレビやソーシャルメディアの広告からではなく、自分の実体験を通して、自分自身の幸せに気づいていくのですね。これから多くの人が彼のいう”暮らしの美意識”、つまり自分の好きなものに気づき、必要なものを取捨選択しながら暮らす時代に変わっていくのかもしれません。

さらに、この機会に運動を始めたというレオナルド氏。ランニングや山にサイクリングにもいくのだとか。それまではいつも忙しく、運動をする時間を作らないと決めていたほど。ただ、今は健康にも精神的にもとても良いことに気づき、このようにして多くの人がものだけではなく、行動も含めて何が自分にとっていいものなのかを分かるようになってくると彼は言います。
次の目標や夢

時代の最先端を走り続けるレオナルド氏は、次はどんな夢を持っているのでしょうか?
「建築家としては、”レオナルドの家”ではなく、”みんなのための家”をデザインしたい」
他の人が望んでいるものを知ることが、建築家として難しいことでもあると彼は言います。現在はこのタイニーハウスを他の人に泊まってもらい、インタビューを重ねているそう。自分のアイデアをまずは自分自身が試し、そして他の人に経験してもらう。そしてその経験を基に、次は誰かの暮らしをデザインする時がきたのです。

またご自身の目標としてはこう語る。
「常に新しいことに挑戦していきたいです。常に自分が心地いい場所にいるだけでなく、やったことがないことや知らないことをやってみたい。」
既にこのタイニーハウスを通して多くの経験をされてきたレオナルド氏。それでも尚、新しいことに挑戦し続けようとする姿は、本当に勇気をもらいます。
「新しいことを始めるのは大変ですよね。でもそれによって冒険できたりたくさんの経験に出会えるチャンスができるんです。私の夢は常にそのような状態でいることです。常にそのような気持ちを持っていたいし、そういられる強さも持っていたい。恐れや制約を持たずに、新しいことに挑戦していきたいのです。」
今回インタビューさせていただき、”決めないことの必要性”を改めて考えさせられました。決めないことによる不安や、変化に対する恐れは、この時代多くの人が感じていたことではないでしょうか。逆を返せば、決めないことによる広がる可能性や、変化による新しい出会いや気づきなど多くの楽しみや喜びが私たちを待ち受けているかもしれません。
私たちも、タイニーハウスはもちろんのこと、生き方、考え方も彼のように柔軟に、そして私たち自身がその体現者として、多くの人に伝えていける存在でありたいと強く思うのでした。
Photo: ©︎ Leonardo Di Chiara
私達がこれから住みたいのは、どんな家だろう?
ハウスメーカーやマンション・ディベロッパーが提供する既存の住宅展示場やモデルルームから家を選ぶことに、違和感を覚える人もすでに多いのではないだろうか。その家で本当に暮らしたいと思えるのか。そもそも、自分はどんな暮らしがしたいのか。家のことを考えていくと、それは自然に「暮らし方」を考えることにつながっていく。
現代は、個人の志向や価値観が細分化されている一方で、テクノロジーの発達によって、地域や文化、世代、国家の壁をも超えて、同じ価値観で個人同士がつながる状況も同時に起きている。世の中が大きく変わる中で、未来の暮らしと、その器である家は、どのようになっていくのだろうか。

土谷貞雄さんは、暮らしに関するアンケートや訪問調査、企業コンサルティングを実施しながら未来の暮らしの在り方を提案し続けている、日本の暮らし研究の第一人者。未来の暮らしの展覧会「HOUSE VISION」(代表:日本デザインセンター所長 原研哉氏)の企画プロデュースを2018年まで8年間行い、現在は中国・深圳にて都市生活研究所を主宰。
「未来住まい方会議」は、「住」の視点で新しい文化を探求し、この分野で活躍するクリエイターやオピニオンリーダーを招いて、未来の暮らし方や家の在り方を一緒に考え、創造していくことを目指すイベントシリーズだ。
第4回目となる今回は、国内外を問わず世界の住まい方や家の在り方を研究し続ける、暮らし研究家 土谷貞雄さんをお招きし、未来の家と暮らしについてトークセッションを行った。
▼イベント動画を全視聴できます。レポートと合わせてお楽しみ下さい
https://www.facebook.com/yadokari.mobi/videos/637656310061938/
Facebook動画で視聴できない方はYoutube動画(こちらをクリック)も視聴可能です。
未来の家を考えることは、未来の可能性を広げること

2018年に北京で開催された「HOUSE VISION 3」には10棟の未来の家が提案された。「展覧会では答えではなくレファレンス(参照)を示している」と土谷さん。開催期間中は毎日、建築家はもちろん哲学者や経済学者、起業家などさまざまなゲストがトークセッションを行い、参加者と一緒に考え話し合う機会が設けられている。© HOUSE VISION. Photo: Nacása & Partners Inc
土谷さんは、2011年に始まった「家」を起点に未来を構想するプロジェクト「HOUSE VISION」を、建築家 原研哉氏と共に企画段階からつくってきた。2013年の東京を皮切りに数年ごとに開催されている展覧会では、さまざまな企業や建築家、クリエイター達がコラボレーションした「未来の家」が原寸大で建築・展示され、世界中から大勢の人々が詰めかける。3回目となった2018年9月には、北京「鳥の巣」前の会場に10棟を展示し、ハイスピードで進化を続ける中国において未来の暮らしを問いかけた。
土谷さん:「よく皆『未来について教えてください』って言うんです。僕も一生懸命答えてるんだけど、待てよ、と。やっぱり未来って分かんないなって、最近すごく思ってきたんですよね。“未来が分からない”ってことが分かる、ということがまず初めにあって、その分からない答えに向かって考え続けることが、いかにクリエイティブで楽しいか。
未来を考えるというのは答えを出すものではなく、未来のオルタナティブな可能性を広げること。今ある現在から予測した未来じゃなくて、皆の言う未来はきっと、『もっと良い未来をつくりたい』って考えているんだろうと思うんだよね。僕もそうです。
例えば今の中国で、環境問題や人口問題など、そのまま行ったら良くない未来になる予測があるけれど、そうじゃない未来の可能性を考えるということ。それが当たるかどうかじゃないんだよね。そこに向かって歩いていきたい未来を考えていくことに魅力があるんじゃないかと思うんです」
無印良品の家を開発したものの

土谷さんが開発に携わった無印良品の最初の住宅「木の家」。発売時は東京の旗艦店に実物が展示され、話題を呼んだ。
土谷さんは 「HOUSE VISION」を立ち上げる以前は、無印良品の家の商品開発を手掛けていた。かねてより土谷さんは、日本の家のデザインを底上げするために、1戸ずつ建てる従来のやり方ではなく、車のようにある程度大量生産できるよう、家を「商品化」をしていくことができないかと考えていた。そんな時、無印良品から住宅開発のメンバーとしてスカウトされ、描いていたものが実現できるかもしれないと気合いを入れて取り組んだ。
でき上がった最初の商品「木の家」は、実物が東京の旗艦店内に設置され、1日に600人が見に来るほど話題となった。しかし実際は、都市部ではこの規格住宅が収まるような広い土地がほとんど無く、なかなか購買につながらなかった。
皆、どんな暮らしをしているんだろう?

次に開発した無印良品の住宅「窓の家」。2008年度グッドデザイン金賞を受賞した。
続いて、もう少し分かりやすいデザインの家を、と開発した三角屋根の「窓の家」も、グッドデザイン金賞候補にノミネートされるほど高い評価を得るものの、発売当初の売れ行きは芳しくなかったそうだ。「木の家」での経験を生かし、多少のカスタマイズを許容できる仕組みにするなど改善を施したが、結果は思ったようにはいかなかった。
土谷さん:「そこで僕はどうやったら売れるかという前に、皆がどういう暮らしをしているのか?ということを調べようと思ったのが2007年なんです。今まではかっこいい家をつくろうと考えていたのがあまり売れなかったので、もう1回原点に帰って、人がどんな暮らしをしているのかを考えようとしたんですね」
そして土谷さんは、無印良品ユーザーへアンケートやインタビューなどを行うことによって、「暮らしの実態」を徹底的に研究することになった。
平均値からずれたキワの所に「暮らし」がある

土谷さんの暮らしの調査の成果は「無印良品と考える未来の形」(みんなで考える住まいのかたち研究会編集・土谷貞雄編集/エクスナレッジ)という書籍にまとまり、販売もされている他、無印良品のウェブサイトでも見ることができる。
調査には、明らかに数字で分かる調査(例えば、世帯あたりの人数や持ち物の数など)と、観察を必要とする調査(例えば、ここに物が散らかっているのはなぜか?など)がある。特に後者は訪問調査によって行うため、実施する人数が限られる。そこで訪問調査によって得られた仮説を、今度はインターネット上で多くの人に聞いていく。このネット調査を無印良品のユーザーに対して毎月約1万人、1年間で約10万人に対して行なった。
そこで土谷さんが気づいたのは、全体の平均値からはみ出した部分に、個性や固有の暮らしが表れているということだった。

土谷さんが無印良品時代に、調査結果をもとにコラムで提案した間取り。家族のベッドを壁際に並べてカーテンで区切るという極端なアイデアに、ユーザーからはたくさんのコメントが寄せられた。
土谷さん:「全て平均値で暮らしている人なんて、いるわけないじゃないですか。でも、マーケティングとかで考えようとすると、平均値で捉えようとするわけです。例えば、収納についてのアンケートで持ち物の数を調べた時に、靴の数の世帯平均27足と出る。それで家の商品開発をする時に、27足の靴を置く場所を考えても発想が広がらないんです。
ここで、家族全員で12足の人とか、1人で200足という人を見つけてインタビューに行く。200足持っている人はマニアですから、もう靴の持ち方じゃなくて、“靴とは何か”みたいな靴の哲学を教えてもらうわけです。そういうのを聞くだけで、靴に対する考え方が変わりますよね。暮らしというのは、そういうロングテールのキワの所にあると気づいたんです」
土谷さんはこうした調査の「キワ」から得た気づきをもとにコラムを書き、時には家の間取り図に落とし込んだ形でユーザーに向けて発信し続けた。その提案に関して、一晩で200人以上のユーザーからフィードバックが送られて来ることもあった。その中には当然、賛否両論があるわけだが、それが良いと土谷さんは言う。
見る・聞く・観察する、そこからすべてが始まる

「HOUSE VISION」においても、「さまざまなメーカー・企業と共に、彼らの持っている技術やサービスを、どんな未来へ向かう物語として作っていくのかを大事にしている」と土谷さん。Via: http://house-vision.jp/exhibition/2013.html
こうした調査とフィードバックを積み重ねるうちに、当初10万人だった無印良品の家のメルマガ会員は、やがて100万人近くに増加した。その中から「無印はこんなに家のことを一生懸命考えているんだ」と、無印良品の家に関心を持つ人や、欲しいという人が現れ始めた。物を売ろうと思っていた所から、一緒に考えるという関係に変わることによって、全く違う地平線が見えてきたと土谷さんは言う。
土谷さん:「分からないことを分かっていくこと、分からないということに気づいていくことが非常にクリエイティブなんです。実は課題は初めからあるわけじゃなくて、そのプロセスの中で感じていったり、発見していったり、ということなんですね。見る・聞く・観察する、そこから全てが始まる。デザインとは、形をデザインすることじゃなくて、どんな課題を発見していくかが全てなんじゃないかと」
Multi Creative Society

イベント内で土谷さんが示した、未来の暮らしのヒントとなる図。「今まで作ってきた非日常に刺激を求める『演劇的な暮らし』から、どうやってこの1杯のお茶にクリエイティブを作るか、みたいな、日常の中にクリエイティブを見つけ出して行く作業が、これからの豊かさなんじゃないかな」
土谷さんと親しかった、くらし研究家の辰巳渚さんはかつて、家事について土谷さんにこう語ったそうだ。家事労働という言葉に代表されるように、20世紀になって家事が「労働」として、しかも「労働を支える労働」として社会の中で低く位置付けられ、合理化の対象になったことが間違いだと。身の周りを整え、きちっと食事を作って、日々のリズムを繰り返していく家事は、息をするのと同じように、誰もがやらないと生きていけないものなんだと。
そんな「日常」をクリエイティブにしていくことこそ、未来の豊かな暮らしではないかと土谷さんは言う。
土谷さん:「未来の暮らしというのは結局、生活の中に『創造性・クリエイティブなこと』があるということではないかと思います。今世紀の最大の課題は、全ての人がクリエイティブであれ、ということなんですよ。合理性や利便性で標準化されていく世界から、そこで切り落とされた人間一人一人の多様性や個性、マイノリティというものを、どうやって取り戻していくのかということが必要で、それこそがクリエイティブなんです」
【第2部】トークセッション

イベントの第2部は、YADOKARIのウエスギも加わり、9つのテーマの下、会場の参加者と共に語り合った。そのハイライトをご紹介する。
暮らしの美意識

シェアハウスに住む若者も多いが、それは「合理的」な選択ではなく、「美意識のある暮らし」だと土谷さんは言う。
参加者:「今、クリエイター達と一緒にシェアハウスに住んでおり、今日のお話にあった、暮らしの中で日常に非日常を見出す、クリエイティビティを見出すという点が最近考えていたことと合致しています。24時間の中で、今までは仕事と生活を切り離して考えていましたが、仕事をしている時間も、犬の散歩をしている時間も、銭湯に行っている時間も、24時間全てが自分にとって豊かであれば、人生幸せなんじゃないか、みたいな感覚があります。土谷さんの『暮らしの美意識』をお伺いできたらなと」
土谷さん:「合理性というのはどこかを切り捨てることなんだよね。でも、シェアもそうだけど、面倒なこといっぱいありますよ。私の話だけど、北京のシェアハウスに住んでいる時に、賄いのおばさんがすごいお節介な人で、隣で料理していると、僕のオムレツに玉ねぎとかシイタケとか入れてくるんです(笑)。朝はプレーンオムレツなんだって決めているのに入れてきちゃう。でもその人との関係は、ちょっと嬉しいですよね。やっぱり『ありがとう』っていう気持ちになる。人と付き合うってことは、そもそも面倒なことなんです。他にも、全く1人で暮らしていたら今日は掃除しなくていいやとなるけど、人と一緒だと、やはり元あった場所に戻そうとか、コミュニティの中のルールに従っていきますよね。
『そうやって、意識的に何かをやっていく』ってことが美意識だし、美意識は哲学だと思うんだよね。『こういうふうに生きていく』と決めたルールを守っていくことが、自分の生き方を決めていく。ただ合理的に便利やスピードだけを求めていたら、やらないことたくさんあるじゃないですか。そうじゃなくて、朝起きたらとにかく掃除をするってことなんです。辰巳渚さんの『息をするように家事をする』というのは、そういうことを教えてくれたような気がして。それが『美意識』ということ。
美意識というのは、美しいものを見るということじゃなくて、『生き方のリズムを律していく』ということだと思います。つまり、欲望のままに生きないで、ある摂理というか、自然のリズムに自分を合わせていくことじゃないかと思うんですよね」
次世代都市「深圳」

中国のシリコンバレーとも言われる深圳は、世界でも先進的な次世代都市。土谷さんはこの都市で週に5日間過ごし、日本と行き来しながら暮らしの研究を行なっている。
ウエスギ:「深圳は今、中国のシリコンバレーと言われつつあって、先進的なシェアの概念も入りつつ、環境都市であり、テクノロジーも進んでいる状況の中で、土谷さんは住まいに対して研究を始めたじゃないですか。中国の若者達はどうかなっていう所をお話ししてほしいと思っているんですが」
土谷さん:「難しい話題ですね。日本は一つのグループというか、結構分かりやすい国なんですよ、島国だし。僕が中国に行ったのが28年前だけど、まだ高層ビルがなかった。それが今は街中、50階、60階の高層ビルがバンバン建っている状況で、僕がディベロッパーのアドバイザーをやってプロトタイピングすると、1個のプロトタイプで2万~3万戸つくる。ちょっとスケールが違うよね。
その中で多くの若者が、アメリカやヨーロッパ、日本で勉強して帰ってきている。成熟社会、つまり成長経済から衰退に向かっていく経済を経験している国で勉強した若者達は、まだ成長を続けている中国の中にいながらも、すでに他の国で成熟社会の予兆を知っていて、どこか違うんじゃないかと思っている。
中国の場合、他の国が歩んできたような、徐々に成長して成熟していくということじゃなくて、一つの社会の中に、まだ成長を夢見ている人達もたくさんいるし、すでに未来の他の国の現実を知って、同じようにその哲学を持っている人達もいるわけです。なので、田舎暮らしやミニマムな暮らし、みたいなことを始めている人達もいる」

「北京と深圳は、同じ時間軸で全く違う発展の仕方をしている所に日本との違いを感じたし、次世代都市を見ることで、自分達のこれからの豊かな暮らしの在り方を改めて考えさせられた」とウエスギ。
ウエスギ:「北京の講演の時に『小さな暮らしどうですか?』って写真見せたら、『僕は3億円のマンションの方が良い』みたいなことを言われたりとか(笑)でも深圳での講演の時は全然そんなことなくて、若者が『分かるよ、良いよ』って答えを返してくれて。それがなかなかすごいなと」(2018年11月の北京のハウスビジョン講演、および2019年3月の深圳家具展での講演。小さな暮らしについて)
土谷さん:「そういうことも起きてるんだよね。政治の街 北京、金融の街 上海、ビジネスの街 深圳、と言われていますけど、もう少し深く入って行くと、さっき話したように、それぞれの街に多数のレイヤーが存在しているんですね。中国のこの20年ぐらいの変化はハイスピードで、しかもその変化に他の国の流行も混じっているから、可能性としては、小屋を建てに行こうよ(笑)。そのムーブメントもあるってことかな。中国が、今の大多数の発展思考の価値観で未来をそのまま行けるとも思わないし、皆も思ってないんだよね。ただ、どういうふうにつくっていくのかという答えはなかなか見つからない。その意味では例えば小屋を持って行ってさ、皆でつくってみるというのはいいね」
未来の家

「社会問題には、僕らのレベルで解けることと、『制度』という問題がある。起きてきた小さな問題を社会全体の仕組みとして整えていく必要があるし、政治についても遠いものじゃなくて、僕らとして、もう少し関わっていった方がいいかもしれないね」と土谷さん。
参加者:「行政の立場として固定資産税の課税に関わる仕事をしています。固定資産税の課税で実際に土地を見て行くと、昔の大きかった家がどんどん分割されて小さい宅地になって分譲されているケースが数多くあります。政治・行政と関わっていくお立場として未来の家を考える中で、小さくなっていく土地、小さくなっていく家について、何かお考えがあればお伺いしたいです」
土谷さん:「固定資産税という税金システム・制度の問題と未来の暮らしをどう考えるか。制度がうまく適応していないので、変えなきゃいけないんだけど、1人の人が所有している土地に税金をかけるという今までの考え方が、もしかすると未来には合わなくなるかもしれないね。例えば財産的な価値を持っている家や土地だったらいいんだけど、日本中には、地方でバリューが全くない土地や、もらってくれる人もいない土地が多数発生している。それは税金をどうするかではなくて、そういう土地をどう使っていくかという話なんですよね。本当の問題は、今バリューがない所にどうバリューをつくっていくかということなので、もしかすると税金の話と、経済システムや金融システムと一体になって変わっていく可能性があるかもしれないですね。
その時に、土地の所有がどういうものなのかとか、1人が1個の土地を所有するのかということすら変わるのかもしれない。複数人、または大勢で1個の土地または複数の土地を所有するとか。既存のルールを変えるというよりは、それを飛び越えて新しい仕組みが生まれてくるかもしれないですね」

未来の家への関心は、これからの日々を美意識を持って過ごしたい、という皆の願望から生まれてきているようだ。
最後は会場の参加者同士で、「あなたが暮らしたいのはどんな家ですか?」というテーマの下にディスカッションを行なった。会場からは、「どんな家というよりも、誰と暮らしたいか、どういうふうに幸せになりたいかということにビジョンを持っている」「シンプルだけど日々の暮らしが美意識につながる、やはりハード面よりもソフト面が重要」「結婚や子育てなどのライフステージに合わせて変わる家」などの声が聞かれた。
こうした会場の声に対して土谷さんは、まさにその通りだが、一方で社会が大きく変わっている中で、その「誰と」を疑ってみることや、「変化する家」も一つの家で変化を許容するのではなく、社会が家の流動性を担保できるような仕組みをつくることも大切とコメントした。

「未来の家はどうなりますか?」と答えを求めるのではなく、どんな暮らしをしていくことがこれからの美意識に合致するのか、その時、家の形はどうなるのかを考え続けることが、今の延長ではない、より良い未来を引き寄せる。Via: http://house-vision.jp/exhibition/2013.html
考え続けることでオルタナティブな未来はやって来る、と土谷さんは私達に語った。今ある未来ではなく、自分達でつくっていく未来には初めから答えはない。自分達で発見し、そこに向かって考え続け、歩き続けていくことで実現していく。
未来は予測するものではなく、自分達でつくっていくものだ、ということが、土谷さんからの、終始変わらぬこの日の強いメッセージだった。
(執筆:角舞子)
◎今回のゲストスピーカー

土谷貞雄
暮らし研究家/都市生活研究所 代表(中国・深圳)/貞雄 代表(日本・東京)
「HOUSE VISION」企画プロデューサー
プロフィール
1960年東京生まれ。1989年日本大学理工学部修士課程修了後、イタリア政府給費留学生としてローマ大学留学。1994年帰国後、ゼネコンにて施工、設計、営業などの業務を経験し、住宅部門の商品開発などに注力。2001年M&Aコンサルタント企業に転職し、住宅系の営業支援業務に従事。2004年良品計画のグループ会社ムジネット入社、2007年よりムジネット取締役に就任。この間、無印良品の家の事業を責任者として推進した。2008年コンサルタントとして独立し、株式会社貞雄を設立。日本中国企業の商品開発からプロモーションまで一貫した住宅商品開発支援を行なっている。
ライフワークとして住まいに関する研究を行っている。その一環として未来の暮らしの展覧会「HOUSE VISION」(代表・日本デザインセンター原研哉氏)の企画プロデュースを2018年まで8年間行う。並行して日本を始め、アジア各地で研究会や、暮らしに関する調査、展覧会などを定期的に行っている。現在は、中国・深圳にて都市生活研究所を主催、中国の暮らしの未来探索に多くの時間を注いでいる。
◎パネリスト

ウエスギセイタ
YADOKARI株式会社・共同代表取締役/暮らし研究家
プロフィール
暮らし(住まい方・働き方)の原点を問い直し、これからを考えるソーシャルデザインカンパニー「YADOKARI」。暮らしに関わる企画プロデュース、タイニーハウス企画開発、遊休不動産と可動産の活用・施設運営、まちづくり支援イベント、オウンドメディア支援プロモーションなどを主に手がける。
また、世界中の小さな家やミニマルライフ事例を紹介する「YADOKARI(旧:未来住まい方会議)」、小さな暮らしを知る・体験する・実践するための「TINYHOUSE ORCHESTRA」、全国の遊休不動産・空き家のリユース情報を扱う「休日不動産」などを企画運営。250万円の移動式タイニーハウス「INSPIRATION」や小屋型スモールハウス「THE SKELETON HUT」を企画販売。
自社施設として可動産を活用した日本初の高架下複合施設「Tinys Yokohama Hinodecho(グッドデザイン賞、ソトノバアワード 場のデザイン賞)」、可動産イベントキッチンスペース「BETTARA STAND 日本橋(暫定終了)」を企画・運営。黒川紀章設計「中銀カプセルタワー」などの名建築の保全再生にも携わる。
著書に「ニッポンの新しい小屋暮らし」「アイム・ミニマリスト」「未来住まい方会議」「月極本」などがある。
YADOKARI:https://yadokari.net/wp/

(プロフィール)遠山正道:1962年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年株式会社スマイルズを設立、代表取締役社長に就任。現在、「Soup Stock Tokyo」のほか、ネクタイ専門店「giraffe」、セレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」、ファミリーレストラン「100本のスプーン」、海苔弁専門店「刷毛じょうゆ 海苔弁山登り」を展開。「生活価値の拡充」を企業理念に掲げ、既成概念や業界の枠にとらわれず、現代の新しい生活の在り方を提案している。著書に『成功することを決めた』(新潮文庫)、『やりたいことをやるビジネスモデル-PASS THE BATONの軌跡』(弘文堂)。
「アート」という言葉は抽象的だ。よく分からない、実生活には関係のない、一部の人のためのもの。そんな印象を受ける人も多いのかもしれない。自分自身もそんなふうに思っていたことがある。しかし昨年(個人的な話で恐縮だが)30歳を迎えるにあたって、いくつかのアート作品を購入することになった。それらはずっと憧れていた同世代のアーティストたちのドローイングで、それ以来アートという存在が急に身近になり、アートと暮らしの関係についてもいろいろと思いを巡らせることが増えた。
たしかに、雑誌を見ても「アートのある暮らし」はいろいろなところで取り上げられている。しかし、なぜか実感がわかない。それはなぜだろうか。アートという存在は、はたして私たちの生活に、仕事や思考に対して、どんな影響をもたらしてくれるのだろうか。
今回はそんな「アートのある暮らし」をテーマにしたいと思う。お話を聞いたのはアートコレクターとしても有名なスマイルズ社長の遠山正道さんだ。あらためて説明するまでもないが、遠山さんといえば「Soup Stock Tokyo」やセレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」などを運営するスマイルズの代表。大学卒業後に三菱商事を経て、飲食業界に関して感じた違和感をもとに、三菱商事初の社内ベンチャー企業として株式会社スマイルズを設立した人物である。
「誰にでも、ビジネスもアートも起こりえる」

初期のアート作品 Untitled #2 (1998) Walter Wickiser Gallery, New York
「アートのある生活」を考える前に、遠山さん自身のことに触れておきたい。まず、彼はアートコレクターでありながら、アーティストでもある。さらには、アートというものを広めるための事業も行っている。あらゆる角度からアートに接している稀有な存在だ。
2018年には株式会社パーティーとの共同出資でThe Chain Museumという新会社を設立し、アーティストと個人をつなぐプラットフォームを作っている。翌年2019年には、アーティストを支援できる「ArtSticker」というアプリを公開。アーティストの作品に対して気軽に“投げ銭”ができるような仕組みを作ることで、ユーザーにとってもアートを身近に感じられるような体験を生み出した。

事業計画として「スマイルズのある1日」と題した1枚の絵
会社が苦境に立たされた際、事業計画として「スマイルズのある1日」と題した1枚の絵を書いた話は有名だが、1日1組限定の宿泊型のアート作品として「檸檬ホテル」を瀬戸内国際芸術祭で発表したり(現在は休業中)と、ビジネスとアートをこんなにもシームレスにつなぎ合わせる経営者は他にはいない。

「檸檬ホテル」(現在は休業中)
そんな遠山さんに「アートと生活」というテーマで話を聞こうと思ったところ、彼はこう切り出した。「誰でもアーティストになれる」。そして、ゆっくりと、こう続ける。
「アーティストというのは技術のことじゃなくて、自分自身の社会との関係性、態度みたいなもの。自分ゴトとしてなにかをやるというのがアーティストだと思う。人には『まわりから声がかかる人』と『自分から仕掛ける人』『そうでない人』の3つがあるけど、自ら仕掛ける側にいるというのがアーティスト。それは会社でも言えること。窓の新しい拭き方でも、アクリル板の設置方法でも、小さいことからでいいから、新しいやり方を見つけること。そういう態度がこれからの時代には必要になる」。
遠山さんはかつて、サラリーマン時代にはじめて絵を描き、個展を開催した。33歳の時だ。それが大きな転機になったという。
「あれは人生の中ではじめての意思決定、自己責任だった。絵の個展なんて誰に頼まれるものでもないし、開催することに合理的な理由もない。当時は子供も生まれたばかりで忙しいタイミングだった。だけど、自ら動いて世の中に問い、その反応をいただく。それが心地よかった」。
日常生活では、会社のせいだ、上司のせいだ、国のせいだと、ちょっとした不満もすぐに誰かにせいにしてしまう。しかし、自ら開いた個展の責任は全て自らにある。それが原体験となって、自ら仕掛けることの意味を知ったのだという。それから何度か個展を開きながら「Soup Stock Tokyo」の事業を始めた。すると、個展とは比べ物にならないほどの感謝・反応が届いた。「絵なんかよりスープ作る方が楽しいじゃん」。それから20年。気づけばここまで事業を成長させてきたのだという。
作家とともに成長できるのがアートを買う最大の楽しみ

そんな経営者・アーティストとしての側面に加えて、彼はアートコレクターでもある。その原点はすでに幼少期にある。彼は以前別の取材でこう答えている。
「小学生のときモネの《日傘の女》を観たのが最初の感動でした。あとは家にあった岡鹿之助(おか しかのすけ)という渋い洋画家の画集が好きで、よく眺めていました」。(https://www.artlogue.org/node/4491)
遠山さんの父が美術出版社を経営していたこともあり、ミッドセンチュリーのモダニズムを体現した自宅には、写真集やアート作品がすでに置かれていたという。その後、彼がアートを収集するようになるのは自然なことだろう。はじめて購入したのはおよそ30年前。結婚のタイミングで買った菅井汲(すがいくみ)の版画だったという。それは今も自宅の玄関に飾られている。
彼は現代アートを中心に買っているという。現代アートとは、今も存命の作家の作品を指すが、その理由は「作家とともに成長できるから」だという。
「ピカソの絵を持っていたとしても、彼に会うことはできない。でも、現代アーティストは5年後10年後に全然違う作品を作っているかもしれない。それはきっと本人もわからない。アーティストという特殊な生き方をしている人の断片が作品なのだとしたら、その作品は半分完成しているが、もう半分はまだ未来が残されている。作品を買うことで、その未来に加担することができるんです」。
作家とともに成長すること。それこそが、現代アートの醍醐味だと彼は教えてくれる。
「ちょうど昨日、アーティストの長谷川愛さんに会っていたんだけど、彼女は最近、貧困や固定化しない居住形態をテーマにしていて、貧困層が増えている現実の中で、これからどう豊かに暮らし、どう死んでいくことが幸せなのかを考えている。彼女の作品を鑑賞することは、そのテーマについて一緒に考えることでもあるんだ」。
作家の思考に自らを重ね、さまざまな可能性に思いを巡らせる。自分の知らない世界を垣間見る。それがアートを鑑賞することの大きな意義だという。それは、すごく納得ができる。自分自身も購入した絵を通して、(例えばひとつは中瀬萌さんという方なのだけど)彼女の考えている「地球のこと」を考えるようになったし、それ以来彼女の考えていることをSNSでチェックしたりやりとりをすることが出てきて、作品を通じて確実に新しい世界を知り、歩みを進めているという実感がある。
一方で、難しいことを考えるためだけにアートがあるわけではないとも彼は言う。もうひとつのアートの役割を彼は「瞑想に近いもの」。呼吸に集中し、頭の中を空っぽにすることで日々の生活の中に空白を生み出すのが瞑想だとすれば、アートもそれに近いもので、普段は活発に働いている頭の中の一部分が“スタンバイオフ”になるような感覚があるという。
「その絵の値段とか背景とかの情報は一切なくても良い。なんか気になる。そんな絵が椅子の前に飾ってあって、ぼうっと眺める。それも大事なアートの楽しみ方です」。
「孤独と不便」を愛する北軽井沢での生活

北軽井沢の「Tanikawa House」にあるアート作品たち
「アートと暮らし」にも目を向けてみたい。遠山さんは北軽井沢に「Tanikawa House」と呼ばれる別荘を所有している。谷川俊太郎の詩をもとに1974年に建てられた別荘で、建築は紫綬褒章も受賞している名建築家・篠原一男だ。この「Tanikawa House」にもいくつかのアートが置いてあるといい、それがまさに先ほど書いたような「ぼうっと眺める」ための作品なのだという。
「この家には写真もモノクロしか置いていなかったり、ベルナール・ブネというフランス人画家のモノクロの絵を置いていたり、かなり静かなものしかありません。この家は篠原一男の建築なので、あまり色を持ち込みたくなかった。むしろ家を預かっているような感覚なので、変に格好良くしたくなくて」。
家を「預かる」という感覚はアート作品に対する接し方と同じであるし、住環境にもこうして敬意を払えるのは、きっとアート作品の価値を知っていて、彼自身がそれに救われてきたからなのかもしれない。
しかし、この静かな家での体験が、遠山さんの価値観に大きく影響を与えている。北軽井沢での生活を彼は「孤独と不便」と表現する。北軽井沢駅から一日数本のバスで40分。そこからさらに歩いて数十分の場所にあるこの家。最近ようやく車を置いたらしいが、それでも不便な場所にあるこの別荘では、東京では味わうことのできない時間を否が応でも味わうことができるのだ。
「不便を望んでいるわけではないけれど、たしかに快適。電気も音楽もつけずに、明るい時間に料理を作って早く寝る。冬はとにかく寒いけど、毎日3回くらいお風呂に入ってゆっくりと考えごとをする。車を購入するまででは歩いていくしかないから担げないサイズのものはそもそも持ち込めなかった。東京とは逆行したこの場所での生活だからこそ、普段とは違う頭の働きが生まれる」。
スマイルズは「スマイルズ生活価値拡充研究所」を開設。今年、「不便」さから生み出される「益」に価値を見出す「不便益」を含む「未知なる益」の共同研究を開始した。「不便益」研究の第一人者で元・京都大学特定教授のの川上浩司氏と東京大学特任教授の平岡敏洋氏とともに「未知なる益」の研究を始めている。遠山さん自身の思想は、こうした会社の流れとも重なる部分があるだろう。
それは、表現するならば「活性化しきらない」ような状態だ。普段は働きすぎてしまう頭の中が平穏を保っているような感覚。かつて彼が大学で所属していた水上スキー部でいうところの「凪」の状態にも近いという。彼はちょうど今取り組んでいるという生のフルーツを使った「生彫刻」なる作品の試作品の写真をたくさん見せながら、こう教えてくれた。
「不便だからこそ、普段とは違う脳の働き方なのかもしれない。いろいろと思いつくのも、朝起きたてのベッドの中だったりするんです。だからこそ、アートを生み出す時だとか、大切な時こそ、この場所に行きたくなる。そこでは、自分の知らなかったゾーンがひらけていく感覚になって、日常だと気がつかないようなことに敏感になれる」。
未来において、アートはどんな役割を担うのか?
さて、かなりいろんな角度からアートと暮らしの関係性を考え、さらには彼の北軽井沢での生活から「不便益」ということまで話が膨らんでしまった。あらためて、ここまでの話をまとめてみよう。
まず、アートというものを分解してみると、それを見るという視点と、作るという視点の両方が存在していて、人は誰しもがその両方になることができる。むしろアーティストになるべきだと彼は言う。一方では、それが成長するきっかけとなり、他方では、自らの自己責任を生み、人生を面白くするからだ。それらはどちらもある意味では必要のないものだが、だからこそ、それが人生を、考えを予想し得ない方向へと連れていってくれる。
また、アートに接することで普段とは異なる頭の使い方になることがある。それは、北軽井沢での生活のように生活環境を大きく変えることでも生まれるものだが、もしかすると場所を変えずとも、アートに触れるということで違う世界へと逃避することもできるのかもしれない。かつてインタビューで彼は、アートを「(見えていない世界へとつながる)見えないトリガー」だと表現している。普段とは違う思考になれるからこそ、きっとこの違う世界への入口が開くというのも、アートが持つ力に他ならない。
最後に、私たちは「未来において、アートはどんな役割を担うのか」について聞いてみた。彼の答えはこうだった。
「ビジネスは四コマ漫画のように、起承転結がある。だけど、アートは一枚絵で何かよくわからないもの。もしかしたら、描いた本人でも説明ができないかもしれない。私たちは真っ当だからなんでもオチをつけたくなるけど、もっと心地よいことだったり、感覚的なことに気付いて愛でられたらいいと思う。これからは、誰でも社会に対して自覚的になるべき時代。高度経済成長期のように団体戦に乗っかっていればいいという時代ではない。そんな時だからこそ、アートが意識を自覚的な方へと導いてくれる要素なんだと思う」。
なるほど。ここまでまとめてみて、最後に私の感想でこの文章を終わらせようかと思っていたが、そう言ってもらえた以上はせっかくだから、その結論を書かないことにしておこうと思う。


2022年4月、YADOKARIのさわだいっせいと、はじまり商店街のくまがいけんすけはロサンゼルスへ飛んだ。YADOKARIが10周年、はじまり商店街が5周年を迎えた節目に、各社の代表を務める二人が、LA.からサンフランシスコへチェロキーで北上する旅において見出したものとは? さわだの視点で追う。
異国の新しい日常を見に行く
発端は、知己の工務店ルーヴィス代表 福井信行氏の「そろそろ海外行きたいよね」の一声だ。気がつけば、もう何年も海外へは行っていない。特に新型コロナウィルスが世界を席巻したここ2年ほどは、日本全体に暗く重苦しい空気が充満していて、閉塞感で窒息しそうだった。昔から人の集合意識を拾ってしまうような所があったが、今回もいつの間にか引っ張られて、かなりしんどくなっていた。マスクの着用やワクチン接種の同調圧力。みんな疑問に思いながらも、表面的には従っている。そんな殺伐とした世間の雰囲気に蝕まれつつあった。
そこへ福井さんの一言である。コロナ禍もピークを過ぎ、徐々に海外渡航も許される情勢になってきた今、他の国の人々が新たな日常の中で何を考え、どんな暮らしをしているのか、この目で見たかった。圧倒的にインプットが枯渇していた。もっといろんなものを感じて、この先のアウトプットにつなげたい。行かない理由はなかった。
2022年2月の真冬に、くまがいと二人で国内をバントリップした。YADOKARIの新タイニーハウス+ヴィンテージバンの事業も視野に入れ、まずは自ら「移動し続ける暮らし」を体感したわけだが、やはり頭の中で想像するのと、身を以てリアルにやってみるのとでは経験値に雲泥の差が出る。自分の感覚や視界が決定的に変わってしまう。今回のLA.行きも、自分に不可逆的な変化をもたらしてくれそうな予感がしていた。
成田空港で、福井さんの招集に応じた総勢15名ほどの旅の仲間が顔を合わせた。不動産業界や建築業界の関係者が多く、遠くは鹿児島から参加している方もいた。空港自体はひどく閑散としてゴーストタウンのようだったが、缶ビールを開けて自己紹介なんかしてるうちにハートが温まってきた。ほどなく僕らはLA.に向かう機上の人となった。空に舞い上がった瞬間、鬱々とした気分は消え去った。


あっけなく吹き飛んだ小さな自分の枠
ロサンゼルス空港に着陸し飛行機から降りると、誰一人マスクなどしていないことに驚いた。コロナ禍によって膨大な死者を出した国だが「そんなの関係ないぜ、俺には!」って感じで、みんな平常運転だ。人も気候も、空気感が日本と全然違う。いい感じに温かいし、カラッとしている。重かった肩の荷が一気に降りた感じがした。僕はいったい何を背負っていたのだろうか。
くまがいと僕は空港の近くでレンタカーを借りた。二人だし、ホテルやRVパークに泊まりながらの旅を想定していたので小さな車種を予約していた。「3番エリアへ行け」と言われて行ってみたら、ピカピカのチェロキーやランクルが停まっていて「こいつらはミニだから乗っていい」と言う。スケール感の違いに笑いが出た。結局、僕らはチェロキーをこの旅の相棒に選んだ。
LA.に来る前に、くまがいも僕も国際免許を取得していた。まずはくまがいがハンドルを握り、バントリップが始まった。初めての左ハンドル、右側通行に最初はビクビクしたが、30分も走らせると慣れてきた。Simを手配したので、Googleマップもいつも通り日本語で案内してくれる。アメリカ大陸の高速道路を車で飛ばしている時の感覚はかなり爽快だった。「全然知らない国でも、こんなに簡単に自分で運転して行きたい所へ行ける。きっと、世界中どこでもこんなふうに旅できるんだ」その気づきと共にもたらされたパワフルな自己効力感は、固定されていた僕の認知の枠をあっけなく粉砕し、広大な可能性の世界へ僕を放り出した。自分のコンフォートゾーンを軽々と超えられた瞬間だった。


メキシコの混沌から
1日目の夜は、福井さんがエアビーで予約していたLA.のプール付きの大豪邸にみんなで泊まった。10日間で50万円ほどだが割り勘すれば安い。街を散策して夜更けまでクラブで遊び、明け方に豪邸に戻ると、ふと、メキシコに行きたくなった。LA.からなら国境までそう遠くない。サンフランシスコへ出発する前の方が好都合なので、少し眠った後に僕とくまがいは車で2時間の国境の街 ティファナへ向かった。

車を国境付近に停め、メキシコへは徒歩で入った。アメリカからメキシコへ入るのはすごく簡単で、パスポートを見せればほぼノーチェックで通過できる。ゲートを出ると、埃っぽくどこか猥雑なメキシコの街が広がっていた。陽気な音楽が流れ、路上で物乞いをする人や、物売りもたくさんいた。貧富の差が可視化され整然と区分けされているアメリカに比べ、かつてバックパックで旅したタイやインドネシアを思い出させるような混沌とした雰囲気が、僕の肌にはしっくりきた。
夜のティファナは麻薬取引や売春なども行われている危険な街でもある。だが、その界隈に入り込まなければ、さほど危うさは感じなかった。メキシコにそのまま1泊して、翌朝早くアメリカへ戻った。結局二人でタコスを食べてビールを飲むくらいの滞在だったが、体感できて良かったと思う。メキシコは昼間の太陽も、夜の闇も、どちらも強烈で、合理的には割り切れない情動が剥き出しになっている。僕らの拠点がある横浜の日ノ出町もかつてはそうだったし、今もどことなく空気の中にその感覚は残っている。僕はこのようなカオスを自分の内部にも持ち続けたまま、これからもアウトプットしていきたい。そこからやって来るインスピレーションの中に、既存の世界のモノサシでは測れない美意識の芽があるような気がするからだ。





自由を呼吸するバントリップ
3日目から、くまがいと僕はサンフランシスコへ向けて北上を始めた。ビジネスもカルチャーも世界最先端の街とはどういう所なのか知りたかった。ホテルばかりでもつまらないので、RVパークでキャンプしながら旅することにし、ウォルマートでテントやBBQ用品一式を買い込んで(全部で2〜3万円くらいで安い!)出発した。その日の夜は煌びやかな高級地区であるベニスビーチの近くにテントを張り、アメリカンサイズのデカい肉を炭で焼いてかぶりついた。このエリアに建ち並ぶ高級マンションを買うには、いったいどれだけの金が必要なのだろう。片や僕らは一介の旅行者で、しかもテント泊である。しかし、このエリアの住人たちと同じ海と星空を眺め、潮風を感じながら存分に腹を満たし、その上、身軽で自由だった。
朝になるとキャンプ用具をチェロキーに積み込み、交替で運転しながら次なる街へ向かった。後部座席ではスターウォーズのR2D2にそっくりなBBQコンロが、車が揺れるたびにカランコロンと文句をつけた。(悪路で一度だけ炭をリバースした)
やがて、経由地の一つとして予定していたビッグベア湖付近の山中にある「Getaway」という名の宿泊施設に到着した。30棟ほどのタイニーハウスからなるヴィレッジ型の施設で、アメリカ全土に展開している。現地にはスタッフがいないノン・オペレーションで、予約やチェックイン・アウト、案内、支払い等手続きは全てSNSで済む。スマートな仕組みもさることながら、宿泊することになったタイニーハウスに入ると、僕らはすっかりシビれてしまった。




タイニーハウス・ヴィレッジ最前線
日本のキャンプ場によくあるバンガローとは似ても似つかない、美しく快適な空間がそこにはあった。ミニマムなキッチン、居室、バスルームは、デザインはもちろん機能的にも知的にレイアウトされていた。壁面に設けられた大胆なフィックス窓に、ビッグベア湖の深い森と立ち込める霧が幻想的な絵画のように切り取られ、時折そこを鹿たちが悠々と通り過ぎていった。それぞれのタイニーハウスは互いにプライバシーを侵さない距離と角度で森の中に配置され、ファイヤーピットも各棟に備わっている。全てが想像を超えて洗練されていた。しかも、人を介さないオペレーションも含めて、冷たい感じが一切しない。一人で泊まると一晩300ドルくらいするが、二人なら一人あたり200ドルほどになり、享受できる環境を考えるとごく常識的な料金だった。
僕らが目下取り組んでいるタイニーハウスの事業に対して、「Getaway」はかなり直接的に勉強になった。これと同じことが日本の地方でもできそうだ。日本各地にこんな文化度の高いタイニーハウス・ヴィレッジがあれば、都市部との2拠点生活や移動する暮らしが実に豊かなものになる。
このゲートウェイのタイニーハウスには、LA.から仲間たちも加わり、マイナス1℃の外気にBBQは断念して、快適な室内で楽しい夕食となった。ここで体感した素敵な時間を、僕は自分のタイニーハウス事業に大いに活かすつもりだ。




サンフランシスコで考えるYADOKARIらしさ
LA.に降り立ってから6日目、僕らはとうとうサンフランシスコに到着した。道中の田舎町で劇的にまずい天麩羅を食べたり、冴えないホテルに泊まったりと、観光地化されていないアメリカの洗礼を受けながらようやく辿り着いたサンフランシスコは、期待以上に美しい街だった。北側にあるゴールデンゲートブリッジからぐるりと街を周遊した。LA.と変わらず元気で、陽気で、さらに洗練されている。
サンフランシスコに来て経験したかったことの一つが、お決まりではあるがGAFAめぐり。世界的に大きな影響力を持つ巨大な企業の空気を実際に感じてみたかった。各社を回ってみたが、どこも佇まいに企業文化が表れていた。Appleはやはりデザインの会社らしく、Apple Parkの敷地内に立つ看板一つに至るまで美意識が徹底されていた。Meta(旧Facebook)は僕が見た所さほどデザインにはこだわっていなくて、もともと別の企業が使っていたビルに居抜きで入ったらしく看板以外は特にMeta感はない。エンジニアの会社っぽく合理的で、オフィスがあればそれでいいという感じ。Googleは人々を楽しませようとしているのを感じた。色使いもカラフルで、一般の人にも社屋を開放しており、社員への待遇の手厚さが楽しげな社食からも伝わってきた。
世の中に新しい当たり前をつくり全世界を動かしているこれらの巨大企業とYADOKARIとは、規模で言ったら比べようもないけれど、特にAppleは「Appleらしさ」が全てに徹底されているのを感じ、僕らが追求すべき「YADOKARIらしさ」とはなんだろうと、改めて見つめ直す機会になった。



タブーが光に変わる時
ところで、カリフォルニア州ではマリファナは合法だ。サンフランシスコには、そのカルチャーの最先端がある。街中で「マリファナショップ」が堂々と営業していて、しかも店のデザインはAppleストアかと思うほどスタイリッシュ。パッケージも、ブランドの化粧品みたいにきれいで華やかだ。店頭にはめちゃくちゃ洗練された店員がいて「それ、すげー決まるぜ」などと言ってくる。店を訪れる客も完璧にスタイリングしていて、こぎれいな愛犬と共に散歩のついでに気軽に立ち寄る感じだ。ここでは、マリファナは完全に日常的な嗜好品になっている。
僕にとってはけっこう衝撃的な光景だった。何より面白かったのは、今までタブー視されメインストリームには上がってこなかったこういうものが、デザインされることで人々の価値観を変え、世の中の前提をひっくり返してしまうことだ。
観光立国を目指すタイでも、マリファナは合法になった。日本にもそういう日はいつか来るのだろうか。とにかく、最も進んだ人々のライフスタイルを目の当たりにしたことは確かだ。





コンフォートゾーンを超え続け、新しい世界をつくる
LA.への帰路も、RVパークでキャンプしながらのバントリップだった。最終的には「グッドウィル」というドネーションショップに立ち寄って、この旅のために揃えたキャンプ道具一式を寄付してきた(もちろんR2D2も)。代わりに僕らはそこでTシャツなどを購入した。
くまがいはかつて、一人で自転車で今回のルートを縦断した経験があり、こうした旅のインフラにも通じていた。旅に出る前も、旅の間もずっと、彼の前へ前へ進もうとするエネルギーに鼓舞された。今回は二人で行けたことで感動をシェアできたのが、くまがいも非常にうれしかったようだ。彼も一社を率いる立場で、次の5年、10年への手がかりを得たに違いない。
僕はと言えば、コロナ禍中に行けて良かったと思っている。それまで俯瞰して他国と比較することができなかったが、国によってこれだけ人々の考え方や行動、暮らしが変わるのだと今回の旅で実感できた。多様な価値観や環境の中で、自分はどうすべきかを個人がしっかりと考えて、自分の責任でみんなが動いている感じが良かった。まだまだ世界は広いし、未知の景色がある。自分が知らぬ間にはまり込んでいた小さな枠組みや固定観念、重さからスカッと軽くなれたこと、そして新たな視野を獲得できたことが僕の最大の収穫だ。
YADOKARIは「世界を変える、暮らしをつくる。」というビジョンを掲げている。それは僕自身が見たい、新しい世界でもある。そのためにも、人とはちょっと違うということを自他共に許容できる人間でありたいと思う。これからも新しい世界を提案し続けるために、自分自身のコンフォートゾーンを常に超えていく勇気と貪欲さを持ち続けることが、自分の成長はもとより会社の成長にもつながると思うし、それには「遊ぶ」という体験がどれだけ大事な機会であるかを、僕は身を以て示し続けたいと思うのだ。

文/森田マイコ

©️NIPPONIA小菅 源流の村 「大家」 https://nipponia-kosuge.jp/ohya/
新型コロナウィルスが猛威をふるうなか、山梨県の山奥の小さな村にある空き家を改装した宿が、連日完売するほどの人気を見せている。その宿とは「NIPPONIA小菅 源流の村」。2019年8月、この村で「大家(おおや)」と呼ばれ親しまれてきた築150年余のシンボリックな邸宅を改修し誕生した。続く2020年8月には、同村の2つの空き家を改修した2棟の客室「崖の家」を加え、今後も村の空き家を使った「700人の村まるごとホテル」の実現を目指す。
この宿を呼び水に、初めてこの村を訪れる20〜40代が増加しているという。そればかりでなく、ここ30年来過疎化が進み、かつての3分の1まで減少し続けてきたこの村の人口が、数年前から継続的に流入し始めた若い世代の移住により、奇跡的に下げ止まっている点も注目に値する。
「NIPPONIA小菅 源流の村」の成功要因とは何か?
若い世代は、いったい何を求めてこの宿を目指すのか?
運営者である株式会社EDGE 代表取締役 嶋田俊平さんにお話を伺った。

株式会社EDGE 代表取締役 嶋田俊平さん Photo by Michiko Ando http://ando-undo.com/
小菅村との出会い
山梨県北都留郡小菅村は、人口約700人の小さな村だ。東京都を広域に渡って潤す多摩川の源流に位置し、村の総面積の約95%を森林が占める。かつては農林業や養蚕業で栄えたが、時代の変化と共に仕事を求めて住民が都市部へ流出、少子高齢化と過疎化の波にさらされながらも他の市町村と合併しない道を選び、持続可能な村づくりを模索してきた。現代の日本にはよくあるケースと言える。
嶋田さんが小菅村に関わるようになったのは2014年頃からだ。当時、嶋田さんは大学時代に学んだ林業や、その後に勤めたまちづくりコンサルティング会社での経験を生かし、自身の株式会社さとゆめを立ち上げたばかりだった。「伴走型コンサルティング」を信条とし、持続可能な地域づくりのために、計画をつくるだけではなく商品開発や店舗の開発・運営、人材育成も地域と共に行い、売上や雇用が生まれるところまで一緒に汗を流す会社だ。
「商品ができたら終わりではなく、それが売れて雇用が生まれ、人が集まり、産業になり、そのうち『この地域は最近元気がいいね』と評判になって人が移り住み、家族ができ、賑わいが戻ってくる。そこまでできて初めて地域活性なんです」と嶋田さんは言う。
さとゆめは、創業当初、さまざまな地域と共に開発した商品を販売するため、東京の永田町に3坪ほどのコンテナを利用したアンテナショップも構えていた。嶋田さんの講演に参加した小菅村役場の職員が、「さとゆめさんはお店をされているのですね。だとしたら、ちょっと相談したいことがあるんですが」と相談を持ちかけたのがきっかけだった。

©️NIPPONIA小菅 源流の村「大家」 https://nipponia-kosuge.jp/ohya/
道の駅の中身づくりから
嶋田さんが小菅村から相談を受けた最初の案件は、村の一大事業である新しい「道の駅」の立ち上げだった。半年後にオープンを控え建物は完成したが、品揃えやサービスなどのソフトがほとんど決まっていなかった。嶋田さんはコンセプトの策定から商品・人の確保などに奔走。紆余曲折を経たものの雨降って地固まり、1年後の2015年春、「道の駅 こすげ」は無事にオープンを果たした。
これをきっかけに小菅村の村長の信頼を得て、嶋田さんは村の地方創生総合戦略の策定に関わることになった。村長が最も重要視していたことの一つが人口減少の抑止だ。ピーク時には約2200人だった村の人口は、ここ30年で毎年数十人ずつ減少し、約700人にまで落ち込んでいた。村の存続を考え、なんとしてもこの人口を維持しなければならない。嶋田さんは総合戦略策定にあたって、「関係人口」という言葉がまだなかった頃に、いち早く「小菅村に住んでいない人でも村を応援できる仕組み」を提案し、この村を好きな人々が「1/2村民」として、村外からさまざまな形で支援できる取り組みを始めた。
ほかにもオープンビレッジ等のイベント開催や村内ベンチャーの支援、タイニーハウスコンテストを行って小屋の実物を村内の各集落に点在させ、移住者用の住宅に充てるなどの施策を積極的に展開していった。
これらの取り組みと道の駅の開業、松姫トンネルの開通、地方創生の追い風などが重なり、2014に年間約8万人だった小菅村の観光客は、2018年には年間約18万人にまで増加した。しかし、嶋田さんには次なる課題が見えていた。
「観光客の増加は良い話ですが、本当に持続可能な村になっているかと言うと、観光客の90%以上が日帰りで、宿泊率は約8%と非常に低い。これでは村への経済効果は小さく、雇用が生まれません。滞在型観光を増やしていく必要があります。しかし新しい宿泊施設をつくろうにもお金はない。一方で、村内には100軒近くの空き家があり、これを活用した宿泊施設をつくれないかと模索し始めました」

©️NIPPONIA小菅 源流の村 「大家」 https://nipponia-kosuge.jp/ohya/
中途半端な地域活性にはしたくない。自分自身が宿の運営者へ
過疎地で増え続ける空き家を、宿泊施設に転用する。アイデアとしては合理的だが、実際にこれを実現し、かつ継続的に運営していくのはそう簡単ではない。そんな時、嶋田さんは株式会社NOTEの存在を知る。兵庫県の丹波篠山にある限界集落で、村民との共同事業として空き家になっていた複数の古民家を改修し、宿泊施設やレストランとして活用しながら、持続的に集落そのものの再生を行っている会社だ。現地を視察すると、若い世代の移住も始まっており、新たな家族もでき始めていた。
嶋田さんは、NOTE代表の藤原岳史さんに相談し、小菅村の古民家再生構想を策定。村に点在する空き家をひとつずつ改修し、村の景色にとけ込みながら村民になったように滞在できる宿泊施設をつくっていく、「700の村がひとつのホテルに」という事業コンセプトを掲げた。
時を同じくして、最初に改修する空き家が選定され、5年以上空き家になっていた、村で最も歴史のある大型の古民家、通称「大家」が候補に上がった。
物件の目星もつき、残すは運営者を決めるだけとなった。関係者全員が、村の若者の中から担い手が出てくることを期待していたが、これほど大きな施設の運営となると相応のリスクも伴うため、1年経っても希望者は現れず事態は膠着し始めた。そこで嶋田さんは、自分が運営しようと腹を括った。
「こういう時、僕はだいたい手を上げちゃうんです(笑)。NOTEさんのビジネスモデルは非常に良かったし、小菅村の地域活性を中途半端なものにしたくないという想いもありました。やると決めてからは、死ぬ気で取り組みました」

2021年2月17日(水)~3月31日(水)、JR東日本とコラボレーションし、小菅村を含むJR青梅線沿線の地域を巡る「沿線まるごとホテル」のマイクロツーリズム企画も開催。
Via:http://marugotohotel-omeline.com/
村まるごとホテルを成功させるための3社共同の仕組み
「NIPPONIA小菅 源流の村」を運営している株式会社EDGEは、3つの会社が共同出資している。嶋田さんの株式会社さとゆめ、藤原さんの株式会社NOTE、そして小菅村が100%出資している株式会社 源(みなもと)だ。株式会社EDGEへの出資比率は、施設運営を担うさとゆめが最も多く、代表取締役には嶋田さんが就任した。
「今回のプロジェクトは1社だけではなし得なかったと思います。最もリスクをとって運営するのはさとゆめですが、『村全体がひとつのホテル』という、村と一体になった事業を目指しているので、村民からの信頼という意味でも役場が出資している会社が仲間に入っていることは重要でした。また、空き家改修による分散型ホテルの知見はNOTEさんが持っていた。この3社で良い体制がつくれたことが、効果的な事業開発につながりました」と嶋田さん。

©️NIPPONIA小菅 源流の村「大家」 https://nipponia-kosuge.jp/ohya/
特に、村の空き家を使うにあたり、そして金融機関から融資を受けるにあたり、村長の存在は非常に大きかったと言う。空き家活用が容易ではない理由の一つが、所有者からの信頼だ。村民にしてみれば、先祖代々大切にしてきた家や土地を、見知らぬよそものの事業のために貸したくない、という思いもある。ところがここに、村が出資している株式会社 源代表の村長が立ち会うことで、村民からの理解と協力が得られる。
また、金融機関に対しても、村が出資している会社がコミットしている事業であれば、取り組みの意義や信頼を感じてもらいやすい。実際に今回の融資においても、嶋田さんは地元の金融機関数社から「私たちは地域の経済が元気であってくれて初めて成り立つ」という言葉と共に、好条件で長期融資を受けることができた。
「お金を借りる時に、村長がついて来てくれるというのはレアケースだと思いますが(笑)、非常に心強かったです。地域で事業を行う上では、自治体や首長の協力は不可欠だなと思いました」
もちろんここに至るまでには、「道の駅」から始まった、嶋田さん自身の小菅村に対する誠心誠意の尽力の積み重ねがあり、それが村長との揺るぎない信頼関係の土台になっていることを忘れてはならない。
さて、後編ではいよいよ、「NIIPONIA小菅 源流の村」を訪れる若い世代がいったい何を求めているのか、そして嶋田さんが考える、一過性のムーブメントに終わらない持続可能なマイクロツーリズムと他地域連携について深堀りする。
(執筆:角 舞子)
>>後編へつづく

「小さな暮らし」を目指す方なら、一度は自給自足的な生活に憧れたことがあるのではないでしょうか。最初から完全な自給自足はハードルが高いですが、できることから少しずつ始められたら素敵ですよね。そんな自給自足的生活とも縁のある「養蜂」と「養鶏」。みなさんなら、小さな暮らしのお供にどちらを選びますか?
「世界を変える?」養鶏あれこれ

(c)Naoko Kurata

(c)Naoko Kurata
オランダのタイニーハウス・ムーブメントの先駆者であるマリョレインさんは、実は養鶏派。ご自宅の前のスペースで、ニワトリを飼っています。

(c)Naoko Kurata
もちろん立派なニワトリ小屋も。清掃などの手間はあり決して楽ではないようですが、しっかり卵を産んでくれるので、マリョレインさんもニワトリのいる生活に非常に満足しているのだそう。

(c)Naoko Kurata
実は彼女の家には猫もいるのですが、無事にニワトリと猫の同居生活は成立しているそうです。最初は猫に「ニワトリをいじめちゃダメ」「友達だよ」と言い聞かせる必要があったそうですが、仲裁の甲斐があり、今ではお互いに干渉せずうまくやっているのだとか。

そして意外なところでは、マイクロソフトの共同創業者であるビル・ゲイツ氏が養鶏派として知られています。ただし、彼の場合は自分自身で養鶏を楽しむというよりも、「世界を変えるための方法」として注目しています。「もし私が1日2ドルで生活していたら、ニワトリを育てます」と前置きし、「低コストで始められる」「自分から地面の草など食べるので手間が少ない」「繁殖させやすい」「女性でも扱いやすいので、女性に経済力がつく」とその理由を挙げています。
つまりゲイツ氏は、アフリカなどの貧しい家庭や経済力のない女性でも、ニワトリを飼うことで経済力をつけられると説いているのです。そうやって教育や健康に投資できるようになると、世界は変わっていくということなのでしょう。なるほど、養鶏には世界を変える力があるようです。

そしてニワトリは、家庭菜園に役に立つ益鳥でもあります。フンが肥料に活用できたり、雑草を食べてくれるのです。もし(半)自給自足的生活を営むなら、ぜひニワトリに手伝って欲しいですね。
ちなみにニワトリというと早朝の鳴き声が気になるところ。けれど主に鳴くのは雄鶏(オス)なので、牝鶏(メス)を中心に飼えば早朝のいななきは避けられるそう。ただしこれも個体差があるので、ご近所との距離が近い場合は、やはり事前に相談はしておいたほうがいいかもしれません。
手作り巣箱で気軽に楽しめる、養蜂あれこれ

ニワトリに「世界を変える力」があるなら、蜂には「世界を活かす力」があります。

(c)Naoko Kurata
植物の受粉に大きな役割を果たす蜂は、農業の強い味方。かの有名なアインシュタインが、「ミツバチが滅べば(作物が収穫できなくなり)人間は4年で滅びる」と述べたことはよく知られています。
農園の中には、そんな受粉ヘルパーである蜂のための家を作って、簡単な養蜂をしているところも。上の画像中央のタワーも、蜂の巣です。英語圏では「ビーホテル」(Bee Hotel)と呼ばれています。

養蜂家のように立派な養蜂箱ではなくても、このように簡単なビーホテルを作ることもできるのです。これなら、必要以上に蜂が集まりすぎることはなさそうですね。タイニーハウスの軒先にも下げられるのではないでしょうか。ちなみに、ビーホテルは南から東南に向けて設置するとうまく蜂が居着いてくれるのだとか。
そしてなんと、「ジャーサラダ」の一大ブームを生み出した「メイソンジャー」を活用して養蜂ができるのです! 上の動画で、そのこつを披露してくれています。すごいですね!どうやったらそんなこと思いつくのでしょうか。クリエイティビティに脱帽です。
養蜂のことをいろいろ調べているうちに、こんなにスタイリッシュな巣箱も発見しました。リビングルームに飾っても違和感のないデザインです。それでいて、蜂たちはチューブ経由で外に出るので、室内で飛び回ることはありません。画像では巣箱が3つ連結されていますが、もちろん1つからでも使用OK。これは試してみたいですね。

養蜂も養鶏も、それぞれに意外な側面がありましたね。「どっち派」か選べなければ、「どちらも!」でももちろんOK! 今まで興味がなかった方も、この機会に養蜂や養鶏にご興味を持っていただければ嬉しいです。
ライター:倉田直子
Via:
gatesnotes.com
friendsoftheearth.uk
beecosystem.buzz

「SUVといえばグッドスピード」を掲げる株式会社グッドスピード(以下、グッドスピード)が、2022年10月にリニューアルしたショールーム「GOODSPEED VANLIFE 春日井店(以下、同店舗)」。
そのオープンを記念して開催された「VANLIFE DESIGN CONTEST 2022(バンライフデザインコンテスト2022)」の審査会が、3月9日(木)に同店舗で行われ、実際に車両が製作され、1年間無償で乗り放題となる最優秀賞の作品が決定しました。
GOODSPEED VANLIFE 春日井店の新ショールームオープンに合わせて スタートした同コンテスト。2022年10月から2023年1月末日までの約3ヵ月間で、なんと390件以上の事前エントリーをいただきました!
「このコンテストに出会うために絵を描いて、妄想していたのかと思い、嬉しさで震えます。」、「ずっとバンライフに憧れていたので、夢を詰め込んでみます!」など長年バンライフに憧れを抱いている方や、「少年の頃の夢をもう一度」という言葉と共に応募してくださった60代以上の方、「描く過程が笑いに溢れ、楽しい時間でした。家族でバン旅の夢が増えました!」とお母さんが作品を提出してくれたお子さん、建築やデザインを学ぶ学生さんなど、幅広い年代の方がコンテストに応募してくれました。
その他にも今回のコンテストをきっかけに初めて「バンライフ」を知ったという方からの応募も多く、作品を考えるうちに、新しい暮らしの選択肢として、バンライフに惹かれていったという方もいらっしゃいました。
審査員&審査方法

審査員を務めたのは、以下の8名の方々です。
株式会社グッドスピード
武藤崇弘さん、真野友宏さん、寺田守良さん
YADOKARI株式会社
上杉勢太、荒島浩二、くまがいけんすけ
YURIEさん
愛車である「サンシー号」と共に自身のバンライフを発信するアウトドアクリエイター・インフルエンサー
鈴木大地さん
株式会社earthの代表取締役。様々なバン・キャンピングカーを製作する事業を展開しながら、自身もカスタムスクールバスでバンライフを実践するバンライフビルダー

作品を手に取り審査するグッドスピードの武藤さん(左)とYADOKARIの上杉(右)
1次審査・2次審査の2段階で作品審査を行い、審査員同士のディスカッションを通じて入賞作品を決定しました。
1つ1つの作品に目を通して

応募多数のためテーブルに全ての作品を並べることができず、1次審査はテーマごとに4回に分けて実施しました。ひとつひとつの作品にしっかりと目を通していきます。

グッドスピードの皆さんは、「バンライフでこんなアイディア考え付かないもんね、破天荒すぎる」、「畳を乗せたバンってこれまでにあるかな?意外とない?」、「どうやったら形にできるかな?」などと、固定観念に囚われない自由なアイディアの数々に驚きながら、作品を吟味していました。

YADOKARIのメンバーは、「この車が実用化されたら、遠隔地に住んでいる人たちにも良質なサービスを届けることができるかもしれないね」と、モビリティを活用して社会課題にアプローチする作品や、デザイン性に富んだ作品に注目していました。

YURIEさんと鈴木さんは、「すごい!レベル高い!」、「一生懸命作ったんだねぇ、なんてかわいいの!」と集まった作品を絶賛。
YURIEさんは、「子どもの時、こういう風に間取り図を落書きするのが好きだったなぁ。ワクワク感が伝わってくるし、夢だよね。叶えてほしい、形になったところを見たいな」とご自身の幼少期とも重ねながら、鈴木さんは「こうやって自分のやりたいことを描いてるだけでおもしろいんだよね、絶対にこれ描いてる時はみんな笑ってると思う」と、ひとつひとつの作品を丁寧に見てくださっていました。
社会性や拡張性のある作品が高評価

2次審査でピンクの付箋が貼られ、最終選考に残ったのは10作品。社会課題にアプローチしている作品や拡張性のある作品に審査員の評価が集まり、コンセプト、デザイン性、アイディアの意外性、車両が製作された際の使い方、応募者の方々の熱量など、審査員がそれぞれの作品を評価したポイントを伝え合います。

グッドスピードの皆さんから、それぞれのアイディアをどうしたら形にできるかという車両の実現方法も提案していただきながら、最優秀賞を決定しました。
最優秀賞が決まった後は、それぞれのチームに分かれ、審査員各賞を決定。その後、惜しくも選考に漏れてしまった作品の中から奨励賞が選ばれました。以下に、審査結果を発表します。
【最優秀賞】『ママの居場shop』
最優秀賞に選ばれたのは、唯一審査員全員からの票が集まった『ママの居場shop』です。この作品はグッドスピードにより実際に車両化され、受賞者が1年間無償で乗り放題となります!
グッドスピード真野さん「ご家庭にパパの書斎や子ども部屋はあるけれど、『ママの部屋』がないというコンセプトを読んで、ママの居場所をぜひバンライフで体現できたらと思い、この作品を選びました。緑があるところと、小商いができる仕組みも評価のポイントでした。この案を形にしたら、きっと良いバンが作れると思います。」
YADOKARI上杉「バンのサイズ感は誰もがデザインしやすく、皆さんが好奇心を散りばめた作品を応募してくれたなかで、コンセプトがとても良く、一番感情を動かされたのがこの作品でした。ぜひ実現して、このお母さんがこのバンに乗ってハッピーになっている姿を見たいです。その姿は、きっと多くの人の共感を呼ぶと思います。」
YURIEさん「『ママの居場shop』という名前が分かりやすくてとても良かったです。コンセプトにも共感しました。ママ界で真似しようと影響される人が出てくると思うので、車両が完成したら、ぜひバンライフを発信してほしいです。」
鈴木さん「普段作り手として色々な方の意見を聞いていると、自分の家とはまた別に、趣味や自分だけの空間が欲しいのかなと感じることが多いです。そういった需要はこれからもますます増えていくと思うので、バンの中にワンルームの家を作るようなこの作品が、一番良いなと感じました。」
【グッドスピード賞】『アソビ~自給自足の旅~』

グッドスピード寺田さん「題名にある『遊び』の要素に加えて、スプーンやフォークなどの雑貨を売りながら自給自足の生活を送るというコンセプトが面白かったです。この作品を作った10代以下の子が、『自給自足の旅』というタイトルを付けたことにも惹かれました。」
10代以下の方からの応募も多かった今回のコンテスト。グッドスピード賞には10代以下の方が選出され、グッドスピードさんのご厚意で、同店舗で販売しているバンの形を模したティッシュケースが贈呈されることになりました!
【YADOKARI賞】『拡張する領域』

YADOAKRI賞は、メンバーが3作品の中から悩み抜き、『拡張する領域』が選ばれました。残りの2作品についても、事業化することはできないだろうかと真剣に話し合う姿が印象的でした。最終的に選ばれた『拡張する領域』は、YADOKARIのメンバーが最優秀賞の審査でも「これは絶対に面白い」と推薦していた作品です。
上杉「球体に拡張するというのがすごく良くて、目を引かれました。夜の自然の中で、このバンが行燈ぽく光っている姿を想像すると素敵ですよね。奇抜な作品と最後まで悩んでいましたが、ギミック的なことも含めて、頑張れば実現できる可能性を感じるこちらの作品を選ばせていただきました。」
【YURIE賞】『どこでも工房』

悩みながらも決定したYURIE賞。最優秀賞の選考でもYURIEさんが推薦していた作品を初志貫徹で選んでいました。
YURIEさん「1枚の紙の中に皆さんの情報やアイディアが想像以上に詰まっていました。自分が思いつかないようなアイディアがたくさんあって、自分自身の引き出しも増え、とても楽しかったです。
YURIE賞はすごく悩みましたが、工房を持ち出せるってワクワクするなと思い『どこでも工房』を選びました。私もものづくりをするのが好きなので、こういう小さなスペースを持ち運んでアトリエのように使えたらいいなぁと思います。教室と工房がセットになっている作品ですが、お子さんが不登校になったことをきっかけにこのアイディアの元になる発想が生まれたと書いてあって、フリースクールのようにも使えるし、災害が起きて体育館に避難した時に、こういうバンが校庭にきたら明るい気分になるんじゃないかなと思います。イラストもかわいいですし、このバンをいろいろなことに応用したら、今よりもちょっと良い未来が作れそうだなと感じました。」
【鈴木大地賞】『段差のある小さな暮らし~好きな場所で好きなことを~』

鈴木さん「ハイエースの需要が高まるなかでこのコンテストが開かれ、沢山の人がこれだけのアイディアを繰り広げていたのがとても面白かったです。自分が車両を作るとなると恐ろしいような斬新なアイディアもたくさんありましたが、今日は楽しく作品を見ることができました(笑)。
僕の賞には、『段差のある小さな暮らし~好きな場所で好きなことを~』という作品を選びました。僕自身階段が好きなので、見ていてワクワクするデザインでしたし、空間を分けるというアイディアもとても良かったです。また、コンセプトには『旅するサラリーマン』と書かれており、最優秀賞は『ママ』にフォーカスした作品だったので、『パパ』目線の作品もぜひ評価したいと思いこちらを選ばせていただきました。」

「人の夢を背負ってるから」と、最後まで悩みに悩んで入賞作品を選んでくださった鈴木さん。この日はご自身がバンライフを送るカスタムスクールバスで、同店舗を訪れていました。
※審査員各賞の作品は、別途VANLIFE DESIGN CONTESTの審査結果ページにて掲載しております。
https://vanlife-design-contest.jp/news/fvMNT2Eo
【奨励賞】
素敵な応募作品が多かったため、審査員の皆さんの提案で奨励賞を1点から4点に変更。個性豊かな5つの作品が選ばれました。



ご兄弟で応募いただいた作品はセットで奨励賞に選ばれました!


暮らしを豊かにする「バンライフ」のムーブメントを起こしていく

最後に、コンテストを総括して、YADOKARIの上杉よりコメントをいただきました。
上杉「バンライフをデザインするコンテストは、YADOKARIが5年ほど前から構想を温めていたもので、今回グッドスピードさんとのご縁があり、遂に実現することができました。 テクノロジーの進歩に伴い車が合理化していくなかで、単なる移動手段としてではない、暮らしを豊かにする車の可能性や選択肢を考えること自体が、『車』の新しい価値になるのではないかと感じました。
最優秀賞の車両を実際に具現化してもらえるというのは僕らとしてもとても嬉しく思っています。受賞者の方を筆頭にこのバンをみんなで使い倒して、良い形でバンライフのムーブメントを起こしていきたいです。」
社会課題にアプローチしたり、普段の生活をちょっぴり豊かにしたり、長年の夢に挑戦したり。老若男女問わず幅広い世代の方々から、色とりどりのアイディアが集まり、日々を豊かにするバンライフの大きな可能性を感じたコンテストとなりました。ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました!
入賞作品はGOOD SPEED VANLIFE春日井店に展示されますので、ぜひ店舗に足を運び、皆さんの情熱と未来への可能性が詰まった作品の数々をご覧ください!
▼GOODSPEED VANLIFE 春日井店

2021年1月にオープンした、グッドスピードのハイエースのカスタムおよびキャンピングカーの専門店。ハイエースをベースとした車中泊ベッドキットカスタムやキャンピングカーの製作および販売、キャブコンタイプのキャンピングカーを低価格でレンタカーとして利用できるサービスを提供している。車中泊やキャンピングを始める潜在顧客を見つけ出し活性化によって販売増加を狙うため、2022年10月に新たにショールームを建設し、新店としてオープンする。新たなショールームは約80台の在庫を取り揃え、軽自動車をベースにしたキャンピングカーからハイエース・本格的なキャブコン・バンコンまで幅広くラインナップ予定。
店舗名 :GOODSPEED VANLIFE春日井店
所在地 :愛知県春日井市東野町9丁目7-11
営業時間 :10時00分~19時00分
定休日 :火曜日(祝日は営業)
電話番号 :0120-36-4092
専用サイト:https://www.gs-vanlife.com/vanlife/

移住・多拠点居住に関心がある方へ向けて、やまなし暮らしを身近に感じてもらうためのイベントシリーズ「二拠点居住とやまなし」。2021年より多数のオンラインイベントを開催し、やまなし暮らしを実践する人々のリアルな声を届けてきました。
2022年11月19日(土)には、初のオフラインイベントとして現地ツアーを開催!やまなしと繋がる最初の一歩となるよう、過去のイベントに登壇されたゲストの方々や地域を盛り上げている拠点を巡り、参加者とゲストがリアルな場で交流することで、やまなし暮らしの魅力を体感していただく1日となりました。
ツアーは、甲府・韮崎コースと富士吉田コースの2つに分かれ、定員各10名で実施。コミュニケーションをサポートするコミュニティビルダーが同行することで、初対面の方、お一人参加の方が多い中でも、皆さん積極的に言葉を交わしていました。そんなツアー当日の様子をレポートします。
今日はどうして山梨に?

甲府・韮崎コースは甲府駅、富士吉田コースは大月駅に集合し、ツアーがスタート。それぞれ最初の目的地で、自己紹介がてらツアーに参加した理由を話し、アイスブレイクを行いました。
参加の理由は十人十色。定年を前に今後の人生について考えるようになり参加したという方、多拠点生活に憧れがあり生の声を聞くために岡山から参加してくださった方、「住むところを決める前にまず不動産屋に行く感覚で来ました」と相模原からご家族で参加してくださった方、コロナ禍で仕事がリモートワークになったことをきっかけに自然豊かな場所での移住・二拠点居住を検討している方、パートナーの実家がある笛吹市で就農を検討しているが、東京と二拠点居住をするか完全に移住をするか迷っているという方など、皆さん様々な理由でイベントに参加していました。
商店街の中にある、まちと繋がるシェアスペース「TO-CHI」

甲府・韮崎コースがアイスブレイクを行ったのは、甲府駅より歩いて15分ほどの銀座通り商店街の中にあるシェアスペース「TO-CHI」。2022年7月に、創業100年以上の歴史を持つ本屋「春光堂書店」横の空き店舗にオープンした施設です。
TO-CHIを運営するのは、ブランディング支援を通して地域社会を豊かにすることを目指す「株式会社DEPOT(以下、DEPOT)」。そんなDEPOTが運営するTO-CHIは、コワーキングスペースとして使用したり、カフェのように利用したり、スペースを借りてイベントを開催したり、地域と繋がる拠点として活用することが可能です。

アイスブレイク後は、山梨県のプロデュース会社にUターン就職し、後に独立してDEPOTを設立した宮川史織さんにご登壇いただき、なぜ東京の企業の内定を蹴り山梨へのUターン就職を選んだのか、地方でクリエイティブな仕事に挑戦する意義と難しさ、そして一児の母として子育てをしながら、地域密着型の企業を経営する日々についてお話ししていただきました。
老舗郷土料理店でランチ&まちあるき

宮川さんのお話の後は、TO-CHIを出てすぐのところにある甲府を代表する老舗の郷土料理店「銀座江戸屋」に移動。「二拠点居住とやまなし」のオンラインイベントに過去2回登壇している多拠点居住実践者のワタナベルカさんのお話を伺いました。フリーランスのデザイナーとして活躍しながら、実家のある山梨、パートナーと暮らす千葉、おばあ様の家がある石川の3拠点を行き来するワタナベさんの生活に、参加者の方は興味津々。お話の後は、ワタナベさんも交えて、ランチタイムを楽しみました。
ワタナベさんが登壇したオンラインイベントのアーカイブはこちら!
https://yadokari.net/wp/uncategorized/72618/
銀座通り商店街
ゑびすや
お腹を満たした後は、ワタナベさんと共に甲府のまちを散策。ジュエリーの工房とショップ機能を兼ね備えた「TO LABO」、築70年の古民家をリノベーションした宿泊施設&シェアキッチン「ゑびすや」、甲府の人々に愛される「寺崎コーヒー」をはじめ、甲府市役所、舞鶴城公園、甲州夢小路、オリオン・スクエア商店街など、甲府のイケてるスポットを巡りました。
生まれ変わった韮崎のシンボル「アメリカヤ」

甲府のまちを楽しんだ後は、バスに乗り、韮崎市のシンボル的存在である複合商業ビル「アメリカヤ」へ。1967年に建設されて以来、韮崎市のシンボル的存在だったアメリカヤ。オーナーさんが亡くなり廃墟となっていましたが、空き家や空きビルのリノベーションに特化した建築会社であるIROHA CRAFT(株式会社アトリエいろは一級建築士事務所)が、地域の方々の力も借りながら、リノベーションに着手。2018年4月に「新生アメリカヤ」としてオープンし、レストラン、作家の工房やショップ、IROHA CRAFTの事務所などが入居しています。

この日は5階にあるシェアスペースにて、韮崎周辺エリアで移住・多拠点居住を実践するゲストの方々のお話を伺いました。こちらのシェアスペースは、普段はどなたでも自由に利用可能で、晴れた日には富士山が見えるんだとか。
まずはIROHA CRAFTの代表である千葉健司さんより、高校時代に憧れていた「アメリカヤ」ビルを再生することになった経緯、アメリカヤができたことによる韮崎駅周辺の変化、移住者が増え賑わいが生まれている韮崎のまちについて話をしていただきました。
千葉さんが登壇したオンラインイベントのアーカイブはこちら!
https://yadokari.net/wp/uncategorized/72731/

続いてお話いただいたのは、山梨県韮崎市出身で、東京との二拠点居住を実践する保坂沙央里さん。大学進学と同時に上京し、東京・京都でキャリアを重ねた後、2021年8月に山梨県にUターンし、株式会社アッセンブルを設立しました。Uターン起業をすることになった経緯、地域の活性化や社会課題解決を目指す株式会社アッセンブルの事業内容、東京と山梨を行き来する現在の生活についてお話をいただきました。

最後に登壇いただいたのは、山梨県北杜市出身で、東京のリノベーション団地と山梨のご実家で「里帰り二拠点居住」を実践する辻麻梨菜さん。辻さんも保坂さん同様、大学進学を機に上京。都内で6年間の会社員生活を経て、里帰り二拠点居住を開始しました。所属する会社の事業を地域と紐づけること、そして暮らしと密に関わる”複業”を行うことで、バランスの取れた働き方、二拠点を実現している辻さんのお話に、参加者の皆さんは熱心に耳を傾けていました。
保坂さん、辻さんが登壇したオンラインイベントのアーカイブはこちら!
https://yadokari.net/wp/uncategorized/75027/
ゲストトークの後は、1日を振り返り感想をシェア。最後は韮崎のまちへ飛び出し、IROHA CRAFTが空き家を改装して作った施設や、移住者が開いたお店、昔からまちにあるお店が共存する黄昏時の韮崎を散策しました。
富士山駅直結!サテライトオフィスの一大拠点「ドットワークPlus」
両コースとも、ゲストトークの前に、やまなし暮らし支援センターの職員によるやまなし暮らしの紹介(交通アクセス、エリアの特徴・気候、ライフスタイルの例、職場環境や住環境について)が行われました。
同じ日に並行してツアーを行った富士吉田コースは、大月駅に集合。40分ほど観光バスに揺られて、富士吉田市内にあるコワーキング施設「ドットワークPlus」に向かいました。ドットワークPlusは富士山駅ビルショッピングセンター「Q-STA」の2階にあり、「東京一極集中を避けるためのサテライトオフィスの一大拠点」として、富士吉田市内のワークスペース、人、宿泊場所、娯楽施設、飲食店などの情報が集約するコワーキングスペースとなっています。

富士吉田コースのゲストトークは、ドットワークPlusの他、富士吉田市内に複数のコワーキングスペースや中長期滞在施設などを運営するキャップクラウド株式会社の北田萌さんのお話からスタート。岩手県出身の北田さんが山梨に移住した経緯、海外の2つの大学院で地域活性化やMBAを研究しながら、富士吉田でフィールドワークと仕事を両立する日々について、そしてご夫婦揃っての移住、やまなし暮らしについてお話しいただきました。
▼北田さんが登壇したオンラインイベントのアーカイブはこちら
https://yadokari.net/wp/yadokari-job/72954/
https://yadokari.net/wp/event/75302/
再興した山梨を代表する飲み屋街「新世界乾杯通り」

ランチタイムは、富士吉田市を代表する飲み屋街「新世界乾杯通り」にある「イタリアンレストラン かぎしっぽ」へ移動。新世界乾杯通りのマネジメントと、新世界乾杯通りがある西裏エリアのコーディネートを行う「合同会社新世界通り」代表の小林純さんにお越しいただき、笛吹市出身で大学進学を機に上京した小林さんが山梨にUターンすることになった経緯や西裏エリアの活性化事業についてお話いただきました。
▼小林さんが登壇したオンラインイベントのアーカイブはこちら
https://yadokari.net/wp/uncategorized/72731/


ランチタイムの後は、小林さんの案内のもと、富士吉田エリアを散策。新世界乾杯通りから、昭和24年創業の老舗「月の江書店」、昭和9年に太星家具店として創業した「雑貨と家具の店 LONGTEMPS」など、歴史あるお店を中心に、富士山にほど近いまちの風景を楽しみました。
地域の人々が繋がり、共に生きる場所「ソーシャルハウス宝島」

約1時間弱まちあるきを楽しんだ後は、再びバスに乗り、「ソーシャルハウス宝島」に移動。2022年4月にオープンした、一軒家を地域に開放するまちのサードプレイスです。毎週水曜日には誰でも参加可能な「地域サロン」、火曜日と木曜日には不登校児やその家族の居場所・子育て支援の場となる「こどもサロン」などを開催し、「人との繋がり」をキーワードに、社会課題、福祉課題の解決を目指しています。

ソーシャルハウス宝島を運営するのは、山梨県南アルプス市出身の上田潤さん。大学進学を機に上京し、都内の企業で経験を積んだ後、富士吉田市の地域おこし協力隊として山梨県にUターンしました。この日は宝島の和室で参加者の方々とテーブルを囲みながら、上田さんがUターンすることになった経緯や、宝島をはじめとするご自身の活動についてお話いただきました。途中、いつも宝島を利用しているご近所の方がフラリと顔を出す場面もあり、宝島の日常を垣間見ることができました。
参加者のなかには、「人と繋がってボランティアをするのが好きだから、誰かの役に立つことができて、かつ自分の生活を成り立たせることのできる環境があれば良いなと思って参加しました。宝島のような場所で何か活動ができたらなとビジョンが具体的になりました」と上田さんに伝えている方もいらっしゃいました。
▼上田さんが登壇したオンラインイベントのアーカイブはこちら
https://yadokari.net/wp/event/75302/

ソーシャルハウス宝島を後にし、最後はふじよしだ定住促進センターが運営するギャラリー兼ワークスペース「FUJIHIMURO」へ移動。「富士製氷」の跡地をリノベーションして作られた作られた施設で、移住・定住支援、空き家や仕事の紹介、イベントサポートなどを行っています。この日は移住定住課担当者さんから、全体のまとめとして富士吉田市の概要や、移住・二拠点居住に関する取り組みなどをお話いただき、参加者の皆さんは「ふじよしだ暮らし」のイメージをより具体的に描くことができたようでした。

最後は、「ツアーの中で気付いたこと」、「移住・二拠点居住を始めるなら何年後?」、「どのくらいの頻度で山梨に来たい?」、「自分の二拠点生活のコンセプトは?」といった質問が書かれた振り返りシートを記入し、イメージするやまなし暮らしを言語化。シートをもとにツアーの感想を皆さんでシェアしました。FUJIHIMUROの1階にあるブルワリー「BRIGHT BLUE BREWING」のビール片手に、大月駅に向かうバスに乗り込む参加者さんも多くいらっしゃいました。
理想の暮らしへ、最初の一歩

「新しいことをどんどん取り入れチャレンジされて、まちが活性化しているのを感じました。皆さんの山梨愛、地元愛を感じました。」
「若い方達が活き活きと活動されていると感じました。山梨を盛り上げたいと思っているだけでなく、行動していることに感動しました。」
「富士山が、意識せざるをえない大きさで、まちのひとたちが大切にしてきたのがとてもよく分かりました。東京から意外と近い、空が大きいなど、実際に足を運んで気付いたことがいろいろありました。」
「二拠点居住の候補地の1つとしてこれからも見ていきたいし、西裏に遊びにも来たいです。」
「今回訪問した施設にまたお伺いしてお話させていただいて、移住を目指して動いていきたいです。」
など、参加者の皆さんは実際にやまなしに足を運び、移住・二拠点居住の実践者のお話を聞くことで、都心との距離感や自然の豊かさ、そして移住支援が充実し、活動的なプレイヤーが増えているやまなしの盛り上がりを肌で感じていただけたようでした。
このツアーでリアルなやまなし暮らしの日常を垣間見ることで、移住後のビジョンがより鮮明になり、新しい生活へのはじめの一歩となっていたら幸いです。今回のツアーで結ばれたご縁が、再びやまなしの地で繋がる日を楽しみにしています!
【やまなし二拠点居住・移住総合WEBメディア 「Y-charge」 公開!】
二拠点居住・移住の地としての山梨の魅力を様々な角度からご紹介するWebメディア「Y-charge」が公開されました!是非、こちらも合わせてチェックしてください!
URL:https://www.nikyoten.pref.yamanashi.jp/

2021年に開催し大好評だったイベントシリーズ「二拠点居住とやまなし」。2022年の今年も3つのオンラインイベントと現地ツアーを開催し、二拠点・多拠点居住の実践者や、これから二拠点・多拠点居住を始める方々が出会い、交流することのできる機会を設けています。
10/22(土)に行われた第3回目のオンラインイベント「二拠点居住とやまなし2022 Vol.3 豊かな自然の中で叶える私らしい暮らし 〜富士吉田・都留エリアから考える働き方と生き方のススメ〜」では、富士吉田・都留エリアで移住生活、二拠点生活を送る3人のゲストをお招きし、3人が山梨で実現している「私らしい暮らし」についてお話していただきました。
「移住・二拠点居住に興味はあるけれどリアルな体験談を聞く機会がない…」という方必見のイベントの様子をレポートします!
やまなし暮らしのいろは

イベントは、やまなし暮らし支援センターの移住相談員・渡邊さんのお話からスタート。首都圏から山梨へのアクセス、県内各エリアの特徴、物件の探し方と相場、働き方のスタイル、県内のワークスペース、都会との違い、移住に役立つ支援制度など、移住や二拠点居住を検討している方々にとって重要なやまなし暮らしのいろはを説明していただきました!
有楽町にあるやまなし暮らし支援センターでは、首都圏在住で山梨への移住や二拠点居住を検討している方の相談窓口を設けています。事前予約をすれば、やまなし暮らしに関する様々な不安や疑問をじっくり相談することができるので、ぜひお気軽に足を運んでみてくださいね!
▼やまなし暮らし支援センター
https://www.yamanashi-kankou.jp/yamanashikurashi/
▼やまなし未来創造インフォメーションサイト(県Webサイト)
https://www.pref.yamanashi.jp/try_yamanashi/
➀都留市/奈良美緒さん―心地よく暮らす手段としての二拠点居住

1人目のゲストは、旦那さん、息子さんと共に山梨県都留市と東京都品川区で二拠点居住を実践している奈良美緒さんです。都留市で生まれ育った奈良さんは、大学進学を機に上京、その後都内の会社で5年間会社員として働いていました。転機となったのは2016年、「ただ消費するだけの都会の生活」に疲れてしまった奈良さんは、勤めていた会社を退職し地元・都留市にUターンをすることに決めたと言います。
奈良さん「都会の生活に疲れてしまい、自分らしい暮らしをしたいという思いから、1度休息を取ろうと都留にUターンしました。その翌年に結婚することになったのですが、彼は当時品川に家を持っていて……。私がその家に引っ越して一緒に生活するというのが一般的かもしれませんが、都留での生活がちょうど面白くなってきたタイミングで東京に戻るイメージが湧かず、『じゃあ二拠点居住したら良くない?』というノリでスタートしました。その後3年間は、都留と品川を行ったり来たりしながら地域おこし協力隊として勤務をしていました。
2020年には息子が生まれ、旦那とどこで子育てをするか話し合いました。最終的には、生まれ育った場所でもあり自然豊かな都留で子育てがしたいという私の希望を旦那が聞き入れてくれて、都留をメインの拠点に暮らす形にシフトしています。今年の3月からは息子が市内の保育園に通い始め時間に余裕ができたので、私も本格的に仕事に復帰しました。頻度は減りましたが、1ヵ月に1度か2度、4日程度品川に滞在する形で、二拠点居住も続けています。都留の家も東京の家もシェアハウスを運営しているので、入居者さんと家族と共同生活を送っています。」

上京、地元へのUターン、東京と山梨の二拠点居住と、様々な暮らし方を経験してきた奈良さん。二拠点居住のメリットとデメリットはどのようなものがあるのでしょうか?
奈良さん「二拠点居住をして良かったなと思うことは3つあります。1つ目は、夫婦それぞれの地元で二拠点居住をしているので、双方の両親にすぐ会いに行けることです。孫の顔を見せに行けるし、両親とも孫が可愛くて仕方ないようで、面倒を見てくれている間は自分もリフレッシュすることができて助かっています。
2つ目は、田舎暮らしってやっぱいいなぁということです。野菜は安くて美味しいし、おすそ分けをしてもらえることもあります。よく言われている保育園や幼稚園の待機児童の問題も皆無ですし、それどころか歓迎されます。自然や人との繋がりの豊かさは暮らしていて感じることが非常に多いです。
3つ目は、都会と田舎のいいとこどりができること。東京の家からディズニーランドへ行ったり、最近は夫婦でクラフトビールにハマっているので、近所のクラフトビール屋さんに行ったりすると、やっぱり都会暮らしも楽しいなと思います。
デメリットについても考えてみましたが、『ないかも』というのが本音です。というのも、二拠点居住は私達にとってはあくまでも手段であって目的ではないというのが大きいと思います。自分たちにフィットした暮らしをしたいというところからスタートして、パートナーと話し合いながら心地よい暮らし方を追求した結果、自然と二拠点居住にたどり着いたという感覚です。」

最後に、都留の特徴と、奈良さんの都留でのお仕事についてお話していただきました。
奈良さん「都留市は人口が約3万人ですが、地元の都留文科大学には約3000人の学生が在学しており、全人口の約10%が大学生という特殊な人口構成です。そのせいか地元の方は若者や外から来た人にとても寛容だと感じています。歩いていると声をかけられることも多く、優しい人が多いのんびりした雰囲気が都留の特徴かなと思います。
私は2018年から都留で『コワーキングコミュニティ teraco.(以下、 teraco.)』というコワーキングスペースを運営しており、2022年3月にはteraco.の運営を主な事業とする『株式会社つるでつながる』という会社を立ち上げました。teraco.には、協力隊の仲間や都留文科大学の学生インターンさんが来てくれていて、色々な市民と交流ができるので、都留に興味がある方はぜひ足を運んでいただけると嬉しいです。」
心地よい暮らしを追求した結果たどり着いた家族3人での二拠点居住。転職、結婚、子育てなどライフステージの変化に伴って選択肢を狭めるのではなく、より柔軟に暮らしを変化させていく奈良さんの生き方は、家族やパートナーを理由に移住や二拠点居住を躊躇っている人たちの背中を押してくれるのではないでしょうか?
▼コワーキングコミュニティteraco.
https://teraco-tsuru.com/
➁富士吉田市/上田潤さんー自分の活動がまちに作用する生活

2人目のゲストは、富士吉田市の地域協力隊として活動しながら、ソーシャルハウス「宝島」を運営している上田潤さんです。山梨県南アルプス市出身の上田さんは、奈良さん同様大学進学を機に上京し、東京の企業で様々な経験を積んだ後、山梨県にUターンしたと言います。
上田さん「コロナ禍で世の中が暗いムードになり生活に苦しむ人が増えてきたタイミングで、自分はこれからどう生きていくべきかを考えるようになりました。これまでの成果や数字を追う生活はあまり面白くないな、世の中のために活動していく方がかっこいいなと思い始めた頃に、富士吉田市の地域おこし協力隊のOB、OGの方々とお会いする機会がありました。同世代で熱量を持ってまちづくりに取り組んでいる彼らがとても楽しそうで、僕も地域おこし協力隊の活動を始めることにしました。現在は社会課題にアプローチするソーシャルビジネスを展開しており、福祉制度や社会保障などの課題を人々の繋がりで解決できるのではと考え、その可能性を模索しています。」

「世の中のためになる活動をしたい」という思いから、「福祉」、そして「人との繋がり」をキーワードに、富士吉田市での活動を始めた上田さん。具体的にはどのような活動をしているのでしょうか?
上田さん「協力隊になってまず始めたのは、『じばサポ』という高齢者の生活支援を有償ボランティアとして請け負う活動です。身近に頼れる人がいない高齢者が増えていく状況に寂しさを感じて始めた活動で、一言で言うと『高齢者専門の便利屋』のようなサポートをしています。引っ越し先を探している方の相談に乗ったり、身体があまり動かなくなってしまった方の部屋の片づけに通ったり、買い物や病院受診に同行したり、ご主人に先立たれて気を落としてしまったおばあちゃんの家にお茶を飲みに行ったり、困り事の解決を通して『僕』という繋がりを処方することで、高齢者の生活の安心感に作用できればと思っています。」

高齢者を対象とした様々な活動を行ってきた上田さん。2022年4月には、一軒家を地域に開放したまちのサードプレイスとして、「ソーシャルハウス 宝島(以下、宝島)」の運営をスタートしました。
上田さん「生活支援の活動を行うなかで、これからの世の中では1対1の支援というアプローチではなく、『みんなで一緒に生きる』という暮らし方を作っていく必要があると感じるようになりました。自分自身が宝島に住みながら、地域の方々に集っていただけるように住み開きしています。
毎週水曜日には誰でも来れる「地域サロン」を行い、主に高齢者の方が集まってご飯を作って食べ、火曜日と木曜日には不登校児やその家族の居場所・子育て支援の場として「こどもサロン」を開き、『もう一つの家』のように使っていただけるようにしています。富士五湖地域をホームとする女子サッカーチーム「FCふじざくら」と協働し、高齢者の方と月に一度交流会をしたり、公式戦にシニアシートを用意していただいて観戦したりと、スポーツとシニアを繋ぐ活動も行っています。」
▼ソーシャルハウス宝島
https://you-fujiyoshida.jp/diary/community/4973

最後に、上田さんの今後の展望と、富士吉田の好きなところを教えていただきました。
上田さん「宝島の隣には同じ大家さんが管理しているアパートがあり、ありがたいことにそのアパートも自由に使わせていただけることになりました。引きこもりの方や生活困窮者の方が入居できる『繋がり付き住宅』として、宝島に来る人たちと助け合って生きていくコミュニティを作れたらと考えています。そういったコミュニティがこれからの福祉制度を担保するインフラになるのではという思いがあるので、そのモデルケースを作りたいです。
富士吉田は飲み屋街があったり、吉田うどんというものすごく硬くて美味しいうどんがあったり、水が美味しかったり、食が充実しているまちだと思います。地域の人たちは温かく優しい方が多いです。物やサービスに溢れている都心と違い、プレイヤーが少ないので、自分の活動が良くも悪くもダイレクトにまちに作用します。まちを作っていく、開拓していくという感覚を味わえるのが、僕はすごく良いなと思っています。」
「世の中のためになる活動をしたい」という思いで地元・山梨へのUターンを決意した上田さん。自分の活動がダイレクトにまちに作用していく環境のなかで、コミュニティを創造し、福祉や社会保障の課題を乗り越えるモデルケースを確立しようとする上田さんの生き方からは、地方の暮らしが持つ可能性を感じますね。
③富士吉田市/北田萌さん―チャレンジ精神があるまちで、成功例をつくる

3人目のゲストは、キャップクラウド株式会社の北田萌さんです。海外の2つの大学院で地域活性化やMBAの研究をしている北田さんは、富士吉田市でフィールドワークをしながら地域活性化の仕事を行っています。岩手県出身の北田さんは、なぜ富士吉田をフィールドに選んだのでしょうか?
北田さん「東京や海外の学校に行き住む場所を転々とした後、2021年の春から富士吉田市に移住しました。なぜ地域活性化の活動を出身地の東北でやらないのかとよく聞かれるのですが、生産人口が3分の1になると言われるこの社会では、失敗を恐れず挑戦し続ける自治体でないと生き残るのが難しいというのを、研究者としても私個人としても感じています。富士北麓地域は自治体が活発に動いている全国でも珍しい地域で、こういったチャレンジ精神がある自治体が先駆者となり成功例を残すと、全国の過疎地域、ひいては東北にも勇気を与えることができると信じて、今一番可能性を秘めているこの場所で活動をしています。」

現在北田さんは、自社施設である「ドットワーク富士吉田」にて移住者やリモートワーカーと地元の方の交流の場を設けながら、富士吉田市の事業「富士吉田市まるごとサテライトオフィス」を推進する業務を行っています。
北田さん「現在富士吉田市内には提携のコワーキングスペース3ヶ所に加え、カフェやレストランなどワークスペース提携をしている施設が約40ヶ所あります。上田さんのソーシャルハウス宝島もその1つです。富士吉田市に来れば徒歩8分に1ヶ所のペースでワークスペースがあるので、観光と組み合わせていつでもどこでもリモートワークを行うことができます。そこで地域の人と外部の人が交流し、新しい出会いやアイディアが生まれ、住民主体のまちおこしに繋がっていくというビジョンを持ったプロジェクトが『富士吉田市まるごとサテライトオフィス』です。
富士急ハイランドの中にも約19ヶ所のワークスペースがあり、仕事に行き詰まったらジェットコースターに乗ってスッキリしてまた仕事に戻ったり、ソーシャルハウス宝島で年配の方に悩みを相談しながら仕事をしたりと、施設の特性に合わせた多様な働き方を実践することができます。
自社施設であるコワーキングスペース『ドットワーク富士吉田』では、ワーケーションツアーやリモートワークで年間約2000人ほどの方にご利用いただきました。コワーキングスペースの各所では移住者と地域の方が自然に交流できる場として『ドットワークBAR』を毎月開催し、過去12回の開催で約450名の方にご参加いただき、外部からの流入が多い地域だなと改めて感じています。」

最後に、富士吉田の良い所と、北田さんが移住して感じることをお話してくれました。
北田さん「富士吉田はコンパクトシティで免許がなくても生活には困らないし、チェーン店が一通りそろっているのでとても暮らしやすいまちだと思います。家賃や光熱費は東京よりも各段に安いので、生活水準は同じでも生活費はかなり少なくなりました。富士吉田には、スルメを噛むように、会えば会うほど味が出るような面白い人が本当に多くて、ネタに尽きないなと思いながら生活しています。
東京に住んでいた時はすれ違う人がたくさんいたけれど、その中に人生を豊かにしてくれるかもしれない価値観を持った人がいても、話をするきっかけがありませんでした。富士吉田に来てからは、そういった価値観を持った人と出会い、話す機会がすごく増えたなという感覚があります。お酒ではなくコーヒー1杯だけで延々と語れる仲間を持てたことも、自分にとって大きな変化でした。そういった日々を過ごすうちに漠然と抱いていた将来への不安がなくなっていったのが、移住して良かったことの一つです。
『生きるために働く』というフェーズを脱して、日々『生きてるな』というワクワク感や高揚感を持って過ごせるようになったので、勢いで移住に踏み切った反省はありながらも、総じて今の生活にとても満足しています。」
チャレンジ精神があり活発な富士北麓地域を、研究の場として、働く場として、そして生活の場として選んだ北田さん。上田さんや北田さんのように熱い想いを持って活動する人々が繋がることで、さらに活気あふれるまちへと進化していく富士吉田は、同じく熱い想いを持って移住や二拠点居住を検討している方々にはぴったりの場所かもしれませんね。
トークセッション&質疑応答コーナー

3人にそれぞれのやまなし暮らしをご紹介いただいた後は、トークセッション&質疑応答コーナー。参加者さんへの事前アンケートをもとに作成されたテーマを中心に、3人のやまなし暮らしがさらに深堀りされました。セッションの一部をハイライトでご紹介します。
Q. 都留と富士吉田、それぞれのエリアの特色はありますか?
奈良さん「都留の人は富士吉田の人と比べてのんびりしている印象があります。大学の目の前に昭和時代から続く喫茶店があるのですが、先日『無念だ』と言いながら開業以来初めての値上げをしていました。学生たちに安くお腹いっぱい食べてほしいという気持ちが街全体に漂っていて、あまり商売っ気がないエリアだと思います。」
北田さん「都留との違いで言うと、富士吉田は商売っ気が強いと思います。理に適ったアイデアやきちんとビジネスモデルが確立された話であれば積極的に受け入れてくれますが、商売としての線引きをしっかりしている方が多いので、地域の方へやりたいことを話す時は、気を引き締めてプレゼンをする気分で挑んでいます(笑)。」
上田さん「富士吉田は積極的に新しいことをしたり、街をもっとこうしていこうという熱量を持った人が多い印象です。まちを挙げてフェスティバルなどを開催したり、情報をしっかり発信していたり、自治体レベルでも民間レベルでも市外・県外の人と積極的に関わっているオープンなまちだと感じています。」
Q.やまなし暮らしの魅力や好きなところは何ですか?
北田さん「山梨はチャレンジがしやすい場所だと感じています。他の県と比較しても、山梨は県や地元の銀行などの創業支援が手厚く、メンターや講師として関わってくれる人も多いです。東京にはない選択肢があるので、県内でビジネスを立ち上げて軌道に乗っていたり、面白い動きをしている人が周りに増えてきて、私も起業に興味を持ち始めています。チャレンジしやすい環境は、山梨の魅力だと思います。」
上田さん「0からものを作っていけるのがすごく面白いなと思います。カフェが一つできたらまちの一大ニュースになるように、一つの出来事が地域の方々の生活への与える影響が大きいので、自分たちが理想とするコミュニティ、まち、暮らしを自分たちで作っているという感覚があります。働き方が多様化し柔軟になっていくこれからの社会で、地方には可能性しかないので、そこを楽しめる人にとっては山梨での暮らしはすごくワクワクする日々だと思います。」
奈良さん「私はもともと山梨や都留が嫌いで上京した人間ですが、改めて自分の生まれ育ったまちを客観的に見ることができるようになったので、一度県外に出て良かったと思っています。山梨を離れている間に移住者や二拠点居住者が増え、彼らのほうがニッチな山梨の魅力を知っているので、そういう話を聞かせてもらうのがすごく好きです。私は地元の人でもあり移住者でもあるという稀有な立場ですが、だからこそ日々山梨や都留の魅力を再発見しながら暮らしています。
100人いれば100通りの暮らし方があって、最初から理想通りの暮らしを実現するのは難しいので、トライアンドエラーが必要になってくると思います。チャレンジしてみたい人が第一歩を踏み出す場所として山梨はすごく良い環境だと思うので、移住や二拠点居住に興味がある方はぜひ山梨に足を踏み入れていただけると嬉しいです。」
やまなしで、「私らしい暮らし」への一歩を

他の地域での暮らしを経て、やまなしを仕事の場、生活の場に選んだ3人だからこそ分かるやまなし暮らしの魅力をたっぷりと語っていただいた今回のオンラインイベント。山梨に移住したばかりだと言う参加者の方からは「山梨でいろんな人と仕事をしてみたいと思っています!!暮らしてみて繋がりたいと思う人がたくさんいます!」といったコメントも届いていました。
自分らしい生き方を実践している移住・二拠点居住の先輩がたくさんいる山梨県。新しいことに挑戦しやすい環境が整っている山梨県で、あなたもぜひ「私らしい暮らし」への第一歩を踏み出してみませんか?
【やまなし二拠点居住・移住総合WEBメディア 「Y-charge」 公開!】
二拠点居住・移住の地としての山梨の魅力を様々な角度からご紹介するWebメディア「Y-charge」が公開されました!
是非、こちらも合わせてチェックしてください!
URL:https://www.nikyoten.pref.yamanashi.jp/
文/橋本彩香

鶴川団地で暮らす人たちや町田市民、団地で暮らすコミュニティビルダーを中心に、団地の新たな魅力を発信する「未来団地会議 鶴川団地プロジェクト」。
そこでコミュニティビルダーとして活動しているのが石橋さんと鈴木さんです。
鶴川団地での暮らしが始まってから、もうすぐ二年の月日が経とうとしています。これまで団地暮らしの先輩方やお店を営む方、同世代の仲間など、様々な方が登場してくださった対談インタビューも7回目に。二人の輪の広がりと共に、鶴川という地域の現在地が見えてきます。
今回は二人のご近所さんで、休日にはお家でBBQもする仲という平野さん一家から、働くママである育子さんが登場してくれました。三人の子どもたちを育てながら、ご自身の飲食店「食堂POCO」を経営されています。
普段の会話では深く話すことのない、鶴川での子育てを中心にお話を聞きました。
東京で見つけた、のびのびとした学習環境
平野一家より、末っ子さんも同席してくれました
石橋さん&鈴木さん「今日はよろしくお願いします!」
育子さん「私で良いのかな?(笑)でも、他の地域から引っ越してきた身として、そこの違いはけっこう話せる気がしてる」
石橋さん「お、すごく気になるポイントです」
鈴木さん「もともと横浜の方で暮らしていたところから、鶴川への引っ越しを決めたきっかけは何でしたか?」
育子さん「最初は場所というよりは、家の条件だけで探していましたね。鶴川にも条件の合う中古の物件があったので、見に行ったのが最初です。内見したお家がすごく綺麗で、予算的にも良くて。
そしたら、その家にもともと住んでいた人が『この辺はめっちゃいいよ』と言い残していったんだよね。わざわざ伝えたくなるほどいい地域なのかと、すごく気になりましたね(笑)住み始めてから、もしかしてこのことかな?と感じることが多々あります」
石橋さん「それは面白いですね。その方がどんな楽しみ方をしていたのか、答え合わせがしたくなる」
鈴木さん「引っ越したきっかけは家の条件だったけど、なんとなくこの地域への期待感はあったんですね。育子さんは三人のお母さんでもありますが、引っ越した時の子どもたちの反応はどうでしたか?」
育子さん「一番上の子は小学6年生のタイミングで気がかりではありましたが、学校に行って帰ってきた第一声が『給食がめっちゃうまい!』でしたね」
石橋さん「(笑)給食は学校へ行く楽しみの一つなので、大事ですよね。食の質って教育の質にも繋がっている気がします」
育子さん「給食もそうでしたが、教育方針もだいぶ色が違いましたね。それまでの地域では中学受験をすることが普通の価値観だったので、学校の授業もペースが早かった。塾に通っている前提で学習が進むので、子どもも私もついていけない部分がありました。
鶴川で通い始めた学校は、一人一人のペースに合わせて授業が進みます。習熟度別で三つくらいのクラスを選べる科目もあって。『今日は苦手な内容だからゆっくり目のクラスで受けよう』という形で、自分で選択できるのもとても良くて、手厚いなと思いました。
もちろん、どちらの教育スタイルが良い悪いではなく、相性や選択の問題だと思います」

鈴木さん「自分のペースで学習に取り組めるのは嬉しいですね。自分がまだ子育てをしていないので全然知らなかったことだけど、すごくいいなって思いました。これを知って、鶴川に住みたいって思ってくれる人も結構いそう!」
育子さん「のびのびした子育てをしたい人には本当に合うと思います。受験を見据えて学習メインで考えたい人にはもっと合う地域があるかもしれないし」
鈴木さん「家庭の教育方針、子どもの特性や希望に合わせて、鶴川が良さそうって感じていただけたら一番嬉しいですね」
石橋さん「僕の家は転勤族で小学校もよく変わっていたので、やっぱり校風によって居心地の良さが分かれるのはすごく分かります。
6年生で転入するのって、本人も同級生も打ち解けるまで難しいイメージがありますが、その辺りはいかがでしたか?」
育子さん「いい意味でクラスの団結力が強かったので、最初は少し戸惑ったみたい。でも先生たちも一人一人をしっかり見てくださるので、安心できたかな。
これは最近の話ですが、長女の修学旅行で、予定していたキャンプファイヤーが感染症の影響で中止になってしまったんです。後日、先生たちが動いてくれて、学校の校庭でキャンプファイヤーを実現できたんですね。今の時代にそんなことあるんだって、先生たちの情熱や行動力に驚きました」
石橋さん「熱い先生たちが残っているんですね」
育子さん「そうそう。うちの旦那さんなんて、先生の思いに触れて、個人面談と授業参観のどちらも泣いていました(笑)」
自然にあいさつが飛び交う、“守られ感”のある団地圏

鈴木さん「学校以外で、鶴川での暮らしはいかがですか?」
育子さん「前に住んでいた地域と比べて、感覚が田舎に近いかもしれない。都会では知らない人と壁をつくりがちだけど、この辺りだと外を歩いているだけで、近所の人が『こんにちは』といきなり話しかけてくれる」
石橋さん「めっちゃ分かります。特にいおじいちゃんおばあちゃんはよく話しかけてくれる。ゴミ捨てに行った時にすれ違うと絶対に『おはようございます』と挨拶を交わしますね」
育子さん「初めの頃はその状況に慣れなくて、あれ?会ったことあったっけ?と考えてしまったけど、人に会ったらまず挨拶って普通のことだよなって思い出しました」
石橋さん「そういう当たり前だったコミュニケーションが、まだこの地域には残っていますよね」
育子さん「あと驚いたのが、家族で行ったご飯屋さんの店主の方が、『お母さんたちが仕事でいない時、困ったことがあったらいつでも来ていいんだよ』と子どもたちに言ってくれて。都会ではなかなか無いことだと思います。
子どもたちが行きつけの駄菓子屋さんに行く時も、近くのお店に顔なじみの大人たちがいることが多いから、『今日[末っ子]ちゃん、友達と遊びに来てたよ〜』と教えてもらうこともあります。自分が仕事をしていて、様子を見れない時間の話を聞けることも安心感がありますね。
こんなに世代が違うのにコミュニケーションが取れるなんて、初めてのことで驚きました」
石橋さん「飲み屋とかで相席になって、たまたま盛り上がったら話すくらい。少なくとも日中に、知らない人同士で交流が起きることは稀ですよね(笑)」
育子さん「普通はありえないよね。家族ぐるみで色々な世代と仲良くなれるっていう、けっこう謎の現象が起きてますね」

石橋さん「ただ、この現象が鶴川駅前のエリアでも起こるのかって言ったら、また分からないですしね。あったらかなり面白いですけど。団地周辺のエリア、”団地圏”とでも言いますか、その一体感があるような気もしています。
でも変な結託感はなくて、それぞれのスタンスで暮らしつつ、ゆるやかに繋がりを持てるのが心地いい」
育子さん「分かる。守られ感があるよね。今日もセントラル商店街のイベントで、私は面識がなかったけど、娘が顔見知りの方がいました。なぜ知っていたかというと、ここの地域って登校時の交通安全の旗振りが、地域のボランティアで成り立っているんですよね。保護者が当番制で行うのが一般的だと思うんですけど。学校で直接関わらない地域の方も、一緒に子どもを見守ってくれていることに感動しました。
他にも、子どもが学校帰りに通りかかるお花屋さんが、廃棄になるお花を持たせてくれることもあります。近所の飲食店の方も、夏の暑い帰り道に「喉乾いた…」と話す娘にお水を出してくださって…。現代の東京にもこんな世界線があるなんてね」
石橋さん「僕も少年時代、近所の大人との関わったことは、思い出として残っています。おつかいで近所の電気屋さんに行った時に、お店のおばちゃんと仲良くなったんです。その方がすごく聞き上手だったので、小学生のとりとめのない話をずっと聞いてくれて。それがうれしくて、その後も何度か通っていた記憶があります。今振り返ってみると、その経験のおかげで、知らない人とも抵抗なく話せる人間性を獲得した感覚もあって。
だから、この地域の子ども達はとても貴重な経験ができているんじゃないかと思って見ていますね。地域で人間性が育まれているなぁって」
育子さん「うちの子たちを見てると本当にそう思いますね。かなり広い幅の年代の方と、普段から自然とコミュニケーションが取れる、ありがたい環境です」
自分たちの人生を楽しむエネルギーに満ちた場所

石橋さん「職場と家庭以外にコミュニティを持てるのも良いですよね」
育子さん「自分の仕事に軸を持っているママさんも多くいるので、それはすごく心強い。親になるとどうしても、”ママだからこうしなきゃ”という思考になりがちだし、私も最初はそうでした。以前住んでいた地域では、学歴を重視した子育て色が強くて私には生きづらかった。
もちろん、良い悪いの問題ではなくて、何を選ぶかという話ですけど。鶴川に来てからは、自分のやりたいことと、頑張りすぎない子育てを両立する価値観で生きる仲間に出会えて、安心したかな。自分はこれで良いんだって思えた」
鈴木さん「たしかに、家庭以外での自己実現、仕事や趣味にも挑戦している人が多いなと思います。子どもたちだけじゃなくて、親世代も自分らしく暮らしている気がします」
育子さん「いい意味で変わった場所だよね」
石橋さん「僕たちとしても、一歩前を歩く先輩方の話を聞ける状況があるのはありがたいです。最後に、どんな方が鶴川団地の暮らしに合っていると思いますか?」
育子さん「すごく抽象的だけど。鶴川という地域は、自分の生き方の軸を持っている人たちが多いと思う。意思と意図があって移り住みたいって人は、特に楽しめるんじゃないかな。
団地付近は少し駅から離れているし、利便性に長けているわけではないけど、ここに集う人たちの目に見えないエネルギーがすごく高いんだよね。それに、そこで育った子ども達って、すごそうじゃない?」

石橋さん「次のジェネレーション!我々の世代も、そろそろ結婚や子育てのことを考え始める時期にさしかかってきますしね」
育子さん「団地の空室が減っていくと良いなと思ってる。場所はあるから、若い人たちが活用しやすいようになっていくと、もっと盛り上がると思う!
今はばしこ(石橋さん)やおすず(鈴木さん)たちが子どもと遊んでくれて、お世話になっているからね。次の世代が生まれる時には、孫のような感覚で一緒に見守っていきたい。恩返し的なね」
▼今回の対談ゲスト育子さんのお店「食堂POCO」
住所:横浜市青葉区みたけ台44-1 グレイスムラタH号室
電話:045-511-8363
Instagramアカウント:https://instagram.com/syokudou_poco
****
未来団地会議 鶴川団地プロジェクトについてはこちら!
https://yadokari.net/wp/type/future-danchi/

山川咲
1983年東京生まれ。幼少期にワゴンカーでの日本1周・自然との共生を経て、ビジネスの世界を志す。2006年人材教育のベンチャー企業へ入社し、2012年に株式会社CRAZYを創業。不可能だと言われた完全オーダーメイド結婚式を生み出す、CRAZY WEDDINGを立ち上げ、業界の革命児と呼ばれる。 4年後の16年には毎日放送「情熱大陸」に出演。2020年にCRAZYから独立。同年末にはホテル&レジデンスブランド「SANU」に参画。今年1月には「神山まるごと高専」のクリエイティブディレクター/理事に就任したことを発表。
コロナ禍で人混みを避けるように、地方移住を決めた知人がたくさんいる。事態がすぐに好転するとは到底思えないこの状況で、多くの仕事がリモート中心になり、人との物理的な距離が必要になってしまった以上、その選択肢は理にかなっている。
しかし、ほんとうにそれだけだろうか。私は仕事の関係で、昨年の7月以降、ほとんどの時間を北海道の山奥で過ごした。10年住み続けた東京を離れ、自然の中で暮らしてみた。そうして感じたのが「やっぱり東京はいいところだ」ということだった。今後の生活を考えた時に「地方移住」以外の選択肢はないものだろうか。
そんなことを考えていた矢先、CRAZYを創業したことでも知られる山川咲さんから「東京は美しい」という話を聞いた。ご存知の方も多いかもしれないが、咲さんはウェディング業界の風雲児とも言える人で、昨年の3月末に創業以来8年間率いてきたCRAZYという会社の代表を退任したばかり。その後、突然奄美大島での長期休養期間を経て、また東京に戻ってきたタイミングだった。
時は昨年末。久しぶりに会った咲さんは、SANUという組織に入るんだということを教えてくれた。SANUはゲストハウス業界のパイオニアでもある元Backpacker’s Japan代表の本間貴裕さんが立ち上げた「⼈と⾃然の共⽣をテーマにしたライフスタイルブランド」で、東京から片道数時間で行ける距離にある自然の中に、いくつもの自然と共存できるセカンドホームとしてのキャビンを作っている。
北海道から戻ってきて東京の不思議な魅力を感じていたタイミングだったこともあり、都会に暮らし、自然へと遊びにいくそのライフスタイル自体が私には新鮮に思えた。人生は「東京に住むか」「田舎に引っ越すか」の二択じゃないんだと。
奄美生活を経て気がついた「東京の美しさ」

咲さんは最初の緊急事態宣言が出る少し前、退任を機にたった一人の知り合いを訪ねて、娘の英(はな)ちゃんと二人で奄美大島へ飛んだ。幼少期は自然の真ん中で育ったが高校生以降、自然の中で暮らすという経験はなかったそうで、2カ月半滞在してみて自然という存在の大きさに気がついたという。「星を見上げて涙したり、明け方の海にぼうっと浮かんだりして、心から人生が洗われてるって感じがした。根底に自然があるんだって思えた」と咲さんは言っていた。
だけど、咲さんはそのまま住み続けるのではなく、2カ月半で東京へ戻ってきた。それで、最初の「東京がすごく美しい」という話になった。今まで気にも留めなかったような東京の景色が目に留まり、感動するようになったのだという。夕日を見てうっとりしたり、葉っぱがひらひらと舞う光景に足を止めたり、奄美を経たことでそんな気づきがあったという。
東京がどんな街かと聞かれれば、それは上昇志向のある街だと言えるかもしれない。いろんな人が集まり、切磋琢磨し、上を目指すような場所。咲さん曰く、東京という街では、高い家賃を払って、高いものを消費し、そういう生活で自分を保ちながら豊さを見つけるほかない。意識せずとも、気がつくと話題の店へ行き、生活のクオリティをあげている。咲さんもこれまではそんな生活を送っていた。現に私もそうだ。
だけど、東京にいても、それ以外の暮らし方があるということに、奄美での生活を経て気がついたという。「今はただ上を目指すことよりも『今日はこんな空気感に触れたいな』とか、そんなことを考え始めたよね」。東京に暮らしていてもみんなと同じような「上」を目指さない、別の選択肢はあるのだ。
東京に住み、自然へかえるという生活スタイル

咲さんの現在のライフスタイルといえば、基本的には東京を拠点に、出張という形で月に1〜2回、数日間地方へ行くような形。ただ、東京にいるといっても、早朝日の出の撮影のために海を訪れるなど、自然へと気軽に遊びに行くような機会は格段に増えたという。まさに、東京にいながら自然へかえるような日々。
そもそも、SANUという組織で咲さんが何をしているのかというと、Creative Boardという役割で、「SANUを面白がる」「クリエイティブの力で人々を自然の中に連れ出す」というポジションを担っている。自分自身がまずは自然を楽しみ、まわりを巻き込み、自然へと人を連れ出す。SNSを見ていても咲さんは自然の中で本当に楽しそうな日々を送っているし、それだけでも今の生活はSANUでの役割をきちんと果たしている気がしてくる。

SANUメンバーと。左が代表の福島弦、右がファウンダー/ブランドディレクターの本間貴裕

自然の魅力を伝える「SANU」の公式インスタグラム
会うたび、子供のような笑顔で、いろんな楽しい話を聞かせてくれる。現に私も「SANUかっこいいなあ」と思ってしまっている。「歩んできた人生のその先に、自然とSANUがあった」という咲さん参画のリリースの言葉にある通り、彼女の生き方の中でのこのタイミングでSANUと出会ったことは素晴らしいことだし、なによりその引き寄せる地方自体が彼女の持つ人間としてのパワーでもある気がする。
今の生活は率直にどうですか。そう聞くと、咲さんは(いつも通りの)満面の笑みで「すごくいいよ」と言う。それでも、東京での生活は必要なわけですよね。「自然の中で暮らしていたとしても、日々落ち込んだり嘆いたり、何もなくてもどうせ悩むんだから、それなら東京で知らないものに触れたり、やったことのないことをやったりする方がいいんじゃない?特に時空を超えて何かを生み出したい今の私にとっては」。そんな考え方で住む場所を選ぶというのはやはり咲さんらしいと思ってしまった。
それにしても、なぜ東京という場所に惹かれるのか?

IWAI OMOTESANDOで開催された「Close Contact」の様子
それにしても、私たちはなぜ東京という場所に戻って来てしまうのか。咲さんはこんな話を教えてくれた。「自然を求めて私は奄美の北部の何もないところに住んでいたんだけど、そこで唯一知っている友達がいて、その子は毎週必ず中心地に買い物に行っていて。美しいものだけでは落ち着かなくて、雑多なものに触れてその揺らぎの中で自分を保っていたいのかもって思った」。
たしかに、人が集まるところに、人は自然と惹かれてしまう。咲さん自身は「根源的に何かを生み出したい、表現したいという思いがあって、それは東京じゃないとできなかった」と言う。咲さんは奄美の生活を経て、自身が手がけた東京・表参道のIWAI OMOTESANDOという結婚式場で「Close Contact」という展示を実施した。自然がかえる場所なら、東京は生み出す場所なのかもしれない。
だから、東京を拠点に生活をして、たまに自然へとかえっていく生活はとても納得がいく。咲さん曰く、自然の中へかえるのは「立ち止まるため」。少し禅的な表現だが、それは自分しかない“それだけの時間”を確保するためだ。自然と、都会。それらをつなぎ、流れるように自由に往復するような生活。
たとえば、サウナで強制的に情報を遮断したり、自然の中へ移動するように、物理的な変化を加えることが、立ち止まるきっかけになるのは間違いないが、もしかするとそれは場所というよりも、感覚なのかもしれない。誰でも、自然の中にいることで、何かを得られるかというと、そうではない。ただ都会を離れ、自然の中で暮らすことで、心が満たされるとは限らない。一カ月自然の中に暮らしても何も感じない人もいるだろうし、一瞬でも自然に触れるだけで心が洗われる人もいる。もっといえば、東京にいながら一瞬でも脇道にそれるように、心を無にできる人もいる。
「ただその場所に行くんじゃなくて、自分がどこで何にチャネルを合わせるのか。だから場所を選ぶというより感受性をどう刺激するのかが大事だし、自然だけじゃなく、東京にいてもできることはある」。咲さんがそんなことを呟いた。たしかにそうだ。どこに住むかではなく、どうすれば自分は心をリセットできるのか。「都会か自然かの二択ではもはやない。自分であるか否か、その二択の中で私たちは今いるべき場所をデザインしていくのだと思う」。そうも教えてくれた。
都会に暮らし、自然に癒しを求めるという生活それ自体も素晴らしいが、咲さんのライフスタイルから学べることは、それ以上に自らの感覚を保つための自分にフィットした暮らし方を見つけることの大切さだったのかもしれない。